004 慧王(春燕/仁峰視点)
今日は満月だ。待ちに待ったこの日、私は翡雲様と結ばれるの。
でも、今日碧砂国に訪れた使節団の中に、翡雲様の姿がなかった。
まあ、仕方ない。使節団を率いているのは慧王だ。
私は慧王にも用がある。今回はそれで十分だ。
慧王と兄の仁峰が、交易についての話を執務部屋でしていると、私も呼ばれた。こんなことは初めてだけれど、なぜ呼ばれたのかは分かっている。
兄には、私が泰然様から辱めを受けたと伝えた。
泰然という男は、町で舞を踊った私に一目惚れしたらしく、翡雲様は別の方と婚約するから、といって無理やり襲われたと話した。
兄は怒り心頭に発して、慧王殿下に伝え罰を与えるように進言してくれると言ったが、私はそれを止めた。
翡雲様との婚約が難しい場合、泰然が私を娶るなら許してもよいことを伝えた。
泰然は私のことを無理やり自分のものにしたいくらい好きなようだし、雲龍国と繋がりが強固になるなら、悪い話ではないかもしれないと伝えたのだ。
さて、慧王からはどんな言葉が聞けるだろうか。
慧王の息子が薬師で収まっているなんてあり得ない。
息子とは長い間会っていないと聞いた。
親子関係は崩壊しているのかもしれないが、不出来な息子だとしても、親としての責任は取るだろう。
「慧王殿下、春燕がご挨拶いたします」
「ああ、よくぞ参った。仁峰から話は聞いている。春燕はどうしたいのだ?」
どうしたいとは、どういう意味?
私の思惑を知りたいということか。
そう簡単に教えるわけがない。
「えっ、私は……私ごときでは何も決められません。すべては碧砂国のため、父上の決めたことに従うしかできません」
「そうか。ならばそうしなさい。下がってよい」
慧王は笑顔でそう言った。
うやむやにして逃げるつもりね。
そうはさせない。
私は今にも泣き出しそうな顔で兄を見た。
「お、お待ちください。慧王殿下、春燕はご子息の泰然様に……。その責任はどう取られるのですか?」
「どうしたいか聞き、それを私は認めた。それで終わりだ」
「では、父に伝えてもよいということですか?」
兄に責められても、慧王殿下は顔色一つ変えなかった。
余裕ぶったその態度。面の皮の厚い男だ。
「気が済むまで話しなさい。仁峰、君は関わらない方がいい。春燕から伝えさせなさい」
「ですが、あのような話をさせることは酷です。もしや、春燕が嘘をついているとお考えですか?」
「私は商談のためにここにいる。国益を考えた場合、この話は聞かなかったことにするのが一番だと思っている」
「ど、どういう意味でしょうか!?」
つい口を挟んでしまったけれど、私が発言するたびに、慧王は呆れたような目で私を見た。
兄は、失意の表情で慧王に尋ねた。
「……私は慧王殿下を尊敬しておりました。身内だからといって、罪を見逃すような方だなんて」
「確かに、私は罪を見逃そうとしている。緑淵での件は既に調べた。その結果として、息子を侮辱した罪に問い、春燕を破滅させることは可能であるが……。ははは、本人を前に、あまり口にしてよい言葉ではなかったな」
「それは、本当なのですか?」
「仁峰、調べればすぐに事実がわかるはずだ」
事実。どうしてそんなことが言い切れるの?
「酷い。慧王殿下の息子だからって、なんでも許されるのね」
「春燕、もうやめなさい」
「だって、私の方が、弱い立場の人間だからって、こんなの酷すぎるわ!」
「春燕!!」
兄が声を荒げた。兄すら私を叱責するの。
こんな予定じゃなかったのに。
どこで間違ってしまったの。
「仁峰、そう怒らずとよい。春燕は猪に襲われたと聞いた。それよりはまだ、私の息子に襲われたと思ったほうが、心が壊れないで済むのかもしれぬ」
「誰か、春燕を部屋へ」
「やめて、私は正気よ! 自分で歩けるっ、触らないでっ。慧王殿下、私はこの国の舞姫です。今夜の舞を見ていただければ分かるはずです。私を蔑ろにしたことを後悔する日がきても知りませんからね!」
どいつもこいつも、私を馬鹿にして、許さない。
****
妹の春燕は、泣き叫びながら部屋へと連れて行かれた。
私は兄として、あの子に何がしてあげられるだろう。
信じてやりたいが、慧王殿下が嘘をつくとも思えない。
「慧王殿下、春燕が失礼いたしました。ですが、恐ろしい目に遭い、心を痛めているのです。どうかご容赦ください」
「ああ、しかし、よく見ていてやれ。また問題を起こしかねん。よい相手が見つかれば落ち着くかもしれんな」
「はい。そうかもしれません」
よい相手か。春燕にとって良いと思える相手は、翡雲様のような大国の皇子なのだろう。それは……難しいかもしれない。
「仁峰は相手が決まっているのか?」
「いえ、先日、密仙国に打診しようとしましたが、皇后に止められてしまいました」
「皇后が密仙国の者であったな。密仙国は、一つの国に、一人しか姫を送らないことにしているそうだ」
「そうでしたか。存じませんでした」
「そうか、私も最近知ったのだ。翡雲の新たな婚儀は、どこの姫にするかと陛下に相談されてな。仁峰にも、よい相手が見つかるとよいな」
まるで父のように、慧王殿下はいつも私のことを見守ってくれている。本当の息子には、どのように接しているのだろう。
「ありがとうございます。あの、泰然様に許嫁はいらっしゃるのですか?」
「うーん?」
「あ、春燕を推したいということではないのです、ただ、慧王殿下はどのような姫を選ばれるのかと、興味があって」
「私は選ばない。私自身も自分で妻を決めた。息子もそうすればよいと思っているのだが……」
珍しく慧王殿下の歯切れが悪い。
やはり実の息子のこととなると、気を揉まれることも多いのだろうか。
「なにか心配事でも?」
「どうやら最近よい相手がいるようなのだが、紹介してくれる素振りがないのだ。実はその件もあって、息子には監視を増やしていたのだ」
「増やして、ということは、普段から見守っていらしたのですね」
「はははっ、バレてしまったか。一人息子なのだが、母親に似て頑固で可愛くてな」
「そうですか。なるほど、監視が付いているということは、春燕は本当に嘘を……申し訳ございません。私は慧王殿下になんと無礼なことを……」
「気にするな。私は仁峰が赤子の頃から知っている。これくらいのことで、信頼が崩れることはない」
「ありがとうございます。春燕の舞は、見ていかれますか?」
「もちろんだ」
龍神池の前で春燕は雨ごいの舞を踊る。
池の横で御神木が見守る中、満月が池に映り込む。
月明かりに照らされた春燕は、美しく舞い踊った。
皇后もそれを見に来ていた。父の姿はない。
父は、雪燕が奇病にかかる前は、見に来ていたのに、それ以降一度もここを訪ねていない。
私はずっと遠くの宮殿から雪燕の舞を眺めていた。近づくことはできなかったから。
どうしてだろう。春燕が舞っているのに、記憶の中の雪燕の舞ばかり思い出してしまう。
しばらく舞を見ていると、ふと違和感を覚えた。
いつまで踊り続けるのだろうかと。
舞はいつも、池の水が輝きを放ったところで終わる。
しかしその時はいつになっても訪れなかった。
皇后が立ち上がり、部屋へ戻る。
春燕はそれを横目で見ていた。
そして次の瞬間、ザバンっという音と共に春燕の姿が消えた。
驚いて動けなかった私とは逆に、慧王殿下は瞬く間に池に飛び込み春燕を抱き上げていた。




