022 秘薬の書
帰りの馬車が進み始めると、泰然様は翡雲様の肩を借りてすぐに眠ってしまっていた。
「寝かせておいてやろう」
「そうですね。朝起きた時、長椅子の下の床で寝ていたので、あまり休めなかったのかもしれません」
「床? なぜ床で……」
「わかりません」
「雪蘭、昨日は泰然とゆっくり話ができたか?」
「……はい、翡雲様は見ていらしたのでしょう? リウリーから聞きました」
翡雲様はバツが悪そうに微笑むと、彼の膝の上でくつろぐリウリーと顔を見合わせた。
「リウリー……から?」
『私が話せることは秘密にして~』
「あ……はい。多分ですが……」
「リウリー、よしよし。雪蘭とも仲が良いのだな。──雪蘭、私が都に戻るときに、リウリーを連れて行ってもよいか?」
「えっ?」
『うんって言っといて』
リウリーは、瞳をうるうるさせてこちらをじっと見ている。
紅葉の葉の交換をしたと言っていたけれど、一緒に都へ行く約束もしていたんだ。
「リウリーが行きたいのなら、いいと思います」
「そうか! よしよし、一緒にいような!」
良かったね、リウリー。
仲睦まじい二人を見て、私は心の中で呟いた。
****
そして、屋敷に戻り、泰然様と蓮の大池へ向かった。
予想していた通り、水面がわずかに上がり、池の真ん中の島には薄っすらと水が流れ込んでいた。枯れていた茸が水を吸い、丸くて桃色の茸になっている。
「これは……」
「水中の白い茸と赤い茸が混ざったような茸だな……、ここだけ、何も生えていない」
真ん中あたりだけぽっかりと穴が空いたように茸が生えていない場所があった。
桃色の茸をいくつか採取したあと、泰然様がその場所に手で探り泥を退けると鉄の板が現れ少し抉ると鉄の箱が姿を見せた。
それを開けると、巻物が一つ入っていた。
「これはお祖父様が残したものかもしれない。秘薬の書と似ている。でも、どうしてこんなところに」
「ここでは汚れてしまいますね。屋敷に戻ってから見ますか?」
「そうしよう」
屋敷に戻り、翡雲様にも声をかけて泰然様の部屋で巻物を開いた。
その巻物には最後の材料である茸について詳しく書かれていると共に、なぜそれを隠したかも書かれていた。
元々、泰然様のお祖父様は、この谷の毒を解毒する薬を作るために、ここに屋敷を構え、研究していたそうだ。
昔々、死色の深淵の谷には、仙女が住んでいたという言い伝えがあり、仙女は万病に効く秘薬を用い毒を無効にしていたそうだ。何人もの薬師がその秘薬の研究に己の命を費やし、その努力の結晶が、屋敷に残されていた秘薬作りの書だという。
泰然様のお祖父様は、山の動物たちが毒に侵されない姿を見て、動物たちの食べ物や飲み物を調べ、今、泰然様が使っている解毒薬をまず開発した。
そして、昼夜問わず研究を続け山を調べ続け、何度も毒に侵され、薬で解毒することを繰り返し、夜も数刻程度なら動ける体を手に入れたという。
そして満月の晩、蓮池の中央の島へ渡る光る道を見つけたのだ。
光っていたのは茸で、その島には、他の茸とは違い紫色に光る茸が幾つも生えていた。
それを全て採取し材料にしたところ、谷の毒を消し去る秘薬が作れたという。
ただし、その光る茸は、満月の夜のみ輝き、翌日には光を失い、その茸を用いても秘薬は完成しなかったそうだ。
しかし、次の満月の晩に光る道はあれど、紫に光る茸はなかったそうだ。
毎月通い続け、一年が過ぎた頃、またあの時と同じ場所にその茸が現れた。
どうやら茸は一年に一度しか生えないようだ。
しかしお祖父様は、もう自分が来年まで生きられないことに気付いていた。何度も毒に侵された身体は、傷つき弱っていたのだ。
そこでこの書に材料の茸について記したそうだ。
翌年の春節の頃、最後に残したこの秘薬を飲み、谷の毒に侵されぬ体を得て、満月の晩に茸を採取するようにと書き記されていた。
そして、最後に筆跡の違う文字で、こう書かれていた。
満月の夜、この島への道を見つけ、この書を手にした方へ。
『この枯れ木の中にある光る紫の茸を採取し、秘薬を完成させてください。万病に効く奇跡の薬です。腕のよい薬師なら調合が可能でしょう。どうか、大切な誰かの命のために、力をお貸しください。雷瑶菲』
「雷瑶菲様って、もしかして」
「ああ、俺の母の名だ。おそらく母は、皇后に秘薬を用いると決めた時、この書をあの島に隠したのだろう」
「あ、なるほど。夜の毒に耐性を持つ体を秘薬なしで得るには、恐らくお祖父様のように時間をかけて何度も毒に侵され寿命を削ることになるから」
きっと泰然様なら秘薬の為に無理をするだろう。それを分かっていて、もしものために、お母様は隠したのだろう。
翡雲様も納得したように言った。
「そうか、次の茸が生えるまで待てなかったのだな。泰然の祖父が亡くなって、次の春節よりも前に、母上は疫病にかかってしまった。私の母上の病のために秘薬を使えば、材料を取りに行くことができる身体を得ることができなくなる」
『夜の毒にも耐えられる体を作ろうとすれば、それはその人の五臓六腑を蝕み寿命を縮める。だから、そんな無理はさせたくなかったのかもしれないわね。ごめんね』
リウリーは、ポツリと謝罪の言葉を口にした。
どうしてか尋ねようと思ったけれど、プイッとそっぽを向いてしまった。
泰然様も同じ考えだった。
「命を削ってまで、満月の晩に誰かが茸を採取しに行くことを止めたかったのだろう。蓮池の島への道を見つけられるのは、この書を読んだものか、満月の晩に外を歩くことの出来る、毒に耐性のある者だけだと考え、枯れ木の中に置いたのだろう」
「だが、昼間もあの島には行けるのではないか?」
翡雲様の言う通り、行こうと思えば、泳いだり船を作ったりすれば、島に行けるかもしれない。
「ああ。しかし、前に行った時は気づかなかった。簡単には見つからないように埋められていたからだろう。満月の近くになると水が入り、それを繰り返す上で、徐々に箱の上の土が流された結果、気付けたのかもしれない」
「なるほど、しかし運が良かったな。満月の夜に茸を収穫すれば、秘薬が作れると分かったのだから。これはやるしかないな!」
意気揚々とした翡雲様と、不安そうな泰然様が、同時に私へと目を向けた。
「満月の夜は明日ですね。私、必ず茸を手に入れます」




