019 夕陽
泰然様と二人で街を巡った。
せっかく夜までいられるのだからと、町を見下ろせる高台へ続く階段を登り、原っぱに並んで座り夕陽を眺めた。
夕陽のオレンジ色が河を染め、空と河が一つになったみたいだ。
「すごい綺麗。来た時に通った銀杏並木はあそこに見えているのがそうですか?」
「ああ、紅河も見えるだろう?」
「はい。あれ、でも……来た時に見た時は河原があったような」
川幅が広くなっているような気がする。
上から見ているからだろうか。
「この辺りは海が近くて、潮の満ち引きの影響を大きく受けるんだ。そろそろ満月が近いから、水位の上がり下がりが激しくなる。数時間もすれば昼間見た河原がまた現れるぞ」
「それは……池の水でも起こりますか?」
「どうだろうか。もしかして、蓮池の水が増えれば、あの枯れ木の中の萎びた茸に変化が起こるかもしれない、ということか?」
「はい。満月はもうすぐですね」
「ああ、明日は屋敷に戻って蓮池に行こう。そうだ、池に入る時のために、靴を買っておいた。あの靴は汚したくないのだろう?」
泰然様はずっと脇に抱えていた風呂敷包みを見せて言った。ずっと持っていたのは、私のために買ってくれた靴だったんだ。
「はい、ありがとうございます。あ、あの、もしも秘薬が完成したら、泰然様は、その後はどうされるのですか? あの屋敷で過ごすのですか?」
「実は、秘薬が完成するまで、家には帰らないと言って出てきたんだ。もし秘薬が完成したら、都に帰り父に報告する。その後は……どうかな。薬師の仕事は好きだが、そればかりではいられないだろうな」
「そうなのですね」
都に帰れば、ということは、慧王殿下の元に帰るということだ。きっと、殿下から引き継がなければならない仕事もあるのだろう。
都とは、一体どんなところだろう。
紅河ですら大きい町に見えるのに、もっと栄えているのだろうか。
眼下の町並みを眺めながら考えていると、泰然様が私の顔を覗き込んできた。
「一緒に来るか?」
「えっ、いいのですか?」
そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもいなかった。
「ああ、だが、秘薬はいつ完成するか分からないぞ? 明日かもしれないし、来月かもしれないし、何年も先かもしれないし、来世かもしれない。それでも、その時も雪蘭がまだあの屋敷にいて、そしてもし俺と……添い遂げたいと想うなら、一緒に都へ行こう」
添い遂げる? 私と?
嬉しくて、夕陽の光が霞んで見える。
「はい」
私が頷くと、泰然様の手が、私の手に重なった。温かい。
横目でこっそり泰然様を見ると、オレンジがかった顔で夕陽を眺めていた。
その横顔が綺麗すぎて直視できなくて、私も夕陽に目を向けた。
心臓がバクバクうるさい。平静を保たなきゃ。
陽が完全に沈むまで、二人でそれを眺めた。
「町に明かりが灯り始めたな」
「綺麗……山の中では、絶対に見れない風景ですね」
「そうだな、町へ降りよう」
****
夜の町の賑わいを楽しみながら宿へ着いたのだけれど、その宿がまた立派な宿で外観で圧倒された。
入り口には、「紅河飯店」と金文字で書かれた額が掲げられ、二階建ての建物には中庭があり、池に鯉が泳いでいる。しかし驚いたのは部屋に案内されてからだった。
「おい、なぜ雪蘭と同じ部屋なのだ?」
「翡雲様から、お二人は許嫁同士だからと聞いていましたので」
「……もう一部屋借りられるか?」
「今、旅の一座が来ているので、宿もいっぱいなんです。と、翡雲様から言うように仰せつかっております。では」
「ちょっ……」
部屋の入り口で侍衛と話し終えた泰然様は呆れた様子で、こちらへ戻ってきた。
「どうでしたか?」
「話にならん……」
「まあいいじゃないですか。広いお部屋ですし、それにお食事の準備がもうできてますよ」
食卓には既に二人分の食事の用意がしてあった。
海が近いと言っていたからか、エビやカニ、よくわからない貝とか、海鮮の料理がずらりと並んでいた。
お酒の瓶も何種類か置かれていて、それはどうやら翡雲様が頼んでいたらしい。
私がじっと見ていたからか、泰然様は桂花酒という金木犀を漬けた酒を選んで杯に注いでくれた。
「少しだけだぞ」
「ありがとうございます」
恐る恐るちょっとだけ口をつけた。
甘くて花の香がする。
「美味しいです」
「初めてなのであろう? 一杯だけにしておくんだぞ」
あまりの美味しさに、クイッと一気に飲み切ったところで、そう言われてしまった。
残念、初めてのお酒はこれでおしまいだ。
「はい」
でも、なんとなく腕が軽いような、フワフワした感覚がある。これがお酒の効果だろうか。
「そんなに酒が美味しかったのか? 顔がにやけているし、酒瓶ばかりを見ているぞ」
「うう、どうして分かるんですか。いつも泰然様には私の心が透けて見えているみたいです」
「そうか? ずっと君ばかり見ているからかもな」
「なっ……は、恥ずかしいので、そんなに見ないでください」
「ん、わかった。そうだ、月もよく見えるんだぞ」
泰然様は窓辺へ行くと腰を下ろして空を見上げた。もうすぐ満月になる月は少しいびつな円を空に描く。
下には中庭が見え、池の鯉が跳ねる音がした。
「前にもこの宿に泊まったことがあるのですか?」
「ああ、母と二人で。祖父が死色の深淵の谷で薬の研究をしていた頃、よく泊まっていた。ここが一番近い町だったから」
「お母様とお二人でですか?」
「ああ、母は薬師で、俺はそれに憧れていたから。よくついていっていたんだ」
慧王殿下も素晴らしい方なのに、お母様も泰然様が憧れるくらい素敵な人なんだ。
「お母様は、どんな方だったのですか?」
「うーん、優しい人だったよ。よく家族みんなで月を見ながら月餅を食べた。母は月餅が好きで、家族で一番多く食べていたよ」
「ふふっ、いいなあ。みんな仲がよさそうですね」




