015 雲龍国の町
翡雲様は池に沈んだ時、水をたくさん飲み、気付いたそうだ。
「池の水が甘い」
確かに池の水は甘かった。
普通の水とは違うのかもしれない。
秘薬作りで使う水を池の水にして、水中から採取した茸を試したところ、一瞬で谷の毒を解毒する薬が作れたのだ。
しかし、リウリーに飲ませても、何も変化は起きなかった。
『たぶん、これだと疫病には効かないと思う。強い解毒効果はあるみたいだけどね』
と、リウリーは言っていた。
泰然様の見解だと、谷の動物たちが毒に強いのは、この池の水を飲水に使っているからではないかと推測している。
ちなみに、私たちが使っているのは、屋敷の裏の井戸水で、泰然様のお祖父様が、ここで薬の研究を始める前からあったという井戸を使っている。
夜に池まで足を運んでみたが、その日は曇り空で暗く、手探りで池の淵の近くの水中に手を入れて白い茸を採取したけれど、薬効に変化は見られなかった。
と、言う訳で、進んだと思った秘薬作りは、それ以上進展せず、三人で頭を悩ませていた。
そんなある日、翡雲様は、侍衛から定期的に来る伝書鳩の書簡を見ると、勢いよく立ち上がった。
「よし、町へ行こう! ここから一番近い雲龍国の町、紅河へ」
「急にどうしたんだ?」
「今、紅河に、旅芸人の一座が留まっているそうだ。見に行こう! それに紅河は紅葉が見頃だ。町外れの水路は紅葉で赤く染まり、その橋の上で……」
熱く語っていた言葉を、翡雲様は途中でやめてしまった。
橋の上といえば、緑淵の梓晴の舞を思い出す。紅河でも橋の上で舞うのだろうか。
そうか、あの時、舞っていたのは梓晴だけじゃなかった。
春燕も舞を披露していた。
だから言いづらいのかもしれない。
「橋の上で何があるのですか?」
「ああ……紅葉を互いに贈りあった男女は結ばれると言われている」
少し照れた様子で翡雲様は言った。
あれ、思っていたのと全然違った。
「なんだ、舞が見られるのかと思いました」
「橋の上で舞を踊るのは緑淵ぐらいだろう。あそこの町は橋が一番豪華絢爛だからな」
「そうなのですね。でも、旅芸人の一座ということは、舞や芸が見られるということですよね?」
「ああ、そうだ。息抜きに三人でいこう!」
机をバンっと両手で叩いて立ち上がり、翡雲様は堂々と宣言した。
しかし泰然様はあまり乗り気ではない様子だ。
「俺は……」
絶対に断りそう。
旅芸人を見てみたい。紅葉も見たい。
それに雲龍国の町にも行ってみたい。
私と翡雲様、そしてリウリーもじーっと泰然様に視線を送り続けた。
「わかった、明日みんなで行こう」
「やったぁ。リウリーも一緒にいいですよね?」
「おお、一緒に行くか? リウリーは私が背負ってやろうな」
翡雲様の言葉にリウリーはぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。
明日は紅河、初めて雲龍国の町へ行くんだ。
****
いつもと逆方向に馬車は走り、見慣れない景色がどんどんと過ぎていく。
山を下り川を越えると小さな村があって、そこで翡雲様の侍衛の方と合流した。二人の内、一人は馬で併走し、もう一人は泰然様に変わって御者をしてくれている。
だから、初めて馬車に泰然様と一緒に乗っているのだ。それが何だか不思議で、みんなで旅をしているみたいでワクワクした。
翡雲様はリウリーを膝に乗せ撫でてあげながら私に聞いた。
「泰然がいて嬉しいか?」
「へっ?」
「なんだか、さっきより楽しそうに見える」
言われた通り、少し浮かれていたかもしれない。
みんな一緒で楽しかったから。
「景色が……初めて見る場所で楽しいだけです」
「そうか? ただの山道だったと思うが。楽しいのはこれからだぞ。紅河と呼ばれる意味がすぐ分かるだろう」
翡雲様がそう言った時、ちょうど林を抜け、空が開けた。
開放的な青い空も、吸い込まれてしまいそうなほど美しかったけれど、その下には、見たこともないくらい大きな河が流れていた。
その河の両側は赤や黄色の葉で覆われた大樹がずらりと並び、葉を落としては河を鮮やかに彩っていく。
馬車が走る川沿いの街道は、銀杏の落ち葉で覆われ、黄色い絨毯が道の先までずっと続いていた。
「きれい」
『私も初めて見た~』
「だろ? これは銀杏の葉だ。赤い葉は紅葉で、町がある川の向こう側は、赤い紅葉の木が街道を埋めている。この季節になると河が紅葉で埋め尽くされることから、紅河と呼ばれるようになったんだ」
碧砂国にはこんな大きな河はないだろう。すごい、これが雲龍国なんだ。
橋を渡り、紅河の町に着いた。
町には人が大勢いた。旅芸人の一座が来ているからか、普段より少し人が多いそうだ。
何をどこから見ればいいのか、何もわからない。
というか、色々な人が通り過ぎて行くのを見ることだけでも楽しくて、周りを見ていると、翡雲様が私の前に手を差し伸べた。
「さあ、お手をどうぞ」
「こ、子供扱いしないでください」
「えっ、お姫様扱いしたつもりなのだが」
残念がる翡雲様だけれど、お姫様扱いなんてもっと嫌だ。
「大丈夫です。一人で歩いても迷子になんてなりませんから」
人の流れに乗って歩いていけば大丈夫。
ちょうど目の前を横切った人の後をついていこうとすると、袖をクイッと後ろに引かれた。
「そっちじゃない」
袖を引いたのは泰然様で、私と目が合うと、正しい道へと目を向けて教えてくれたのだけれど、その後ろで翡雲様がお腹を抱えて笑っているから、恥ずかしくて泰然様の後ろに隠れてしまった。
「紅雲楼という店に行く。食事ができる店なのだが、そこで旅芸人の一座が芸を披露しているそうだ」
「泰然様は見たことがあるんですか?」
「小さい頃に、あったような……。あまり覚えていないな」
「私もです」
「はっはっはっ、私は叔父上についてよく他国へも行くから経験豊富だぞ。二人ともついてきなさい。っておい、おいていくなっ」
紅雲楼は、赤い瓦屋根の大きな建物だった。
三階建てみたいで、私たちは二階の席から一階の舞台で披露される旅芸人の一座の芸を観覧することができた。
皿を細い棒の上に乗せて、いくつも同時に回す人や、口から火を吹く人、それから女性たちの華やかな舞の次は、男性達が剣舞を踊り、その中の一人が、剣を口へ突き立てて出し入れしたり、次へ次へと芸が披露され驚きっぱなしだった。
食事も美味しかったし、大満足で紅雲楼から出ると、泰然様は翡雲様の侍衛の方となにやら相談してから皆に言った。
「知り合いの医師の店に寄っていく、その後、食材の買い出しもしたいから、別行動で」
「じゃあ、赤龍橋で合流しよう」
「わかった、では」
話はトントン拍子に進み、泰然様は侍衛を一人連れて行ってしまった。
「さて、町を案内しよう」




