008 忠告
沈家に着くと林殿が出迎えてくださった。
急な来訪だった為、当主である沈千燈様は食事中とのことだ。
私達の膳も用意してくださるとの話だったが、泰然様はそれを丁重にお断りし、ご挨拶だけしていくことを伝え、中へと案内された。
沈千燈様は豪華な食事が並べられた円卓で私たちを待っていた。沈様の隣には梓晴も座っていた。
「泰然様、よくぞおいでくださいました。よかったら、一緒に食事をしましょう」
「沈様、急いでおりますゆえ、食事は結構です」
「まあまあ、そう言わず。娘も、そちらの雪蘭様にお世話になっているとのことで、是非にと言っているのです」
泰然様が困っているので、私は彼の袖を少しだけ引っ張り「大丈夫です」と小声で伝えた。
「では、少しだけ」
「泰然様のおかげで、この町は医師が増えました。皆、泰然様の薬に助けられ、学びたいと思ったからです。これからもどうぞ、ご贔屓に」
「そのことだが、今日で緑淵に来るのは最後になる」
泰然様の言葉に、沈千燈様は驚いて勧めようと手に持っていた酒の盃を円卓の上に落としてしまった。
「それはなりませぬ。泰然様がいなくなれば、また医師たちは去っていくでしょう」
「そのようなことはないでしょう。薬についても、この町の医師達でも作れるようになっています。私に薬を頼んでいた方々には、町医者へと通うよう、お伝え願えますか?」
「しかし、そんな急に……なにか、こちらに不始末でもありましたでしょうか?」
「いえ、沈様のせいではありませんが……」
「な、なんですか!? 良ければおっしゃってください」
泰然様が言葉を濁すと、沈千燈様は必死で食らいついてきた。
「先ほど、碧砂国の新しい舞姫に、雪蘭が人違い、というか、ある人に似ているという理由で暴行されました」
「なっ……」
「頬が赤いけれど、もしかして……」
沈千燈様も、梓晴も口を開けたまま驚いている。泰然様は私の頬に目をやったあと、二人へ言った。
「はい、頬を叩かれ馬尾雑言を浴びせられました」
「そんな馬鹿な!? なぜ春燕様はそのようなことを? そんな方ではありません。人違いとおっしゃいましたが、罪人と間違えられたとでもいうのですか?」
「雪蘭は舞が得意なのです。それで、前舞姫の雪燕様と間違われたようです」
「ああ、雪燕様って、すごく傲慢な方だったのでしょう? きっと春燕様も苦労されたのだわ。あ、でも、だからといって、似ているだけで雪蘭様を傷つけていいって意味ではありません」
慌てて取り繕うも、梓晴様の言葉に、泰然様の顔つきは鋭さを増すばかりで、沈千燈様が頭を下げた。
「梓晴が失礼なことを申しました。お許しください」
「……いえ、新しい舞姫はこの国に必要な存在ですよね。それを擁護しようとするのは当たり前の反応ですので、聞き流します。ただ、その新しい舞姫が、俺を捕縛するように県令に訴えるかもしれないので、お話ししました」
県令に訴える? 従者を倒してしまったから、罪に問われるかもしれないのだ。
私はどうしてそこまで気がまわらなかったのだろう。
沈千燈様も訳が分からないといった様子だ。
「なぜ泰然様を?」
「舞姫の従者を二人気絶させ、野生の猪に追われていた舞姫を放置したからです。さすがに、雪蘭に暴行した相手を猪から助けたいとは思えませんでした。信じがたい話かもしれませんが、舞姫が俺を訴えた場合、このような背景があったことだけは覚えておいていただきたい。どうせあの舞姫なら、ことを大袈裟に訴えるでしょうから」
「罪人になるかもしれないから、もう緑淵にこれないということでしょうか?」
「ああ、俺には成し遂げなければならないことがある。舞姫の戯言に付き合っている暇はない」
「まさか、そんな……」
沈千燈様は落胆し大きなため息をついた。梓晴は私の手首に巻かれた包帯を見ると、ハッとして口を開いた。
「そうだ。私……私が雪蘭様を春燕様に紹介しました。もしかして、あの後に……」
「梓晴は何も悪くないわ」
「その腕の包帯……見せて」
梓晴は震える手で包帯に手をかけ解くと、赤黒い手形の痣を見て小さく悲鳴を上げた。
「こんなの酷い! お父様、春燕様、酷すぎるわ」
「しかし……」
「舞姫を裁くことはできない。そうですよね」
泰然様の言葉に沈千燈様は頷いた。
「ああ、勘違いだった、で済まされるだろう」
「そんなのおかしいわ、お父様っ」
納得のいかない様子の梓晴を見ると、泰然様は忠告をした。
「お気をつけください。あの新しい舞姫は嘘をつき、前舞姫の悪評を流し陥れ、今の地位についた。平気で人を陥れることができる穢れた心を持っている」
「泰然様、さすがにそれは言い過ぎなのではありませんか?」
「それは、ご自分の目でお確かめください。では、失礼いたします」
泰然様が席を立ち、私もそれに続く。
しかし、部屋の扉の前にの使用人が立ちはだかり、私達を通してはくれなかった。
「ま、待ちなさいっ。春燕様に害をなしたとあれば、帰すわけにはいきません」
「お、お父様、何をおっしゃっていますの!?」
「ここは碧砂国なのだ。私が従わなければならないのは碧砂国の皇族なのだ。このままもし泰然様がこのことを父君に報告し、国交が途絶えてしまえば大変なことになる。お帰りいただくわけには行かないのです」
泰然様は小さくため息交じりに沈千燈様を見据えて言った。
「……残念です。父の友人だと思い、私が見た、在るがままを忠告したのですが」
「それは……」
沈千燈様は返す言葉が見つからない様子だった。きっと泰然様にこんなことをしたくなかったのだろう。
「緑淵に、父の配下の者がいるのはご存じですか?」
「…………」
「親不孝はしたくありません。帰ってもいいですか?」
いつも通りの声色なのに、その言葉には重みがあり、沈千燈様は扉の前にいた使用人に手で合図をした。
「通して差し上げろ」




