007 頬に伝う涙(泰然視点あり)
祭りの日が嘘のように、町は普段の穏やかさを取り戻していた。
今日が最後になるが、雪蘭は梓晴と舞の練習を楽しんでいた。本当はもっと梓晴と過ごしたかっただろう。舞をしている時の雪蘭葉とても美しく、楽しそうだった。
老医師に残りの薬を託すと、梨をたくさんくれた。
確かリウリーの好物だったな、と考えていると、匂いを嗅ぎつけたのか、リウリーが扉を突き破り家の中に侵入してきた。
おいおい、そんなに焦らなくてもと窘めようとしたが、そのまま俺の所まで来て服の裾に噛みつき、外へと引っ張ってきた。
「何をそんなに……」
『フゴフゴ!!(くそ女が来たの!!)』
おそらく悪態をついて、リウリーは家の外へ走っていく。
「すみません。失礼します」
驚いている老医師に礼をして俺は梨を持ったまま外へ飛び出した。
リウリーは町の方に走っていく、道には誰もいない。
馬車の雪蘭に声をかけたが、彼女もいなかった。
「まさか……」
雪蘭の身になにかあったのか。
持ったままだった梨を二つ懐に入れ、リウリーの後を全速力で追い、角を曲がると道の先に二人の男の背中が見えた。
その二人の間には、腕を掴まれた雪蘭がいた。動けないように片腕ずつ拘束され、そして、女の怒鳴り声が響く。
「醜いのはお前だろっ!! 醜悪の公主と民に呼ばれ、身体は育たず幼いまま、民から多額の税を貪り私欲を満たし、挙句の果てに皮膚がただれ化け物に成り果て義理の母親に捨てられた!!」
あれが春燕。
醜く獣の様な目で拳を振り上げ、今にも雪蘭に殴りかかろうとしている。
走っても間に合わない。そう思った時、リウリーが俺に向かって走り、そのまま胸に飛び込んできた。
『フゴッ!(投げて!)』
投げろと言われた気がした。
意外と軽いその体を、俺は春燕目掛けてぶん投げた。
「い、いやあああっ」
春燕の顔面にリウリーは張り付いた。
体勢を崩し春燕は地面に倒れるが、リウリーは逃がすまいと結われた髪にかぶりつき顔を左右に振り乱す。
「春燕様っ、くはっ」
「うっ……」
驚いた男達が春燕を助けようと雪蘭から離れた隙を見て、後ろから首元を蹴り卒倒させた。
そして倒れ込む雪蘭を抱き止める。
怪我は……腕の痣と腫れた頬、そして顎の爪痕。
瞳を閉じ苦悶の表情を浮かべる雪蘭の腫れた頬にそっと触れた。
「雪蘭、大丈夫か」
「泰然様……」
雪蘭は俺の名を呼び、ゆっくりと瞳を開けた。赤い瞳に徐々に光が差し、強張っていた身体を緩め、俺の胸に頭を委ねた。
無事でよかった。
その後のことはよく覚えていない。
たしか、泥だらけの春燕が甲高い声で喚く中、リウリーが追いかけ回していたと思う。
****
泰然様は馬車の中で私の治療をしてくれた。
私の手首には、従者の手形が赤くくっきりと残っていて、膏薬を塗ったあとに包帯を巻いてくれた。
「すまない。怪我をさせた」
「泰然様のせいではありません」
「いや、守ると言った」
頬に手を添え、口元の血を拭ってもらうと、チリッと口内に痛みが走る。
「痛いか?」
「いえ……痛くないです」
少し口を切ったくらい、怪我はないと言ってもいいくらい、全然平気だ。
「じゃあ、どこが痛い?」
泰然様はそう言いながら、親指で私の涙を拭ってくれた。
私、泣いてる?
「すみません、本当に痛いところはなくて……なんで」
涙が止まらないのだろう。
春燕の私への気持ちを知ってしまったからだろうか。
彼女の心を歪ませてしまったのは、きっと私だ。
傷は痛くないけれど、胸が苦しい、心が痛いんだ。
「すまない。あんな言葉、二度と聞かせたくなかったのに……」
「私のせいなんです。昔は、優しかったんです。春燕が、あんなに変わってしまったのは……」
「なんでも自分のせいにするな。彼女自身に邪な心がなければ、あそこまで非道な言葉は生まれない」
そう言って、泰然様は一筋の涙を流した。
ああ、泰然様まで悲しませてしまった。
私も、泰然様がしてくれたように、彼の涙を手で拭うと、泰然様は慌てて後ろを向いてしまった。
「す、すまない。無様な姿を晒してしまった」
「いえ……でも、少しだけ、背中を貸りてもいいですか?」
「ああ、好きなだけ使ってくれ」
「はい。う、うぅ……」
私は嗚咽を漏らしながら泣いた。泰然様は、私が落ち着くまで、じっと待っていてくれた。
「ありがとうございました。もう落ち着きました」
「ああ、沈家に寄るが、大丈夫か?」
「沈家ですか?」
「そうだ、俺も今日で緑淵に来るのを最後にする。沈様にご挨拶に行く」
「でも……わかりました」
返事をした時、馬車の後ろからリウリーが駆け乗ってきた。
『フゴフゴ!(ただいま!)』
「リウリー、大丈夫?」
『フゴ!(もちろん!)』
「では、沈家に向かう。リウリー、雪蘭を頼むぞ」
『フゴ!(あいよ!)』
リウリーが戻ってきて、泰然様も安心した様子だった。リウリーは泥だらけだけれど、あれからどうなったのだろう。
「ねえ、春燕は?」
『私と追いかけっこして、木の上に逃げたから、私も登って引きずり下ろしてやったわ! それから逃げた先で馬糞を踏んですべって転んで、臭かったから引きずり回すのは止めてあげたわ』
「そう」
『罰が当たったのよ。ねえ、さっき泰然が、俺の雪蘭とか、許嫁だとか言ってた気がするんだけど、そうなの?』
「そ、それは私が雪燕だって疑惑を晴らすために言ってくださったのよ」
『そっか~。まあそういうことにしましょ。それと、春燕には、また嫌なことでも言われた?』
「……うん、でも泣いたらスッキリした。それに、会えて良かったのかもしれない」
春燕の本心を知り、色々と腑に落ちた気がする。
心の何処かで春燕を心配していた気持ちに踏ん切りがついた。
きっと、私と春燕とは、互いに干渉せず、別々の道を歩むことが最善なのだ。
私が関われば、春燕の心の闇はもっと深くなるだけなのだろう。
春燕には、私のことを忘れて、公主として、そして舞姫として、皆に認められ、誰かに必要とされて生きてほしい。
そう、遠くから祈ろうと思う。
そして私は、助けてくれた泰然様やリウリーに礼を尽くし、それから新しく自分のしたいように生きよう。




