005 私は公主であり舞姫(春燕視点)
泰然という医師について調べてみた。
彼は雲龍国の薬師で、名は蘇泰然という。
緑淵で一番大きな商家である沈家の当主が、医師不足のため呼んだという話だった。あの若さで薬師ということは家業を継いだのだろうか。
身形は良かったし、年齢も若く翡雲様と同じくらいと見える。
私は彼の作った薬で怪我が治った。
だから、泰然という薬師に会って礼をするのだ。
そして、彼を饗しおだて、懐柔する!
雲龍国に知り合いはいない。
彼のような薬師に私のよい印象を植えつけて広めてもらおう。
両国の民心を得て、私と翡雲様の婚約を勝ち取るのだ。
私は絶対に翡雲様と婚約したい。
ただ彼に憧れていたという子供みたいな理由だけではない。
もし翡雲様を逃してしまったら、私は砂漠の小国や草原の遊牧民の王へ嫁ぐことになるだろうから。
そんな小さな部族が作った野蛮な国は御免だ。
町医者に尋ね、泰然が町に来る日と場所を聞いた。
最近は町外れの元医師と仲がよいらしく、よくそこに馬車を停めて薬を渡し歩いているそうだ。
私は今、教えてもらった家を訪ねに行くところだ。
人通りがほとんどない。宿から二人の従者を連れて歩いてきたけれど、こんなに遠いなら馬車でくればよかった。
目的の家が見えてきた。馬車も止まっている。
しかし、家の前には二人の女性が舞の練習をしていた。
一人は私と同じくらいで、もう一人は……雪燕と同じ、十歳くらいの女の子だ。
一瞬、その娘が雪燕に見えてドキッとしたけれど、そんなはずはない。
あんな下手くそな舞を雪燕が踊るはずがないのだから。
馬鹿みたい。冷や汗をかくなんて、どうかしてる。
「雪蘭様、どうだった!?」
「よくなったわ、でも……この時の、えっと……よく見ていてね」
あの二人はなんなのだろう。
舞を教えている様子なのに、口で説明もできないなんて。
遠くてよく見えないけれど、まあまあ良さそうな服を着ていそうなのに、こんな辺鄙なところで練習しているだけあって、お金のない庶民が、指導力のない庶民に教えてもらってるだけね。
見ただけで踊りが下手になりそう。
そう思って顔を背けたけれど、従者の一人から「おお……」という感嘆の声が漏れ聞こえた。
「うわぁ、もう一回見せて、もう少しゆっくりがいい!」
「わかったわ」
女性は頷くと、扇を手に手首をくるりと回しながら、自身も回転し流れるように舞ってみせた。
髪も裙子も生きているみたいに優雅に流れ、まるで雪燕が舞っているようだった。
ただ手を伸ばしただけで人の目を惹きつける、あの白兎の舞姫のようで、全身に鳥肌が立った。
誰よ、あれ。紫色の髪、私と同じくらいの背丈。
雪燕のはずがないのに、なぜか雪燕に見えてしまった。
私は震える手を握りしめて、従者に尋ねた。
「ねえ、あの人、雪燕に似ていると思わない?」
「はい。──あ、いえ……雪燕様はお亡くなりになられました。遺品も見つかっております。他人の空似ではないでしょうか?」
「そうよね……少し気分が悪い。宿へ戻る」
「はっ」
私は背を向け宿へ急いだ。あの女から逃げなきゃ。
少しでも早く離れなきゃ。そればかり考えた。
でも、なんで逃げるの?
雪燕は亡くなった。
崖から落ちて亡くなったのに。
それに疫病だったのだから、もし崖下で生きていたとしても、長くは持たない。
そう都中の者達が思っているけれど、私は知っている。
あの疫病が偽物だってことを。
あれは、私が贈った白粉の毒で爛れただけだ。
医者にも母にも大袈裟に話した。
雪燕の顔が恐ろしいことになってしまった、と。
医者に、疫病だ、熱も出ていると嘘をついた。どの医者も恐れて雪燕に近寄らなかったから、バレなかった。
でも、さっきの女は、私と同じくらいの背丈だった。
あの子はなぜか十歳のまま成長しなかった。
急に本当の年齢くらいまで成長するなんて、そんな病、聞いたこととない。
あり得ない。
そうよ、雪燕のはずがないの。
あの醜い肌が傷ひとつなく治るなんてあり得ないのよ。
でも、泰然の傷薬だったら?
私の傷も綺麗に治った。
雪燕がもし、何でも治せる薬師に拾われて生きていたら?
いや、そんな薬師、この世のどこを探してもいやしない。
じゃあ、私は何を恐れているの?
私はこの国の公主であり、舞姫なのよ。
なぜ、ただ雪燕に似ているだけの女に、怯えて逃げなくてはならないの?
私は足を止めた。そして振り返り、従者に命令した。
「さっきの娘、よい舞だった。まるで亡き姉上を思い出させるかのようだ。都へ連れ帰ることにする。父も母も姉上を恋しがっている。似た舞を見せれば喜ぶだろう」
「かしこまりました」
「待て、私が合図したら捕縛して」
「はっ」
私は公主よ。逃げるなんてあり得ない。
もっと近くであの女を確認する。
確認? 何を確認したいのか、自分でもよく分からないけれど、もしあの娘が私の邪魔をする女に似すぎていたら……。
「始末しなきゃ」
戻る途中、先ほど舞の練習をしていた少女と出会った。
「こ、こんにちはっ。どうしていらっしゃるのですか?」
ああ、この顔には見覚えがある。
舞が下手なくせに、金持ちの娘だからと、私の前に舞を踊っていた商家の娘だ。
「まあ、こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね。私、薬師の泰然という者を探しておりますの。先日、翡雲様からいただいた傷薬が、その泰然というものが作った薬だそうなのです。よく効く薬でしたので、ぜひお礼を言いたくて」
「泰然様ならあちらですよ、春燕様!」
商家の娘が指さした先にはさっきの女がいた。
真正面から見ると、より似ている。
雪燕というより、あの子の母親に。
「あ、雪蘭様、実は春燕様が──」
面倒な説明を商家の娘が私のかわりにすると、雪蘭と呼ばれた女は私に軽く会釈をした。
そして商家の娘に手を引かれ私の前へとやってきた。
「ありがとう、後はこの者に道案内を頼みます」
「じゃあ、私は失礼します」
商家の娘を追い払うと、雪蘭は嫌な素振りも見せず、ニコリと私へ微笑んだ。
「では、ご案内いたしますね」
「待って、貴女、前に何処かでお会いしませんでしたか?」




