004 そっくり
「大丈夫か? 少ししか飲んでないのに、酔い過ぎだぞ? 水を飲め」
翡雲様は勧められた水を一気に飲むと、溜め息とともに机に顔を伏せたまま話し出した。
「似てるんだよ。瞳も、声も、舞を踊る姿も。それだけじゃない。字までそっくりだ」
字? だからあの時、あんなことを言っていたんだ。
翡雲様は、私の字の癖まで覚えていてくれたのだ。
「翡雲、しかし……」
「ああ、疫病にかかっていて生きているなんてあり得ないって分かっている。それでも、どうしてもそう思ってしまうことが何度も何度もあるんだ。だから、あの女だって、雪燕だと間違えるかもしれ……」
言葉が途中で途切れたかと思うと、静まり返った食堂に寝息が響いた。
「翡雲? 寝たな。全く、言いたいことばかり言って」
「春燕は、私を見て雪燕だと思うでしょうか?」
緑淵で春燕を見た時、もしかしたら気づかれるかもしれないと感じた。
泰然様は、少し考えてから答えた。
「俺は、翡雲が知る雪燕を見たことがない。だから分からない」
「そうですよね。でも、明日は梓晴との約束があるので、一緒に行かせてください。それに、舞姫になったばかりで、何度も緑淵を訪ねている暇も、訪ねる用事もないと思うのです」
「それはそうだが……翡雲にまた会えるかもと期待して、町に寄ることもあるのではないか?」
「なるほど、それはあるかもしれません」
それは考えるかもしれない。でも、満月の夜にはいつも翡雲様は宮殿にいらしてくれていたから、私だったら、その時まで待つとも思う。
春燕はどうだろうか。
私が浮かない顔をしていたからか、足元からリウリーがフゴッと鼻を鳴らして言った。
『春燕が来たら、私が雪燕と翡雲様の仕返しをしてやるわ!』
「今、なんといったのだ?」
「春燕が現れたら、リウリーが翡雲様の仕返しをしてくれるそうです」
私が通訳すると、泰然様は苦笑いで答えた。
「それは頼もしいな。だが、君が緑淵に行くのは明日で最後にしよう」
「わかりました。では、明日はよろしくお願いします」
「ああ、心配するな。君は俺が守るから」
守る。そんな風に言われたのは初めてで、泰然様と目が合うと、恥ずかしくて視線を逸らしてしまうと、私を見上げていたリウリーと目が合った。
『君は俺が守る、だってさ』
「今度は何と言ったのだ?」
「いえっ、なんでもないです」
『えー、通訳してよー』
からかうリウリーを抱きしめると、泰然様は、どうせろくでもないことでも言ったのだろう、と笑っていた。
****
今朝、何度か翡雲様はついて行くと言って馬を出そうとしたのだけれど、それを見越していたのか、翡雲様の二人の侍衛の方が屋敷に来ていて、予定通り、翡雲様のお留守番が決まった。
今日も、先週、御者を診た町外れの老医師の家の前に馬車を止めさせてもらった。
梓晴と舞の練習をするのに、人がほとんど来ないこの場所が最適だからだ。
梓晴に舞を教えた後、私は今日が最後だということを伝えた。
「えー、もう来れないの!? でも、里に戻るなら仕方ないわ。ねえ、二人は結婚するの? 里で花嫁修行をするのでしょう?」
「え、そ、そういうのではないの」
理由は適当に里へ帰るためと伝えたけれど、そんな解釈をされるなんて。
「ふふふっ、じゃあ、そういうことにしておきます。私、ほんのちょっとしか雪蘭様に舞を教えてもらえなかったけど、すごく舞が好きになったわ。また緑淵に来た時は、是非、また教えてくださいね」
「はい。それまでたくさん練習してください」
「はい!」
梓晴は元気よく返事をすると、林殿の元へと駆け寄っていった。
「では行きましょう。お嬢様。──あの、泰然様、本当に今日は来られないのですか? 雪蘭様ともお会いしたいと頼まれたのですが」
「ああ、すまない」
「わかりました。では、失礼いたします」
林殿は残念そうに礼をすると、梓晴と町の方へと帰っていった。今の会話は何だったのだろう。
「今日は、とはどうされたのですか?」
「沈家の当主は父の知り合いなのだ。沈家は、昔からこの町を基点に商家として栄えた家で、随分前だが、緑淵に薬師がいなくて困っていることを父に相談したことがあったらしく、俺がここに薬を売りに来るようになったんだ。多分、父から俺の様子を見るように頼まれているのだと思う。たまにああして食事に誘われているが断った」
「そうだったんですね。お断りしてよかったのですか?」
「ああ、早く帰れたほうがいい。今日はもう頼まれていた処方薬はほとんど渡せたし、まだ取りに来ていない分は、ここの医師に託していく。馬車で待っていてくれ」
「はい」
馬車に戻る途中、私は石の上に置き忘れた梓晴の扇を見つけた。扇なら急いで届けなくてもいいかと思ったけれど、小さな赤色の巾着も一緒に落ちている。
梓晴は帰りに饅頭を買って食べると楽しみにしていた。林殿は厳しいから買ってくれないらしく、自分でお金を持ち歩いていると言っていたのだ。
届けてあげよう。今ならまだ近くにいる。
町へ向かって少し走ると梓晴達が見えた。
「梓晴」
「雪蘭様? あ、私の巾着!?」
「忘れていったわよ」
「ありがとうございます。良かったぁ、饅頭楽しみにしてたから」
「あら、巾着だけ? 扇も忘れていたわよ」
「あ、本当だ。えへへ、ありがとうございます」
渡せて良かった。もう当分会うことはないだろう。
最後に梓晴の笑顔が見れてよかった。
踵を返し、馬車へと歩いていると、後ろから梓晴の明るい声が聞こえた。
「こ、こんにちはっ。どうしていらっしゃるのですか?」
振り向くと、二人の従者が梓晴の前に立っていた。
誰の従者だろうか。
その答えは、姿を目にする前に梓晴の元気な声でわかってしまった。
「泰然様ならあちらですよ、春燕様!」




