011 恵みの雨
「はっくしゅん」
「大丈夫か?」
舞を止めると、雨に濡れた身体は急速に冷えていった。
泰然様が外套で私を包み、部屋まで運んでくれて、降ろされた場所は温かな火鉢の前だった。
暖かいのに。
雨が振り、きっと天災が終わっただろうに。
喜ぶべきなのに。
冷えた体が、どうしてか、心まで冷やしていく。
「早く、着替えたほうがいい」
「はい」
泰然様に促され、春燕付きの侍女に手伝ってもらい着替えを済ませた。
隣の部屋では泰然様が一人で待っていた。
「瑠麗はどこですか?」
「ん? そういえば、いないな」
「えっ、置いてきてしまったのでしょうか?」
「さぁ? まあ、大丈夫だろう。それより身体は大丈夫か? 顔が暗いぞ」
「はい。その……久しぶりに池の横で舞をしましたが、初めて龍神様の声が聞こえました」
「声?」
「池が光り始めた時、私の体も温かく、何かに包まれたような感覚がありました。その時、今までありがとう。と聞こえた気がしたのです」
「今まで……」
それは別れの言葉に聞こえた。
心にぽっかりと穴が空いてしまったかのような寂しさがある。
とても大切なものを失ってしまったような、喪失感があった。
「龍神はこの地を離れたのだ」
振り返ると珊麗様が剛様と一緒に部屋にいた。
「龍神の池が穢れ、御神木が死に、龍神は怒り狂っていたが、雪燕の舞によって心を鎮め、この地を去ったのだ」
「では碧砂国はどうなるのでしょうか?」
去ったということは、碧砂国は龍神の加護を失ったということだろうか。
私の気持ちを察してか、安心させるように珊麗様は微笑んでくれた。
「大丈夫だ。泰然、御神木に秘薬を使い、何か変化はあっだろう?」
「はい。雪蘭が舞っている間に御神木に変化がありました。秘薬を与えた所に、小さな新芽が出ていました」
「そうか。その新芽は、いずれ成長し御神木となり、新たに龍神を宿すであろう」
「では、雪燕はもう舞姫ではないのですか?」
「そうだな。今までご苦労であった。ああ、私も雪燕の舞が見たかった。いつか機会があれば一緒に舞を踊ろう」
「は、はい」
私はもう舞姫ではない。
その言葉が胸に重くのしかかる。
心の何処かで繋がれていた祖国との縁が、完全に途切れてしまったようで、寂しく感じた。
「さて、支度が済み次第、宮殿を出る。貴殿らも準備せよ」
「はい」
夜間に宮殿から出なくてはならなくなった場合に備えて、都の外れにある医院に泊まれるよう、慧王殿下が手配してくれている。
その医院は、慧王殿下の配下の方が経営しているそうだ。
すぐに出るということは、私の存在がお父様に知れてしまったか、父が珊麗様を囲おうとしたかのどちらかだろう。
「他に、しておきたいことはないか?」
私が考え込んでいたからか、泰然様がそう尋ねてくれた。
「大丈夫です。お義母様とのわだかまりも消えました。別れの挨拶も済んでおります。強いて言えば、実母の墓前に挨拶できなかったことでしょうか」
「それならば、落ち着いてから仁峰様にお願いしよう。そしたらまた、仁峰様にも会えるからな」
「そうですね。ありがとうございます。泰然様のお陰で、私はここまで来れました。一人ではとっくに野垂れ死んでいたでしょう」
「どうだろうか。公主には天の加護がついていると聞く。俺と出会わなくても、きっとこの地に辿り着いていたのではないだろうか」
泰然様がそう言うのならば、そうかもしれないと考えてしまうけれど、いくら考えても、泰然様のいない世界が想像できなかった。
「そうでしょうか?」
「ああ、だから、ありがとう。俺と共に歩むことを選んでくれて」
「……はい」
どうして私がお礼を言われているのだろう。
お礼を言いたいのは私の方なのに。
嬉しくて言葉に詰まっていると、泰然が私へと、そっと手を差し伸べた。
「帰ろう。雲龍国へ」
その手に手を重ねた瞬間、すぐ後ろからポンッと肩を叩かれた。
「あらあら、少し私が大叔母様と話している間にいちゃいちゃしちゃって……」
「瑠麗」
「安心しなさい。碧砂国の皇帝は雪蘭の存在に気付いていないから。この雨は、皇后が降らせたと思っているわ」
「お義母様が?」
「ええ、春燕がそう言ったのよ」
「春燕が……私を庇ってくれたのね」
「うん、そうよ」
瑠麗は、はっきりとそう言った。
それから、私達は兄に見送られて宮殿を出た。
別れ際に珊麗様が、兄に国で待っていると伝えていた。
皇后が亡くなった後、翡雲様と同じように許婚を選ぶために、兄は密仙国へと足を運ぶそうだ。
そして、少し照れた様子で、兄は珊麗様に尋ねた。
「許婚の候補の姫君の中に、珊麗様もいらっしゃいますか? 私は、珊麗様がよいのですが」
「へ?」
突然の告白? に常に笑顔の珊麗様が驚きの表情を見せた。
それには瑠麗も驚いたみたいで、兄と珊麗様の顔を交互に見て、誰よりも興奮した様子ではしゃぎ始めた。
「え、ええっ、そそそ、それって!? だ、大丈夫よね。お姉様っ。剛様は、ただの婚約者だし!」
「あ、そうでした。剛様のことを失念していました」
「大丈夫よ。仁峰様。剛様は魅了の術にかかってるだけだし。術を解けば郷に帰るでしょうし、ね! お姉様!?」
「え、えーと、そうね。そうなのかしら。わ、分かりません。では、失礼します。また」
珊麗様は頬を赤く染めながら、無理やり話を終わらせて馬車の中へと入ってしまった。
瑠麗が小声で、脈ありよ~。頑張って~。と兄に耳打ちしている。
「はい、今度は私が珊麗様の国へ行きますね。皆様、また会いましょう」
そして、都に一泊してから、雲龍国へと出発した。
帰りの道のりは、止まない雨に遮られ行きよりも時間がかかってしまった。
けれど、立ち寄った町々では、久しい雨に喜ぶ民の姿が見られた。
のちにその雨は、皇后の恵みの雨と呼ばれ、龍神様も、皇后の死を悼んでいるのだと民の間で囁かれたという。




