119 望み みやび視点
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ようやく退院の日が決まった。落ちていた体力も回復したので、元の生活に戻っても構わないというお墨付きを得た。
……元の生活、か。
お母さんはもう居ないというのに――。元の生活ってなんなんだろうか。
確かに私とお母さんはここ数年ぎくしゃくした関係だった。なんとなく壁を感じてしまったから。
でも子供の頃の優しかった母との思い出を取り戻して、母もずっと苦しんでいたのだとわかった。
自分の子供の本当の名前を呼ぶことすらできない境遇もつらかったのだろう。「みやび」というかりそめの名も呼ばずに、来るかもしれない追手に怯えながら私を守る事だけを考えて生きてきた。娘である私の幸せだった記憶も奪って。
――そして、母は亡くなった。
母が生きていた頃を思い出すと、不意に涙が出る。もっとそばに居たかったという後悔が広がる。
そんな私の気持ちが筒抜けだったのか、ナギが気分転換にと散歩に誘ってくれた。
もうじきお昼という時間。この季節にしては温かい日差しの下で護国機関庁舎の敷地内の中庭をナギと二人で歩いている。
「余ってるから」とナギは有休をとっていた。それなのに職場に居るってちょっともったいない気がする。
そして副隊長の天方さんに負担がかかってるよね? ちょっと申し訳ない気分。
お兄ちゃんに感化されてナギが仕事をさぼるようになってないかと心配になる。もっともお兄ちゃんがナギたちに仕事を押し付けていたのは、私たち母娘を探すのに専念する為に異能力者の探索業務を積極的に請け負ってたらしいけど。
そして今は「ツキノワ」を追っているらしい。
久しぶりの外の空気は気持ちよかった。
ナギと出会って、この短い間で色々と私の周りの環境ががらりと変わった。
生死の境を彷徨ったり、お母さんを失ったり、記憶が蘇って自分が異能力者だと思い出したり、血が繋がらないとはいえ兄である加賀宮さんと再会したり。
……特にここ数日は激動の日々だったな。
その間ずっと、ナギが居てくれた。私を支えてくれた。
他愛のない会話をしながら横を歩くナギの顔を盗み見る。
すぐに私の視線に気づき、優しく見つめて返してくる。「なにか用?」とその瞳が物語ってる。
ただ、見つめてただけなんだけど。
「えいっ」
ふとした悪戯心から花壇の仕切りのブロックに乗る。
20センチ程の高さだったのだろうか。ナギを若干見下す目線になれた。なんだか新鮮な気分。
「危ないぞ」なんて言われたけど、もう体力も完全に回復してるし問題ない。バランス感覚も悪い方じゃないし。だけど彼は私から手を離さない。心配性だな。
右手はナギと繋いだ状態で、花壇に沿うように敷かれたブロックの上をゆったりと歩く。ナギは私を気遣いながらスピードを合わせてくれる。
「あのね。私、色々と考えたんだけど」
「うん?」
意を決してこの間から考えていたことを告げる。
「高校を卒業したら――結婚しない?」
流石のナギも突拍子もない発言に驚いたようだ。いつも余裕の笑みをたたえてるナギにしては珍しく目を見開いている。
「お母さんが……居なくなって、高校を卒業したら実家に帰るという約束も無くなって」
やはりお母さんの事を考えると胸が苦しい。
あの人はあの人なりに私を愛してくれた。犯した事自体は許されないことだけど。
「私は何がしたいかって考えたんだけど……」
今からでも就職活動は間に合うだろうけど、流石にこの3年間生き急ぎすぎて疲れてきた。
入院生活で時間だけはたっぷりあったので自分の将来について考えた結果。
「今一番したいことは、ずっとナギの傍に居たい」
彼の目を正面から見て言うと、ナギはいつも通りのふわりと笑みを浮かべる。
「結婚して、ちょっとだけゆっくりさせてもらったら、私も働くから」
「ずっと家に居てくれて構わない」と、繋がれた手に力が入る。
ナギは高校に入学した頃から親御さんと離れて暮らしてたんだっけ。もしかしたら彼は彼なりに家族と離れ離れで寂しいと思って過ごしていたのかもしれない。
「うーん。その辺りは結婚してから、ぼちぼち考えていいかぁ」
「そうだな……では結婚して考えが決まるまで、色んな所に旅行に行くか」
「お、いいね。ナギと一緒に温泉行きたいな。大浴場は苦手だから家族風呂のある所がいい」
「2人で入れるような?」
「もう! えっちなんだから。このエロナギ」
「あはは」
えっちな事については反論しないのか。最近特にナギは開き直ってる気がする。
花壇の塀に乗ったまま、ナギと向い合せに立つ。
「でもね、私は重いよ?」
少しだけ声のトーンが下がってしまった。
「うん?」
「異能力者だし、どうやら先祖返りというやつらしいし」
「惚れた人がたまたまそうだったというだけだ。問題ない」
「そう? じゃあ受け止めて」
「えいっ」とばかりに体重を前に傾け、彼に抱き着く。鍛えられた体は私をしっかりと受け止めてくれる。この密着感がとても心地が良い。
ナギの髪の毛が私の顔に当たって、少しくすぐったい。
「ホントだ、重いな」
「なんだと」
軽く笑って、ナギの首にまわしている腕に力を入れる。
「冗談だ。みやびの全てを受け止めるよ」
「うん」
「また俺から改めてプロポーズするから」
「うん、待ってる」
「いつ結婚指輪を買いに行こうか」
「別にこの指輪のままでもいいんだけどな」
「いや、そこはきちんとしたいかな。みやびが気に入るデザインを選ぼう」
といってもこの番いの指輪にはもう愛着も湧いてる。デザインも派手過ぎないし、バイト中につけていても目立ちすぎないし。
もし、買うとしたら似たようなデザインの物がいいな。
「ナギ、好きだよ」
「ああ、俺も愛してる」
二人の視線がぶつかり、私の方からナギにキスする。微かに唇が開き受け止めてくれる。
ブロックに乗ったままだからいつもよりも高さが違うキスは新鮮だ。連続して2度、3度、軽く口づけを交わす。
「今日はナギからは求めてくれないんだ」
いつもとは違って浅いキスに不満を持ち、少し拗ねた声色になってしまった。ナギの方が情熱的なキスをしてくれるのに、と。
「流石に俺も人の目がある前ではしないかな」
「んん? どういうこと?」
確かに今は12時過ぎだから、昼休憩の為人が行き交うかと警戒してた。
でも見えるところには人影は一切ないんだけど? だから安心してこんなことをしたのに。
塀から下りてぐるりと辺りを見回すけど、やっぱり見える所には誰も居ない。
「気づいてなかったのか? この中庭は庁舎の食堂から丸見えだぞ」とナギが2階のとある一角を指さす。
「!!」
窓からこちらを見てる人間がちらほら居る。明らかにこちらを注視している人も居る。流石に遠いからそれが誰なのかはわからないけど、私たちが抱き合い、キスしていたのはきっと見えていただろう。
もしかしたらあそこにはお兄ちゃんも居るかもしれない。
「な、なんで言ってくれなかったの?」
「言ったらキスできないと思った」
それはそうだよ。知っていたらここではキスしなかった。
「も、もう! 1週間キス禁止だよ」
「そうか、じゃあ今のうちにみやび分を補給しておかないとな」
「……皆に見られるの嫌だったんじゃないの?」
恥ずかしくてナギに背を向けようとするけど強引に向かい合わせにさせられた。
「もうすでに見られたし、どうせなら見せつけてやろう」
ナギの左腕で腰をしっかりと抱きすくめられ、身動きが取れない。そして右手で顔を上向きにされる。
「ダメだって。ナギの同僚の人とかきっと見てるよ? んっ」
せめてもの抵抗と思って口を閉じていたら、唇を舐められた。
「わ、わかったから。んんっ……」
降参とばかりに口を開いたらその隙にナギの舌が侵入してきた。さらにちゅっ、ちゅっと何度も私の舌を味わわれる。
ずるいな、ナギのキスには逆らえない。
砕けそうになる腰をぎゅっと力強く引き寄せられる。
その後、ナギが満足するまで、キスをし続けるのだった。
食堂。
窓際の席で食事をしていた参番隊の副隊長の水無瀬がナギの姿を発見していた。すでに「壱番隊の隊長の恋人が異能力者だった」というのが噂になり知られていた。
そのナギが女性と中庭を歩いていたので「あれが噂の番いか」と水無瀬が何気なく見続けていたら女性の方からナギに対して口づけをした。
ナギの女性嫌いは周知されていたので、彼が女性からのキスを受け入れてる様を見て水無瀬は思わず声をあげた。
「番いを溺愛している」という話は半信半疑だったが、あの噂は真実だったとは。
すると近くに座っていた天方や壱番隊の隊員達が何事かと窓際に集まり、ナギとみやびを見守り冷やかしの声をあげる。
「天方……。御厨ってあんなキャラだったのか」と、目の先の光景がいまいち信じきれない水無瀬が問いかける。
「驚いただろ。まぁそのうち慣れる」
親友であるナギの恋人との逢瀬を見てしまった天方は気まずそうに目を逸らしそう答えた。
「慣れたかねえよ……」
「有休取って彼女と逢引きとかどんだけいちゃいちゃしたいんすか、うちの隊長は。というかここ職場なんすけどね。大胆っすね」
「ってか御厨隊長、絶対こっちに気が付いてるでしょ。あれ見せつけてますよね」
「俺も彼女欲しい~~!!」
戸惑う水無瀬をよそに壱番隊の隊員達が沸く。
ほど近い場所で座っている加賀宮とシオン。その二人の表情は対照的だった。
苦虫を嚙み潰したような表情の加賀宮と笑いをこらえきれないシオン。
「いやー妹さんたち仲が良くてなによりですね。ねっ、加賀宮」
みやびが加賀宮の妹だとは知られてないので、周囲に聞こえない声量で隣に座る加賀宮に話しかける。
その声色には明らかにからかいの色がみてとれる。普段冷静沈着というか、あまり物事に動じない加賀宮の唯一の弱点を知り、楽しくてしょうがないといった様子だ。
「言うな、なんも聞きたくねえ。見たくねえ。おとうと弟子が妹に舌つっこんでるなんざ知りたくねえ」
そう言う加賀宮は「食欲が失せた」とばかりに、箸を置きため息をついた。




