scene.3 あり得ないという事はあり得ない。
「僕には他に身寄りはいないのかな?」
僕の問い掛けに、その白髪の老婆は顎に手を添える。
「多分、もう、あたし位しか居ないね……」
「そうか…… 婆ちゃんだけしかいないのか……」
そんな状態なら、もう自分が転生してハンスという人物の中に入り込んでいる事を伝えてしまっても良いんじゃないかと思いはじめてきた。両親が既に死んでしまっている状態だし、もう悲しむ人も少なそうだからだ。
そして、僕は決断した。この体の中身がハンス・アンデルセンではなく、上野拓夢という意識であることを目の前の老婆に伝える事にしたのである。
「あ、あのさ、驚かないで聞いて欲しいんだけどさ……」
僕は改まって声を上げる。
「ん? 何だい?」
「え~と、何て言うか、凄く説明しずらい事なんだけど、僕の体は貴方の孫のハンス・クリスチャン・アンデルセンではあるのだけど、実は中身は違う人格が入り込んじゃっている状態になっているんだよ……」
「中身が違う人格? なんだい? それ、一体、どういうことだい?」
白髪の老婆は怪訝な顔をする。
「変な事を言ってしまうのは重々承知なんだけど、実の所、今、貴方と話をしている僕は、遠い国の遠い未来の人間の人格になってしまっているんだよ……」
「わ、訳が分からないね、じゃあ、お前の人格はハンスじゃないと言うのかい? そしてハンスの体には一体どんな人間の人格が入っていると言うんだい?」
僕は少し思案し躊躇いつつも口を開く。
「え~とさ、中国って国を知っているかな?」
「中国?」
老婆は解らないといった表情を示す。
「いや、中国って呼び名はまだか…… じゃあ清っていう国を知っているかな? 印度とかの東側にある国なんだけど」
「ああ、清なら知っているよ、東の大きな国だね」
「その清の先にジパングっていう島国があるんだけど、僕の人格はそのジパング人なんだよ」
「ジパングかい、一応聞いたことがあるけど……」
老婆はそう答えながらも困惑顔で眉根を寄せている。
「そ、それとね、僕がいた時代なんだけど、グレゴリオ暦で2020年位なんだ……」
「おいおい、今から約200年後かい、とても信じがたい話だね、でも、どうしてそんな変てこりんな事が起こったんだい? そんな事になるっていう意味がサッパリ解らないんだけど……」
老婆は首を傾げる。
「う~ん、多分なんだけど、200年後の僕は川で溺れて死んでしまったみたいなんだ。そして、この世界のハンス・クリスチャン・アンデルセンは流行り病で危篤状態に陥っていた。そこを埋め合わせるように僕の人格が過去に飛び、ハンスの中に入り込んだって状況なんじゃないかと思うのだけど……」
状況的に考えられそうな事を言ってみる。でも本当の原因はさっぱり解らない。
「に、俄かには信じがたいけど…… じゃあ、改めて確認なんだけど、あたしが会話しているのはハンスじゃなくて、ジパング人だって言うんだね」
「申し訳ないけど、そうなるかな……」
「そして、ハンスの人格は消えてしまったと言うんだね」
「いや、完全に消えたかどうかは解らないよ、でもハンスの人格は殆ど感じられないって状態なんだよ……」
僕はそう説明してから僅かに頭を下げる。
「ま、まあ、そんな説明を聞いても外見があたしの孫のハンスだし、何を言われてもあたしとしてはハンスだとしか思えないけどね」
「それは、確かにそう思うよね……」
流石に信じられないだろう。
「う~ん、改めてだけど、ハンスは危篤状態から目が覚めた。だけど、その中の人格は未来のジパング人が入っている状態だと言っている。不思議な話だよね、そして、そんな状況に陥ってしまったハンスとあたしは、これから先はどうしていけば良いんだろうね?」
老婆は困惑した顔で僕に聞いてくる。
「人格は違うけど、体はハンスの体で、今は1817年なんだから、それに合わせて生きて行くしかないんじゃないかな? ハンスとしてね」
正直、僕もどう答えれば良いか解らない。なるようにしかならない気がした。
「まあ、それはそうだね」
老婆の頷きに僕は少し考えてから口を開く。
「あっ、一つ言わなきゃならない事があるんだけど、ハンスが、僕の知っているハンス・クリスチャン・アンデルセンだったとしたら、後世で凄い有名人になっているんだよ」
「えっ、ハンスが有名になっているだって?」
老婆は驚いたような表情をする。
「うん、僕の知っているハンス・アンデルセンだったら、沢山の童話を書いた童話作家として有名なんだよ、世界中でね」
「ほう」
「それで、僕の知っているアンデルセンは1805年頃のオーデンセ生まれで靴職人の子供なんだ……」
「……ハンスの父親も靴職人だね」
老婆は言及する。
矢張りこの体は童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンなのかもしれないな。
「それでね、僕がハンスとして転生してしまったのであれば、この先、ハンスとして童話を書かなければならないんじゃないかと思うんだよ、書かなかったらハンス・クリスチャン・アンデルセンの名前は後世に残らないからね。だけど童話をどう書いたらいいのか、よく解らない。本当に人気の出る童話を書けるか解らないし、正直、自信もない……」
一応、絵本は書いていたけど日本の天狗が主人公だったし。
「成程ね、ハンスは今後、童話作家になるんだね…… 因みにどんな作品を書いていたんだい?」
「えっ、え~と、人魚とか魔法使いとか死神とかが出てくるような童話だよ」
僕は思い返しながら答えた。
それを聞いた老婆はふふふと笑う。
「成程ね、成程だよ、そうしたら、参考にという訳じゃないけど、あたしが昔行っていた事がある不思議な世界にでも行ってみるかい? 人魚とか魔法使いとか死神が住んでいる世界なんだけどさ」
「はい?」
このお婆さんは何を言っているんだ? 妄想癖でもあるのだろうか?
「い、いや、そんな魔法使いや人魚が住む世界なんて一体どこにあるの? 普通に考えたらあり得ない事だと思うけど……」
老婆ゆっくりと顔を横に振った。
「ハンス、お前も今、あたしに対して、自分は未来から来た別の人格だと、あり得ない事を言ったと思うけど、あり得ないということはあり得ない可能性があるという事さ」
「あり得ないという事はあり得ない……か……」
確かに自分の身に起こった事はあり得ない事だ。だけど実際にはあり得ているのだ。
「じゃあ、人魚とか魔法使いが住んでいる世界っていうのは本当にあると言うのかい?」
その問い掛けを聞いた老婆はニヤリと笑った。
「ああ、あるよ、あたしはその世界にしばらく住んでいたからね」




