第30話 いいよ、約束する。
放課後になってから、私たちはすぐに教室を抜けた。
どちらかが席に来るのではなく、示し合わせたように立ち上がり一緒になった。
それから家に帰り着くまで、私たちは一言も口にしなかった。
家に着いたから、すぐに鞄から鍵を取り出して扉を開ける。
「入って」
「……ます」
家の中へと招き入れると、渋谷さんは軽く会釈をしてからローファーを脱いだ。
おそらく彼女は「お邪魔します」と言ったのだろうけれど、私には最後の二文字しか聞き取れなかった。
でも、わざわざ何といったのか聞き返すわけにもいかなかった。
胸の中でぐるぐると渦巻いているのは不安。
渋谷さんの元からあった予定を断らせてまで呼んだものの、具体的に何を話すか決まっていなかった。
とりあえずいつも通り階段を上って、私の部屋に踏み込んだ。
階段の軋みやドアの金具が引っ掛かる音がやけにうるさく感じた。
そういう音は、この部屋で暮らしてる私が一番知っているはずなのに。
扉を閉めてから鞄を置いて、クッションを渋谷さんに手渡す。
すると彼女は人ひとり分の距離を開けて、ゆっくり腰を下ろした。
「――そういうのやめて」
私のぴしゃりと冷たい声が部屋に響く。
もう二週間以上も経っているのに。
私はもうしてしまったこととして切り替えているのに。
もやもやした気持ちを押さえつけて、私は渋谷さんに近づいた。
肩がぶつかるくらいまで距離を詰めて腰を下ろす。
「……なんで」
家に入ってから渋谷さんが口を開いたのは、これが初めてだった。
いや、なんでってなに?
私はいつも通りにしてるだけなんだけど。
そっちがいつも通りにしてないのが悪いんじゃん。
それがきっかけに、話題は花火大会の日の夜へと移った。
「気にしてないって言ったじゃん」
「でも、二宮さん嫌がってたし……」
それなのに無理やりしてしまったから、渋谷さんはよそよそしいのだろう。
たしかに私はあのとき嫌がっていたかもしれない。
実際、渋谷さんとセックスすることは本意ではなかった。
でも――
「私は、渋谷さんだったからしたんだけど」
そう口にすると、部屋の空気が止まった。
わざわざ蒸し返すことではないかもしれないけれど、なかったことにできない。
ちゃんと話し合わないと、息が詰まるような空気は消えてくれないから。
「渋谷さんは私が流されたみたいに思ってるんだけど、私にだって意思はあるし本当にやりたくないことだったらちゃんと止めてたから」
他の誰かじゃなくて渋谷さんだったから一緒にしたのに、いつまでも反省してたら私がないがしろにされてる感じがして嫌だ。
「それは……ごめん」
渋谷さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
私は渋谷さんに謝ってほしいわけではない。
頭を下げられても全く嬉しくない。
私が本当に望んでいるのは、渋谷さんとの日常だから。
「――ねぇ」
そう呟いて、渋谷さんの頬に触れる。
頬は柔らかくて、軽く触っているだけなのに沈み込んでしまう。
彼女の輪郭に指先を沿わせて、顎に手を添えた。
渋谷さんは私の手を払おうとせずに、両手をぎゅっと握っていた。
「渋谷さんは謝って私は許したのに、これ以上なにかいる?」
「……」
「せっかく家に来たんだから、もっとリラックスしてよ」
私がお願いすると、渋谷さんはおずおずと組んでいた手をほどいた。
でも彼女の表情には、まだ躊躇いが残っている。
申し訳なさそうな顔。
私に気を使っている顔。
そういう表情、私は好きじゃない。
本当は謝ってる自分のことしか見てなさそうだから。
もっとちゃんと、私を見てよ。
こんなに渋谷さんのこと考えているのに。
こんなに渋谷さんに思いを向けているのに。
こんなに渋谷さんのことを特別扱いして――。
「……私は渋谷さんのこと、ずっと特別に思ってるから」
「……えっ」
その言葉は、渋谷さんにとって唐突に映ったのかもしれない。
ちゃんと言葉で伝えないと、渋谷さんは安心してくれないと思ったから。
たしかに最初の頃は渋谷さんに流されて手を繋いだりハグしたりしてたけど、今は自分からしたくって渋谷さんに触れている。
セックスしたときだって、渋谷さんとならしてもいいと思ったから、彼女のことを受け入れたのだ。
それくらい私は渋谷さんのことを信頼しているし、特別だと思っている。
「だから、私が傷ついたって勝手に判断して遠くに行かないでよ」
ハグやキスの気持ちよさを教えてもらったし、セックスの味だって知った。
そのせいで、ひとりでいると寂しさを消すことができなくなったのだ。
渋谷さんがいないと不安だし、渋谷さんが誰かと一緒にいるとやきもきする。
もともと私はこんな人間じゃなかった。
私をここまで変えてしまったのは渋谷さんのせいだ。
ちゃんと最後まで、渋谷さんに責任取ってもらわないと困る。
「……わかった」
思いの丈をぶつけると、渋谷さんはおずおずと頷いた。
そして腰を上げて、私との距離を詰めた。
ただでさえ近いのに渋谷さんが近づいたから、私たちの隙間はゼロになる。
唇が触れ合いそうなくらいの距離感で、渋谷さんが続けた。
「私、二宮さんから離れないって約束する」
私が何か反応しようとすると、「だから」と隙間を埋めるように口にした。
「――だから、二宮さんも離れないって約束してくれないかな……?」
二宮さんの嫌がるようなことは絶対しないって約束する。
もし嫌だったら遠慮しないで言ってほしい。
だから、ずっと私のそばにいて――。
そう言う彼女の声は、小さくて震えていた。
渋谷さんが何を求めているのか、今の私にはわかる。
一緒にいるというのは、お互いを独占するということ。
それはつまり、特別な関係になるということだ。
でも彼女の言いたいことは、私と付き合いたいということではない。
もっと純粋な気持ちで、私を独占したいということ。
そしてそれと同じように、私に独占されたいということ。
恋仲になるというよりも、もっと歪な関係を渋谷さんは望んでいた。
「――いいよ、約束する」
私が呟くと、その言葉は渋谷さんの唇にぶつかった。
私は渋谷さんのことを独り占めにしたい。
言葉にするとたったそれだけど、私の気持ちはぐちゃぐちゃだ。
私以外の誰かを優先するなんてありえないし、他の子と遊びに行くなんて論外。
私には渋谷さんしかいないんだから、渋谷さんにとっても私じゃないとダメって思ってくれないと困る。
それくらい、私は渋谷さんのことを特別に想っていた。
前まではそんな風に思ってなかったのに。
渋谷さんのことは、一緒に触れ合う程度の仲だと思ってたはずなのに。
それなのに、どうしてだろう。
いつからか、渋谷さんに対して大きな感情を抱えるようになっていた。
「……ありがとう、二宮さん」
私が返事をすると、渋谷さんは私の手に触れた。
そして何も言わないで、お互いに唇を寄せる。
ふたりの境界線を消すように、時間をかけて丁寧に重ね合わせた。
やがて自分の輪郭が蕩けて、渋谷さんとひとつになる感覚が生まれた。
それは新たな関係を結ぶための契約だった。
空気が反転して、暖かさを取り戻す。
私たちの間にあったしこりが、少しずつ消えていく。
しばらくしてから、私たちは距離をとった。
ずっとしていてもよかったけど、キスすることがメインではない。
私と渋谷さんの想いを確かめることが出来たら、それで十分だった。
「とりあえずゲームしようよ」
「……うん」
唇を離してからゲームを誘うと、渋谷さんはこくんと頷いた。
彼女の頬は赤く染まっている。
でも、私はそれを指摘しなかった。
きっと私も似たような表情になってるだろうから。
すぐにコントローラーを取り出して渋谷さんに渡す。
それから私たちは、何度もしたことのある落ちものパズルで遊んだ。
その間も、私たちは隙間があるたびにキスをした。
だってそれが普通なんだから。
別におかしいことはしていない。
私たちの空気は、少しずついつも通りに戻っていった。
でもそのいつも通りというのは、以前と同じ形をしていないと思う。
上手く説明できないけど、そんな気がした。




