第29話 放課後、私の家に来て
「――ねぇ、渋谷さん」
私が声をかけたとき、渋谷さんのグループの空気が固まった。
それはそうだ。
大人しい私が、明るいグループの女の子に話しかけることなんてないから。
しかも渋谷さんの肩に手を置いている。
傍から見ると、馴れ馴れしく接していることがとても奇異に映っているだろう。
「……二宮さん、どうしたの?」
あくまで他人行儀なトーンで、渋谷さんは尋ねてきた。
私が声をかけるとは思っていなかったのだろう。
笑顔を張り付けていたが、彼女の視線はふらふら彷徨っていた。
「いま大丈夫かな」
「大丈夫だけど……」
「ちょっと話したいことある」
私がそう口にすると、渋谷さんの肩が軽く跳ねた。
丸みを帯びた肩の表面を私の指が滑る。
振り落とされそうになったから、少し強めに掴んだ。
すると一層、私が渋谷さんに軽々しく触れている印象が強まってしまう。
……周りからの視線が痛い。
グループの子が私を興味深そうに見ている。人に見られることがあまり好きではない私にとって、徐々に居心地が悪くなってきた。
「……わかった」
早く返事して、と心の中で願っていると、渋谷さんがようやく頷いてくれた。
「ちょっと二宮さんと話してくる」
「……オッケー」
グループの中で一番明るい女の子が戸惑ったように返事をする。
深入りされないというだけで私としては助かった。
ここで色々質問されたら、私の気持ちは揺らいでしまうから。
それくらい、教室で渋谷さんに声をかけることは勇気のいることだった。
「じゃあ行こっか」
私がそういうと、渋谷さんは椅子から立ち上がった。
時計を見ると昼休みが終わるまであと十分。
早くしないとと思って、私は急いで教室から出て誰からも見られない場所を探した。私の少し後ろを渋谷さんがついてきて、その間はずっと口をつぐんでいた。
沸々と沸き上がる気持ちを抑え込んで、四階のお手洗いに入った。
この階には授業がない限り近づかないから、二人だけで話をするにはちょうどいい場所だった。
芳香剤の強い匂いが気になるけれど、今はそれどころじゃない。
ちらと渋谷さんを見ると、気まずそうに俯いていた。
腕をぎゅっと組んで、まるで私から身を守るようにしている。
時間のない私は、そんな渋谷さんの空気を無視して本題を切り出した。
「他の子とカラオケ行くって聞いたんだけど」
「いや、それは違くって……」
「私に遊びに行ったりしないでって言ってたのに、自分はそういうことするんだ」
「ほんとにそういうつもりじゃなくって、今日は、その……」
気まずそうにしていた渋谷さんの言葉は、全て尻すぼみになって途切れる。
いつもの柔らかな表情は消えて、彼女は本当に焦っていた。
しどろもどろな返事がそれを雄弁に物語っている。
ため息を吐き、渋谷さんの腕を掴んで身体をこちらに引き寄せる。
抵抗すると思っていたけれど、わりと簡単に私の胸元まで近づいた。
「そういうの、ナシだと思うんだけど」
私は自分の気持ちをそのままぶつけた。
私にダメって制限してくるくせに、自分はオッケーなんて都合が良すぎる。
セックスしたことを反省して距離を取ろうとしてくるのも気に入らない。
全部、全部、渋谷さんが悪いのに。
「――放課後は私の家に来て」
渋谷さんを掴んだまま、私は自分の家に誘った。
いや、誘ったというより命令したに近い。
他の友だちと一緒に出かけるなんて、絶対ダメ。
それなら、気まずくても私の家に来てくれたほうがマシだ。
「……」
渋谷さんは黙ったまま、私を見る。
まだセックスしたことを申し訳なく思っているのか、不安そうな顔をしていた。
両手をぎゅっと握りしめて、唇をぷるぷると震わせている。
なんでそんな表情するの。
いつもみたいに笑ってよ。
だから私は――
「……んっ」
渋谷さんの小さな声が、静かなお手洗いの空間に響く。
――私は、渋谷さんの唇を奪った。
唇の震えが収まってほしいから。
私はセックスしたのを許してるってちゃんと示したかったから。
二週間ぶりのキスは、頭がどろどろに溶けそうなほどに気持ちがいい。
頭の後ろあたりにびりびりと強い刺激が生まれて、体温が徐々に上がっていく。
「んぅっ、ふっ……」
渋谷さんの顎に手を添えて、唇をこじ開けて渋谷さんの舌と絡まる。
学校でこんなことをしてるなんて、絶対普通じゃない。
そんなことはもちろんわかっている。
でも、ほの暗い背徳感には抗うことができなかった。
渋谷さんと交わるほど、頭の中がどろどろに溶かされてしまう。
本当はもっとキスをしていたかった。
二週間の空白を埋めるには、数十秒そこらのキスじゃ全然物足りない。
でも、次の授業に遅れるのはマズイ。
遅刻して渋谷さんに迷惑をかけるのは避けたい。
後ろ髪を引かれつつ、私は渋谷さんの背中を軽く叩いてから舌を引き抜いた。
私の口に戻った舌は、まだ渋谷さんと絡みつこうと寂しく動いていた。
きっと、私より彼女の口のほうが居心地がよかったのかもしれない。
でも、私はなんとかその気持ちを抑え込んだ。
「他の子との約束、ちゃんと断れるよね」
「……うん」
私の無茶なお願いに、渋谷さんは素直にこくんと頷いた。
鏡を見ると、渋谷さんの顔はとろんと蕩けていた。
頬を赤く染めて、唇を噛みながら私に熱っぽい視線を向けている。
こんな表情、絶対に他の誰にも見せたくない。
そんな純粋な独占欲が、私の胸中に渦巻いた。
「そろそろ戻ろう」
口元を拭いて表情がある程度いつも通りに戻ってから、私たちは教室に戻った。
渋谷さんは教室の前の入り口から、私は後ろの入り口から中に入る。
そしてすぐ渋谷さんはグループの子に近づいていった。
私の席からは、彼女たちが何を話しているのかわからなかった。
ただ、グループの子たちに申し訳なさそうに頭を下げていたのはわかった。
一分も経たないうちに、渋谷さんは他の子と別れて自分の席に腰を下ろす。
それから、鞄からスマホを取り出して何か操作していた。
なんとなく様子を見ていると、すぐにスマホを鞄に戻す。
そしてその瞬間、私のスマホに連絡が来た。
『今日行くね』というシンプルなメッセージが渋谷さんから来ていた。
だから私は『待ってる』と返信して、すぐにスマホを鞄に入れる。
――心臓が、不自然なほどに揺れていた。
渋谷さんが家に来るってことが、私たちにとって普通のことなのに。
二学期に入ってから来なかったということ自体が、おかしいことだった。
私たちの普通に戻るだけ。
何もおかしいことはない。
それなのに、どうしてこんなにドキドキしてしまうんだろう。
「はぁ……」
ため息とも深呼吸ともつかない吐息を漏らす。
その吐息はざわついた教室の中、すぐに溶けてなくなる。
まだキスの余韻が残るなか、私はゆっくりと教科書を机の上に乗せた。




