第27話 ほんとに反省してる
時刻は朝の八時過ぎ。
起きてから数十分が経過した。
その間、私はテレビをつけずにぼーっとしていた。
電源をつけていないテレビに反射する架空のリビングを見ている。
それに意味は全くなくて、ただ暇だったからそうしていただけ。
渋谷さんが起きないことには朝ごはんも食べられないし。
キスマークが消えないかなって思って手で擦ってみたけど、全く気なかった。
家に帰るときに見られたら、私が誰かとそういうことをしたことが丸わかりだ。
それは困る。でも渋谷さんの家に長居するのもちょっと違う。
「……おはよ」
これからどうしようと悩んでいると、渋谷さんがこちらに顔を覗かせた。
すでに服を着ていて、寝ぐせをまだ溶かしていないらしい。
髪がところどころ跳ねていた。
「……」
いつも通り「おはよ」と口にしようと思った。
挨拶されたら自分も挨拶を返すというのは小学生でもわかること。
それなのに、なぜか上手く言葉が出なかった。
喉に言葉が張り付いてしまったみたいに、口元まで上ってこなかった。
だから、私は渋谷さんをただ眺めていただけになってしまった。
気まずい沈黙が流れ込む。
すると寝起きの渋谷さんの表情は、みるみるうちに青ざめていった。
いつもなら柔らかく上がっている唇がきゅっと結ばれる。
渋谷さんの視線の先にあるのは、ほぼ間違いなく私の首筋。
昨晩にしつこくつけられたキスマークだった。
しかも私が何度か擦って赤くなっている。
「っ、ごめん二宮さん……しない約束だったのに」
「……」
「ほんとに反省してる。こういうことは絶対しないから……」
私が黙ったままだと、渋谷さんはずっと言い訳をしてきそうだった。
――もう、その時点で間違ってるんだよ。
私は別に怒っていない。
すでにそういうことをしたって割り切ってるし。
セックスしたかったからセックスしたっていうのは単純なこと。
たしかに私は渋谷さんとそういうことをするつもりではなかった。
しないということを渋谷さんに確認してからベッドに入ったわけだし。
でも、最終的に渋谷さんの指を、唇を受け入れたのは私の判断だ。
本当に嫌だったら渋谷さんのことをつき飛ばしたり、本気で怒鳴ることだってできた。私の方が身長も高い分、渋谷さんを止めることはほぼ間違いなくできた。
私がそういうことをしなかったんだから、申し訳なく思う理由はない。
渋谷さんはしたいことをしたんだから、満足そうな顔をしていればいい。
申し訳なさそうな顔をするなんて、私は期待していない。
むしろ、不快だ。
「別に怒ってないから、大丈夫だよ」
渋谷さんに安心してほしくて、私は誰にでもわかるような言葉で許しを与えた。
一刻も早くこんな嫌な空気を取り去ってしまいたかった。
こんなじめじめした雰囲気なんて、爽やかな朝には似合わない。
「それでも、ほんとに反省して、」
「知ってるから、これ以上謝らないで」
渋谷さんの言葉を遮る。
そしてなるべく口角を上げて、私はもう一度口にした。
ちゃんと笑えてたかな。
テレビに反射する自分の表情まではわからない。
「もういいから、一緒にご飯食べようよ」
「……うん」
私がソファから立ち上がると、渋谷さんは棚からパンを取り出した。
トースターで温めてから、冷蔵庫に入っていたマーガリンをつけて食べる。
パンの耳が固くって、パリパリと異物感のある音が部屋に響いた。
「今日はどうする……?」
コップに注いだ牛乳を飲み込むと、渋谷さんがおずおずと聞いてきた。
彼女のパンを食べるスピードは異様に遅くってまだ半分も食べていない。
まるで朝食の時間をもっと延ばそうとしているみたいだった。
「ご飯食べたら帰るよ」
ここに残るか家に戻るかだったら、私は家に戻る。
別に渋谷さんから離れたいわけじゃなくて、ひとりになりたいってだけ。
そこに深い理由はない。
「……跡、見えちゃうかもよ」
まだ私に残ってほしいのか、渋谷さんが食い下がってきた。
キスマークつけたのはそっちでしょ。
消せるんなら早く消してよ。
そんなこと、言えるわけがない。
私は渋谷さんのことを責めるつもりがないから。
だってセフレなら、そういうことをするのって普通でしょ。
そう思って私は続ける。
「そうだけど、今日は帰らせて」
「……そっか」
わかった、とだけ呟いて、渋谷さんはため息を吐いた。
その後は無言で朝食を済ませて、後片付けを辛気臭い表情の渋谷さんに押し付け、荷物をまとめてすぐに部屋から出て行った。
外に出て空の模様を見る。
「……あれ」
ぽつりと言葉が漏れる。
どうしてだろう。
――ずっと綺麗だと思っていた景色は、思ってた以上にくすんで見えた。




