第21話 ほんっと可愛いね
「二宮さん、ちょっといい?」
コスメショップから家に戻ると、渋谷さんは玄関でキスをねだってきた。
だから私たちは鞄を抱えたまま、一回だけ軽く唇を重ねた。
頭の後ろあたりに、ピリピリとした心地よい刺激を感じる。
一拍ほど遅れて、ふわふわした気持ちが生まれてきた。
「とりあえず、部屋入ろっか」
「……うん」
いったん顔を離すと、渋谷さんは私が鞄を持つ左手を握って玄関を抜けた。
小さめの手で、私を包み込むようにぎゅっと握る。
私よりも体温が高いのは、身体の大きさが関係しているのかもしれない。
そんなことを考えながら階段を上って部屋に入る。
扉を閉めてベッドに鞄を置くと、どすんと重めの音がした。
置きっぱなしにしていた教科書を詰め込んできたからだろう。
持ち手の右手も少ししびれている。
右手の痛みが引かないうちに、渋谷さんは私の腰に手を回してきた。
そうすると、私の顔は自然に渋谷さんに向いてしまう。
これは何度もキスをしてきた条件反射のようなもの。
そしてもう一度、私たちはキスをした。
ちゅっ、と小気味よい音が何度か響く。
私たちの浅い息遣いが、その隙間に差し込まれる。
渋谷さんは何度も何度も、私の唇の感触を確かめていた。
しばらくすると、下唇を口に含んで、甘噛みしてきた。
前の本気で噛んだときとは違う柔らかな感触が心地いい。
でも、もっと強くしてもいいよ、という言葉は飲み込んだ。
キスしているからと言って、なんでも欲望をさらけ出せるわけではない。
強く噛んで、なんて言うのは渋谷さんだとしてもちょっと恥ずかしい。
だから私は渋谷さんにされるままに唇を甘噛みされた。
*
「……そういえば、夏休みどうする?」
満足するまでしてから、渋谷さんに尋ねてみた。
頬の赤みが完全に引いていなくて制服の乱れも整えていないから、そこはかとなく煽情的な見た目をしていた。
そんな少女は私の買ったリップを眺めていたが、すぐにこちらに視線を向ける。
「それってどういう意味?」
「家に来たりするのかなって」
「あー二宮さんが良いんだったら来ようかな」
私はいつでもいいよ、と返事すると渋谷さんの眉がぴくりと動いた。
何か考えるそぶりを見せてから私に視線を戻す。
「夏休み中はさ、二宮さんから誘ってみてよ」
渋谷さんは一呼吸おいてからそう口にした。
……私からか。
これまで、私が渋谷さんのことを誘ったことはない。水族館に行こうみたいな、場所を決めることはあったけれど、日にちまで決めるというのは一度もなかった。
四月中旬の最初の日から今日に至るまで、渋谷さんが昼休みに私の机に来て家に行ってもいいか確認して、私が頷くというのがこれまでの流れ。
ちょっとハードル高いな、と思いつつも夏休みは私から誘うことに決めた。
「じゃあ大丈夫な日は誘うことにしようかな」
「私はいつでもいいよ」
「朝でも夜でも、二宮さんが来てほしい時に行くから」と言う渋谷さんの表情には、冗談っぽさがなかった。
本当にいつでも来てくれるらしい。
そうは言っても、早朝に起こしたくないし、夜道をひとりで歩いてほしくない。
昼頃に呼んで宿題したりしてだらだら過ごすくらいでいいかな。
そう考えつつゲームコントローラーを箱の中から取り出す。
それを渋谷さんに渡して、私たちはさっそくゲームを始めた。
「あっ逆だこれ……」
しばらく遊んでいると、すぐ隣から、何やら悲しそうな声が聞こえた。
その数秒後にお邪魔ブロックが上から降ってきて、渋谷さんのキャラクターが情けない声を上げる。
最近は原点回帰で落ちものゲームをしているのだけれど、一カ月近く遊んでいなかったからか渋谷さんの腕が落ちていた。前までなら要領の良さで接戦を演じていたこともあったけれど、今は私が優勢らしい。
華麗な手さばきでコンピューターに圧勝して、私の勝利が決まった。
「もうー……」
ちょっとこっち向いて、と渋谷さんに言われて顔を向ける。
すると、すぐに私の顔に近づいてキスをしてきた。
機嫌が悪いからか、いつもより強く唇を押し付けてくる。
前まではゲームと触れ合う時間が綺麗に別れていたけれど、いつの間にかゲーム中もキスをするようになった。
「渋谷さんってけっこう負けず嫌いだよね」
「負けるのが好きって人いないでしょ」
渋谷さんは顔を離して真っ当なことを口にする。
そうだけど、私は負けてもそれほど悔しく思わない。
勝てたらラッキーで負けたらそんなものだよねって感じ。
「私のことはいいから、早くしようよ」
「とりあえず、リップ塗ってからしようか」
せっかく買ったんだし。
「あっじゃあ私が塗ってあげるよ」
渋谷さんはテーブルに転がっていたリップのフタを開けて、私に向き合った。
私の頬に触れて軽く固定し、私の唇にリップを塗る。
塗りムラがないよう丁寧に、渋谷さんは私の唇にリップを落としていく。
手の甲とは違って、水っぽさを強く感じることができた。
自分でするのと違い渋谷さんに塗られているから、リップの異物感が拭えない。
「これで乾いたら、終わりって感じだね」
そういって渋谷さんはリップのフタを閉じた。
唇には水っぽくて薄い膜ができ始める。
これくらいならめんどくさがりな私でもできそう。
「乾くまでどれくらい時間かかるんだっけ」
「んー、だいたい三十秒くらいかな」
渋谷さんの言葉を受けて、あることがふと頭に浮かんだ。
今は塗ってから二十秒ちょっとだから、あと十秒くらい残っているはず。
それなら――
「わっ……」
私は渋谷さんの背中に手を回して、ちょんと唇を重ねた。
少し強引だったから渋谷さんは声を漏らしたけど、私の唇ですぐにふさがれる。
そして私に塗られたリップが渋谷さんの唇に少し残った。
「リップの口移し……みたいな」
ぼそぼそと私の言葉が部屋の空気を揺らす。
ちょっとした悪戯心。
こういうことしたら渋谷さんはどう反応するのかなって。
ほんの出来心でしたことだったが、渋谷さんの瞳は大きく揺れていた。
頬がみるみるうちに赤くなって、私たちを取り巻く空気の温度が上がる。
「……ほんっと可愛いね、二宮さんは」
腰をわずかに持ち上げて、さらに距離を詰めた。
私の頬を両手で挟んで、逃げられないようにする。
私の太ももに前から乗っかって顔を近づけてくる。
薄く目を閉じると、すぐに渋谷さんの唇の感触が生まれた。
ほんと可愛い、と呟く渋谷さんと何度も唇を重ねる。
リップが口の中の水気で蕩けて、口周りにまとわりつく。
すぐに乾いて、薄い膜の張った感触が生まれた。
最初は変な感じだったけど、キスに夢中になってそれどころじゃなくなった。
唇を重ねるにつれて、私たちの輪郭が蕩けてしまうような感覚が生まれてくる。
この感覚が、私は意外と好きだった。
そしてお互いに満足したころ、私たちの唇にリップは残っていなかった。
塗った意味ないね、と言いながら口元を拭くと、ティッシュに赤が滲んでいた。




