第20話 使ってするの楽しみだね
「渋谷さんって、誰かに告白されたことある?」
ふと尋ねてみると、化粧品をこちらに見せる少女の手が止まった。
ここはショッピングモールにあるコスメショップ。一人で行くことはまずないし友だちと行くこともほとんどないアウェーのような場所だった。渋谷さんに一緒に行こうと言われてついてきているけれど、それほど心惹かれる場所ではない。
だから渋谷さんの後ろでぼんやり商品を眺めているところだった。
「……いきなりだね」
手にしていた商品を置いてから、その少女は私の方を見てくる。
渋谷さんはそこそこにモテる。
何か一つが突き抜けているのではなくて、すべての水準が高い渋谷さんのことを好意的に見ている人は意外と多くって、私が廊下を歩いているときに他のクラスの男子が渋谷さんのことを好きだという話だって聞いたことがある。
そのことをふと思い出して、聞いてみたのだった。
「誰かに告白されたことある?」
話を流されそうになったので、質問を繰り返す。
すると一拍ほどの沈黙があってから、渋谷さんは口を開いた。
「……まあ、あるね」
そういって困ったように目尻を下げる。
ふーん、告白されたことあるんだ。
まあ渋谷さんだし、ないわけないか。
そっかそっかと心の中で呟きながら、学生鞄を逆の手に持ち替える。
別に告白されたことがあるからと言って付き合ったと決まったわけではないけれど、それをわざわざ確認するのもなんだかなと思って口をつぐんだ。
いつ、どこで、誰に告白されたのか。
そのときに渋谷さんがどう思って、どう返事をしたのか。
もちろん、渋谷さんに聞けば簡単に教えてくれると思う。
でも私は、それを取り立てて知りたいわけではない。
告白されたことがあるのかないのか。
その質問に渋谷さんはイエスと答えた。
ただそれだけ。それ以上の深掘りはいらない。
「じゃあ、他のコスメ見てみようか」
私の言葉を合図に、渋谷さんは別のコーナーへと足を向けた。
私と渋谷さんは身体的なつながりは誰よりも強いかもしれないが、お互いのことをなんでも知っているわけではない。渋谷さんの交友関係を詳しく知らないし、無理に聞き出すつもりもない。
相手のことをなんでも知っているから仲がいいというものでもない。
無理に聞き出さないことも仲の良さだと思う。
そんなことを考えながら、私たちが来たのはリップコーナーだった。
「ねぇ、これ最近よく見かけない?」
「たまに見かけるかも」
渋谷さんが指さしたのは、『SNSで話題の』という枕詞のついたリップ。
なんでもコレを塗るだけでプルプルでツヤツヤな唇になるらしい。
本当かな、と疑心暗鬼になっているところではあるが、かなり好評と聞いている。
「二宮さんってメイクとかそんなしないけど、興味ないの?」
私の反応が単調だったからか、渋谷さんは不思議そうに聞いてきた。
たしかに、私は渋谷さんと比べるとメイクをすることは少ない。高校生なんだからそんなに力を入れなくてもいいのでは、と思っているし、朝に色々準備をして睡眠時間を削ってしまうのも嫌だ。
「興味ないわけではないよ」
全くメイクをしてないわけではない。
普通の女子高生よりやや手抜きってだけ。
「二宮さんに合うだろうなと思ってたんだけど、どうかな」
そういってSNSで話題というリップを私に見せてくる。
見せてどうするんだろうと思っていると、渋谷さんはテスターのフタを開けて自分の手の甲にすっと線を引いた。
丸みを帯びた手に血色の良い赤い線が生まれる。
どちらかと言えばピンクに近い赤色で肌の上でも透明感があった。
「テクスチャがさらさらしてるから、二宮さんでも使いやすいんじゃないかな」
触ってみてと言われて渋谷さんの手の甲を指でなぞると、あっという間に乾いていた。たしかにこの大人っぽすぎない色味や乾きやすさは私好みではある。
でもお値段がそこそこするから、普段使いする以前のハードルもある。
今の手持ちで買えないこともないんだけど、どうしようかな。
やや決め手に欠ける商品を手に取って、自分の手の甲にも線を引いてみる。
ひんやりとした触り心地で、動かすと抵抗なくするすると滑っていく。最初は水っぽさが感じられたけれど、三十秒もしないうちに乾いて薄い膜だけ残った。
私の知っている市販のリップとは違うらしい。
「へーこういう感じなんだ」
「ねっ、けっこう良くない?」
その言葉を待ってました、とでもいうように渋谷さんは身体を寄せてきた。
揺れたスカートが脚にひらひら撫でるようにくっついてくる。
外にしてはいつもより距離感が近いなと思ったけど何も言わない。
「渋谷さんは私に買ってほしい感じ?」
「買ってほしいっていうか、使ってみてほしいかな」
そして一呼吸おいてから、渋谷さんはさらりと口にした。
「キスするときに唇プルプルだと気持ちよさそうじゃない?」
私に耳打ちするようにこそっと呟く。
――心臓が不自然にどくんと揺れた。
たしかにキスしたときに唇が吸いつくと気持ちよさそうな感じはある。
テクスチャも軽めだし乾きやすいなら、する直前にでも使えばいい。
自分用であれば買わないだろうけど、渋谷さんも関わってくると話は変わる。
キスするときに唇を良い状態にしておくに越したことはない。
そうやって冷静に考えていくと、鼓動が元に戻ってきた。
「じゃあ買おうかな」
損得勘定をしてから、私はテスターの後ろにあるリップを手に取った。
価格は二千円ちょっと。
……まあ必要経費というヤツだ。
「使ってするの楽しみだね」
そういう渋谷さんは、私に笑みを見せる。
子供っぽい表情に、ちらと大人な妖艶さを覗かせていた。
まんまと買わされたような気もするけど、渋谷さんが喜んでくれるのなら。
唇のコンディションも良くなるんだし、大きく損することはないはず。
もし合わなかったら渋谷さんに買い取ってもらおうかな。
そんなことをぼんやり考えながら、手の中にあるリップを転がしてみる。
金属で包まれた高級感のあるリップは、私の指先にぴたっと吸いついた。




