第17話 他の子と一緒にしないで――。
服を脱ぐのが億劫に感じたのは、雨が制服に張り付いていたからだけではない。
これほど雨に濡れた経験はないし、今後もないと思いたい。
だけど、それだけが理由ではなかった。
渋谷さんもこの脱衣所にいたからだ。
ふたりとも濡れていて風邪をひくとよくないから、一緒にお風呂に入るのはいいのだけど、渋谷さんの前で制服を脱ぐことが恥ずかしかった。同性の女の子に裸を見られることくらいどうってこともないのに、今日はどうしても意識してしまう。
大丈夫、大丈夫、と心で呟きながら、スカートのホックを外しジッパーを下ろす。
そして上の制服も脱いで下着に手をかける。
勢いのまま全部脱ぐと、私は逃げるように浴室に入っていった。
渋谷さんの姿をまじまじ見るのも違うだろうし。
蛇口を捻ってバスタブにお湯をためつつ、シャワーで身体をすすぐ。
タオルで拭き切れていなかった雨粒が身体を伝って落ちる。
少し遅れて、渋谷さんが中に入ってきた。
胸元と下腹部を手で隠している。
完全に隠せているわけではないが、隠したい気持ちは伝わってきた。
シャワーヘッドを渡して前を譲ると、渋谷さんはぺこりと会釈して、ぬるま湯を身体に当てる。
水滴が身体にぶつかって、床に落下する無機質な音がやけにうるさかった。
私たちの間に、薄い膜でも張られているみたいだった。
「……西方さんとどこ行ったの」
渋谷さんはぼそっと聞いてきた。
シャワーの音でかき消されそうなほど、小さい声。
口もなるべく動かさないで、私に聞いたことを知られたくないみたいだった。
「普通にファミレスで雑談しただけ」
「どんな話したの」
「学校の話とか、進路の話とか」
「……そう」
何とも言えない相槌を打って、渋谷さんは身体を洗い始める。
そこには肯定も否定も感じられなかった。
バスタブお湯が溜まってきたから湯舟に浸かって渋谷さんを待つことにする。
なるべく音を立てないようにそっと足を入れてから重心を落とすと、大きな波が生まれずに身体を沈めることができた。
冷えていた身体の芯が徐々に温まってくる。
それなのに、胸に張り付いた嫌な感覚だけは消えてくれなかった。
「相合傘してたのは、私が折り畳み傘忘れたからだから」
まずは直近の誤解を解消しようと思い、隙を見て口を開いた。
渋谷さんが逃げたのは、私と西方さんが相合傘をしていたから。
でもそれはしたくてしたわけじゃなくて、せざるを得なかったからだ。
そこに他意はなかった。
「……友だちと相合傘するくらい、普通だもんね」
別にいいんじゃない、と付け加える。
そうは言うものの、渋谷さんはこちらを見てこない。
むしろ私がわざわざ言い出したことを不愉快に思っていそうだった。
失敗したということを理解して、喉をぎゅうっと締まった。
そうこうしているうちに渋谷さんは身体を洗い終えたらしく、「変わろっか」と単調に言ってきた。
すぐにバスタブを抜けて、渋谷さんからシャワーヘッドを受け取る。
髪をすすいでからシャンプーを手に取り、泡立ててから流した。
いつも通りの動作なのに、渋谷さんがそばにいるとやけに緊張してしまう。
まるで一つ一つの行動が監視されているみたいだった。
本当に見られているかわからない。
でも、強い圧迫感がなくならなかった。
身体を洗い終えてから、私は渋谷さんのいるバスタブへと足を踏み込んだ。
私たちふたりで入る用途に作られていないから、お湯がざあーっと零れる。
すぐに元の静寂が訪れて、気まずい空気が立ち込めた。
風邪をひくとよくないという理由で一緒のお風呂に入ったはいいものの、喧嘩したあとみたいにギクシャクしている。
「……最近家に来てくれなかったの、私は寂しかった」
沈黙に耐えられなくなって、私はここ二週間のことを話題に出した。
渋谷さんは最近、家に来てくれなかった。
昼休みに来ないかなと思って待ってても話しかけてくれない。他の子と楽しそうに話をしているところを見ると、私は捨てられたのかと思ってしまったこともある。
「……今日は来るって言ったじゃん」
不満そうに渋谷さんは俯く。
たしかに今日は渋谷さんが来ると言った。
でも私は断った。
西方さんとの約束があったから。
渋谷さんが逃げていったとき、最初は理由がわからなかった。
今日の放課後は予定があるって言ったし向こうだって理解してくれていたはずなのに、勝手に来て勝手に傷つくなんて自分勝手じゃないのって。
しかも私と西方さんは普通の友だちで、相合傘だって傘を忘れてしまったから入れてもらっただけ。
それをちゃんと説明しているのに、渋谷さんが悲しむのは違うと思った。
今でも、その理由ははっきりわからない。
だからこそ、ちゃんと聞いてみるべきなんだろう。
「せっかく一緒にいるんだから、渋谷さんのこともっと知りたい」
すぐ近くにいる渋谷さんに伝わるように、はっきりと口にした。
「……なんで」
「今でも楽しいけど、渋谷さんのこと知れたらもっと楽しくなると思うから」
渋谷さんと一緒にいるのは、私にとって楽しいこと。
キスをするのは普通じゃないかもしれないけど、楽しいことには違いない。
もっと楽しい時間を過ごすために、この子のことをもっと知りたいと思った。
「……楽しいって思ってくれてたんだ」
「もし嫌だったら、やめてって言うよ」
私の言葉を受けて、渋谷さんはふぅ、と深呼吸をした。
一度天井を見上げて、私に視線を向ける。
渋谷さんと目が合うのは、ここに来てから初めてのことだった。
「二宮さんは、嫌だったらやめてって言うんだよね?」
「言う」
「ほんとに?」
「約束する」
「じゃあ――」
渋谷さんの言葉は、途中で途切れた。
私が頷いた瞬間、渋谷さんはバスタブの中で一気に距離を詰めてくる。
そして私の頬を両手で固定して、逃げ道をふさがれる。
すぐに顔が近づいてきて――。
ふにっ、と唇に柔らかな感触が生まれた。
渋谷さんに唇を奪われた――。
そう理解したころには、下唇に激痛が走った。
「~~~っ」
上下の歯で挟まれたまま、ぎりぎりと力を込められる。
少し遅れて、渋谷さんが私の下唇を強く噛んでいることに気づいた。
血が出るんじゃないかと思うほど強く噛まれて、ほかの感覚が消えていく。
下唇に歯が食い込む痛みだけが、やけにはっきりと残った。
目に涙が浮かんでも、渋谷さんはやめてくれない。
まるで私に傷跡を残そうとしているみたいだった。
鈍い痛みに身体から力が抜けて、さすがにこれ以上はまずいと思った。
渋谷さんの足を蹴ってもやめてくれない。
むしろ、どんどん力が入っていくみたいだった。
バシャバシャと水面が激しく揺れる。
渋谷さんの肩に手を当て、私は力いっぱい押し返した。
でも唇を離した渋谷さんは、私の顔を固定したまま睨みつけてきた。
「二宮さんは私とこういうことしてるのに、他の子とふたりで遊びに行ったんだよ」
「……」
「そういうの、ほんとにないから。私の気持ち、ちょっとは考えてよ」
目の前の渋谷さんの顔は真っ赤だった。
のぼせたからなのか。
他に何か別の理由があるのか。
今の私には、そんなことを考える余裕はなかった。
それくらい、頭の中にある何かがぐちゃぐちゃに溶けていた。
「私のこともっと特別扱いしてよ。他の子が入ってくる隙間なんてないし、西方さんの話だって聞きたくない」
渋谷さんの指が、私の頬に強く食い込む。
「言い訳なんてしなくていいから、私だけにしかしないことしてよ。ちゃんと、私が特別なんだって安心させてよ」
他の子と一緒にしないで――。
そう呟くと、渋谷さんは私にもういちど唇を重ねてきた。
すぐに顔が離れて私の顔から手を離す。
そして渋谷さんは、何も言わずに浴室から出ていった。
薄い扉越しにタオルを取り出す物音がする。
すぐに脱衣所の扉が開き、階段を駆け上がっていく音が聞こえた。
私ひとりの浴室は、あっという間に静かになる。
波のように押し寄せた興奮が引いてきた。
思い出したかのように、唇が痛み出してくる。
鏡で確認すると、血は出ていないけれど歯形はまだ残っていた。
これはしばらく残るかもな。
はぁ、とため息を吐いて天井を見上げる。
私はすでに、渋谷さんのことを特別扱いしている。
家に来る頻度が落ちてから、ずっと渋谷さんのことを考えている。
キスやハグだって、渋谷さん以外の人とするつもりはない。
他の友だちと同じだって思ったこともない。
でもそれだと渋谷さんは満足しないらしい。
どうすればいいんだろう。
どうすれば渋谷さんのことを特別にしていると理解してもらえるんだろう。
「もうやってるのに……」
そんなことを考えながら、湯舟に沈み込みぶくぶくと泡を立てる。
水面に浮かんだ泡沫は、緩やかな波に飲まれて弾けた。




