第16話 西方さんと一緒にいればいいじゃん
「えっ……」
ざあざあと雨が降る中、女の子の視線はどこかうつろだった。
渋谷さんの表情を見た瞬間、とてつもなく悪い状況だということに気づいた。
渋谷さんが家の前に立っていたということは、私を待っていたということ。しかもかなり長い間待っていたらしく雨に濡れて制服がまだら模様に透けている。
それなのに私は西方さんと相合傘をしてここまで来てしまった。
「いや、これはちが――」
「~~~っ」
否定しようとすると、視線の先にいた女の子は踵を返して走り出した。
最初はあっけにとられたけれど、離れるにつれてさぁーっと血の気が失せる。
渋谷さんに逃げられた――。
その事実を理解した瞬間、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。
私のことを見たくない、声も聞きたくないと渋谷さんに思われている。
せっかく待ってたのに、私が西方さんと一緒に帰ってきたから。
でも頭では言い訳が溢れてくる。
私は友だちと帰ってきただけなのに、なんでそんなショック受けるのって。
連絡もしてないんだから、勝手に来る方が悪いんじゃないのって。
「そうだ、スマホ……」
放課後になってから、西方さんと一緒にいたからスマホを確認していない。
もしかしたらと思って電源を入れると、渋谷さんから連絡が何件も来ていた。
『西方さんとの約束終わったら家に行っていいかな』
『そろそろ二宮さんの家に行くから、嫌だったら連絡してよ』
『家に着いたけど、二宮さん、まだ家に帰ってきてないの……? 』
そして最後には『早く帰ってきて』とシンプルなメッセージが送信されていた。
「……ごめん西方さん、先に帰ってて」
困惑した表情を浮かべている西方さんを置いて傘の外に出た。
まだ渋谷さんが出てから一分も経っていない。
今から走って向かえば追いつくことができるはず。
そんな期待を込めて、渋谷さんを追いかけていった。
水たまりを踏み抜くと、ローファーに水が容赦なく入ってくる。
ざあざあと降りしきる雨が制服に染み込んで気持ちが悪い。
前髪も額に張り付いてとても不快だった。
でもいま放置したら二度と取り戻せないような気がした。
別に同じクラスなんだから、いつでも会えると思う。
でも放課後の今の関係性はなくなってしまう。
それは嫌だった。絶対に嫌。
渋谷さんの走っていたのは私たちの反対で、比較的見通しの良い場所だった。
学生鞄を右手に、傘を左手にさしている渋谷さんは早く走ることができない。
だから傘を持たずに走っている私は、すぐ彼女に追いつくことができた。
「ちょっと渋谷さん、待ってよ」
そう頼んでも、渋谷さんは走るのをやめない。
どう止めるべきかわからなかったので、渋谷さんの肩を掴んだ。
傘で防ぎきれなかったのか雨粒がぽつぽつと滲んでいる。
「――触らないで」
渋谷さんは私の顔を見ることなくパシンと手を払ってきた。
まるで虫を払い落とすみたいに。
でも渋谷さんの目尻にはアイラインが滲んでいた。
「……っ」
胸を締め付けるような感覚を抑え込んで、渋谷さんの前に回り込む。
そうすることでやっと立ち止まってくれた。
渋谷さんは決まり悪く俯く。
「ちゃんと話したいから、戻ってきてよ」
「……西方さんと一緒にいればいいじゃん」
「西方さんは関係ないから」
「でも一緒に傘入ってたじゃん」
「それは今どうでもいい」
「どうでもよくないでしょ。相合傘してたんだから」
「だからそれは違うんだって」
「違くない」
「違うって言ってんじゃん!!」
叫びに近い私の言葉に、渋谷さんの肩がびくんと跳ねる。
自分の声を聴いて、私がいま相当にいら立っていることが分かった。
手を払われたことと話を聞いてくれないことに沸々と怒りが湧いてしまった。
でも私が怒るのは違う。まずは渋谷さんに戻ってきてもらわないと。
「渋谷さんと話したい事があるから、家に戻ってきてくれるかな」
「……」
渋谷さんは黙って下唇を噛む。
嫌だ、と言わないのは肯定の証。
そう解釈した私は、渋谷さんの腕を掴んで自宅へと向かった。
掴んだ腕は、いつもよりもずっと冷たい。
長い間待たせてしまっていたということがよくわかった。
来た道を戻ると、西方さんが不安そうな表情で私たちを見つめていた。
先に帰って、と言ったけれど待ってくれていたらしい。
私に掴まれている渋谷さんは、気まずそうに地面を見ている。
「ごめん西方さん、またあとで連絡するから」
「ほんとに大丈夫?」
「うん。ごめんね」
頭を下げると、西方さんは心配そうにしつつも離れてくれた。
彼女の姿が見えなくなってから渋谷さんの腕を離す。
腕がぶらんと垂れ下がり、もう逃げようとはしなかった。
雨の染み込んだ鞄の中から鍵を取り出して玄関の扉を開ける。
薄暗かったから照明をつけて、渋谷さんを入れてから鍵を閉める。
ガチャンと鍵のかかる音がやけにうるさい。
改めて彼女の姿を見ると、雨に濡れて下着が透けていた。
スカートの裾から雫が落ちて、玄関がどんどん濡れていく。
返信もせずに渋谷さんを雨の中で待たせていた後悔が胸の底に張り付いた。
もし早く気づいてたら――と後悔しても、後の祭り。
今の私ができることをしないと。
鞄を置いて、腕についた水滴を軽く払う。
靴を脱いで脱衣所まで行き、大きめのバスタオルを二枚持ってきた。
「これで拭いて」
「……」
渋谷さんは黙って一枚受け取ると、タオルを目元に当てた。
お互いに無言のまま、外ではざあざあと雨が降り続けている。
まだ止みそうになくって、雨という檻に閉じ込められたみたいだった。
世界と私たちを分断する、雨の格子――。
とても冷たい空気の中で、渋谷さんは一言だけぼそっと呟いた。
「早く帰ってきてって言ったじゃん……」
私を見ないで口にした言葉は、すぐに消えてなくなる。
渡したバスタオルに染み込んでいたのは、滲んだアイラインだった。




