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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
中央の大陸『ヨーテンガース』 ドラクラス編

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第76話『光の創め19---アーティ---』①

“――――――”


「ジュニア、どれほど待たせるつもりだ」

「申し訳ありません」


 姿勢を正し、駆けずり回って乱れた軍服を整える。

 本来なら力強く頭を下げ、腹から声を出すところだが、極秘任務となると声を張り上げるわけにもいくまい。


 ジュニアは素早く、すでに待機していた先輩の隣の定位置に着いた。

 この“部隊”の服装は自由だが、誰もが機能性を優先する結果、似たり寄ったりの服になる。先輩も、ジュニアより色は濃いが、同じく軍服を身に着けている。もしかしたら同じメーカーのものかもしれない。


 山岳地帯に続く樹海の中。大木に身を隠すジュニアと先輩の視線の先には、小高い丘の麓、岩で造られた祭壇のようなものがあった。

 徹夜で見張っているが、動きはない。


「それで」

「脱出経路は無し。加えて、通行ルートの全個所の確認をしましたが、人影は無し。もっとも、1本のルートは先日の雨で土砂崩れがあったようで交通不能でしたが」

「……うむ」


 先輩は顎に手を当て、祭壇を睨んだ。

 数期上なだけでやたらと偉そうに顎を触る様子が鼻に付くが、誰に対しても同じ態度であることは尊敬していた。


 この部隊は、部隊とは名ばかりの、“現場でよく会う人同士”でしかない。

 魔導士隊の上層部からの指示を受けて行動する、“アルバイト”だ。

 しかし、単なる旅の魔術師というわけではない。

 魔導士隊の資格は有しているが、一部の“訳あり”の者は配属先がこの部隊だった。


 魔物討伐やその分析、魔術師隊の統制や大陸規模の保安などを行うのが魔導士隊だが、自分たちはその魔導士隊の手の届かない分野の“調整”を行う。

 それっぽい言葉で覆い隠そうとも、分かる者には分かるだろう。言ってしまえば裏仕事だ。

 魔導士隊や魔術師隊は正義を執行するが、規則に縛られる以上、どうしても“矛盾”が発生する。

 例えば民間の活動をいかに煩わしく思っても、思想の自由が認められている以上、魔導士隊や魔術師隊などの正規の組織では手を出せない。


 そうした問題、いや、“矛盾”を解消するのがこの部隊の仕事である。


 魔導士隊上層部の指示でさえ、解釈によって誤差が生まれる。

 それが大人数の組織というもので、軽微なものですら蓄積すれば、真逆の指示になるような軋轢が生まれるのだ。

 民間の活動を抑える方法ひとつとっても、代表者を正面から説得する手法が考えられる一方で、逆に焚き付け短期間で溜飲を下げさせる手法など、“誰かと誰か”の指示が対立し、一向に解決へ向かえないこともある。

 ちょっとした確認さえすれば“誰かと誰か”は手を取り合えていたかもしれないが、彼らも人だ、ミスをすることもある。

 しかしミスが許されない人のミスは、“なかったことになる”。


 そうした面倒事を前に、誰もが、“思うべきではないこと”を思い浮かべてしまう。

 つまりは問題の直接的な排除。

 脅迫や暗殺など、“しきたり”に逆らいかねないような犯罪行為である。

 そんな指示すら対立することもままあるほどだ。


 清廉潔白な組織を“正常”に回すには、誰かが割を食わなければならない。


 魔導士隊の組織図を見ても、この部隊は存在しない。

 魔導士隊の上層部の“誰か”が、魔導士隊を“脱退”した者から有志を募っただけの、“アルバイト集団”である。


 しかしその“誰か”からすれば、露呈すれば首が飛ぶだけでは済まない。

 ゆえに、魔導士隊の中でも、“異常者”だけが選出される。

 この先輩も、表舞台にいれば確実に歴史に名を刻んでいたであろう怪物である。


 そして今回の任務は、比較的大人しく、とある集団の調査だった。

 未開拓の地で、怪しげな活動をしている者たちがおり、その活動を特定せよというお達しが、“誰か”からあったらしい。

 この部隊にお達しが来たということは、手段は問わないということだろう。


 だが、話だけ聞くと、そんな集団はいくらでもいる。

 このヨーテンガースでは、多くの民族が樹海の中で生活をし、それぞれ奇特な“儀式”を行っているのだ。

 今さら特定の集団に目をつけて自分たちの部隊を動かすことには強い違和感がある。


 だが、所属の短いジュニアでも、この部隊に自我が求められていないことは分かっていた。

 そのお達しを疑うのは誤りだ。

 実直に、依頼を完全な形で遂行することだけが、この部隊の役割である。


 そして昨日、その集団と思われる数人を尾行し、あの祭壇の奥の洞穴に入ったのを確認している。

 しかし夜が明けても出てくる様子が無い。


「……いくか」

「はい」


 ジュニアはだらりと手をぶら下げて歩く先輩の後を追った。

 僅か違和感。即座に魔術を放てるように脱力した先輩のその姿は、戦場でよく見かけるものだった。

 とはいえ、ジュニアも下ろした右手首を左手で掴み安定させ、即座に魔術が放てる独自の構えを取った。


 その“とある集団”とやらの情報は大して持っていない。

 それはつまりこの部隊であれば何が起ころうとも問題なく制圧できると“誰か”は判断しているということにもなる。

 とはいえ、それを当てにして油断するわけにもいかない。


 依頼の情報が希薄なのはいつものことだ。

 それどころか先輩と自分が持っている情報も質に違いがあるだろう。

 指示を受ける手段も個人ごとに複数パターンあり、同じ依頼内容でも指示をする“誰か”自体が違うこともある。

 上層部のしがらみをそのまま押し付けられるこの部隊は、しかし個人個人、それを問題なく遂行するだけの力がある。

 この先輩も、指示を受けて向かった先、よく顔を合わせる男というだけでもあった。


 今回の依頼は特に酷い。

 尾行をしていたジュニアは、その途中で先輩と鉢合わせ、特にすり合わせも無いままこの場に来ている。

 現場では実直に請けた依頼をそのまま遂行せよという暗黙のルールから、情報交換すらしていなかった。


 だが、ジュニアと先輩の考えていることは同じだ。


 昨日入っていった者たちは出てきていない。

 考えられる可能性はいくらかある。

 洞穴には抜け穴があり、すでに中には誰もいない可能性。

 尾行のときは気づかれなかったようだが、何らかの理由で自分たちに気づき、息を潜めている可能性。

 あるいは中で“何か”をし続けている可能性。


 しかし、先輩に監視を任せて行った周辺調査で、この洞穴からの出口が他に無いことは分かっている。

 そして、気づかれるようなへまは自分も先輩もしていない。

 となれば“何か”をしていると考えられる。


 この集団の目的を探るため、彼らが出て行ってから調査を行おうと考えていたが、ここまで出てこないのであれば、やっていた“何か”の事後処理を含めて行っている可能性もあり、その場合は彼らが出て行ってから調査しても効果は薄い。


 洞穴の中がどれほど深いかは知らないが、軽く探り、もし出くわしたら、“心は痛むが”最悪制圧してしまってもいい。目的は彼らの活動の調査である。

 増援がないことも確認済みだ。被害者が数人程度なら、いくらでも誤魔化しが効く。

 所詮“アルバイト集団”の自分たちだ、もし事後に魔術師隊に被害届を出されても、山賊か何かの仕業として処理されるであろう。


 息を殺し、祭壇に近づいたジュニアは、洞穴の入口の壁に背を預け気配を探る。

 正確な深さは分からないが、軽く壁を叩き、小さく反響させた音から、想像していた以上に中が広いことは分かった。声は聞こえない。

 時刻は日が登ったばかり。入った者たちは眠っているのかもしれない。

 ただ、ここまで深いとなると、尾行していた者たちだけでなく、最初から中には人がいたかもしれない。

 人が増えれば増えるだけ、力技は通用しない。そこらの人間が束になってもどうにでもできる自信があるが、被害人数が多いと、魔術師隊も重大な事件として取り扱わざるを得なくなる。

 自分たちに指示をした“誰か”も、大事になるのは控えたいであろう。


 となれば今は大人しく元の位置に戻り、ここから人が出て行くのを待った方が無難かもしれない。

 ジュニアがそう考えて視線を送ると、先輩は、ごそごそと、ズボンのポケットを漁っていた。


 先輩のポケットからは、一握りほどの石が出てきた。

 そして、つまらなさそうに石に魔力を込めた先輩は、小さな欠伸と共に。


 ぶん、と。

 洞穴に石を投げ込んだ。


「っ―――」


 ジュニアは反射的に地面へ飛び込んだ。

 その瞬間、洞穴が“爆発”した。


 一瞬しか見えなかったが、先輩の使ったのは魔術を遅延実行させるマジックアイテムだ。

 明るみに出ない武器商人が取り扱っていたのを見たことがある。

 あらかじめ使用する魔術を定めた加工が必要だったり、特定個人しか使えない制約があったりと、使い勝手が悪く、実践向きでないが、それゆえに意表を突けるという利点がある、と謡っていたが、無視をした。

 先輩も試作品を押し付けられたのだろう、奇襲目的ではなく、ただごみを捨てただけのように見えた。

 そしてその結果、祭壇は衝撃で崩れ、洞穴からは燃えるような熱気の土煙が噴き出してきた。


「お前―――、っ」


 何故、という言葉を強引に飲み込んだ。

 先輩と自分はたまたまここで会っただけのアルバイトだ。

 そしてそもそも、自分たちの指示系統は、恐らく違う。


 同じように爆発から身を守るために地に伏せていた先輩が、肩の埃を払いながら立ち上がった。


「そっちは調査だけって聞いていたのか? こっちも似たようなもんだが、1日かけて目的が不明なら“排除”せよとのお達しだ」


 最初からそのつもりだったろうに何を言う。

 しかし、先輩への怒りは筋違いだろう。そもそもそういう意図のお達しだったとしか思えない。先輩は正しく解釈したに過ぎないのだ。

 そして、そのお達しとやらを出した者へも同様である。

 “何か”のために必要なことであり、自分たちはその理由を知る必要はない。


 だがジュニアは、口に入った土を吐き出し、砂埃に染まった歯をむき出しにして怒鳴った。


「“子供もいたんだぞ”……!!」


 尾行していた集団は、性別も年齢もまちまちの数人だった。

 彼らはとある集団の一部でしかないらしいが、離れて見ていれば、ただの家族のようにさえ見えていた。


「大人だけだったらいいのか? がばがばの感情論だな。だが、迫力だけは御父上にそっくりだ」


 ジュニアは洞穴が崩れていないことを確認すると、ハンカチに水をぶちまけ口に当てる。

 制止も妨害もしない先輩を抜き去り、洞穴に飛び込んだ。

 明らかに人の手によって加工された洞穴は、少し進めばホールのような空間があり、その奥、いくつかの小部屋のような穴が続いている。

 先輩が投げ入れたマジックアイテムが“発動”したと思われるホールの損害は酷く、木っ端微塵となった何らかの機材の破片が散乱していた。

 続く穴の先へも熱と衝撃が届いたであろう。何しろ“怪物”の魔術だ。

 何かに引火したのか、いくつかの小部屋からは黒煙が登っていた。


「っづ」


 洞穴の中はとてつもない熱気が逃げ場を失い燃えるようだった。

 怒りは出ない。出す必要が無い。

 自分もお達しを実直に遂行する同類だ。

 我を忘れて飛び込んだわけではない。自分へのお達しは、この集団の目的を探ることである。

 火の手がすべてを消し去る前に、何らかの痕跡を見つけるのが自分の仕事だ。

 だがその過程で、助けを求める声が聞こえたら、死に物狂いで救い出すことにやぶさかではない。


「声が聞こえたら返事をしろ!!」


 布越しで叫び、歯噛みする。

 突如爆発が襲ったのだ。最低でも耳はやられているだろう。

 ジュニアも魔術で最低限身を守っているが、長くはいられない灼熱地獄だ。

 どこからも灯は見えない。設置されていたであろうマジックアイテムは機能不全だ。

 あの怪物の魔術は、そうした機器を破壊する。


 小部屋のどこかに集団はいるのだろう。その場合、身動きも取れず、自分の魔力で明かりを灯すことすらできていないことになる。

 あるいは、自分の調査不足で実は抜け道があり、すでにもぬけの殻だったのかもしれない。

 後者であることを祈りたかったが、生憎自分の調査に漏れなど存在しないのだ。


 活動時間が限られるジュニアも、どこにいるかも分からない犠牲者を探す余裕は無い。


 あの集団は、良くて即死。悪くてどこかの小部屋で、灼熱地獄で悶え苦しみながら死を迎える。

 そう結論付けざるを得ない。

 ジュニアは足元に散らばった破片を乱暴に蹴り上げ、並ぶ小部屋のような洞穴を睨んだ。

 入口が潰れてしまっているものもあるが、入れる小部屋はいくつかある。

 だがこの瞬間に選べるのはひとつだけだ。


 ジュニアは正面の、やや大きい小部屋に飛び込み、即座に人影を探す。

 しかし土煙の中、誰もいない、資材置き場のような空間であることに気づき、倒れていた机を蹴り砕いた。


 外れを引いた時点で、彼らの死は確定した。

 ジュニアに出来ることはすぐに離脱し、洞穴の熱気が引くまで外で待機していることしかなかった。


「……」


 もうひとつくらい。そう考えかけて頭を振る。

 酸欠ですでに思考が鈍り始めている。

 救助まで考えると、出来ることは何もない。


 彼らが何をした。制圧して話を聞き出すだけでよかったはずだ。

 そう考えることも、この部隊には要求されていない。


「……?」


 離脱をしようとしたジュニアは、そこで、部屋の隅に、ジュニアの腰ほどの鉄製の金庫のような箱を見つけた。

 鍵はかかっていないようで、僅かに開きかけている。

 子供ひとりくらいなら、入ることが出来るだろう。


 思わず駆け寄り開こうとしたジュニアは、開く前に結論が分かった。

 爆発に気づいてから、ここに隠れるのは不可能だ。

 感情も無く熱し切られた扉を足で開くと、推測通り中には誰もおらず、代わりに、数枚の紙束が置かれていた。


 その紙は、どうやら名簿のようだ。

 視野も悪い中ざっと見ただけでも、違和感がある。

 どこかの由緒ある家族のリストなのか、すべて同一姓で、しかし、住所と思われる所在地はバラバラだ。


 そして、その名簿の一番上には、資料名が記されていた。


「……なんだ、……『対象者』……?」


 内容は不明だが、このお達しをした“誰か”にとって、人のリストがどういう意味を持つものかなど考えずとも分かる。

 一瞬だけ処分するか迷ったが、即座に折り畳み、懐にしまい込んだ。


 これ以上はこの洞穴にはいられない。

 調査は熱が引いてからになるが、他の資料や資材はすでに火が回っている。無駄骨になるだろう。

 ジュニアは今度はあえて周囲の状況を探ることも無く、まっすぐに出口へ向かった。


 洞穴から出ると、そよ風に当たるだけで、急速に熱が冷めるような爽快感を覚える。

 気分は最悪だ。


「どうした。何かあったか?」


 身体中が燃えるように熱され、汗と土煙で泥だらけになったジュニアを、崩れた祭壇の岩に腰かけていた先輩が迎えてくれた。


「見た限りは木っ端微塵です。後で調査をしますが、何も見つからなかったら先輩がやったと報告します。俺への依頼は目的の特定だったので」

「そうか」


 先輩は、興味なさげに欠伸をした。

 生存者の確認はしてこない。

 そもそも自分の魔術に絶対の自信があるのだろう。生き残ることは不可能だと確信している。


「ならその懐の何かは、自己責任だ」


 ジュニアは表情を変えなかった。

 見抜かれるまでは見えていた。

 見逃されるとは思っていなかったが。


 先輩は、短く息を吐いて、黒煙が噴き出し始めた洞穴を眺めた。


「やりたくてやったわけじゃない。やりたくなかったわけでもない。俺にとっちゃ……、俺たちにとっちゃそれだけの、ただの仕事だ」


 先輩の意思のようなものを感じる会話は初めてだった。

 先輩の足元にある祭壇の残骸の岩が、いくつか蹴り砕かれている。


 先輩の瞳の奥に、洞穴の熱気など比較にもならない、燃え滾る怒りがあるように感じた。

 だが、ジュニアも、先輩も、やはり表情は変えない。

 お達しとは、そういうものだ。


「ジュニア。お前の現場経験なんて、すぐに終わるだろう。そしたら“お達し側”だ―――“間違えるなよ”」


 “訳あり”が集まる部隊。

 誰にでも態度を変えない先輩は、歯をむき出して、威嚇するように睨んできた。

 いずれお達しをする“誰か”のうちのひとりになる自分。誰ひとり逆らえず、周囲には、自分の指示を実直に実行する者だらけになるだろう。

 だが、甘さを見せてしまった今のジュニアになら、多少は声が届くと思ったのか、先輩は強く訴えてくる。

 それは、顔も知らない“誰か”のために手を汚し続ける先輩の、精いっぱいの反抗だった。


「誰かが“へま”をすれば現場はこんなことばかりだ。それでも回してやる。お前も御父上の後を継いだら、好き勝手やりやがってくださいませ―――グリンプ=カリヴィス7世閣下」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


“―――***―――”


 エリサス=アーティには、理想の自分というものがある。


 理想の自分は、常に落ち着いていて、勤勉で、何よりも調和を重んじ、何事にも真摯に取り組み、誰からも信用されるような素敵な人物だ。

 戦闘では少々野蛮に体術と拳で戦っているが、それならそれで戦場を華麗に舞って敵を討つような存在でありたい。

 あと、まあ、ついでではあるのだが、エレナ=ファンツェルンのようなスタイルも欲しかったりする。


 そういう自分に心の底から憧れているのだが、自分の理想の大体はホンジョウ=イオリが体現しており、勤勉さはミツルギ=サクラを見るとより自信が無くなってくる。


 それでもめげずに日々努力しているつもりだ。

 そんなことを思うと、他者に憧れる熱意ではアルティア=ウィン=クーデフォンに大差で負けており、じゃあ自分には何があるんだと思ってしまうが、それでも、めげない。


 その努力の一環として、戦闘ひとつとっても、きちんと頭働かせる癖をつけている。

 きちんと勉強し、魔物の特徴や危険性を理解した上で、段取りを踏んで“攻略”するのが自分の理想だ。

 その辺りも魔導士であるイオリに大差で負けているが、甘えてばかりではなく、自分なりに真剣に考えて行動するようにしている。


 自分は、何でもかんでも殴って解決、なんて野蛮な人物ではないのだ。


「うなーーーっ!!」


 勢いよく振るった拳は、突撃してきた馬のような魔物の巨躯を真っ向から殴り飛ばした。


 廃墟と化した中央の拠点。

 天空には金色の龍が蠢き、至る所から轟音が響く銀の世界の中、この異常空間に集まったほぼすべての魔物が集結していた。


 この密集地帯は、魔物たちが賢い行動を取った結果である。

 北部から東部に渡って繰り広げられている怪物と魔族の激突、南部の異常事態など、知恵が無くとも本能的に近づけないエリアが生まれ、結果、逃げるように中央を訪れた雑多な魔物たちは人の痕跡を抹消するかのように拠点を破壊し尽くしいていた。


 個々の戦闘力は他の異常事態とは比較にもならないものの、戦いは数である。

 ある種魔族以上に対処が困難な魔物の密集地帯は、魔導士隊を始めとする人間たちを北部と南部に分断し、同じく数の利を活かさんとする人間たちの機能を著しく削いでいた。


 依然として魔物が暴れ回る密集地帯。

 その拠点に、エリサス=アーティが突撃した。


「っだぁぁぁ!!」


 拳を振るい、巨躯の魔物を正面から殴り飛ばす。


 “この程度はいつでもできた”。

 エリーは殴り飛ばした魔物を深追いせずに周囲を窺う。


 エリーが攻撃をしたのは無数の群れの一角である。

 数体弾き飛ばされるも、それとほとんど同時、周囲を魔物に囲まれた。


 この拠点に群れをなす魔物は2種類だ。

 馬のような膂力に優れたファリオベラ。

 鋭い翼を武器とする飛行種であるデオグラフ。


 いずれも“知恵持ち”であり、それぞれ通常の個体よりもずっと強力ではあるが、個別に戦えば撃破可能な範囲だ。

 だが戦いは数である。

 行動すれば必ず隙が出来る以上、群れに飛び込めばあっという間に囲まれ、良くて袋叩き、悪くて即死だ。

 個と群れが戦えば、視野角ひとつとっても、取り囲まれるだけであらゆる行動が制限される。


 ゆえに群に飛び込んだエリーは、死角である上空から迫る飛行種の鋭い翼に気づかなかった。


「ギ―――」

「―――っ」


 直前で察し、思わず身をよじったエリーは、歯噛みする。

 辛うじて回避したつもりだったが、残念なことに、“直撃”だった。


 刃物のような鋭い翼を煌めかせ、回転しながら斬り割きに来たデオグラフの魔物は、エリーの隙だらけの背中に斬撃を放つ。

 そして、その鋭い翼は無残にも、“吹き飛んだ”。


「くっ、ああもうっ!!」


 拳を振り回して同時に集まってきたデオグラフたちを滅茶苦茶に殴り飛ばす。

 数体には当たったが、エリーの攻撃ではすべてはとらえ切れない。

 異変を感じたデオグラフは様子を窺うように空へ退避した。


 空には拳は届かない。

 エリーは歯噛みしながら目の前のファリオベラを睨み付けた。


「―――きゃ!?」


 視野の悪い中、注意も散漫だったのか、ほぼ真横、死角から、いると思っていなかったファリオベラが突撃してきた。

 慌てて離脱しようとしたが、間に合わない。

 凄まじい膂力のファリオベラの突撃に、“ファリオベラが弾き飛ばされた”。


「エッ、エリーさん!? 無事か!?」

「無事じゃないわよ、多過ぎでしょ!!」


 ついてきてくれたのか、背後からミツルギ=サクラの声が聞こえた。

 エリーも自分の速度が遅いとは思わないが、彼女とは比較にならない。

 この密集地帯でも、彼女は敵の攻撃を受けずに戦い続けられるほどの力を有している。サクにも隙はあるのだろうが、敵がその隙を突く前に彼女は安全圏へ離脱できてしまうのだ。


 酷い羞恥心を覚えた。

 息まいて、拠点に突撃したはいいものの、敵の攻撃を華麗にかわそうとすれば鮮やかに捉えられるし、落ち着いて周囲の様子を窺っていたつもりでも気づかなかった敵に突っ込まれる。


 エリサス=アーティには理想の自分というものがある。

 だが、習得した力は、理想からは程遠いものだった。


「……ふう」


 エリーは落ち着いて、改めて周囲の魔物との距離を測る。

 今度は見逃しは無いはずだ。

 発動し直す機会である。


 エリーは息を吐いて身体の力を抜き、改めて魔力を込める。

 エリーの身体が、スカーレットの光を纏い始めた。


「『破壊の魔術師』」


 やっていることは、戦闘の大前提として身体を魔力で覆う防御膜を、“魔術”として発動させているだけだ。

 火曜属性は、自身の高すぎる攻撃力の反動を抑えるために、抑制力という特徴もある。

 本気で守った火曜属性は、いかに強化された狂暴な魔物であろうが安々と突破出来ない。


 旅の魔術師を生業とする以上、エリーはきちんと頭を使って、戦闘というものに真摯に向き合った。


 武具を持たず、近接戦を行うエリーの武器は体術と拳だ。

 しかし、話に聞く魔導士たちの戦いは、基本的に遠距離戦である。


 もちろん、彼らの体術が劣っているわけではない。それどころか一級品であろう。

 それでも彼らが遠距離戦を主体とする理由は、強敵に突撃するたびに返り討ちに遭っているエリーにはよく分かる。


 強敵の具体例として、魔族のような相手は、魔力も身体も人間とは比較にならない。

 近距離で戦ったところで同時に攻撃できる人数など高が知れているし、そもそも近接戦は原始的な地力勝負になりがちだ。

 その点、遠距離戦は被弾の確率も下がり、数の利を生かして大群で囲んで代わる代わる魔術を放ち続けることが可能なのだ。


 近接戦しかできないという“短所”は、射程を伸ばす武具も、攻撃を必ず当てる立ち回りの技術も、敵の攻撃を回避し切る速度も読みも無く、人間の上位互換の魔族とほぼ同条件で戦うことになるエリーにとっては致命的な問題だった。

 これは戦いの次元が上がれば上がるほど顕著となるのだ。


 元は魔術師隊に入り、田舎町で平穏に暮らそうとしていたエリーである。

 勉学でいっぱいいっぱいだった魔術師試験のとき、火曜属性には不向きな遠距離攻撃も武具を操る技術の習得も行えず、身体を鍛えるだけで実技試験を突破したツケはあまりに大きい。


 今さらになって遠距離魔術を習得しようも、自分たちの旅はいよいよヨーテンガースに辿り着いた。

 付け焼刃の技術が通用する次元ではない。


 そこでエリーは、理想の自分に倣って、真摯に考え、ひとつの華麗で知的な結論に辿り着く。

 着目したのは長所の攻撃力ではなく、“防御能力”である。


 敵の攻撃を読めず、どこから攻めてくるか把握できないなら、“身体中を守ればいい”。

 相手の速度を上回り、自分主導で攻防を選択できないなら、“ずっと発動していればいい”。


 要するに。

 “無敵になればいい”。


「―――ぶっ」


 発動した直後、視界の悪い中また見逃していたデオグラフがエリーの後頭部に鋭利な翼を走らせた。

 突然気配を感じ、エリーはびくりとして振り返ると、翼を傷めたデオグラフが地べたに落ちて藻掻いている。

 エリーは憤りをそのまま拳に乗せて叩き込んだ。


 やはり頻繁に背後を取られる。

 強敵相手もそうだが、大群の相手も同様に近接戦は相性が悪い。

 “知恵持ち”相手となるとなおさらだ。

 前方で旋回し、妙な飛び方をしているデオグラフがいると思っていたが、あれはエリーの気を引く囮だったらしい。

 またひとつ学んだエリーは、側面から突撃してきたファリオベラを殴り飛ばした。


 あらゆるタイミングで上空から地上から無数の魔物が襲い来る。

 しかしいずれの魔物も、エリーを纏うスカーレットの光を突破できなかった。


 “ただ”。


「―――っ、はっ、はっ、はっ」


 確信できるほど魔物から安全な距離を取られ、エリーは魔術を解除した。

 熱湯に漬かっていたかのように身体中が熱し切られている。


 銀の魔法と悪天候のせいだけではないだろう、熱に浮かされたようにぼやけた視界で、荒い呼吸を繰り返した。


「エリーさん!!」


 動きが止まったエリーに、サクが高速で近づいてきた。

 息を荒くしたまま様子を窺うと、彼女の後ろから魔導士隊が数名駆け寄ってくる。


 自分の突撃を好機と捉えたらしく、北部から哨戒に乗り出したらしい彼らは、エリーの周囲に散開し、陣形を取り始めた。


「総員防御態勢!! 退路の確保最優先だ!!」


 魔導士隊の誰かが叫ぶ。

 うじゃうじゃと魔物がいた拠点には、エリーの突撃が拭ったように北部の避難所からの“道”が出来ている。

 退路を確保したまま進撃すれば、北部の民間人たちごと南部に合流できるかもしれない。


 ぼんやりとしたエリーの頭では南部までの距離は分からないが、まだ半分も来ていないような気がする。

 魔導士隊にとってもギャンブルだろう。


 エリーは距離を取りながら様子を窺う魔物たちを睨んだ。

 滅茶苦茶に突撃し、怯んでエリーから一旦離脱した魔物たちは、しかし一定の距離を保ったまま様子を窺ってくる。

 “知恵持ち”ゆえに、撃破不可能ではないと認識しているのかもしれない。

 エリーを中心とした防御態勢をあっという間に構築した魔導士たちは、そんな魔物たちに牽制に牽制を重ね、退路の確保に躍起になっていた。


「エリーさん、その、凄い魔術だ。……少し休んでいてくれ。ひとまず安全だ」


 サクは魔導士隊と同じく周囲の魔物を牽制してエリーと退路を守る。

 消耗している自分と違い、あるいは自分以上に移動し続けたサクの言葉に、エリーは大きく息を吐いた。

 いや、彼女も疲れ切っているであろうが、“それが結果に影響しないだけだ”。

 自分と違い、いつ何時でも真摯に依頼に取り組む彼女の姿は、眩しく見えた。


 そんな彼女も魔導士隊も、エリーの防御魔術を軸とした陣形を取っている。

 暴れ回る魔物の大群の中、四方八方囲まれても猛攻を防ぎ切れる魔術を操るエリーが魔物を引きつけ、その隙に安全地帯の構築を構築するのが狙いだろう。


 魔導士隊の方々としたことが。

 まったく分かっていない。


「……安全?」


 エリーが習得したこの魔術は、はっきり言って欠陥品だ。

 究極的に言えば、キュール=マグウェルが『盾』を展開しながら移動しているようなものであるが、彼女のように完全耐性というわけでもなく、消費魔力は激しく、持続時間は恐ろしく短い。

 体力もごっそり削られる。身体全体を抑制の魔術で囲うなど、身体中を鎖で縛り上げながら動いているようなものだ。

 力を抜けるタイミングなど存在しないし、気を抜けばすぐに解除される。

 “身を固めながら行動する”。ただそれだけの、似たような魔術はあるはずだと散々探したが、どの本にも書いていなかったのは、そんなアホなことをする者がいなかったからなのかもしれない。


 発動中のデメリットはまだまだある。

 全身のリソースを注ぐせいで、まともに術式を組み上げられず、精々下級魔術が出来るか出来ないかほどに余裕が無い。


 “知恵持ち”の魔物たちはそれらを見抜きつつあるようで、肩で息をするエリーに飛び掛からんと姿勢を落とした。


 ヨーテンガースの魔物にとって、所詮相手は、まともに魔術も使えず、大群相手の立ち回りも甘く、射程も短く武具も無い、小柄な人間である。


「“だからなに”?」


 跳びかかりかけた魔物に、エリーは自らから突撃した。


「あたしの近くにいないで!!」


 サクと周囲の魔導士隊に怒鳴るように叫び、眼前のファリオベラを睨み付けた。

 突撃したエリーは、ファリオベラから強い怯えを感じ取る。


 それはそうだ。

 突破できない防御能力が短時間。だが相手からは、“それがいつ発動するのか分からない”。


 そして、“知恵持ち”の魔物であれば、そろそろ気づき始める頃であろう。

 僅かな間でも、“攻撃が効かない火曜属性”がどういうものか。


 “攻撃が通用しない状況”を作り出すこの魔術だが―――その詠唱は、“目的”から付けられた。


「身を守るために発動しているんじゃないの。この魔術は、“一方的に殴り飛ばすためのものだから”」


 色々なことができない自分がやれること。なれるもの。

 気に入らなくても仕方ない。

 僅かな間でも、この身を魔族にすら匹敵する存在にすることしかない。


「―――『破壊の魔術師』」


 やっていることは変わらない。

 身体中を常に守り、魔物に詰め寄って、拳を見舞う。

 回避や離脱に迷いが見えたファリオベラは、最終的に迎撃を選択するもエリーの周囲の魔力に阻まれ、火曜の拳を叩き込まれる。

 魔術の技術を活かせない攻撃は、しかし火曜の魔力そのものを乗せて敵を殴り飛ばした。


 どれだけ取り囲もうとも、どのタイミングで襲おうとも、攻撃圏内にいるうちは持続させる防御魔術。

 相手からしてみれば、どのような攻撃にも怯まない相手から、受ければただでは済まない火曜の破壊が襲い来るのだ。


 荒唐無稽な絵空事。

 小手先の攻撃など通用せず、超常の破壊力を有する者のみがようやく目の前に立つ権利があり、その先は火曜の独壇場である火力勝負に引きずり込める。


 『破壊の魔術師』は自らを、敵の全力のみを強要し、“それを正面から叩き潰せる”存在とする魔術である。


 結果。


「う―――があっ!!」


 『名前のない荒野』の滅ぼし尽くされた拠点の中―――魔王直属リイザス=ガーディランが顕現した。

 吠えるエリーを纏う火曜属性の魔力は稲光を帯びた強固な鎧と化し、火曜の力を纏った放つ必殺の拳は敵を粉砕する。


 有象無象など相手にもならない。

 いかに狂暴であろうが魔物程度では突破不可能な怪物が、絵本のような惨劇を繰り広げた。

 流石に“知恵持ち”だけはあり、適宜距離を取り、隙を伺い、死角から迷わず命を刈り取ろうとしてくるも、結局攻撃は封殺されてエリーの射程圏内に入ってくる。

 纏めて殴り、蹴り上げ、至る所で戦闘不能の爆発が巻き起こり、拠点ごと滅ぼし尽くすかのような進撃に、“知恵持ち”の魔物たちは徐々にエリーから距離を取り始めた。


 ようやく魔物たちも気づいたらしい。

 “これは戦闘ではない”。

 攻撃が通用しない以上、この魔術の発動中は、エリサス=アーティが一方的に暴れ回るだけである。


 長時間は持続しない魔術であり、解除されるまでエリーの近くに張り付いていればいずれは攻撃の機会も訪れるであろう。

 だが、エリーにとってはその方が好都合である。

 ごく近距離で、自分だけが一方的に攻撃できるなら、魔術が切れる前に相手を破壊し尽くせる。


 それが分かっているようで、魔物たちはエリーを放置し始めた。

 相手からすればいつ解除され、いつ発動するか分かりもしない以上、命を懸けて火曜の術者の近くにい続けるものなど存在しない。


「そんなに遅いってわけじゃないわよ……!!」


 離れていく魔物に一気に詰め寄り、エリーは破壊の拳を叩き込んだ。


 サクには及ばないが、近接戦をする以上、エリーも動きは早い。

 攻撃能力が突出しているが、他の能力もバランスが取れている。

 しかし他の長所が無かったエリーは、速度や技術で上回られる強敵や、背後を取られやすい大群相手では身を守るために消極的にならざるを得ず、生命線の攻撃能力すら封殺されがちで、出来ることが一気に無くなっていた。

 だが今、短時間とはいえ、“攻撃のみを考えられる時間”を自分の任意で生み出す魔術をエリーは習得した。

 身を守る必要なく、好きなように暴れていいのであれば、自分の持てるすべての能力を存分に発揮できるのだ。


 ようやく実戦で使い、大群の中暴れ回っているうち、ようやく確信できた。

 隙を突こうが突進だろうが斬撃だろうが、この拠点で暴れる魔物たちが何をしたところで、自分には傷ひとつ付かない。


 やはり実戦で得るものは多い。

 身体中を鎖で縛られたような違和感も徐々に慣れてきたエリーは、背後からの急襲も機敏に察知し、しかし無意味だと無視をした。

 強引に回避する必要が無い。自分が思った通りの敵を、思った通りに殴ればいいのだ。


 エリーにとってこの魔術の最大の難関は、“度胸”である。

 相手の攻撃を防ぎ切る魔術であっても、巨躯の突進や鋭い翼の斬撃などを見れば、どうしても反射的に回避や迎撃を行うことになってしまう。


 身体に染みついた通常の立ち回りや常識。

 防ぎ切れなかったらどうするか。

 そもそも突然魔術が切れたらどうするか。

 “もしも”を考えてしまえば、この魔術の真価を最大限発揮できないのだ。


 だが今は、まったく怖くない。

 とっとと帰って話を聞く必要がある男がいると思えば思うほど、道を塞ぐ障害の排除に集中できる。


 もしかしたら自分は、冷静に、落ち着いている理想の自分とやらではパフォーマンスが発揮できない人間なのかもしれない。

 だからいっそ、思うままに、エリーは暴れ回った。


 必死に、焦って、一方的に殴り飛ばせばいい。


 エリーは焦りを拳に乗せて、道を塞ぐ有象無象を殴りつけた。


「―――ノヴァッ!! ……、……、は?」


 ゴッ!! と殴り飛ばされた巨躯の魔物がボールのように跳ね、拠点の建物の残骸に叩き込まれる。


 他の魔術はまともに組み上げられないが、殴る蹴るの基本動作の威力が上がっているような気はしていた。

 一方的に魔物を追う中生まれた余裕で、試しに下級魔術を放ってみれば、目の前の敵が消し飛んだ。

 流石に呆気に取られ、危なく魔術が解除されかけたエリーの周囲、いよいよ逃げ一択となった魔物たちの咆哮に交じり、魔導士隊たちの緊迫した声が響く。


「ゥッ、エリサス=アーティに近づくな!! 退路確保に徹しろ!!」


 殴り飛ばして吹き飛んだ建物の向こう、混乱に乗じて別ルートを開拓しようとしていたらしい魔導士が、魔物たちと同じように慌てふためいてエリーから距離を取り始めた。

 たまたま魔物を殴り飛ばした先にいた魔導士は、まるでエリーから近づいたら殺すとでも警告されたかのようにエリーが切り開いた退路へ慌てて駆け出す。


 ふと我に返り周囲を見ると、魔物は当然として、人が思っていた以上に多くいた。

 ティアの合流により、死屍累々だった北部の者たちが一斉に息を吹き返したのだろう。

 だが、凶悪な魔物たちも、ヨーテンガース屈指の実力者たちも、そんな多くなった者たちも、エリーから大分離れた距離で事の成り行きを見守るように待機していやがる。


 そして。


「エリーさん!! 待機時は私が引きつける!!」

「私のことは気にしないで。どんどん進もう」


 唯一近くにいる者たちから、ほぼ同時に声が届いた。


 イエローの閃光が美しく魔物に走る。


 エリーの魔術の張り直しのタイミングに注意して接近離脱を繰り返し、魔物を圧倒的な速度で斬り割くミツルギ=サクラ。

 そして新たに現れたのは、魔物や魔導士隊ですら距離を取ったエリーのごく近くに現れ、近づく魔物を狂い無く斬り割く『武の剣帝』カタリナ=クーオンだった。


 無理をしているのか回復したのか知らないが、カタリナは優雅に刀を操り、エリーが前進に集中できるように邪魔な敵を迅速に排除してみせる。

 その氷のような瞳は冷徹に戦闘をこなしているようにしか見えないが、当てにはならない。

 彼女もまた、余計なことを考えていた方がパフォーマンスを出す人物であるのかもしれない。

 今も考えていることはもしかしたらと思い至り、エリーにまた大群の魔物に囲まれる以上の焦りが登ってくる。


 向かう先には、まだ戦況が分かっていない魔物が多い。

 無秩序に暴れる魔物たちは無駄だと知らず、先頭を進むエリーへ向かって突撃し、殴り飛ばされるか斬り飛ばされる。


 エリーの行動を近くでフォローできる者が増え、前へ進む速度が目に見えて上がった。

 エリーは今まで通り、思うままに殴り蹴り、突撃していけばいい。


 距離の近いふたりを最初は気にしようとしたが、不要であろう。

 エリーの動きをもってして、集中して狙って捉えられるかどうかのふたりだ。魔物を狙って攻撃している拳などかすりもしない。


「っ、……ずる……」


 エリーを中心として舞うように魔物を討伐するふたりは、運動量は自分と同じくらいなのに暴れ回っているという印象は無く、ただひたすらに美しい。


 ティアの出現を皮切りに活路の見えた北部の状況は一変した。

 エリーが先陣を切り、その突撃に合わせられるサクとカタリナが、難攻不落の拠点の魔物たちを一掃する。


 ただ、また余計なことが気になり始めた。

 魔導士隊や旅の魔術師たちも流石の適応力で、3人が切り開いた道をあっという間に安全地帯に作り替えながらこちらの様子を窺っている。

 彼女たちに向く羨望の視線に比べ、自分に向けられる視線は畏怖の感情が混ざっている気がするのだ。


 そして、もっとずるいことが起こった。


「!」


 最初に察知したのはカタリナだった。

 彼女の鋭い戦場の把握能力が、眼前の分厚い壁のように思える魔物の群れの“流れ”が変わったことを即座に捉える。


 構わず突撃したエリーだったが、そこで、上空を舞っていたデオグラフたちが、殺虫剤でも浴びせられた虫のようにバタバタと落ちてきたのだ。


「! イオリさんだ!!」


 空を足場にしていたサクが叫ぶ。

 それと同時、戦況を察して逃げ惑い、暴れ狂った陸路のファリオベラも全身が痺れたように倒れ込む。


 その向こう、狂暴な魔物を凌駕する巨獣に乗ったホンジョウ=イオリが現れた。

 倒れ込む魔物たちは、皆グレーの雷のような魔力に纏わりつかれ、行動不能となっている。


「エリサス!! よかった、見つけた!!」


 泥をどっぷりと被り、ボロボロの姿になっているエリーの前に、魔導士隊の制服が多少濡れている程度のイオリが降り立つ。

 こちらの風貌に顔色ひとつ変えずに詰め寄ってきたが、それがより一層惨めさを際立たせた。


「サクラ、状況は?」

「北部から南部に合流しようとしているところだ。魔導士隊が退路を確保しながらだが。そちらはどうなんだ?」

「同じようなものさ。北部との合流を狙って拠点の魔物の討伐を本格的に開始した。一番動けそうなのが僕だったからね、指示はアラスールに任せてラッキーで突撃してみたよ」


 息を弾ませながらもしっかりと応答するサクに、エリーは悲しくなってくる。


 イオリは拠点の南部、つまりはエリーたちの反対側からこの拠点の哨戒をしてきたらしい。

 クールに微笑み、野蛮な言葉で、しかし知的さからユーモアのようにも聞こえ、それでも着実な戦果を挙げたらしいイオリは、理想の自分そのものだった。


 息を弾ませながらもしっかりと応答するサクに対しても、エリーは嫉妬のような感情が浮かぶ。

 手あたり次第に魔物を殴り続けた疲弊と魔術の反動で呼吸が荒く、声すらすぐに出せない。


「アラスール=デミオンからの指示だ!! 防御態勢!!南部からの増員あり!! 安定行動で拠点哨戒を継続だ!!」


 声を張り上げたイオリに応じ、魔導士のひとりが駆けて行った。

 明確に南部との連絡が取れたのは大きいだろう。

 先ほどエリーが魔物を殴り飛ばした先にいた魔導士の足は軽く見えた。

 自分に近づくなと叫んだことは、ちょっと許していないが。


「イオリさん、魔力の原石が紛失したと聞いたが、」

「そのことならアラスール頼りだ。目途は立ったとか。彼女がどうやって探し当てるつもりなのか分からないが、気にしている余裕が無い」


 イオリは冷たくまくし立てた。

 そういえば、先程避難所で、魔力の原石が紛失したと誰かが言っていたような気がする。

 改めて考えれば大問題だ。現在のじり貧状態だけでなく、仮にこの難局を乗り切っても、生きて『名前のない荒野』を出ることはできないかもしれない。

 ただ、あのアラスールが見つけると言ったなら見つけ出せるのだろう。

 思考停止に近いが、エリーが考えても分からないようなことを、あのアラスールは遂行できるのだ。

 イオリもそう思っているだろう。


 ゆえに、イオリの焦りは、そのことでは無いのだと思った。


「それより大問題が発生している。一刻も早くこの異常をすべて消さなければならなくなった」


 彼女のいた南部で何が起こっているのか。

 同時多発した異常事態の中、焦るイオリから荒唐無稽な言葉が飛び出てくる。

 彼女は召喚獣で空を飛び、最も多く情報を得ているイオリがそう言うとなると、想像以上に旗色が悪いのかもしれない。


「この場は魔導士隊に任せよう。今すぐ僕と魔門へ向かってくれ」


 ゆえに、そのすべての異常を消し去る手を打つために、拠点を強行してここまで来てくれたらしい。

 北部にずっといたエリーには状況は分かっていない。

 あらゆる可能性を考慮して計画的に行動するイオリに大変失礼だが、そのときエリーは短絡的に、待ちわびた瞬間が目の前に在ることだけに飛びつきたくなった。


「お願いするのはあたしです。魔門だろうが『明日の影』だろうが、“壊せばいいんですよね”……!!」


 イオリは短く息を吐き、手早く召喚獣の背に飛び乗った。

 自らも切り開いた拠点の魔物の群れなど、最早眼中に無いように金色の空を睨む。

 上空は、豪雨の中方々の異常と拠点の騒ぎに逃げた飛行種のデオグラフが飛び交い、また鬱陶しい壁のように見える。


 だが、関係ない。


「待った! 私も連れて行ってくれ!!」


 エリーが飛び乗ろうとしたところで、サクが声を張った。

 声には焦りのようなものを感じる。

 この依頼に駆ける彼女の意気込みのようなものはエリーも感じていたが、しかし振り返ると、彼女はまっすぐに、空の“障害”を見据えていた。


「エリーさんが魔門に集中できるようにしてみせる。……頼めないか」


 声からも、表情からも、依然として意地のようなものが見え隠れする。

 彼女らしからぬ感情を抱いているような気もした。

 しかし、言っていることは、やろうとしていることは、正しい。


 エリーも自分の気が大きくなっていたのを改めて自覚した。

 今から自分たちはデオグラフの群れを超え、『明日の影』を超え、魔門を目指すことになる。

 エリーとイオリのふたりだけでは、仮に突破できたとしても大きな消耗は免れない。


 祈るような視線を送るサクに、しかしイオリはぽかんとした表情を浮かべた。


「いや、もちろんサクラも来てもらうよ。魔門まで到達するだけでも大仕事なんだから」


 現実が見えてなかったのは自分だけのような気がしてまた恥をかいた。


 当然計算に含んでいたらしいイオリに、サクは目を見開き、強く頷いた。

 サクが意地を張っているのは感じるが、それと相反し、隣にいるだけで冷静さや高い集中力を感じ、言ったことを遂行するだろうと感じ取れる。

 こういうところが、他者の目にどう映るかが変わる部分なのかもしれない。

 やはりずるい。


「ま、待って! サッキュンがやるなら私も行く! 他の魔物を近づかせなければいいんでしょう!?」


 そして恐らく意地だけで行動しようとする者が、サクが召喚獣に飛び乗るとほとんど同時に、機敏についてきた。

 強い焦りと、サクに負けるわけにはいかないという恐ろしく個人的な理由のように思えるが、華麗な身のこなしからはまるで感じ取れない。

 カタリナはサクをじっと睨み、サクはその視線を誘導するようにエリーに視線を送ってくる。


「……はあ。まあ、みんな好きにやってくれ」


 イオリがため息交じりに空を睨む。


 多くの犠牲者を生み、あらゆる災厄が集まったこの局面。

 魔導士隊の方々も旅の魔術師や民間人たちもそれぞれの戦いを必死にしている中、恐らくこの召喚獣の上、冷静に、あらゆる状況を考慮して頭を働かせ、まっとうなスタンスでいるのはイオリだけであろう。

 エリーは本当に申し訳なくなる。


 自分もまた、ただ早く帰られなければならないという焦燥に駆られているだけなのだ。


「サクラは左方、カタリナは右方のデオグラフを牽制! 前方は僕が担当する! エリサスは待機! 総員、常に急な進路変更に備えてくれ!!」


 イオリは叫び、召喚獣の翼をはためかせる。

 本人も実力者でありながら、どのような窮地でも状況把握を即座に行い、多種多様な者に囲まれながらも、適切な指示を出すイオリの姿は輝いて見える。

 こういう人が、誰からも眩しく見える素敵な人物である。


「……む。……あ、あたし……、……ふう」


 “つい口に出そうになった言葉”を、強引に押し込んだ。聞こえたら、また彼女の意識を散漫させてしまうかもしれない。

 飛び立った召喚獣の上、エリーは変わりに大きく息を吐いた。


 多くの犠牲を出した『名前のない荒野』の依頼の大詰め。

 魔族や絵本の怪物が暴れ回る異次元の戦場を発生させ、それを天空から見下ろす魔門を―――破壊する。


 地上では好き勝手暴れたが、魔門相手は流石に気が張り詰められる。

 エリーは天空だけを睨みつけた。


「……?」


 だがそこで、視界の隅で、カタリナが首を傾げた。

 彼女も戦場で気が散るタイプのようだが、思い直したようで小さく首を振り、イオリに言われた通り左方の魔物の警戒を開始する。


 また良くないことだと思いながらも、彼女の広い視野が何を捉えたのかと周囲を窺うと、妙なものがかすかに見えた。

 拠点から南、豪雨と魔物の群れで塗り潰される銀の世界の向こうに、幻影としか思えない、巨大な“何か”があった。


「? ……塔?」


―――***―――


「-――ォッ―――」

「あら、汚い悲鳴」


 一瞬、意識が飛んだ。


「づっ―――!!」


 腹部に突き刺さった拳を頼りに殴り返すも、僅かに掠める程度に終わる。

 衝撃に視界に火花が散り、眼球が破裂したように真っ白な視界の中、滅茶苦茶に蹴りを放つと、何かに直撃する。

 反射的に腕を伸ばしてその何かを掴むと、拳で吹き飛ばされるような衝撃で腕を跳ね上げられた。

 ならばと跳びかかろうとし、しかし本能的に、身を屈めて身体を守る。


「―――っ、痛いわね!!」


 どこかから怒鳴られ、辛うじて顔の前に上げられた腕ごと殴り飛ばされる。

 上も下も分からないまま地面にぐちょりと落ちると、力尽くで地面を殴って身体を起こした。

 殴られた腕の感覚はまるで無い。


 かすかに戻ってきた視界の先、だがそれでも、ぼんやりと見える赤い瞳の存在を精一杯睨みつける。


「ぐ―――、こっちの台詞よ……!!」


 殴り合いに蹴り合い、掴み合い。

 エレナ=ファンツェルンは原始的な殺し合いの中にいた。


 食いしばっているつもりの口から、べちゃりと何かが滴り落ちる。

 泥なのか唾液なのか血液なのか分からない何かを吐き捨てると、対する存在は顔をしかめた。

 その嫌そうな顔は自分の有様を映す鏡のように見え、エレナは一刻も早く叩き割りに突撃する。


 対する魔族、いや魔物、いや、やはり魔族でいいのだろうか。

 もうよく分からない。


 『最古の蛇』との殺し合いは巨大な山場に到達していた。


 撃破しても“脱皮”し、過去殺害したすべての存在を現出させる『最古の蛇』。

 現在の姿は、エレナに近い体躯の、女型と思われる、能面のように表情を乱さない、緑の魔族だった。


「いいえ。“私が話しているのよ”」


 ぼやけ、霞んだ視界の先、緑の魔族は赤い眼光の軌跡を残し、エレナの突撃に対して真っ向から襲い掛かってきた。

 数多の敵を滅殺してきた拳を振るうと、緑の魔族は直前で身体を翻し、視界から消える。

 直後、脇腹に爆撃でも受けたような衝撃が叩き込まれ、気づけば頭からぬかるむ大地に突っ伏していた。

 何も分からぬまま泥を跳ね上げ転げ回ると、ゴッ!! と、目の前の地面に緑の魔族の拳がさく裂した。


「グ―――ガッ―――ッア!!」


 遅れて訪れた激痛を無視し、エレナは獣のような雄たけびを上げ、目の前の何かに向けて蹴りを放つ。

 しかし、大気が爆ぜるような音を残して空振り、エレナはそのまま背中から地面に倒れた。

 滅茶苦茶に暴れて離脱し、辛うじて立ち上がると、暴れ回っていたエレナから離れ、つまらない動物芸に付き合わされているような様子の緑の魔族が静かに立っていた。


「あら。続けていいのよ。泥浴びがご趣味なんでしょう?」

「―――ぶっ、美容にいいらしいわ。やり方分からないなら教えてあげる」


 何度目か分からない何かを口から吐き出し、エレナは緑の魔族を睨みつけた。

 必死の形相のエレナに対し、緑の魔族能面のような表情は崩れない。


 この魔族はエレナ同様、身体能力を司る木曜属性だ。


 5属性の中で最も希少な木曜属性。

 宿す人間は自分の数倍もある魔物にすらその身ひとつで対抗できる身体能力を有すると言われる。

 同じ木曜属性のエレナの理解からしても、魔力によるものと木曜属性の魔術による身体能力強化は比較にもならない。加算と乗算のような差の感覚がある。


 拳ひとつで大砲のような威力を放ち、耐久力は鋼鉄の鎧を身に纏っているかのように屈強で、その上で動きは軌跡が残るほど機敏である。

 身体能力の延長線上にあり、しかし夢物語でしかないその力は、純粋に己の生物としての限界を超越するのだ。


 そんな凶悪な木曜属性の力を、人間とは魔力も身体の造りも歴然とした差のある魔族が操ればどうなるか。

 “ただそれだけの”組み合わせの凶悪さは、まさしく“最古”より証明されている。


 この緑の魔族もまた、何も特殊なことはしていない。

 敵に近づき、敵を殴り、攻撃されても耐えて動じず、状況に応じて離脱する。


 “それが出来れば特殊なことは何も要らない”。


「一応お礼を、言いましょうか」


 緑の魔族は、能面のような表情のまま、エレナを赤い目で捉えていた。

 どこから流れているか知らない血と泥が混ざり合ったエレナを汚物のように眺めながら、緑の魔族は自らの両手を胸に前で握り締めた。


「あなた。随分頑丈ね。私の前でそれだけ長く生きている方、なかなかいないわ。調子いいような気がしたのは勘違いかと思ったけど、あなたが丈夫なだけなのね」


 細切れになりつつある意識の中、『最古の蛇』が妙なことを言っていたような覚えがあった。

 この緑の魔族は、何かがどうたら、確か、強くなっているとかなんとか。


 緑の魔族の挙動に集中し続けるエレナの記憶は混濁していた。


 その一方で、この緑の魔族が現出する前、どれほどだったか覚えていないが、エレナは『最古の蛇』の“犠牲者“たちと戦闘し続けていた。

 有象無象の集まりとはいえ、自分では気づかなかったが、一応消耗はしていたのだろう。


 だが、恐らく。

 それを差し引かなくとも。


 この魔族は、エレナ=ファンツェルンよりも強い。


 それどころかこの戦闘力であれば魔族を含め、障害など存在しなかったであろう。

 自分を曲げる必要が無く、傲岸で、不遜で、穢れ無き自負を持つ。


「私は礼儀を知っているの。だからお礼を言わせてちょうだい。まず、『最古の蛇』に被害に遭ったことを教えてくれたこと。気持ち悪いけど、あなたがいなければ気付けすらしなかった可能性があるわ。ああ、あと、どれくらいだったか知らないけれど、私のところまで“脱皮”させてくれたこと」


 似た系統の相手だ。

 エレナは緑の魔族の言葉が、強がりながらも、エレナに向けた心からの感謝だと感じる。


「そして頑丈なあなた自身のこと」


 特殊なことは何も要らない。

 嘘を吐く必要も無い。

 あくまで主役は自分なのだ。


「私の、“いいチュートリアルだわ”」


 緑の魔族が突撃してきた。

 考えていることもシンプルだろう。

 自分の癇に障った相手を殴り飛ばしたいという衝動に素直に従い、緑の魔族は拳を振るう。


「もっと耐えなさい、サンドバッグさん!!」

「ギッ―――」


 エレナの喉から短い悲鳴が上がった。

 守った腕ごと喉にめり込み、視界が一瞬で暗くなる。


「―――だっ!!」

「っづ」


 ほぼ直感。目で追えない緑の魔族の身体を腕の位置から感じ取って拳を見舞う。

 捉えた何かは殴り飛ばされ、離脱を感じる。


 追え。


 本能の叫びに従って、嗅ぎ取った気配にエレナは突撃した。


 こちらもやることは至ってシンプルだ。

 敵に突撃し、殴り飛ばすか蹴り飛ばす。

 攻撃されたら急所を第一に守り、倒れ込んだら即座に立つ。


 木曜属性の最善は、この身体だけで出来る行動を、常に取り続けるだけである。


「―――ぃぎっ!?」


 拳を放てば空を切る。それと同時、後頭部だけを守った腕を無視され背中を強打された。

 そのまま正面から地面に叩き込まれたエレナは、急所を守りながら跳ね飛ぶように地面を蹴る。

 その刹那、今度は腹部を蹴り上げられた。


「よく生きているものね。壊すのが惜しくなるこの玩具、洗濯してからまた使おうかしら。汚れちゃったし」


 意識が戻ったのはそんな声が聞こえたときだった。

 立つことだけはし続けていたつもりのエレナは、自分が地面に顔をめり込ませていたことに気づく。

 身体中の感覚が激痛一色に染まり、身じろぎひとつで意識が刈り取られるように全身が痙攣する。

 強引に命令を身体に飛ばして跳ね上がったつもりのエレナは、泥の中蠢き、もぞりと立ち上がることしかできなかった。


「カ―――ハ―――、ハ―――ら―――……ぬ」


 自分の目が開けているのかすら分からない。

 口は開いたまま閉められなかった。


 度重なる衝撃に真っ白に近い景色の向こう、辛うじて赤い瞳だけがぼんやりと見える。

 虚ろに視線を這わすエレナと違い、その眼光は微動だにしなかった。


 多少の消耗はしているはずだ。

 幾度かは攻撃できている。

 しかし、こちらの攻撃が1度当たるか当たらないかの間に、緑の魔族は数発以上叩き込んでくる。


 純粋な身体での戦闘なだけに、明確に優劣が付く。

 消耗すればするほど差は広がり、取り返しは付かない。


「―――、―――、死―――、ぬ―――」

「…………。そろそろ、止めておきましょうか」


 ようやくピントが合ってきた緑の魔族は、憐れんだような視線を向けてきていた。


 自分は今、どういう状態なのだろう。


 自分が今まで敵にしてきたように、ほとんど一方的に殴られ蹴られ、地べたを這い、憐れまれている。

 骨も内臓も何かしら、あるいはすべて破損しているかもしれない。

 顔も身体中も腫れ上がり、意識は細切れの虫の息だ。


「ねえ、相談があるのだけど。逃げてくれないかしら? あなたを殺してしまったらどうなるか分からない。『最古の蛇』の条件を知らないの。私の上に被られることになるのは困りものなのよ」


 あくまで自分本位でものを考える緑の魔族は、すでにエレナの扱いについて考え始めていた。


 殺した相手を被る『最古の蛇』。

 もしエレナを殺せば、“頑丈な玩具”が自分の上に被られることになる。

 緑の魔族が気にしているのはそれだけだった。


 傲岸不遜。自らが敗れることなど考えていない。いや、考える必要が無い。

 しかし緑の魔族は一定の距離を取り、口では何を言っていても息も絶え絶えなエレナを冷静に観察している。


 その身ひとつで突き進むがゆえ、警戒心の強い木曜属性。

 エレナ=ファンツェルンという存在、あるいはあらゆる外敵を明確に凌駕していると確信していながらも、微塵にも油断は感じられなかった。


 この緑の魔族は、『最古の蛇』の被害に遭わなければその名を轟かせていたであろう怪物だ。

 逆らう者を圧倒し続け、しかし微塵にも油断せず、数多の障害を切り開いてきた―――歴戦の魔族。


「い―――いい、の……? ま、だ―――わんわん、泣いてないけど、あなた、みたい、に」

「っ!!」

「ひぎっ―――」


 返答は急接近からの蹴り上げだった。

 反射的に離脱しようとしたエレナは股間を捉えられ、脳まで雷が走ったような衝撃に意識が飛ぶ。


「―――っい、ガッ、ああああああッッッ―――っ、っ、っ!!」


 べちゃりと泥に頭から落ちたエレナは、身体の芯を捉える攻撃に、全身から脂汗が噴き出し、身を守ることも忘れて泥の地面にのたうち回った。


「いたぶる趣味はあまりないのだけど、あなたは別ね。命乞いをどうしても聞きたくなってしまったわ。死にそうになったら、許してくださいと言いなさい」


 偶然か故意か、泥の上を転がり回るエレナの真横に拳が叩き落される。

 死に物狂いで距離を取ろうと両手両足で地面を蹴ったエレナの目の前に、能面のような貌があった。


「―――き―――ひっ―――」

「いいじゃない。ちゃんと恐怖も刻まれるのね」

「――――、ぶへっ―――」


 反射的に下半身への攻撃を恐れて守ったエレナの太ももに横から蹴りを叩き込まれた。

 激痛に意識が飛びかけるも今度は二の腕を薙ぎ払われた激痛で覚醒させられる。

 直感と反射で急所を守り続けるエレナを弄ぶように、守りをすり抜け至る所に拳や蹴りを見舞われた。

 目前で大砲でも放たれ続けているような強打の連鎖に、エレナは拳を強引に突き出す。

 僅かに掠め、即座に距離を取られたのが分かった。

 どれだけ優勢でも油断はしない。いよいよ捉えることすら困難となってきた。


「これでも死なないのね。ここまでとなるともしかしたら耐久力は私以上かもしれないわ。誇っていいわよ。……最悪の相手。『最古の蛇』さん。聞こえるかしら? この女を被らないで欲しいのだけど。私の番が回ってこなくなるわ」

「お……ぇ、ぅ、ロ、……ギ、ぃ」

「汚いし」


 耳鳴りががなり立て、周囲の音は遠く、口からは何かが零れ続け、何も考えられない。

 激痛しか届けない身体中は平衡感覚を失いつつあり、いよいよ自分が立っているのか泥に沈んでいるのかすら分からなくなる。


 倒しに倒した『最古の蛇』の犠牲者たちの先、現れたこの緑の魔族。

 “しかもこれが終点ではない”。

 『最古の蛇』にとって、この緑の魔族ですら被った皮の“ひとつ”でしかないのだ。


「っ……、ぐ、ぅ……、っ、……ら……、死……ぬ」


 今なら文字通り、骨身に染みて分かる。

 『最古の蛇』は刺激していい相手ではなかった。


 撃破は不可能。

 『最古の蛇』は、太古より思うまま誰かを被り続ける、被害に遭うのは事故でしかない―――“そういうもの”でしかないのだ。


「ッ―――ガッ!!」


 恐らく合っているであろう方向に、エレナは駆け出したつもりでいた。


 どうやら方向も足の踏み出し方も合っていたようで、おぼろげに見えた赤い瞳に可能な限りの殺気を注ぎ込んで意識を保ち続ける。


「あら。泥人形が動いたわ。もう面倒ね。やりたくないけど……、四肢を千切っても死なないでね」


 どこかから殴り飛ばされる。

 ほとんど見えない黒い視界は、衝撃が走るたびに白く弾ける。

 緑の魔族は何かを言っていたが、戦い方は全く変わっていなかった。

 エレナの攻撃をかわし、受け止め、拳と蹴りを見舞ってくる。


 これだけ敵を圧倒しても、口で何を言っていても、緑の魔族は最も適した行動しか取らない。


 エレナも勿論そうしている。

 魔術の習得もしているが、同格や格上の相手となれば自分が最も得意な行動を取り続けるべきなのだ。


 エレナ=ファンツェルンの戦闘は、膨大な魔力を迸しらせ、凶器と化した身体で敵を蹂躙するのが最善である。


 それゆえに、この結果を呼ぶ。

 自分の力を上回る同系統の敵は、純粋な自分の上位互換となり、“蹂躙される”。


「ぢっ!!」


 目の前の何かを悪寒ごと殴り飛ばす。

 捉えはしたが、急所は守られた感触があった。

 追撃を試みるも、身体が付いてこず、離脱されたらしい。


「……、ブ、……ふー、ヴ、アー、あー、……」


 気づくと膝が崩れて地べたに手を突いていた。

 いよいよ気力の方も怪しい。相手が離れたと感じると気が抜けるのか、途端に身体から力が抜ける。

 呼吸は浅く、途切れ途切れで、身体中が痙攣して力が入らない。


 緑の魔族は反撃を警戒して離脱した先で、微塵にも油断せずに立っているのだろう。


 “ついにこの日が来てしまったのかもしれない”。

 度重なる殴打と激痛に、エレナは明確に、自分の限界を感じていた。


 エレナの千切れ飛んだ意識の欠片が、黒く染まり尽くす。


 自分という存在は、誰もが羨むほど美しく、自由奔放に生きる力を持つ。

 自他共にそれを認め、人を魅了し、利用し、好き勝手生き続けてきた。


 自分を一片でも知る者は、高嶺の花と認識しているであろう。

 一方的に嬲られ、泥に塗れ、這いつくばるような無様さとは無縁の存在のはずだ。


 だが、木曜属性の性か、エレナ自身は、それが自分のすべては無いことを知っていた。

 上には必ず上がいる。

 これだけ強力な緑の魔族ですら『最古の蛇』に敗れたように、必ずどこかに壁はあるのだ。


 死んでも嫌だが、恐怖し、泣き喚き、命乞いをし、顔を地面にこすりつけて相手に媚びる自分も、もしかしたら未来のどこかにいるかもしれないと、心のどこかで思っていた。


 だが、その壁を恐れ、自分を抑えることをしないだけだ。

 壁にぶつかったときに自分がどうなってしまうか分からないまま、思うまま生きてきたのがエレナ=ファンツェルンという人間である。


 そして今、目の前に、明確な壁が現れた。それだけなのだ。

 ゆえに、おぼろげな意識と視界の中、自分が今まで敵にしてきたように蹂躙される窮地に、流れ出る血液が凍り付くほどの焦燥と、沸騰するほどの屈辱を感じながら、しかし、驚愕の感情は無かった。


 今こちらの様子を窺っているかは知らないが、『最古の蛇』にとっても、これは特別なことでは無いであろう。

 緑の魔族という存在に自信があったわけではない。太古より犠牲者を生み出し続けてきた『最古の蛇』は、エレナも、緑の魔族も、そのうちのひとつでしかないのだ。

 同じような実力、同じような性格の者など、履いて捨てるほどいたかもしれない。

 どれほどエレナが痛めつけられようが、逆に緑の魔族が蹂躙されていようが、悠久の中の一幕でしかないのだ。

 こちらの様子を窺っていたとしても、目の前の光景を、ただの演劇のようにしか感じていないであろう。


 ゆえに。


「あなた」


 この事態に目を見開いているのは―――“緑の魔族だけだった”。


「……強くなってない?」


 緑の魔族は、先ほどエレナの拳を防いだ腕を、庇いながら振るわせていた。


「―――ゥー、……ァー? ……」


 声がした方に、エレナは駆け出した。

 身体が正常に動いているかは分からない。

 だが、魔力を身体中に迸らせ、いつも通り、その身ひとつで突撃する。


「―――ぎっ、」


 状況把握も出来ないまま蹴りを見舞われた。

 今まで通りの身体中がばらばらになるほどの衝撃に、エレナから悲鳴とも嗚咽ともつかない奇声が漏れる。

 滅茶苦茶に、蹴り返した。


「ぐっ!!」


 案の定防がれ、2度3度と殴られる。

 守った腕か足が千切れるほどの衝撃に、エレナは突き飛ばされた先の泥に突っ込んだ。


「―――ガッアッ!!」


 本能。

 身体中を暴れさせて跳ね起きた。

 直後、迷わず命を取りに来た緑の魔族の拳が、エレナで象られた地面に叩き込まれる。


 強引に身体を立たせると、眼前に、自分と同じような構えを取る敵がいた。


「っ―――」

「ァァァアアアアアアアーーーッッッ!!!!」


 ―――ドドドッ!! と、至近距離での殴り合いが勃発した。


 肉弾戦では響き得ない大気が爆ぜる轟音が、エレナと緑の魔族の身体から大地を震撼させ続ける。

 エレナには最早意識と呼べるものは存在しなかった。

 反射的に殴り、滅茶苦茶に殴られ、強引に蹴りを見舞う。

 拳同士がかち合い、双方粉々に砕けたような拳を、しかし双方が即座に突き出す。


 それぞれが魔物はおろか魔族ですら致命となり得る砲撃の応酬を、エレナと緑の魔族はその身ひとつで繰り広げる。


 双方が下手な離脱は死を意味すると感じ取っていた。

 似たような戦闘方法の両者の攻撃は噛み合い、奇跡的に防御も成立させている中、生きているのは運でしかない。離脱するような隙を見せれば即座に終わる。

 エレナの行動がかみ合ったのか、あるいは緑の魔族の自負がそうさせたのか、攻撃以外の行動が許されない極限の近接戦が勃発した。


「ぶ―――、ベッ―――、ギッッ」

「―――、キ―――、ッ、ッ、グ、ガッ―――」


 爆撃のような殴打の音に紛れ、どれが誰の者かも分からぬ奇声が漏れる。


 ほとんど何も分からない殴り合いの中、エレナは今度こそ意識だけは手放さないように気を張り続けた。


 自分の力は増しているらしい。

 力というより、魔力であろう。

 今も身体を強引に“強化”して動かしている。

 死にかけの身体だが、“強化幅”を上げることができているということなのだろう。


 戦闘というものは、基本的に右肩下がりだ。

 互いに消耗していくのだから、当然盛り上がりなど存在しない。

 クライマックスで互いが最大の力を発揮して戦いが終結するなどという展開は、絵本の世界の出来事である。


 しかし今、エレナ=ファンツェルンに起こっているのは、“それ”だった。


「―――っ、ダあァっ!!」


 勢いを増した拳で拳を打ち落とす。

 相殺と言えば聞こえはいいが、自爆でしかない攻撃は、しかし打ち勝ち、緑の魔族の能面のような表情が激痛に歪む。


 “この身体は死に直面すれば魔力が高まる”。


 魔物など物の数にも入らず、魔族ですら圧倒できるほどの戦闘力を有し、凡人から見れば完成し切っているエレナ=ファンツェルンという存在。


 だが。

 最も優れている能力は―――“成長率”である。


「ぐっ、ふ―――」

「―――ぎひっ!?」


 殺害の応酬をすり抜けた緑の魔族の蹴りが腹部に突き刺さる。

 あばら骨はとっくに砕け、内臓をズタズタに斬り割いているかもしれない。


 それでも暴れ続ける“異常”なエレナに対し、緑の魔族は一刻も早く息の根を止めるべきだと判断していた。

 狂気の沙汰としか思えない、離脱も許されぬ近距離戦を、“取るべきリスク”と即座に見抜き、合理的に遂行する。


 事実そうだ。

 エレナは自分の死の匂いを強く感じていた。


 いかに魔力を上げようとも、肉体にも精神にも限界は存在するのだ。

 もちろんだが、殺されれば死ぬ。


 すでに四肢は壊死したように感覚は無く、骨は至る所が砕けるかひび割れ、内臓は滅茶苦茶、窒息するほど呼吸もおぼつかない。

 幸いにも狂った頭が戦闘を続けさせているが、最早人の形をした物体でしかなかった。

 意識があるのが奇跡でしかない物体のエレナの脳も身体も、ほんの一瞬でも息を吐ける間を要求してくる。

 動き続けなければ、殺し合い続けなければならぬ極限の近接戦に、エレナの命は明確に削り切られかけていた。


 緑の魔族は、言動から自尊心を感じさせ、その身ひとつで自由に襲い掛かり、しかし恐ろしく合理的な行動を取る。

 保守的なだけでなく、明確に“得”をする行動を取り続けるのだ―――たとえ命を懸けることでも“価値”があるなら躊躇しない。


 襲い襲われする目の前の存在が、改めて、鏡のように見えてきた。

 そして即座に殴り割らんと拳を見舞う。


 全然似ていない。

 自分の方が、もっと慎み深く、他者への労わりがあり、慈しみに富んだ存在だ。


「っはぁ!! ―――、」


 振るった拳は久方ぶりに空を切った。

 連続する衝撃と蔓延する死の匂いから僅かに覚醒したエレナの意識は、緑の魔族の回避行動を認識する。


 その瞬間、打ち勝ったとは思わなかった。

 緑の魔族の離脱は、攻撃しか許されない空間のはずだったのに、回避できるほど、自分の動きに隙が生まれた証なのだ。

 強化幅が上がろうが、元となる身体の損傷がいよいよ間に合わなくなってきている。


「ブ―――」


 拳を払うように見舞われ胸部を打たれる。

 エレナが読めなかった隙の生まれやすい緑の魔族の行動は、作為的な変化を生んだ。

 密着するように殴り合っていた両者が僅か離れ、突如衝撃が消えたことで備えていたエレナの身体が前方に倒れる。


「―――っ!」

「ハ―――」


 向かえるように殴られると思い、慌てて身を守ったエレナの耳に、短い嘲笑が聞こえた。

 エレナ同様、泥と殴打の跡で凄惨な有様の緑の魔族は、それでも高慢に、怯えたように見える姿が滑稽だとでも言うように笑い、背後に離脱する。


「―――、」


 罠。

 そう感じても、エレナは反射的に緑の魔族を跳びかかるように追った。


 追うことだけしか考えていない行動は隙だらけで、格好の迎撃の的となる。

 だが、今度はこちらが離れられるわけにはいかない。


 まともに働かない自分の頭と違い、緑の魔族は冷静に戦況を見通せる。

 いかに魔力が高まろうが、今の殺し合いでその上昇幅やこちらの動きを見切られたであろう。

 回避方法や攻撃の対処。緑の魔族の力の領域では、力を増すだけの相手など、見切ってしまえば好き放題に処理できる。

 身体が限界を迎え始めていることも当然見透かされたであろう。

 合理的に命を懸け、その利として多大な情報を持ったまま離脱する緑の魔族に、思考する時間を僅かにでも与えれば、一方的に殴り殺される。


 頭はまともに働かない。

 身体に染みついた取るべき行動に従い、エレナは命懸けの特攻を試みる。


「―――っ、ハアッ!!」


 突撃したエレナに対し、緑の魔族は即座に地を蹴って止まり、迎撃を選択した。

 唸る拳が自己の速度と相まって、光のように眼前に迫る。


 緑の魔族はどちらの道も読んでいたのだろう。

 隙だらけで追ってくるか、間を取られて一方的に嬲られるか。


 エレナに、“死に方を選ばせた”に過ぎない。


 身体能力にあかせた強引な戦闘。

 木曜属性の戦闘はそう揶揄されるが、術者自身の印象はまるで違う。

 希少な上に、その力も5属性の頂点に立つ木曜属性は、他の属性を“ただそれだけで蹂躙できる”ゆえに、そうした面しか知られないだけである。

 危機管理能力に優れる傾向にあり、むしろ強引な行動は忌避している方なのだ。他者からはリスクがあると思われる強引な行動が、リスクではないだけである。


 今、緑の魔族は、エレナと至近距離で骨肉を削る殴り合いを繰り広げるという、“安全策”を取ったのだ。

 結果、受ければ防御膜や魔術による強化を優に上回り、エレナの頭など容易く吹き飛ばす豪拳が眼前に迫っていた。


「っ、―――っ、」


 エレナが最も頼りにする自分の直感は、離脱の命を下した。


 ゆえにエレナは、安堵する。

 滅茶苦茶に殴られて、自分の頭が狂っていて、良かったと。


「ブ―――」

「!?」


 “今生き伸びても意味は無い”。

 エレナは拳を受けるでもなく、離脱するわけでもなく、そのまま“突撃した”。


 緑の魔族の必殺の拳は、エレナの頬を掠める。

 その勢いに頬が刃物で切られたように鋭く割けた。


 狙ったわけではない。

 合理性からかけ離れた、ただの運任せだ。

 緑の魔族も分かっただろう。木曜属性であれば感覚的にあり得ない選択肢を眼前で取られ、僅かに拳が乱れ、エレナも突撃を優先しつつ回避とも言えない身じろぎをして、それがたまたま噛み合っただけである。

 それも狙ったわけではない。“勝つにはここで詰め寄るしかなかっただけだ”。


「―――ハ―――」


 懐に張り込んだエレナは、死に物狂いで伸ばした腕で緑の魔族の首を正面から掴む。

 急所を捉えた。

 どれだけ優勢でも、肉弾戦はこういうことがあるから、木曜属性は警戒を怠れないのだ。


「―――、」


 首まで掴まれたというのに、緑の魔族は、驚愕しているわけでも、状況を理解できないわけでもなく、変わらず能面のような表情を浮かべていた。

 もしかしたらこの魔族も、“ついにこの日が来てしまった”と思っているだけなのかもしれない。


 自分と全然似ていないこの魔族の顔を見るのもこれが最後であろう。

 エレナはあくまで自分に正直に、力いっぱい笑ってやった。


「さよ―――う―――なら。私より―――“強かった”魔族、さん」

「―――フ、」


 言葉になったかは分からない。思っただけかもしれない。


 跳びかかった勢いのまま、エレナは首を掴みながら全力で地面に緑の魔族の頭を叩きつけた。

 ドッ!! と隕石が落ちたような轟音に交じり、グギッ、と、首の骨の折れる音が響く。


「づ―――っ……!!」


 エレナは叩きつけただけでバラバラに砕けそうになった自らの腕を庇おうとし、しかし逆の腕もまるで動かず、またべちゃりと、泥の大地に飛び込んだ。


「……、……、…………」


 大地を揺るがすような衝撃音は、夢のように消え失せた。

 パラパラと雨が降る銀の世界で、“何か”が、終わった。


 一瞬前の記憶が頭から消え失せる。

 衣服は飛び散り、身体中が腫れ上がり、泥に塗れて顔から地面に倒れ込んだエレナは、自分が今何をしているのか思い出せなくなった。

 呼吸が上手く出来ない。身体は少しでも休まろうと動かす命令をまるで聞きやがらない。だが、全身の激痛が意識だけは覚醒させやがる。


 確か、何かを、殺した気がする。

 では何を。

 思い出すのも面倒になり、とっとと帰りたくなるが、いや、そうか。

 自分はただ、帰りたいだけだった。


 ならばこんなところで何をしていたのだろう。

 思い出せない。


 まあ、帰ったら帰ったで面倒だ。

 何しろ騒がしいし、どうせまたトラブルでも―――


「―――っ、ぃ、ぎぃぃぃあっっっ!?」


 グリ、と腹部に足を入れられ身体をひっくり返された。


 エレナの口から悲鳴と泥が噴き出す。

 先ほどまでの衝撃に比べれば触れられただけのような蹴り上げに、全身の肌が逆立った。


 そのまま力なく仰向けになると、霞んだ視界の向こう、毛糸の帽子を被り、髭を蓄えた男が見えた。


「―――な―――、……? ……」


 その“赤い目”の男は、何かを言っている。

 ほとんど聞き取れないが、エレナの直感だけは、動かない身体に飛び起きろと怒鳴りつけていた。


「う…………、死……、……ぬ」

「……へ、へ。ま、前にもあったな……、こんなこと」


 泥のようにべっとりとした視線を感じた。

 死にかけの人間を見て、笑うような下種らしい。


 だからエレナは、躊躇なく、“執行した”。


「……う……そ、吐かれ、てたら、……死ぬ、とこ、だった、……わ。―――、―――」


―――暗転。


 雨音すら消え失せた世界。

 エレナの視界は漆黒に染まった。


 ほどなくして、銀の光がぼんやりと見える。

 蠢き、背を“壁”に被け、少しでも楽な姿勢を模索していると、銀の光の中、赤い瞳の主が、軽々しい声を発した。


「……危ない危ない、終わったら呼んでくれって頼んだじゃないか。この男は今の僕の美学に反していてね。女性となると怪我人だろうが魔族だろうが目を覆いたくなるようなことをするんだ、信じられないよ」


 ひとつの絵本を読み終わっただけのような様子の『最古の蛇』が現出した。


「……いや待てよ、それも乙なものかもしれないな。彼女、もういないけど、ひとつ前の彼女でも、この人間に恐怖と絶望を覚えたんだったかな、ううん」

「……、…………」


 『最古の蛇』は、献身的だった。

 今死にかけているエレナに寄り添い、“何とか興味を持とうとしている”姿勢を感じる。

 だがそれは、雨宿りか何かでたまたま居合わせた死にかけの野良犬を不憫に思い、そのまま立ち去るのを躊躇っているだけのような、根本的な関心の無さからのものだ。


 強大な力を持ってエレナを蹂躙し、死の直前でも冷静に“そのときが来た”と受け入れたように思えた緑の魔族。

 そんな精神性の緑の魔族の“最初の最期”、今のように結果として立っていて、恐怖与えたという目の前の小汚い男。

 そして今、緑の魔族を撃破したエレナ=ファンツェルン。


 そのいずれも、『最古の蛇』にとっては違いがない。

 自分たちのように、“大切な宝物”とやらでないものは、どれだけ強大だろうが美しかろうが、興味の無いものでしかないのだ。


 拳ひとつで地響きを起こすような怪物たちの死闘の直後でも、『最古の蛇』にとっては、興味の無い、悠久の一幕に過ぎない。


 “今までは”、だが。


「…………。ん? それほど時間が経ったようには思っていなかったんだけど、夜になったのかな? それともこの男にどこかに運び込まれたりしたのかな?」

「……、…………」


 赤い瞳で周囲を窺う『最古の蛇』の前、エレナは力なく壁に背を預け、引きつったような不規則な呼吸を繰り返していた。

 身じろぎひとつで至る所から悲鳴が上がり、全身の筋肉は勝手に起こる硬直と弛緩で痙攣し、涎や血や泥が垂れるだらしなく開いた口を閉じることすらできない。


 だがそれでも、ほんの少しずつ、思考がまとまりつつあった。


「ひぎっっっ、」

「あ、ごめん。踏んじゃったよ。でも話を聞いてくれない君が悪いんだ。この男も、急に暗くなったとしか認識していなくてね。……何をしたのかな?」


 力なく伸ばした足を踏まれ、ただそれだけで、エレナは身体中を震わせた。

 激痛に耐え、それでも精いっぱい瞳に力を籠め、赤い瞳を睨みつける。


「何度も……言わせない、で。―――あんたはもう、死んでいるの」


 エレナは、動いたかもどうかも分からない首で、暗闇を見上げた。

 『最古の蛇』から漏れる僅かばかりの銀の光が、直径10数メートル程度の円状の壁を照らしていた。

 足場は今まで通りぬかるむ泥場でだが、凹凸のない“壁”は光沢があるように光を照り返し、“天井”は抜けたように光も届かない。

 そこは、巨大な筒状の“何か”がエレナと『最古の蛇』を囲って大地に突き刺さっているような空間だった。


「……。…………。え、まさか。すごい、これ、“具現化”かい? ……“牢”? いや、“具現化”となると……、待ってくれ、少し考えてみたい」


 魔族すら毒牙にかけた『最古の蛇』をもってしても、“具現化”の使い手となると希少なのだろう。

 初めてなのか、あるいは久方ぶりなのか、赤い瞳を輝かせて周囲を窺い始めた。


 “同じタイプは惹かれ合うのかもしれない”。


「どう、せ、知ってる、でしょう。考えても……、分かる、ことじゃない、って。……あんたと同じ、……“そういうもの”、なんだ、から」

「……」


 『最古の蛇』は、急な異変を前に警戒もせず、純粋な興味の色を持って、赤い瞳をエレナにまっすぐ向けてきた。


「そういえば君。僕のことを“定義型”と言っていたね。……どこでその言葉を?」

「た、ぶん、“その言葉を作った奴”、よ」


 現在はどこぞの浮浪者であるらしい『最古の蛇』の顔が、汚物に触れてしまったかのように歪んだ。

 泥だらけのボロ雑巾のようになっていたエレナを見たときすら表情を変えなかった『最古の蛇』は、はっきりと、関わりたくないと不快感を露にしていた。


「『最古の蛇』、だっけ。あんた、は、“定義型”の、魔物。……明確に、“世界のルール”から、外れ、てる」


 世界にはあらゆる法則がある。

 気象も物体も生物も、そして魔力も魔術も、物理法則や論理、そして魔術の法則に則って存在し、世界の構成要素となっている。


 超常現象を引き起こす魔法でさえ、“大体は”同じだ。

 いかに不可能に見えても、“現在”再現することが不可能なだけで、あらゆる研究者が躍起になって解析し続け、いずれは魔術に、つまりは法則に落とし込まれる。


 しかし。

 事象を法則に落とし込む研究の最前線―――“とある魔族”が、“法則外”という結論を下した存在もあるのだ。

 すべての法則を無視し、しかし確かに発生する、あるいは存在する“それら”に、その魔族は名を付けた。


 “定義型”。

 “そういうもの”として世界に定義された、法則外の存在を指す言葉だ。


 それらに理屈は通じない。

 地面から降り上がる豪雨に、触れれば身体が石化する霧、天空に浮かぶ雲の上の豊潤な森林や人々が生活を続ける海底の大都市、映れば別世界に閉じ込められる鏡、捲っても捲っても終わりに辿り着かない書物など、空想の世界の気象や自然、人工物ですら、“あり得もしないのに存在を否定できない”というのがとある魔族の結論であった。


 エレナの身近な例として、代表的なのは日輪属性の数奇な運命だ。

 そうしたものは魔術的物理的な理由がどうしても付けられない。

 森羅万象は論理と計算の上に成り立つ魔術という学問を専攻する魔導士隊とは水と油の思想であろう。


 確かに、逸話や伝承には、法則に落とし込まれる“まがい物”も存在する。

 それゆえに、いずれすべての事象は徹底的に切り崩され、説明が付けられると思う者も多いが、“本物”は、未だかすり傷ひとつ付いていない。


 “あの魔族”をもってして、解析不可能と断じられているのだ。

 懸命に“答え”に手を伸ばし続ければ、いずれは解析し切れる可能性もあるが、何千何万年という月日を費やして指先が触れるかどうかである。


 もっとも、“定義型”というだけならそこまで問題は無い。

 例えば、“空を飛ぶ魔法”と定義されていたところで、理屈など考えず、その術者を撃ち落とせばいいだけの話である。


 問題なのは、例えば、“不死”と定義されている場合。

 あるいは、殺害した相手を被り続け、殺しても“脱皮”すると定義されている場合である。


 絵本の世界からそのまま飛び出して来たようなこの『最古の蛇』は、まさしくその通りの絵空事―――“本物の定義型”だ。


 エレナは、銀の光だけが薄ぼんやりと光る空間で、引きつったように笑った。


「……だか、ら、“これ”を使うことに、なった、ってだけ。この中は、ね、……“そういうもの”を、“強引に、現在の法則に引きずり込む”」

「ふ、う、ん?」


 『最古の蛇』は、エレナの言葉を聞き、首を傾げる。


 考えて分かる話ではない。エレナも理解していない。

 この“具現化”も、“定義型”の力を持つ。

 “そういうもの”と定義されている以上、現代において理屈など存在しない。

 起こることは、結果だけだ。


 エレナにはふたつ、試したかったことがあった。

 ひとつ。定義型の“不死”をまっとうな方法で殺害できるか。これは、やはり、“不可能”だった。

 そしてふたつ目は、『最古の蛇』ほどの定義型の存在でも、この“力”の対象となるかどうかだ。


 答えは今確認できた。

 散々殴られ蹴られ、自分が最も頼りにする直感ごと狂っていたらどうしようもないが、“具現化”の使用者であるエレナには分かる。


「要は、ね―――あんたは今、私でも理解できる、ただの“寄生型”の魔物、ってこと。その宿主の、次は無い、わ。だって、寄生型は、“そういう法則”だから、ね」


 エレナは蠢き、“壁”に手を突き、震えながら立ち上がる。

 『最古の蛇』は、その様子を、赤い瞳でじっと見つめてきていた。


 身体中が死にかけている。

 魔力もいよいよ枯渇しかけている。


 身体も魔力も下り坂一方になった今、エレナに残された時間は少ない。


 この中の影響を受けるのは、“エレナも例外ではない”。

 “定義型”で最も身近な例は―――死に直面するほど魔力が高ぶる身体である。


「……なるほど君も―――“そういうもの”、なのか」


 乏しくなってきた意識が、僅かに覚醒した。

 自分という存在の根幹にある、強い殺意が身体を震わせる。


 “定義型”。身も蓋も無い、理屈が存在しないもの。

 しかしあの魔族は、“作り方”には辿り着きやがった。

 世界中の伝説や逸話には、本物もあれば“作られたもの”もある。『最古の蛇』があの魔族に作られたものか自然に“定義”されていたものなのかは知らないが、いずれにせよ虫唾が走る。


「さあ。終わりに、しましょう。……死にかけの私と、今のあんた、どっちが強い?」

「ううん……。ほんの少しだろうけど、まだ多分君だ。弱者をいたぶることしかできない、本当に下らない男だし」


 物体を伴わない不死性を持ち、悠久の時を生きる、そういうものと定義された『最古の蛇』は、“今から終わる”。


 エレナが憎悪と侮蔑を込めてまっすぐに見定めた赤い瞳には、しかし、恐怖も動揺も無かった。

 感情を向けるのが馬鹿らしくなる。『最古の蛇』のこれは、強がりでも何でもない。


 死という概念を、知らないのだ。被った者の影響を受けて知っていたとしても、本当の意味で、理解できていないのだ。

 ゆえに恐れない。生というものにしがみつかない。

 『最古の蛇』は、“そういうもの”でしかないのだから。


 それは幸せなことなのか不幸なことなのか、旅を始めたばかりのエレナでは、判断できなかったかもしれない。


 だが今のエレナは改めて、不憫に思った。

 終わりたくないと強く思えないのは、不幸なことなのだと、今は感じる。


「ううん? そういえばこの“具現化”、まだ何かあるよね。…………君も近いうち、どこかで死ぬ気なの?」

「―――、」


 決着は静かに執行され、その空間は再び暗闇に包まれる。


 数多の被害を出したことへの懺悔も、自らを殺害する者への怒りも無く。

 今際の言葉すら思いついたことを訊ねただけのような、“寄生型”の魔物『最古の蛇』は、この世界から消滅した。


「……ぅぇ、っ、……ふー……、ふぅー……」


 もぞり、と、エレナは“その空間”から這い出た。


 変わらぬ狂った気候の大雨の中、銀の光が見渡す限りに展開されている。

 これらの環境操作も恐らく、解析に解析を重ねても法則に落とし込めない、“そういうもの”、なのだろう。

 湿度が高く不快ではあるが外気に触れ、多少は楽になったが、流石に身体が動かない。

 泥の上に顔から突っ伏し、不規則な呼吸と痙攣する身体を好きなだけ泥に塗れさせる。


「―――ゲ、フ、ふー、ぅ、ふー……」


 荒く激痛を届ける不規則な呼吸が止まらない。止まるよりはいいかもしれないが。


 自業自得とはいえ、本格的にやばかった。

 最初からこの“具現化”を使っていれば、何事も無く殺せていたであろうに。

 “ここ”に閉じ込めても法則に則った実力でエレナを凌駕する緑の魔族が最大の計算外だった。

 実際、緑の魔族との戦闘も、『最古の蛇』がエレナを被ってしまうことを警戒していなければ魔力が増す間もなく殺されていただろうし、最後だって運任せだ。

 『最古の蛇』が記憶違いを起こしていたり、嘘を吐いていたりしても死んでいた。

 あの浮浪者だったらしい男相手でさえ、死力を振り絞って辛くも勝利するほどの状態だったのだ。

 “次”が魔族どころかそれなりの力を持つ人間だったら何もできずに殺されていたであろう。


 失敗し、徹底的に蹂躙され、死を覚悟し、しかし運よく魔力の増加まで生き延び、隙をついて殺す、首皮一枚の奇跡の勝利。

 久方ぶりだったが、まあ、格上相手と戦ったときの、いつものことだ。


「……、ふ、……う……ぅぇ」


 とはいえ、これからどうするか。

 調子に乗ったせいではあるが、流石に消耗が激しい。


 エレナにとっては自然治癒能力も一応身体能力に分類される。放っておけばいずれ動けるようにはなるであろうが、すぐにでも治療を受けるべきであろう。

 どうせ様子を窺っているであろう魔導士の誰かを捕まえて、衣服を持ってこさせ、応急処置をさせ、肌を見られるのが不快だから男だったら殺害して口を封じ、と段取りをおぼろげに考え、自分の頭が狂っているような気がして思考を止める。

 散々人の形をした何かを殺し続けた『最古の蛇』との戦闘で磨耗した精神にも、休息が必要のようだ。


 重傷者の治療者となると筆頭はアルティア=ウィン=クーデフォンだが、そちらは避けたい。

 あのガキに治療をさせれば、絶対にどこかで口を割る。

 自分が大怪我を負ったことがアキラの耳に入れば何が起こるか。


 依頼も無しに魔門に向かいかねなかったあの男には、気にすることは無い、いつも通りのどうでもいいことでしかなかったと、思ってもらわなければならない。


「……ハ……」


 死の淵にいる自分の思考は、改めて狂っていると感じた。

 いよいよ手遅れかもしれない。


 ズタボロにされる自分をエレナは知っている。

 そのたびに魔力が増すのだから、結果としては成功し続けているのがエレナ=ファンツェルンという存在だ。

 だが、そんな慣れ親しんだ自分を、彼には知られたくないと感じてしまう。


 ただでさえ、けろりとした顔で帰っても、死にそうな顔で心配されるのだ。

 そして散々心配したあとに、すごいすごいと自分のことのようにはしゃぐ様子が簡単に脳裏に浮かぶ。


「ふ……」


 可哀そうだから依頼に参加してあげて、なんか問題が起こったから面倒だったけど片付けてやった。


 彼には、エレナ=ファンツェルンという存在は、“そういうもの”であると思わせ続けてやる。

 せめて、あの死地に行くまでは。


――――――ゾ――――――


「……ぇ……、ぉ、っ」


 直感と同時、痛烈な吐き気に見舞われた。

 死にかけの身体中が、鑢で削られたような激痛にも似た悪寒に襲われる。


 脂汗が自然と吹き出て、怯えながら振り返ろうとするが、その前に答えは背後に無いことが分かった。

 『最古の蛇』を仕留め損ねたのかと慄いたが、“違う”。


 『最古の蛇』が再度襲ってくる“程度”なら、ここまで身体は恐怖に支配されない。


「っ、」


 縛り付けられたような恐怖の中、エレナはぎこちなく“天空”を見上げる。


 “何か”が。“そういうもの”が、起こる。

 直感だけに従ったエレナは、明確に確信し、凍り付く精神に怒鳴り散らし、死にかけの身体に散々悲鳴を上げさせて、無理矢理立ち上がる。


 分かっていることは、いついかなるときも不変であるひとつの真理。


 “何もしないで助かるわけがない”。


「……ぎ、ひぃ……」


 エレナは霞んで見えない視界の中、感覚だけを頼りに、現出したままだった具現化の“外壁”に倒れ込むように手を突いた。

 このタイミングで現出していなければ、“何もしない”ことになっていたかもしれない。


 やはり慣れないことはするものではない。

 手遅れになった自分の思考のツケをしっかり払うことになったエレナは、途切れ途切れの思考の中浮かんだ、難局をあっさりと乗り切ったと言うであろう自分に、羨望の目を向けるアキラに毒づいた。


 何とかしてやったのはいいけれど。


「私の負担……多くない?」


―――***―――


 金色に輝く巨龍は暗雲の中胎動し、気圧気温湿度を弄繰り回し、環境を弄んでいた。

 灼熱のような高温を生み出したかと思えば、その直後、冷ややかな風がそよぎ、かと思えば生物の血管が突如として膨張するような低気圧を巻き起こす。

 おびただしいほどの有毒化した空気や貫くような豪雨が暴風の中上へ下へと暴れ、死域と化した天空から、世界そのものを蝕み続ける。


 現在。

 人の理外を超え、世界の理外とも言える天候を操る『明日の影』は、『名前のない荒野』に顕現していた。


「……」


 その巨龍を、『数千年にひとりの天才』マリサス=アーティは片手間に相手にしていた。


 現れた瞬間に発生したのが“ただの豪雨”であったのも幸いし、初動で全精力を注いで対処した甲斐あって、戦況は安定しつつある。


 『明日の影』が行っている環境操作の詳細は、マリスにも分かっていない。

 ただ、“恐らくこういうことをしているのであろう”と知ることさえできれば対処可能であるのが月輪属性である。

 対応のために必要な膨大な魔力は問題ない。リソース自体に問題を感じたことはほとんどないのだ。


 『明日の影』は紛れも無い怪物である。

 自惚れもあるかもしれないが、対処できるのは自分くらいであろう。

 マリスが認識する前に、本腰を入れて環境を弄られていたら手の付けようが無かったかもしれない。

 今も時折、マリスの理解が及ばない環境操作をしてくることもあるが、対処が間に合いそうになければ強引に膨大な魔力を注いで封殺すればよい。

 その分ごっそりと魔力が持っていかれるが、そちらも結局はリソースの問題。


 マリスが振るう、巨大な杖が、僅かな懸念すら払拭する。


 具現化―――レゴルトランド。

 先端に月を模した刃があり、そこから羽を広げた純白の杖。


 マリスの背丈以上の巨大な杖は、魔力吸収と魔力増幅の側面を持つ神秘の物品である。

 それも増幅効率は異常であり、半永久的に魔力を使用した行動を可能とする武具なのだ。


 使用者ながら、マリスも具現化というものがどういうものか分かっていない。


 魔力というのは身体から生み出され、消費していくものである。

 魔力や魔術には法則というものがあるのだが、こと魔法や具現化に至ってはその法則を完全に無視するものがあるのだ。


 言ってしまえば、“そういうもの”としか表現できない。


 具現化という力を得る条件は勿論、具現化自体の力も“法則外”であり、誰にも分からない。

 だが、使用者のマリスは感覚的に、“その存在に相応しいもの”が顕現するように感じる。

 レゴルトランドは、無限に近しい魔力を有するマリスにしてみれば、無用の長物ではある。


 それでもマリスは思う。

 この具現化は、自分そっくりだ。


 魔力を吸収し増幅するこの具現化は、蓄えるだけをして、その無限のリソースを何に使うかは指し示さない、“目的の存在しない杖”である。


「……?」


 『明日の影』の環境操作に対抗しながら、マリスは地上の異変を感じ取った。


 至る所で轟音が鳴り響き、大地が砕かれ切ったかのような振動が天空まで届く戦場の中、真下の拠点でも、天変地異のような爆音が轟き始めたのだ。


 また地上で動きがあったらしい。

 随分と長く環境の相手をしているが、出現している“異常”は『明日の影』だけではない。

 こちらの陣営も相当の実力者揃いだが、『最古の蛇』や魔物の群れ、そして魔族も出現しているのだ、各所で悲鳴が上がっているであろう。


 万一にも油断はできないが、余裕が出来てきた今、『明日の影』の撃破に動き出すべきだろうか。

 環境の封殺に隙が生まれることにはなるが、撃破に動けば『明日の影』の方も対処するであろう、その分環境操作は落ち着くかもしれない。


 今、『明日の影』がどのような環境操作をしようが封殺できるマリスからすれば、下手なことをせずに、このまま環境操作の対処を継続するのが“安全策”である。時間はかかるが、完全封殺できるようになってから撃破した方が確実であろう。

 だが、『明日の影』を早期に撃破し、他の“脅威”に対抗しにいくべきかもしれない。


 どのような事象も対処できるマリサス=アーティという存在は、失敗しないことは確定している。

 だが、“正答”は、何か。


「! 何が起きている……?」


 力半分以下で『明日の影』を抑え込めるようになってきたマリスは、索敵に割いたリソースで、僅か離れた位置で飛ぶ男の呟きを拾った。


 マルド=サダル=ソーグが、青白くなった苦悶の顔を、さらに怪訝に歪めていた。

 地上よりも環境が暴れる天空は、いるだけで身体への害を受け続けることとなる。

 『明日の影』だけに集中を、と言われた通り放っておいているが、生まれた余裕は彼の身体を守るために使った方がいいだろうか。


「……。どうしたんすか?」

「っ、レイリス!」


 何気なく話しかけると、襲来した飛行種の魔物を即座に察知し、マルドは魔術で迎撃する。

 そのデオグラフの存在にはマリスも気づいていたが、もう少し引きつけても自分なら問題ない。

 それでもマルドは潔癖すぎるほどマリスへの影響を避けるため、徹底的に魔物を近寄らせていなかった。

 魔力の消耗で、また彼の顔が青くなる。


 環境操作による悪影響を完全には防げない様子のこの男は、それでも天空にい続けた。

 事象が発生してからどうとでもなるマリスとは違い、事象を防ぐ役割があるという『杖』の思考は分からない。

 だが、隣にい続け、彼の注意深さはよく理解できた。

 しかしそんな彼は、デオグラフを迎撃したのち、戦場から気が逸れたかのように、“遥か遠方”を眺める。

 視線を追うと、『明日の影』が操作したと思われる暗雲が、空一杯を塗り潰しているだけで、何もない。


「……マルドさん、何かあったんすか?」

「っ、」


 マルドから焦燥のようなものを感じ取った。

 環境操作の打ち消しに集中していないことをまた咎められるかと思ったが、彼はぎろりと『明日の影』を睨むと、その表情のままマリスに視線を向けてきた。


「マリサス=アーティ。『明日の影』は“何をしている”?」


 今も絶賛環境を暴れさせている。

 理屈は不明だ。

 対応しているマリスですら分からないのだ、マルドではおぼろげにしか分からない、“そういうもの”である魔法を使っているとしか言えない。


 そう思ったが、今さら彼が焦って聞くようなことでは無いだろう。

 改めて『明日の影』に注意深く意識を向けると、マルドの焦燥がうつったように、マリスの背筋に冷たい何かが伝った。


 『明日の影』の環境操作は概ね把握できた。

 現状の環境操作は力半分で対処できるし、これからいかような操作をされても即座に封殺できるであろう。


「……『明日の影』の環境操作は、“どれほど酷くなっている”?」


 しかし、改めて煌々と輝く巨龍を見据え、マリスは、“気づくべきだった”ことに思い至る。


 周囲を飛び交うデオグラフの力が増したことには気づいていた。地上の魔物も同種とは比較にもならない力を発揮しているのを感じている。

 可能性はいくらでも挙げられるが、事象としては、“魔物の力が増した”というものであろう。


 ならば。

 魔物である『明日の影』は、“どう強化されたのか”。


「―――、」


 マリスは改めて戦場に意識を集中させる。


 マルドには分からない、自分だけが知っていること。

 対処していたマリスは、『明日の影』の環境操作が、“落ち着いてきている”という印象を受けていた。

 自分が慣れただけと思っていたが、悲観的に考えれば“上手くいき過ぎている”。

 『明日の影』は、どれだけ慣れようが、少なくとも力半分で抑えられるような怪物ではない。


 つまり。

 『明日の影』は、環境操作を抑え、“何か”をやっている。


「っ、レイリス!!」


 またマルドがデオグラフを迎撃する。

 焦りの見える彼の動きの意図がようやく分かった。

 早期に魔物を排除し、まとまった観察と思考の時間を確保するのが彼の狙いだ。

 彼も直感的に、環境の安定が早すぎると思っていたのかもしれない。


 マリスは改めてマルドが先ほど睨んだ遠方の空を注視した。

 暗雲に覆われた天空だけがそこに在る。


 そこで、ようやく分かった。

 あの空に今まではっきりと覗いていた、金色に輝く巨龍の身体が、“消えている”。


「……、どこ、に……、い、いや」


 余っていたリソースを索敵にあて、暗雲を纏う『明日の影』の全貌を把握しようとすると、それは即座に見つかった。


 消えていたわけではない。

 途方も無く巨大な身体が蠢き、暗雲はその通りにうねっている。


 ただ、今まで金色に輝いていた身体が、“透明になっているだけだった”。


「! あれが、『明日の影』の本当の身体か……!!」


 同じく透明の身体を確認できたらしいマルドが苦々しく呟いた。


 見失ったと思った巨大な身体は、見えなくなっていただけだった。

 だが、マリスもマルドも、それが胸を撫で下ろす事態ではないということに即座に辿り着く。


 あれほど巨大であるのに、雲が蠢く瞬間を注視してようやく存在を認識できる。

 金色の姿で現出し、あまりに分かりやすく目の前に現れたが、ああして見て、初めて『明日の影』という存在の“希薄さ”に気づけた。


 『明日の影』という巨龍。

 この魔物の正体は、透明な巨体を持つ、雲に住まう天空の支配者である。


 これほどの巨体で空を飛ぶ故なのかは分からないが、体表は透けて見えるほど薄く、生物として察知するのも困難な、“そういうもの”。

 これほど巨大な存在が発見されてこなかったのは、元来、『明日の影』という存在が、秘匿性に特化した魔物だったからなのかもしれない。

 いると確信している上で、漂う雲を血眼で探し、辛うじて雲の動きから身体を観測できるような存在を、見つけ出せというのは不可能である。


 しかし、『明日の影』が現出した瞬間、自分たちは天空の巨龍に押し潰されるかのような存在感を確かに覚えた。

 それは、『明日の影』が、身体中を魔力で覆い、金色に輝く巨龍と化していたからである。


 『明日の影』は今、途方もないほど巨大な身体に魔力を張り巡らせるのを、“止めていた”。


「!」


 『明日の影』の気配が“変わった”。

 眼前で、変わらず金色に輝く巨龍の顔が蠢く。


 マリスは具現化の杖を構えて備えた。

 『明日の影』は今、身体に回していた膨大な魔力を、“何か”のために集約させている。


 どうやら“正答”を引いていたらしい。

 マリスが攻勢に回る隙を探していたのと同じく、『明日の影』にも狙いがあった。

 双方が、人類には到底成し得ない環境操作という“茶番”を繰り広げながら、決着を虎視眈々と狙っていたのだ。


 下手にむきになっていたら、『明日の影』の“何か”に対抗できなかったかもしれない。

 後手を取っても余裕を持って対処できる立ち回りは正答だった。


 最早貌だけが金色に輝く『明日の影』の、龍独特の獰猛な口に、毒々しいほど濃いオレンジの魔力が集中し始める。


 それは。

 力を増した『明日の影』が、膨大な魔力を集中させて放つ―――“決着”だった。


――――――ゾ――――――


「―――……、ぇ」


 そう。

 マリサス=アーティの選択は“正答”だった。


 万にひとつも失敗が許されない環境操作を最優先で対処したこと。

 『剣』のバルダ=ウェズ、『最古の蛇』、暴れ狂う狂暴な魔物の群れの対処を、地上の実力者たちに任せる判断。

 『明日の影』の新たな“何か”に万全の状態で向かい打てる立ち回り。


 それらすべては、紛れもなく、“正答”、だった。


 万全のマリサス=アーティを前に、高が魔物に出来ることなど何ひとつ無い。

 マリサス=アーティが認識している以上、対処できない事象は存在しない。


 しかし。

 “その不可能を超越する属性が存在する”。


「っ―――、レイディーッ!!」


 怒鳴るように叫び、力の限りをもって銀の凶弾を放出する。

 環境操作など知ったことか。


 今この瞬間、『明日の影』を“抹殺しなければならなくなった”。


 マリスの放つ銀の凶弾は、巨大な金色の顔に吸い込まれて消えていく。

 魔術に強い耐性を持つ『明日の影』は、マリサス=アーティの攻撃すらものともせず、“何か”を進める。


「どうした!?」

「マルドさん!! 今すぐ殺して!!」


 強い目的意識を持ったマリスは、マルドに当たり散らすように叫んで魔術を放つ。

 ただの魔術では焼け石に水どころか通用しない。

 不慣れな物質的な性質を持つ魔法に切り替え、幾重にも放つが、『明日の影』は無防備に受けながら、ただただ、たったひとつの“魔法”に集中する。


 今、『明日の影』が環境操作を行えば、攻撃一辺倒となったマリスには対処できないだろう。

 『明日の影』もそれは察知している。


 しかし、『明日の影』は、淡々と、“それだけ”を遂行する。


 それは当然のことだった。環境操作など、もはや児戯にも劣る。

 “それ”を放つだけで、この場すべてに“決着”がもたらされるのだから。


「づ―――」

「なんだ、『明日の影』は何をしている!?」


 今度はマルドにマリスの焦燥がそのままうつる。

 マルドが同じように攻撃を開始するも、月輪ふたりの魔術は『明日の影』の巨大な貌に吸い込まれるように消えるだけだった。


 止まらない。

 『明日の影』の“魔法”が、進行し続ける。


 余裕のあった対応。優位に進んでいた戦闘。覆せないはずの戦況。それらはすべての選択肢の中、“正答”を選び続けていたからに他ならない。


 しかし、“突如敗北する”。


 そんな不条理、“直接見ていなければ”、自分はここまで焦らなかったであろう。

 いかような事象でも、起こってから対処できる特権を『数千年にひとりの天才』は有している。

 だが、“これだけは駄目だ”。


 マリスは身体中が恐怖で震え上がりながら、しかし必死に魔術を放つ。

 あり得ないと思いながらも、力を増した『明日の影』の魔法は、自分が見て知った“それ”であることが分かってしまった。


 不可能を超越する日輪属性。

 操るのはすべての魔術に留まらず、どれほど月日を費やしても解析できぬ、“そういうもの”としか言えない魔法すら、完全な形で操る最強属性。


 その“定義型の魔法”の終点は、恐ろしくシンプルな“攻撃魔法”である。


 通常、攻撃魔術とは術者の力量や魔力の量は勿論、状況によっても変動し、同じ術者が同じ魔術を使っても、完全に同じ効果にはならない。

 それゆえ、魔力の鍛錬や戦闘技術を磨くことでより高みを目指せ、逆に横着すれば同じ魔術を操っても効果は減衰する。

 魔術というものは努力の結果が明確に現れる技術なのだ。


 しかし、 “固定の威力”を出す魔法もまた存在した。

 鬱蒼と生え茂る森林の中で特定の材木のみを伐採したり、全く同じ力で鉄を打って均一の武具を大量生産したり、刺激に対する反応を調べる研究を可能にしたりなど、揺らぎの無い効果をもたらす魔法はあらゆる分野で重宝される。

 当然、習得するのは容易なものではない。

 しかし、その力さえ得られれば、その者の一生は安泰になることが保障される。


 そして。

 その魔法も、“固定ダメージ”を与えるという結果をもたらす。


 すべての頂点である日輪属性の、頂点の魔法。

 『数千年にひとりの天才』マリサス=アーティが、数多の傑物と骨肉を削り合う死闘を繰り広げた歴戦の魔族が、森羅万象を想像の中に収める魔王が、この世界に存在するすべての存在が万全に備えていても、例外なく滅ぼし切る。


 習得すれば、血の滲むような努力をしようとも、怠惰に過ごそうとも、結果は何も変わらない。

 何故ならそれは、回避反射吸収と、いかなる手段でも防げず、そしてその威力は必ず―――“その世界に存在する最大値を滅ぼす固定値”となる魔法なのだから。


 それは、『明日の影』という日輪属性が引き寄せた数奇な運命による偶然だったのかもしれない。

 魔門からの召喚、天候を操る特異な力、魔物強化の影響と、様々な要因が絡み合って反応し合い、『明日の影』は、その領域に至ってしまった。


 “事象”としか言えない魔法が、『名前のない荒野』に間もなく降り注ぐ。

 正面から見る、大顎を開けた『明日の影』の貌は、万物が抗うことを想像もしない真円の日輪そのものだった。


「っ、―――“プロミネンス”……!!」


―――***―――


 強さとは何か。

 その概念の答えは無数にある。


 筋力、持久力、耐久力、敏捷性、瞬発力、知力、気力、技術、運、経験値、魔力と、様々な要素の複合体が強さであり、そのすべてと答える者もいれば、より重視するものを挙げる者もいる。

 その答えはすべて正しい。

 状況によって変わるものでもあるから、仮に挙げられた何らかの要素が活かせない光景を見ても、肯定しよう。上げ足を取るつもりはない。


 そう。

 強さというものに答えを出そうとする者、そして追求せんとする者を、否定はしない。


 ゆえに、奇をてらった答えを言いたいわけではないのだ。

 ただ、強さとは何かと聞かれると、どうしても、最初に思い浮かぶ言葉があるだけである。


 スライク=キース=ガイロードにとって、強さとは何か。


「……“下らねえことをした”」


 スライク=キース=ガイロードは、自らの眼前に立つ“異常”を前に、小さく零した。


 黒煙纏う、漆黒の甲冑の魔族。

 具現化をも操る『剣』のバルダ=ウェズは、魔族の力を有した上で、あらゆる達人超人の技術や魔術を完全再現してみせる。


 魔族という存在そのものの力一辺倒ではなく、明確に技術も有するバルダ=ウェズは、魔族の中でも戦闘力が抜きん出ている―――強さそのものの追及者。

 この依頼における、スライク=キース=ガイロードの最大の障壁であり、“決着が要求される相手である”。


「―――ハッ」

「!」


 短く自らを嗤い、スライクはバルダ=ウェズへ突撃した。


 バルダ=ウェズは即座に構えを取る。

 暴走とも言えるスライクの正面からの突撃に、攻撃防御離脱のいずれの選択肢も即座に取れる、受けという行為の最適解。

 『武の剣帝』を模倣した戦闘の理論値の構えは、スライクの突撃を完全な形で受け切れる。


 だからスライクは、“速度を上げた”。


「―――、」


 驚愕すら許されぬ刹那、バルダ=ウェズは離脱の一手を取る。

 バンッ!! とバルダ=ウェズの眼前に落雷のように打ち落とされたスライクの大剣は大地を打ち据え、しかし即座に獲物を捉えんと斬り上げられた。


「づ―――、シ・ベアト!!」


 弾けるような金属音。即座に剣を合わせたバルダ=ウェズは、その勢いを利用してさらなる離脱を計る。

 強引に追ったスライクに、バルダ=ウェズは剣に魔力を迸らせた。


「キャラ・スカーレット!!」


 『武の剣帝』の構えを超えた先、『日輪の勇者』の爆撃が巻き起こる。突撃の勢いを強引に変えて離脱したスライクは、“しかし即座に突撃した”。

 スライクの大剣が、唸りを上げてバルダ=ウェズを襲う。


「―――グ、シ・ベアト!!」


 超常的な爆撃の剣が振るわれる中、刹那の差も許されないスライクの突撃に、バルダ=ウェズは剣で牽制し、逃げの一手を取る。

 通常であれば守勢に回った敵は一方的に斬り割けるが、逃げと言ってもどこぞの達人のものなのだろう。

 隙も無く、両者の剣で吹き飛んだ大地から弾かれるように跳び、スライクの射程から外れてみせた。


「器用なもんだなあ、おい」

「……何を、した」


 バルダ=ウェズの甲冑から、溢れんばかりに焦りの情報が噴き出してくる。

 理論上突破不可能な『武の剣帝』の構え。超常的な破壊力を誇る『日輪の勇者』の攻撃。

 その双方の習得は、『剣』のバルダ=ウェズの力を天上まで押し上げたと言っていい。

 バルダ=ウェズ自身、かつてない程の技術の習得に、万全の体制を取れていたつもりであろう。

 だが目の前に、それらを突破し、あまつさえ自らを斬り殺しかけた存在がいるのだ。


 バルダ=ウェズから感じる強い焦りと動揺を前に、スライクは静かに剣を構えた。

 強さの構成要素を思考し、習得し、振るうバルダ=ウェズは今、スライクが“何をしたか”を必死になって考えているであろう。


 “別に何もしていない”。


「答えが分かったら聞いてやるよ」


 再びスライクは突撃した。

 慌てたように理論値の構えを取るバルダ=ウェズを前に、スライクは、“さらに速度を上げた”。


 散々強さとは何かと考え続けるバルダ=ウェズと戦っていたせいか、おぼろげに、起こっていることは分かった。

 『剣』のバルダ=ウェズが有する具現化―――シ・ペアト。

 相手の技術を習得するこの剣は紛れも無い超常の武具だが、恐らく、習得後に“更新”されない。

 習得した『武の剣帝』の行動は、あくまでスライクとバルダ=ウェズの双方との乱戦時のものだ。


 『武の剣帝』カタリナ=クーオンは理論値の行動を取っていた。

 怪物スライク=キース=ガイロードや魔族『剣』のバルダ=ウェズの戦闘の中、両者の戦闘力を正確に読み切り、突飛な行動を取っても知っていたかのように対応していた。


 最大値を見定め、その範囲ならば何が起ころうとも完全な形で封殺するのが『武の剣帝』という存在なのだろう。


 そのために必須となるのは、“事前に敵の最大値を見切る”という点である。

 『武の剣帝』カタリナ=クーオンもスライク同様、世界から噴き出すような情報の叫びを受け取れる者なのかもしれない。

 理論値を定めるために、スライク=キース=ガイロード、そしてバルダ=ウェズという人知の及ばぬ存在たちすら自らの中で定義してみせたのだろう。

 その代償に体力の方があっという間に削り取られてしまったようだが、彼女が力尽きるまで、狙っていなかったスライクは元より、バルダ=ウェズも彼女の刀に受けをさせることすらできなかった。


 そして。

 バルダ=ウェズの剣にとって問題なのは、“結果”のみを習得する点である。

 あらゆる研鑽や試行錯誤を省略し、強さの結果を習得するシ・ベアトという具現化は、“あのとき”のスライク=キース=ガイロードという存在に適応した最適解を習得しているのだ。


 つまり。


「はっ、猿真似はもう止めたのか?」

「っ、」


 バルダ=ウェズが習得した『武の剣帝』の理論値の行動は、“すでに古い”。


 “速度を上げた”スライクの突撃に、バルダ=ウェズは離脱を繰り返す。

 完全な形で受けられるはずの理論値の構えは今、スライクに適応していなかった。

 最大値を元に組み立てられた理論値の行動は、その前提となる最大値が変動すれば当然“更新”が必要となる。


 技能の本来の所有者ではないバルダ=ウェズでは、『武の剣帝』の動きは最早扱い切れないであろう。

 基本的な構えや立ち回りは最低限備えているようだが、最早どうでもいい。

 体力が保つかは知らないが、あの女がどこまで更新できたかの方が興味がある。


「―――、―――、―――、」


 スライクが振り放った大剣に、バルダ=ウェズは身体を引きながら剣を合わせた。

 少しでも時間を稼ごうとしているのが見て取れる。

 達人の動きで防戦一方とされると流石に即座には決められない。


 ブツブツと、何かの声が漆黒の甲冑から漏れる。

 時間を稼ぐバルダ=ウェズが考えているのは、やはり、“何故通用しないか”なのだろう。


「スライク=キース=ガイロード。お前は戦闘中に……、“力を増している”のか……!?」


 距離を取ったバルダ=ウェズから、必死に、答えを探るような声が絞り出された。

 『武の剣帝』の動きが通用しなくなった理由が、最大値の更新であることには気づいたらしい。


 目の前の事象に必死に答えを出そうとするバルダ=ウェズに、スライクは、大きく、ため息を吐いた。

 思考を止めない者を馬鹿にするつもりは無かったが、考え続けて出てきたのが全くの的外れとなると、流石に不憫でならない。


 いや、不憫なのは。

 あるいは“スライク=キース=ガイロード自身”なのかもしれなかった。


「俺の力が? ……“上がるわけがねえだろう”」


 『武の剣帝』はまだいい。問題はここから先。


 スライクは大きく息を吸い、瞳に宿した殺意でバルダ=ウェズを射抜く。

 そして“気が変わらないうちに”、さらに速度を上げてバルダ=ウェズへ突撃した。


 『武の剣帝』の理論値。その最大値は主に速度を軸として組み立てられる。

 ならばその破り方は、“さらに速度を上げればいい”。


「ぐっ―――、シ・ベアト」


 スライクの殺気を前に、これ以上防戦一方であることに危険性を理解したのか、バルダ=ウェズも突撃してきた。

 利用できるものなど周囲に無い、純粋な力と力の衝突に、『剣』のバルダ=ウェズが選択するのは当然力の“最大値”であろう。


 複雑な更新を要する『武の剣帝』の理論値とは異なり、単純に込める魔力を上げれば上げるだけ威力を増す強大な『日輪の勇者』の魔術の模倣。

 達人に比すれば拙い構えの、しかし強制的に戦場を支配する破壊の一刀が、スライクが振るった剣を迎え撃つ。


 スライクは、大剣を握り潰すほど強く握った。


「―――キャラ・スカーレット!!」

「っ―――、っ!!」


 ――――――、――――――、――――――金属音など最早響かず、世界から音が消失する。

 大気が爆ぜ、両腕が吹き飛ぶような衝撃がスライクを打った。

 カッ、と焼けるような灼熱が、刀身数メートルもない程の剣同士から広範囲に渡って迸り、降り注ぐ雨が地表の泥ごと蒸発する。


 しかし。

 蒸気の中、跡形も残らぬはずのその破壊対象は、眼前の敵をぎろりと睨んだ。


「っう、受け―――」


 『日輪の勇者』の一刀。受ければ致命的な損傷を負う破壊の剣。

 強制的に戦況をリセットするこの魔術がある以上、バルダ=ウェズの討伐は不可能である。


 ならば―――“凌げばいい”。


「――――――ォォォォォォ」


 正面から受けた衝撃で、剣ごと腕が爆撃されたような激痛が走る。

 威力を受け流さず、力を込めていた脚にも雷のような痺れが足り、身体中の感覚が鈍い。

 損傷を負えば離脱が最優先。分かりやすい戦闘の常識が、目の前に確かな答えとして現れる。


 だからスライクは、交差した剣の向こうの獲物に、殺気を向けた。


 スライクが何をしているか。

 “痺れを切らしただけである”。


「ッッッオオオオぁぁぁあああアアア―――ッ!!」


 地獄の底から響き渡るかのような咆哮が世界を震撼させた。

 剣の衝突で蔓延した焦臭混じりの蒸気が怒号に霧散し、押し返すように振るわれた大剣は、破壊を放った漆黒の剣を持ち主ごと弾き飛ばす。

 絶対安全を確保するはずの『日輪の勇者』の一刀を、強引に、力任せに、押し返した。


 そして、災厄が始まる。


「ハッ!!」


 世界を蹂躙せんとするかの如く、スライク=キース=ガイロードが暴走した。


「―――ガアッ!!」

「ギ―――グッ!?」


 怪物は暴風のように突撃し続け、大剣は落雷のように獲物に打ち下ろされ続ける。

 その度、バルダ=ウェズは辛うじて合わせるも、暴発する災害に辛うじて剣を合わせて弾き飛ばされていく。

 地を転ばされ、守勢に回り、しかし幾度となく襲い飛ばされた。


 あらゆる厄災が密集した『名前のない荒野』。

 そこでは、超常生物が、災厄に翻弄され、蹂躙されていた。


「―――、」


 猛攻を繰り広げるスライクの脳に直接、無視をし損ねた、鬱陶しい“ここではないどこか”から正確な戦況が入ってくる。


 現在の身体の損傷。体力。

 そして、バルダ=ウェズの現状。


 案の定、バルダ=ウェズは即座に斬り殺せていない。

 強さを追求し、あらゆる者の技能を習得したこの魔族は、苛烈な猛攻に翻弄されながらも、辛うじて致命を避け続けている。

 力一辺倒で暴れても、技でいなされ威力は軽減されてしまっているようだ。


 “ならば”と、理想的な戦闘方法が思考に混ざり込んでくる。


「―――ハッ」


 だがスライクは、嗤い飛ばす。


 黙れ。

 身体が壊れ、眼前に死なない敵がいる“程度”で、やり方を変える気などない。

 スライクは基本的には合理的な行動を取るが、自分の行動を決めるのは常識や合理性などではない。


「っ―――、決死の、特攻―――、いや、これは……!?」

「おいおいいいのか!? 言い残したいこと考えろっつったろ!!」


 暴れ狂う大剣に翻弄されるバルダ=ウェズから、かつてない程の激しい動揺が感じ取れた。


 決死の特攻。

 そういうものは確かにある。

 追い込まれた者が死力を振り絞り、捨て身で、突如として驚異的な力を出すというものだ。


 しかし、際限なく上がるというわけではない。

 “とある前提の壁”がある。


「おらっ!!」

「ヅ―――ッ!!」


 スライクが大地ごと斬り砕かんと振り下ろした剣を、バルダ=ウェズはどこぞの達人のものか、堅牢な構えを取って真っ向から受け止める。

 ギンッ!! と轟音と共に隕石でも墜落したかのような衝撃が直撃し、バルダ=ウェズから短い悲鳴が上がった。

 交差した剣の向こう、泥に塗れ、至る所が陥没した漆黒の甲冑の貌が、スライクを睨み上げてくる。


 表情が見えないバルダ=ウェズからは、驚愕と、それ以上の“怒り”を感じた。


「っ、っ、っ、やは、り―――っ、」


 強さというものを考えているだけはあり、“何が事実か”バルダ=ウェズは気づけたらしい。

 もともとその、“あり得ない”可能性も考えていたのであろう。


 決死の特攻というものは確かにある。

 だが、前提として、戦闘の激しさというものは右肩下がりだ。

 互いに死力を尽くして消耗するのだから、戦闘のレベルが高ければ高いほど顕著になる。

 戦闘の終盤、死力を振り絞り、突如として戦闘力が上がることはあるが、右肩下がりの直線が一瞬跳ねるだけで、最大値が更新されるわけではない。


 特別な魔術を使ったわけではない。

 特殊な技能を持っていたわけでもない。

 特異な身体で力を増したわけではない。


 技術の領域で何も起きていないことは、模倣の具現化を持つバルダ=ウェズには分かるであろう。

 これは、巨躯が、大剣が、戦場を暴れ回り続けていただけの事象だ。


「“手を抜いていたな”……!?」

「言い方が良くねえなあ、おい。ちゃんと魔族を殺せる程度にゃやってやってたじゃねえか」


 ぐいと大剣に力を籠め、押し返そうとするバルダ=ウェズの動きを封殺する。

 人間の上位互換である魔族の力をもってして、純粋な力比べの先、両者の剣は徐々にバルダ=ウェズに押し込まれていった。


「!」


 また誰かの模倣なのだろう。

 剣に押し潰されるように両断されるはずだったバルダ=ウェズは、スライクの力を受け流し、離脱して見せた。


 追え。

 合理性の叫びをスライクは無視し、離れて構えを取るバルダ=ウェズを見下すように睨みつけた。

 肩で息をするバルダ=ウェズを前に、スライクは悠然と剣を向ける。


 人間の上位互換である魔族。

 高が人間に出来ることなど何ひとつ無く、綿密な計画を立て、大群で囲い、多くの犠牲を出し、ようやく討伐できるかどうかのテーブルに座れるという超常の生物。


 逆説的に魔族が見る、立ち向かってくる人間の力は、常に最高値となる。

 持てる力のすべてを振り絞り、合理や論理の最善を尽くし、ようやく魔族の前に立てるか立てないかの人間に、死力を尽くす以外の選択肢は存在しない。


 “だがスライクは選択できる”。


「―――前から……、以前から、……、何故、何故、何故……」


 バルダ=ウェズの震える声は、様々な情報が混ざり合って混濁していた。

 理解不能な戦闘力を有するスライクに対する困惑と畏怖、そして弄ぶような恥ずべき行為をしていたのかと訝しむ忌避。


 そして同時、スライクが“何故そんなことをしていたのか”という疑問を抱いていた。

 バルダ=ウェズとは以前も交戦しているが、その際もスライクは同じことをしている。


「……」


 スライクは目を細める。


 やはり、バルダ=ウェズは、“知らない”。

 この魔族は、“言われた通り”に行動することしかしていないのだろう。


 あるいはそれは、以前遭遇した『盾』のルゴール=フィルも同様かもしれない。

 ルゴールの方は口数が多く、“内情”に詳しい素振りをしていたが、根本的には何らかの指示の元動いていただけで、“深さ”を感じない。


 “『光の創め』と争うこと”がどういうことなのか、自分自身理解していないのだ。


 『光の創め』でも存在が知られる、『剣』のバルダ=ウェズと『盾』のルゴール=フィル。

 この魔族たちは、『光の創め』の“雑兵”だ。


「……理由なんてどうでもいいだろ」


 スライクは、ぽつりと言った。


 バルダ=ウェズの様子は、無視しても良かった。

 あるいは、無視するべきだった。


 言うほど手を抜いていたわけではない。

 むしろスライクが“あそこまでやって”生存できるバルダ=ウェズは、戦闘力だけならば魔族の中でも指折りの怪物だ。

 そんなバルダ=ウェズが、雑兵となり“蚊帳の外”にいることを、ほんの僅かに、“惜しい”と感じた。

 そんな同情にも似た感情が浮かび、スライクは苦笑する。

 我が身を振り返れば、他者のことを言えはしない。


 確かに、全力を出すことはしていなかった。

 そして、スライクがそうしていた理由は、“確かにある”。


「……“俺がそうしただけだ”」


 それでも、スライクは断じた。


「お前を舐めてたわけでもねえが、……俺が使う力を決めていただけだ」


 事情など説明する必要はない。

 事情に従い行動したのではない。

 事情を元に、自分が決め、自分が行った。

 ただそれだけだ。


「……、…………」


 こちらを探るようにバルダ=ウェズは身じろいだ。

 言葉の裏を探し、スライクの行動の意図を探ろうとするも、裏などないことにすぐに気づいたらしい。

 何しろ惜しいと感じてしまった相手に、スライク自身、余計なことを言っていると自覚していた。


 バルダ=ウェズのように、強さを追求することは、侮ることでは無い。

 生物として、力を得て、他者を凌駕し蹂躙したいと感じることは本能的に正しいのだ。

 生存本能の果ての欲求というものは、確かにある。

 そしてスライク=キース=ガイロードは、魔族ですら凌駕し蹂躙する力を有している。


 今、目の前に、様々な事情に縛られながらも、その本能を追求する存在がいる。


 惜しいと感じるのは、本能に従った正しい道を通り、この水準まで到達しているにも関わらず、バルダ=ウェズが“スライクの模倣が出来ない理由”には気づけないことだった。


「強さが何かを俺に聞いたな」


 マルド=サダル=ソーグは、スライクは“正答”を選ぶ人間だと言う。

 意図せずとも、忌避しても、結果が付いてくる存在なのだと。


 だが、“本当の正答を知る術“のあるスライクは知っている。

 自分の行動は、正答でも何でもない。


 “ミス”だらけだ。


 自分の才能がぴたりと嵌る舞台があるとする。

 自分の力を余すことなく発揮できるそこでは、多くの者に歓迎され、称賛され、歴史に名を刻む偉大な存在になれるかもしれない。


 しかしそれは、自らの才能に従わされた道とも言える。

 それが自らの望みと異なる道の場合、その舞台に縛られるのは、はたして幸運だろうか。


 スライク=キース=ガイロードの場合、さも二代目勇者のように、魔族魔物を襲い尽くし、魔王討伐を目指せば、その力を最大限発揮できるであろう。


 スライク=キース=ガイロードは、旅を始めた時点で、こと戦闘力において、魔族すらも含めた世界の終点付近に在る―――“初期完成型の勇者”である。

 世界中が熱望する魔王討伐すら、旅を始めたときから実現可能な領域に在った。


 だがスライクが選択したのは別の、他者から言わせれば誤った道だ。

 目指すは、現時点ですら影も形も見えぬ―――“日輪の呪い”の答え。

 能力すべてがぴたり嵌る道ではなく、スライク=キース=ガイロードが有する力など通用しない、未知の領域の探索である。


「強さに興味があるお前にゃ悪いが」


 スライクは、息を吐き出しながら、バルダ=ウェズを見据えた。


 これは、本心だ。

 奇をてらったことを言いたいわけではない。

 だが強さとは何かと聞かれると、最初に思い浮かぶ言葉があるだけなのだ。


「俺にとって強さってのは……、どこまで行っても“手段”でしかねえよ」


 スライク=キース=ガイロードにとって強さとは、磨き上げるものではなく、使うものでしかない。

 それは強さに限らない。

 何を成すかを決めるのは自分で、状況も、事情も、相手も、己の才能も、そしてこの大剣も、すべては判断の材料に過ぎない。


 バルダ=ウェズの“強さを目的”とする具現化の剣ではスライクの行動は模倣できないであろう。

 スライクの動きや技術は、切り出して部分的に習得しても意味は無い。

 自らが定めた目的によってスライクはあらゆる行動を取る。

 最善が要求される状況であっても、強弱すら選択することもある。

 技術を軸に力を得ても、スライクの意思によって定まったに過ぎないその行動は、次の瞬間には全く無意味なものとなるのだ。


 他者の技術を理解し習得する具現化では、“目的意識”は模倣できない。


「―――、…………」


 下らなそうに呟いたスライクを見据えたまま、バルダ=ウェズは動きを止めていた。


 スライクは腰を落とす。

 今度こそ“下らないこと”をしたかもしれない。

 いい加減に幕を引くべきであろう。


 理解を求めるつもりもない。

 手段か目的か。一概に優劣があるとすら言えない。ものの見方の軸の違い。もしかしたら表現のレベルでの誤差かもしれない。

 そのほんの僅かな違いに、気づける者も気づけない者もいる。


「―――そう……、か」


 そして。

 ほんの一言。僅かなきっかけ。

 その一瞬で気づく者―――“化ける者”もいる。


「強さを、使う―――“この思考か”」


 スライク=キース=ガイロードは、“ミス”を犯した。


「……問題は、私自身の思考。……だから―――“あれ”も模倣できなかったのか」

「―――、」


 スライクは突撃する。

 狙う獲物も即座に構えを取り、スライクを迎え撃たんと突撃してきた。


 蹂躙され、怯え、身を守る様子は、無かった。


 『剣』のバルダ=ウェズは、具現化の剣を、いや、高が道具を握り締め、甲冑の貌でまっすぐにスライク=キース=ガイロードのみを睨み捉える。


 スライクに、バルダ=ウェズのかつてない程の強烈な目的意識―――純粋な殺意が突き刺さった。


「―――“キャラ・ブレイド”」


 それが具現化による模倣のための言葉なのか、バルダ=ウェズ自身の意思表示のために発した言葉なのかは分からない。

 スライク=キース=ガイロードの部分的な模倣ではなく、その存在自体となるその言葉からは、痛烈な死の匂いが放出された。


 眼前から、見ただけでは殺意しか感じない、次の瞬間に何をするかも分からぬ怪物が突撃してくる。

 何をするかを決めるのは、常識でも状況でも合理性でもなく、奴の意思のみだ。


 これは、スライクの明確な“ミス”だった。

 不用意に刺激した敵が、自らの壁を突き破ったのだ。

 もともと全力を控えていた自分の行動と、何ひとつ整合の取れない無意味な行動でしかない。


「―――ハ。あの野郎、本当に面倒なことをしやがる」


 だがそれでも、スライクは笑い、嗤う。

 自分のことを棚に上げ、やりたいことをやり、言いたいことを言う。

 ミスを犯さず、合理的な行動のみを是とするのであれば、自分の旅はすべて非だ。


 それにそもそも、それくらいでなければ退屈だ。


「何も気にせず目の前の野郎をぶっ潰すのも―――嫌いじゃねえよ」


 怪物と怪物が、互いにその身を刃と化し、流星のように相手に向かって吸い寄せられていく。

 この身も、剣も、自分の意思のための道具でしかない。


 スライクの日輪の光とバルダ=ウェズを纏う黒煙が混ざり合うその刹那、甲冑の向こう、初めて、バルダ=ウェズが嗤っているような気がした。

 鏡のようだ、叩き割るに限る。


 スライクが、バルダ=ウェズが、その剣を、己が思うまま、振るう。


――――――ゾ――――――


 その刹那。

 天から、あるいは、“ここではないどこか”から、その場すべてを押し潰すような、“確定した死”の気配が降り注いだ。


「―――、」


 僅か乱れたのはバルダ=ウェズ。

 最適な行動は一瞬で更新され、しかし即座に“剣の速度を上げた”。


 僅かにも獲物から意識を逸らさなかったスライクの剣に追いつくように、あるいは追い抜くように、正確に剣を“使い”、瞬時に目的の獲物に走らせる。

 強さを目的として積んだ研鑽は、土壇場でも裏切らない。


 が。


「―――!?」


 打ち合うかと思われた剣が空を切る。

 バルダ=ウェズに向かっていた眼前の死は、衝突直前、軌道を変えた。

 バルダ=ウェズが放った死に対し、スライクは掠める程度に半身になってやり過ごす。


 人の身では触れるだけでも死は免れない剣を回避し、しかしスライクは、それすら見ていなかった。

 時間が止まったような空間の中、悠然と、スライクの大剣が、頭上に掲げられている。


 突如として感じた天からの死の気配。

 それによって乱れ、しかし取り返すように速度を上げたバルダ=ウェズの急いた行動。

 そのすべての状況を、自分の目的のためだけに使い、殺意だけを眼前に突き刺し続けた“正答者”が、ぎろりと獲物を睨んでいた。


「そいつがスタートラインだ、その先に付き合うほど暇じゃねえ」


 本心か挑発かも分からぬ言葉が怪物から発される。

 そしてバルダ=ウェズに、その凶刃が、災厄が、降り注ぐ。


『―――はっはー。本当にバケモンだな、スライク=キース=ガイロード』


 ザンッ!! と。

 スライクの大剣が振り抜かれた。

 漆黒の甲冑は袈裟斬りに割かれ、落雷を受けたかのようにバルダ=ウェズが斬り飛ばされる。


 触れれば死を免れない、スライク=キース=ガイロードの浸食の剣を受けたバルダ=ウェズは、鮮血を舞わせながら泥の大地に倒れる。

 しかし、僅かなのち、バルダ=ウェズを纏う黒煙にも似た“黒い靄”が地中から噴き出し、徐々にバルダ=ウェズを飲み込んでいった。

 魔門による“召喚移動”。

 “奴ら”特有のその移動方法は、何度見ても慣れぬ、人類では理解できない超常現象である。


「……」


 しかしそんな異常な光景を、スライクは見ていなかった。

 振り抜いた剣をゆったりと掲げ、十数メートル程度先、剣同士の激突の特等席とも言える場所にぽつりと立つ“存在”に向ける。


 その存在は。

 豪雨の中、雨なのだから当然だと言うように、透明な傘を差していた。

 それなりに若い健康色の顔立ちも端正に見えるが、適当に整えただけのような黒い短髪は耳の後ろが小さく跳ねており、薄っぺらな瞳に、剃り損ねたような薄い無精ひげを生やしている。

 暴れる環境の中、寒さに耐えるように厚手のレインコートを着込み、泥にぬかるむ地面の上、居心地悪そうに足踏みする、そんな普通の、中肉中背の優男。


「悪かったよ、茶々入れたかったわけじゃない。つい言葉が漏れただけだ。許せよ、よくあることだろ、スポーツ観戦しながらの独り言ってのは」


 そしてその男は、豪雨の中でもはっきり聞こえる快活な声と共に、白い歯を見せるように笑った。


 あらゆる環境が暴れ、今にも空から死が降り注がんとする『名前のない荒野』。

 そこに、ただ、普通の人間としか思えない“何か”がいた。


 それだけの、ことだった。


「……てめえが」


 スライクは、異常の中の正常に、容赦なく殺気を向けた。


「『召喚』のジャバックか」

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