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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
中央の大陸『ヨーテンガース』 ドラクラス編

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第75話『光の創め18---根源の扉---』

“――――――”


 勇者様の冒険はまだまだ続きます。


 辿り着いた山奥の村では、多くの人が困っていました。

 隣の村へ行くためには、たったひとつの山道を通らなければいけません。


 しかし、その道を、通せんぼしている人がいました。

 隣の村にはおいしいご飯があるのです。

 通せんぼしている人は、ひとり占めしようとしていたのです。


 長い間たくさんの人がお願いしても、通してくれません。

 みんなお腹が空いています。


 そこで勇者様たちはみんなのために頑張ります。

 山道に行って、その人と話をしました。


 その人の話を聞いた勇者様は、世界にはもっとおいしいご飯があると教えて上げました。

 勇者様に説得されたその人は、皆にごめんなさいをして、勇者様の仲間となります。


 勇者様はその人を懲らしめたのではありません。

 その人の望みを聞き、一緒に考え、共に旅立とうと誘ったのです。


 人同士で争ってはいけません。

 心優しい勇者様のお陰で、みんな幸せになったのでした。


『それ以上進むことはお勧めしません』


『ひっ、で、出たぁっ!』


『ちょっ、みんなして私の後ろに隠れんなし!』


『お。……あんた、ここがどこだか分かるか? この辺りに“人斬り”がいるって聞いて来たんだけど、迷っちまって』


『何言ってるのルーツ! 絶対あいつよ!』


『そんなことないだろ、噂によると近づくだけで襲ってくるって話じゃないか。ほら、話せている』


『いかれてるんじゃないの、……って言ってるよ?』


『私の後ろに隠れながら言うと私が言ってることにならん!?』


『……他所でやっていただけますか?』


『ああ、悪い。……分かった、ここから進まなければ話は出来るか?』


『…………。私に何の御用でしょう?』


『ここを通して欲しいんだ。ついでに言うと、奥にも用がある』


『―――排除、させていただきます』


『ひっ、いけっ、馬鹿女!! 格の違いを見せてやれ!!』


『あっち側に付きたくなってくるんだけど!?』


『あーもう、お前らうるさいっ!! 悪い、ちょっと待っててくれ』


『……』


『……、…………。……待たせた。日を改める。また来るよ、今度はひとりで』


『何度来ようとも、お通しできません』


『……あんたのことは調べたよ。あんたがここにいる理由はもう無いって、あんたも知っているんだろう?』


『……理由? 理由、とは?』


『…………そこから、か。いや、俺が悪かった。分かったよ。ますます―――ぶっ壊さなきゃいけないんだってことが』


『……? はあ』


『それじゃあまた明日。……ほら、お前ら帰……って遠っ!』


『……。…………。……………………。何だったのでしょう』


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


“―――***―――”


「勇者様のご意見です!! 直ちに避難活動を!!」


 『智の賢帝』シャロッテ=ヴィンテージは魔導士に声を張り上げた。

 動揺したまま魔導士が旅の魔術師を引き連れて駆け出したのを見届け、増水した川の淵を駆け続ける。

 今はとにかく、人手だ。


 昼頃から本格的に降り始めた雨は激しさを増していた。

 水源の確保、そしてドラクラスの引っ越し計画のために建てられた村のような拠点は、その中に、枝分かれさせた川を這わせるような構造のため、川の増水は致命的な影響を及ぼす。

 とはいえ、もちろん多少の増水程度であればものともしないほどの設計ではある。


 だが、雨量の少ないことで知られるネーシス大運河近辺は、現在歴史的な大豪雨に襲われていた。

 空が落ちて来たかのような豪雨に、目と鼻の先にいる人間にも怒鳴りつけなければ声は届かないほどである。


 シャロッテが避難活動を開始した際、最初に行ったのは、当然魔導士隊への通報である。


 村に常駐している魔導士を探し出し、怒鳴りつけるように“ご意見”を伝えたあと、今はネーシス大運河から引く川の端を遡るように駆け、途中点在する仮設された小屋を順々に回り、滞在する魔導士と依頼を請けた旅の魔術師や警護団傘下の者たちに、村の避難活動を要請しているところだった。


 こうした緊急時、最も危惧すべきは初動の鈍さだ。

 魔導士隊はあくまで魔術のプロである。

 分かりやすく魔物が襲ってきたなどの事態には即座に対処して見せるだろうが、天災となると話は違う。

 多少天気が崩れた程度で、騒ぎ立てるような者は魔導士隊にはいない。

 気象的な災害への対応は、もしかしたら無事にやり過ごせるのでは、という心理が働き、動きが鈍くなりがちだ。民間人たちと感度はさして変わらないだろう。

 その上彼らはドラクラスの指示を受け、持ち場を離れないように厳命されている。

 暴れる川からは距離を取っていたものの、未だ辛うじて稼働している川の流れを調整する機器の防衛を続けていた。

 実際、シャロッテも逆の立場だったら動きは鈍っていただろう。


 そこで役立ったのが『日輪の勇者』ヒダマリ=アキラの言葉である。

 魔導士隊にとっては、“しきたり”の手前、『智の賢帝』の言葉以上に効果がある。


 流石の天候の酷さに、魔導士たちも指示を待つだけでなく、自分の判断に従って行動すべきかを考え始めていたところだった。

 そこに、“一考の予知”がある勇者様の意見は、一抹の不安を覚えていた彼らが能動的な行動を取るのに十分な効果があった。

 彼らとしては、ドラクラスの指示を破った建前があれば、心置きなく行動できるだろう。


 待っていたとばかりに、避難活動を開始した魔導士隊は数名を残し、旅の魔術師たちを引き連れて弾かれるように村へ向かって駆けて行った。


「……」


 シャロッテはその背を見送ることもせず、次の仮設小屋を目指して駆け出す。

 初動の鈍さはある程度解消できている。

 だが、未だ足りない。


 何しろ今から、村にいる人間や資材の“すべて”を避難させるのだ。


 突然の豪雨に、村に在住するカトールの民をはじめとした民間人は混乱の只中にいる。

 視認性も悪く、信号弾すら頼りにはならない。

 愚直に人の集まる場所を周り、一刻も早く動ける人間を増やさなければならないのだ。


 川上の堰へ向かう中、刻一刻と雨は激しくなっていく。

 真横を流れる川も勢いを増し、シャロッテの記憶より倍近い川幅となっている。川の勢いを制御する設備も、いくつか吹き飛ばされたように破損していた。


 この村の上流の堰には、ドラクラスの管理本部もある。

 技術者も多く、天候に詳しい者もいるだろう。

 流石の事態に状況把握は出来ているはずだ。


 しかし間もなく到着するほど駆けてきても、堰からこちらへ向かってきている者はいない。

 暴れ狂う川が村に雪崩れ込まないことを最優先で対応しているのだろう。


「!」


 そこで、ようやく堰の方から信号弾が上がったのが見えた。

 前も見えないほどの豪雨の中、それでも流石の魔導士と言うべきか、はっきりと分かる魔術で打ち上げられた赤は、危険信号である。

 ようやく本格的に、この天候を前に村から撤退すべしとドラクラスが判断したらしい。


「―――……」


 シャロッテは頭をフル回転させる。

 天候、風向き、地形。

 となると。


「……シャ―――。私た―――避―――動を―――る?」


 息を弾ませて駆けるシャロッテの隣、同行しているイスカ=ウェリッドが降りしきる雨に鬱陶しそうな表情を浮かべていた。

 声はほとんど聞こえないが、村の方を指差している。


 彼女もあの信号の意味は分かったのだろう。

 堰の本部が状況を把握したのであれば、人手が必要な村へ向かうべきだと言っているのかもしれない。


 “その通りだ”。


 シャロッテは力強く腕を堰に突き出して進路を示すと、イスカと共に駆け続ける。

 そのままの勢いで堰に辿り着き、その手前、普段から人が待機している小屋へ駆け込んだ。


 飛び込むように突っ込むと、雨に打たれ続けた身体中が痺れるように痛む。

 暖が取られた室内と外の気温の差にせき込みかけると、慌ただしい様子の魔導士たちがぎょっとした顔でこちらを見てきた。

 魔導士の内ひとりはずぶ濡れだ。もっと奥の本部から来た伝令だろう。


「シャロッテさん。今ちょうど危険信号を上げたところで、」

「それは見ました! すでに村では避難活動を開始しています!」


 弾ませた息を整えることも無くシャロッテは叫んだ。

 流石というような表情を浮かべられたが、全く心が弾まない。

 顔に張り付く髪が鬱陶しく、行儀悪くかき上げて、シャロッテは魔導士たちの様子を素早く舐める。

 すでに村への出発の準備を整えているようで、彼らも今からこの雨の中駆けていくのだろう。

 初動が早かっただけはあり、猶予はある。


 “この村は”、だが。


「第6、7、13拠点の返答はありましたか!?」

「……、」


 頭の中身そのままをまくしたてたシャロッテに、伝令の魔導士は一瞬固まり、しかし即座に理解を追いつかせてみせた。

 結果、魔導士は眉をひそめた。


 ドラクラスの引っ越し計画のために建てられた拠点は、20ほどある。


 川上に近いここは第2拠点で、ネーシス大運河を下っていくと同じように川を引き、堰と拠点が点在しているのだ。


 とはいえ、場所によって多少の差はある。

 すべてにドラクラスの管理本部があるわけではなく、定期巡回しているだけの拠点も多い。

 そうした拠点は、信号弾でドラクラス管理本部とのやり取りをしているのだ。


 拠点のほぼすべてを周ったシャロッテの頭の中には、周囲の地形が完璧に記憶されていた。

 シャロッテが口に出したのは、この第2拠点から信号弾による指示を受ける拠点の一部である。


 先ほど上がった信号弾は、近くにいればよく見えたが、風向きや豪雨の中の乱反射、そして地形の高低や遮蔽物を勘案すると、届いていない可能性が高い。

 他の拠点も応答の信号を出すのだが、シャロッテが挙げたのは状況によってはそれらも確認しにくいと前段階でも危惧されていた拠点である。


「それらの拠点は今日のこの時間、設備担当者も滞在していません」


 頭に入っているのは彼らのスケジュールもだ。

 この豪雨の中、しかし魔導士であっても、“まだ大丈夫ではないか”と思ってしまう可能性がある。

 ドラクラスの指示を守る魔導士たちに、客観的な意見を出す専門家すらいないとなれば、避難活動は滞るだろう。


「わ、分かりました。すぐに伝令を出すように掛け合います」

「お願いします。……第7拠点は私が向かったとお伝えください」


 そして、この堰にいる人員も把握している。

 ここは特に重要な管理本部だ。人は多いが、頭を使ってもらわなければならない者たちである。下手に駆り出して現場の混乱に巻き込まれ、せっかく信号が届いた別の拠点との連携が崩れれば目も当てられない。

 伝令を捻出できて、2拠点分程度だろう。


「馬をお借りします!」


 シャロッテは返答を待たず、外の豪雨へ駆け出した。

 次は馬小屋だ。

 第7拠点へはネーシス大運河から一旦離れて開けた地平を進むことになる。

 あの辺りは豪雨の中でも地盤はしっかりしているはずで、この天候でも通行自体は可能だろう。


「イスカ嬢も伝令に来てくれますか!?」

「も、もちろんよ!! 旦那様の言いつけですもの!!」


 走りながら、豪雨に負けぬよう怒鳴るように声を張り上げると、頼られたことがよほど嬉しかったのか、イスカはこの緊急時にも得意げな表情を浮かべていた。

 かえって不安になるが、彼女はそういう人間と割り切るしかない。

 彼女もふざけているわけではなく、真剣なのだろうが、余裕が見え隠れしていた。


 “そういうところが関係あるのかもしれない”が、やろうとしていることに彼女は“必須”である。


 霞むように見えた馬小屋には、すでに人が集まっているようだった。

 この天候では人はおろか馬ですら移動が困難になる。

 魔導士隊や警護団傘下の者たちが避難活動に勤しんでおり、嘶く馬たちに防雨シートをかぶせて堰から退避させようとしていた。

 散々利用しておいて言うのもあれだが、多数の馬は避難の際の足枷になるだろう。


「管理本部からの指示です! 1頭お借りします!」


 威を借り続けているシャロッテだが、そこまで嘘ではない。『智の賢帝』にそう言われ、ごねる魔導士はいないであろう。

 突撃するように入った混雑する馬小屋の中、シャロッテは目敏く身体の大きい上等な馬を見つけ、馬を運び出そうとしていた魔導士から譲り受けた。

 隅の資材の箱から鞍などの装備を引っ張り出し、手早く馬に付け始める。

 譲り受けた馬は、近くで見るとより一層立派な体躯だった。

 悪天候の混乱も手伝って、今にも暴れ出しそうな活力を感じる。


「……イスカ嬢、後ろに乗ってください」


 出発の準備が整い、僅かに息を吐けた。

 シャロッテは、こんなときでも魔導士隊を警戒するように窺うイスカに、僅か呆れる。

 身のこなしは軽く、息も弾ませずについてきた彼女だが、つい先ほどまでの魔導士隊たちのように、緊急時でも緊迫した様子はさほどない。

 速度だけを考えれば、シャロッテひとりで馬に乗って走った方が早いであろう。


 だが、彼女がいてよかった。


「今から向かうルートは川から避難した魔物がいる可能性が高いです。イスカ嬢、“魔物避け”をお願いしますよ」

「え?」


 自覚は無かったようだが、幾度か行動を共にしたシャロッテは推測を立てていた。

 魔導士隊が常駐するような拠点でも、自然を強引に開発して建てたのだ、魔物などいくらでも出る。

 しかし何故か、イスカの周囲には魔物が出ない。


「イスカ嬢は魔物から避けられるんです。魔力の気配が嫌われるというか、そういう、匂いのようなものがあるようです」

「臭い!?」


 人間からでは分からない。

 実際今、目の前で、すんすんと自分の腕の匂いを確認しているイスカは、濡れた犬のようにしか見えなかった。


 分からないものを、分からないまま使う。

 そうしたものには強いストレスを覚えるが、今は有事だ。

 そして、あたかも北の大陸で研究が進む魔物対策の仕掛けのように、何故か魔物から避けられる人間というのは実在する。

 最近行動を共にした『数千年にひとりの天才』がまさにそれだ。彼女と行動を共にすると、魔物との遭遇率が激減する。

 こちらから襲ったり、余程の敵意があったりする魔物は別だろうが、こうした災害時に暴れ狂う川から離れるように、『雪だるま』イスカ=ウェリッドも、魔物にとって“離れることが当たり前”の人間である。


 この雨の中、魔物と交戦でもしようものなら大きく時間が取られる上、視野も悪く、そもそも危険極まりない。

 魔導士隊でもやすやすと伝令を出せない。

 ここから向かうルート上、最も魔物との遭遇率の高い第7拠点を請け負えるのは、自分とイスカくらいであろう。


「……これ、走れるのかしら?」


 雨に濡れた自分の匂いに正確な判定は下せなかったらしく、心細そうに身をよじりっていたイスカが、ふと、今さら気づいたように馬を見た。

 馬小屋の外は別世界のように天候が暴れ回っている。

 彼女に乗馬の心得があるのかは知らないが、ほとんど水没しているような地面を馬で走れないことは分かるだろう。

 だが、だからこそ自分が請け負ったのだ。


 シャロッテは馬にまたがり、イスカを乗るのを待って、人差し指をぴんと立てた。

 指から、ライトグリーンの光が漏れる。


「失礼しますよ。―――ヴィティカル」


 またがった馬が嘶いた。

 木曜属性のシャロッテが放った魔術は、対象の力を向上させる“強化付与”である。

 当然悪天候の影響は受けるだろうが、水没してぬかるんだ程度の地面であれば物ともせずに駆けられるだろう。

 だが、扱いの難しい状況である。

 過剰な強化をすればあっという間に潰れてしまうであろうし、弱ければ進めない。


 通常人間の味方に放つ補助魔術だ。

 シャロッテといえども、馬の思考は読み切れない。無理なく速度を保てるように、都度都度調整した魔術を放つ必要があるだろう。


「行きますよ」

「え、ええ」


 ライトグリーンの光を纏った馬が疾走する。

 匂いを気にして距離を取っていたイスカが必死にしがみついてくるほどの速度で樹海の中を突き進み、あっという間に開けた荒野に出た。

 やはり豪雨では視野が悪い。

 方向を見失わないように気を張り、馬の状態を確認しながら進む今、案の定周囲の索敵がおろそかになっていた。

 イスカの存在があるとはいえ、こちらから魔物の群れに突っ込んでいったら話は違うであろう。

 その場合も交戦ではなく、“弱化付与”でも放って群れを撒く必要がある。無暗に使えばあっという間に魔力切れだ。


 豪雨の中、シャロッテは変わらず頭を働かせ続ける。


 どこまで近づいたら持参した信号を上げ始めるべきか。

 その際信号弾に反応してしまう魔物はどのような種類が考えられるか。

 そして拠点から応答がなかった場合に考えられることと、その対応策は何か。

 到着した際に最初にすべきことは何か。

 この視野が悪い中進む自分たちに今から起こる危険は何で、それぞれ発生したら何をすべきか。


 ありとあらゆる可能性を並べ立て、何が起きても即座に行動を起こせるよう、それぞれに抜け漏れのない対応方法を考える。

 何事も、事前にどこまで備えられているかだ。


 口に含んだ雨水を行儀悪く吐き捨て、暗闇のような雨天の下を駆け続ける。

 いつ魔物が現れるか、そしてそもそも馬が足を取られて横転する危険もある何も見えない道を、必死に駆け続ける。


 冷静に働かせ続ける頭に、もっと冷静な自分が囁いてきた。

 本来ならば今頃自分は、豪雨とは無縁のドラクラスの中にいた。

 稼ぎに稼いだ依頼料で欲望のまま服を買い漁り、脳が焦がれるほど欲する糖分を、体形が崩れる背徳感と共に味わっていたであろう。


 知ってしまった以上、分かってしまった以上、問題には手を伸ばすが、問題がある場所に駆けつけてまで手を差し伸べようとは思わない。

 知っていても、出来ることと出来ないことがある。

 今のようにこの場に居合わせても、魔導士隊への通達を済まし、他の拠点は彼らに任せ、元の村で救助活動を行うのが賢人の判断だったであろう。

 信号が届いていないかもしれない拠点に、魔物に襲われるリスクも事故に遭うリスクも取りながら、必死に馬を飛ばすなど『智の賢帝』シャロッテ=ヴィンテージにあるまじき行為だ。


 自分がこうしているのは、きっと、ヒダマリ=アキラと出逢ったからだ。

 具体的に何がどうというものではない。

 彼と接し、同じ時間を過ごしたせいか、自分の出来る出来ない、やるやらないの境界線が、曖昧になってしまったような気がする。


 まったくもって、迷惑極まりない。


 自分の判断は正しかった。

 彼といると、危険に遭遇する。

 そして、どうしても、それを放っておこうという気にはなれなくなってしまう。


 これほど危険で、これほど愚かな行動の中、しかしシャロッテの気分は、不謹慎ながらも高揚していた。

 出来ないことが無くなっていくような興奮が、胸の中に生まれるのだ。


 しがみついてくる後ろのイスカに応じるように手綱を強く握り絞め、道なき道を疾走する。


―――***―――


「キャラ・ライトグリーン」


 ヒダマリ=アキラは、ぼんやりとした瞳のまま、ゆっくりと魔術を発動させた。


 妙に現実感が無い。

 目の前の光景は遠く、自分の身体ですらも外から捉えているようで、しかし意識を向けてもぼんやりとした光景だった。

 まるで日常のありふれた光景を眺めているように、気を張るまでも無い、新鮮さなどまるでない、“知っていることしかそこには無い”。


 “ヒダマリ=アキラと何か”が対峙しているのは、海と見紛うネーシス大運河を生み出す巨大な滝が流れ落ちる岩山だった。


 普段であればその滝の通過点であろう山の中腹には、頂上付近から流れる滝の勢いが弱まった、開けた場所があった。

 この岩山は、頂上付近を覆う分厚い雲によって年中豪雨が降り注ぎ、人はおろか魔物ですら近づけない、ヨーテンガースに多々ある未開の地のひとつである。


 不思議と形を保ち続けていたその場所は、数百メートルほど開けており、山だというのに中央には巨大な湖がある。

 年中注いだ雨によって、地面も岩肌も鏡のように磨かれ、幾数年ぶりに差した日によって輝いていた。


 もともとただの自然で生まれた雨ではない。

 とある魔物の存在が創り出した空間であり、そしてその魔物はとある魔族が創り出した絵本の世界の住民だ。


 深く考えることに意味は無いだろう。

 魔物の作り方など分からない。

 “必要ならば”と脳の奥、いや、“ここではないどこか”が蠢いたが、アキラは、気を張って、強大な“何か”の渦に引きずり込まれないように踏み留まった。


 浮遊感すら覚える現実味のない光景を前にアキラは、頭の片隅にしがみつくように残った何かが、か細くも訴えてくる。


 今から自分は、やらなければならないことがある。


 目の前には、突如現れたヒダマリ=アキラを警戒する魔族がいる。

 それでも徐々に落ち着きを取り戻し始めているのか、無表情ながらも肩をすくめる黄色い人形のような造詣の存在は、『光の創め』の構成員―――『盾』のルゴール=フィル。


 間に合わせないと。


「……。いやいや、こんなところで会うとは流石にびっくりしたよ。初めましてだね。僕はルゴール=フィル。君はヒダマリ=アキ―――」

「―――、」


 無表情でにこやかに語りかけてきたルゴールに、アキラは構わず突撃した。

 相手は魔族。ヒダマリ=アキラに余裕など存在しない。


 鏡のような岩の上を疾走し、アキラは剣を振りかぶった。


「キャラ・スカーレット!!」

「!」


 アキラが放った剣に、ルゴールは両腕で身を守る。

 同時、爆音。

 火曜の力を再現した魔術は、木曜の力で振り抜かれ、ルゴールの身体ごと斬り飛ばされた。


 しかし。


「―――っ、づ、づ、づ、……いきなりご挨拶だね。そんなに慌ててどうしたんだい?」


 岩壁まで“弾き”飛ばされたルゴールは、すぐさま立ち上がり、アキラの攻撃を受けた腕を庇うようにさすりながら呟いた。

 『盾』のルゴール=フィルは、身体の硬度を自在に操る魔族である。

 聞いていた通り、『盾』を冠しているだけはあって、耐久性は折り紙付きであろう。

 アキラの攻撃でさえ、ルゴールが守りを固めれば凌がれる。


 決め切れると思っていなかったアキラは即座に突撃した。


 今。

 ルゴールは、何故この状況になっているか理解し切ってはいないだろう。

 天候が荒れ、魔導士隊たちがこの岩山に不穏なものを感じたまではいい。

 避難活動に駆り出された魔導士隊の依頼を請け、この岩山の調査をアキラに依頼したというのも予想は出来るだろう。

 そして、延々と山を登った先、たまたま魔族と遭遇した勇者が戦闘を仕掛けてきたというのも、起こり得ない話ではない。

 だが、“それにしても早すぎる”。

 天候が崩れ始めてからすぐ、一直線にこの場に来て間に合うかどうかだ。


 そして、あるいはアキラも、自分が何故魔族にひとりで挑んでいるのか理解し切ってはいなかった。

 人は動機をもとに行動する。

 頭で理解した理由をもとに、自らが成すべきことを見定める。


 そういう意味で、アキラは自分の行動を頭で理解できていなかった。

 目が覚めてから、少しでも何かを考えようとすると、脳が溶け出し、膨大な渦に飲み込まれて消えるような頭痛に苛まれ続けている。


 だが、正しい。これが“正答”だ。

 日輪属性に根拠は要求されない。必要なのは、“何がしたいか”だけである。

 自分の想いに従ったとき、まるで決定事項のように、やるべきことはこれであると、あらかじめ定められていたことを遂行する。


「!」


 アキラの様子に、ようやく意識を戦闘に落としたのか、ルゴールが右腕を突き出した。

 その瞬間、腕が伸び、鋭い槍となってアキラを襲う。

 離脱しようとするのも束の間、破壊光線のように走った腕の槍に辛うじて剣を合わせた。


「……へえ。かわせるとはね、驚いた。でも、ちゃんと見ないと危ないよ?」

「!?」


 衝撃に剣が弾き飛ばされそうになるも、辛うじて受けきったアキラに、今度は左腕が突撃してくる。

 迷わず身を屈めたアキラは動きが止まるのを嫌い、鏡のような岩の地面へ強く倒れ込み、その勢いで離脱した。


「づ―――」


 伸縮自在、硬度も調整可能なあの身体自体が『盾』のルゴール=フィルの強力な武器である。

 強化した身体能力で飛び込んだ岩の地面に強く肩を打つも、やはり動きは止められない。

 ルゴールは遠方から、まるで遠距離魔術を放つように槍と化した腕を伸ばしてくる。


「少しは落ち着いたらどうだい、君とはゆっくり話をしてみたかったんだ」


 そう言う間にもルゴールは攻撃を続けてくる。

 アキラは応答しなかった。

 ルゴールは心を読む術も有している。

 日輪属性相手では効果は鈍るであろうが、猶予を与えればこちらの“狙い”が読み取られるリスクが出てしまう。


「らっ―――っ!!」


 幾度も転がるように回避し、アキラはルゴールの腕を側面から剣で弾いた。


 そして頭を強く振る。


 これ以上は、“まずい”。

 これ以上この感覚に身を委ねれば、流石に異変に“気づかれる”。

 アキラは、“ここではないどこか”の感覚を、強引に頭の奥に押し込んでいった。


 ぐいと、眼球の裏を押し込まれるような感触が走るも、何故か痛みはない。

 そのまま押し込まれていくと、広大な運河のような何かに溶け込んでいた、あまりに矮小な自分の存在が形作られていく感覚を覚え、それと同時、吐き気を催すほどの酷い頭痛と、どうしようもないほどの不安が身体中を支配した。


「ぅ……」


 すぐにでも溶けて戻りたくなるような欲望と、しかしこれ以上委ねれば取り返しのつかないほど自分という存在が薄れ消えゆく恐怖に苛まれ、アキラは辛うじて、“自分”を選べた。

 ピントがずれていたかのような眩暈に襲われ、しかし徐々に馴染みのある自分自身という存在を感じ始める。


 そこでようやく。

 ヒダマリ=アキラは、目の前にいる魔族の姿がはっきりと見えたような気がした。


「……は?」


 急に現実感が戻ってくる。

 地面に突っ込んだ肩の痛みがずきりと痛みを発した。


 熱を出したときの悪夢から目が覚めたようなアキラは、自分がそんな夢など比較にもならない、とてつもなく危険な状況にあることを自覚した。


「何だ、調子でも悪いのかな? まあまあ、ゆっくり休むといい―――さ!!」


 魔族の聲が、はっきりと聞こえる。

 甲高い、子供のような声だった。


 そして、目で追えぬほどの速度で迫る槍のような腕。


「―――ぃっ、キャラ・ライトグリーン!!」


 意識がはっきりしたアキラは、結局先程のように地面に飛び込む羽目となった。

 身体を強く打ち、それでも転がり回ってすぐに立ち上がる。

 寸前までアキラがいた位置を、ルゴールの腕が風切り音を残して貫いていた。


 特異な身体を用いて、魔族の力で相手を貫くこの攻撃は、ルゴールにとっての“奥の手”だ。

 数十メートル先にいる対象に、魔術ではない物理的な刺突を放つという、奇襲用の一手である。

 以前アキラの仲間たちが遭遇したときも、この攻撃はほとんど使用していなかった上に、ここまで伸ばせるとは聞いていなかった。

 アキラも今始めて見たのであれば危険だったかもしれない。


 幸運にもルゴールの奇襲を凌いだアキラだが、絶望的な状況にいることは何ひとつ変わっていなかった。


 ここは岩山の中腹で、増援も退路も無い。

 いや、増援や退路があっても、目の前にいるのは“魔族”なのだ。

 超常的なその存在に、ひとりで遭遇した人間が出来ることなど何ひとつ無い。


 そしてその魔族、ルゴール=フィルは、アキラを見逃す気などさらさらないであろう。


 降って湧いた“大きなチャンス”に、存在しない目を輝かせているのだから。


「―――っ」


 そこでアキラは再び頭を振る。

 あの感覚の残滓が、未だに頭のどこかに残っていたようだ。


 いや、今はいい。

 自分で勝手にやってそうなっているだけだが、今はこの明確な“危機”に真っ向から立ち向かわなければならない。


「……? どうしたんだい、急に現実が見えたのかい?」


 我に返ったアキラは、必要以上に目の前の戦闘に没頭する。

 今はとにかく、戦闘だ。


 心を読める魔族らしいが、そんなもの使わずともアキラの様子が変わったことが分かったらしい。

 突撃してくる腕に防戦一方のアキラに、ルゴールから分かりやすいほどの余裕が見えた。

 遠方からの攻撃に、アキラは何もできない。


「―――っ、普通の魔術だったらな! キャラ―――」


 飛来してくるのは槍と化した“腕”である。

 アキラはルゴールの腕を全力でかわすと同時、強引に反転して剣を振り上げた。

 襲ってくるのが腕ならば、その腕を斬り割けばいいだけである。


「おっと、―――!?」

「―――ライトグリーン!!」


 瞬時に腕を引いたルゴールに、動きを読んでいたアキラは突撃した。

 収縮する腕に追従するように接近すると、今度はふりではなく、本気で魔力を剣に込める。


「キャラ・スカーレット!!」

「っ―――、っと」


 バゴンッ!! と、辛うじて回避したルゴールを捉え損ねた剣が、鏡のように磨かれた岩壁を爆撃音と共に崩壊させる。

 岩山を震撼させたアキラの攻撃に、岩壁の亀裂は波紋状に走り、上部の岩壁が崩落し始めた。


「ふう、危ない危ない、なかなか考えるね。―――じゃあ、これはどうだい?」


 息を吸って吐くように、距離を取ったルゴールから黄色の光弾が射出された。

 ルゴールにとっては遊びでしかないその魔術は、魔族の魔力によって放たれた、痛烈な死の匂いを放つ凶弾である。


 “そしてそれが十数発”。


「―――キャラ・グレー!!」


 落石を離脱しながら、アキラは必死に黄色い光弾を切り捨てる。そのたびに、剣が腕ごと弾き飛ばされかねない衝撃がアキラを襲った。

 また自業自得だ。

 自分で飛び込んだのだが、気づけば背後を岩壁に塞がれていた。左右にしか離脱の選択肢が無いアキラにルゴールは的当てでもするように魔術を放ち続けてくる。

 回避すればするほど、アキラが亀裂を入れルゴールの魔術に穿たれる岩壁は崩れ続け、いつしかアキラはこのエリアの中央を割くように溜まる巨大な湖まで走らされていた。


「キャラ・イエロー!!」


 とにかく岩壁から離れなければ何もできない。

 アキラは駆けた勢いそのままに、湖の“上”を跳ぶ。水場に入って動きを鈍らせようものなら即座に殺される。


 瞬間的に足場を作り、ルゴールを周り込むように移動すると、ようやく落石地獄から離脱できた。

 幾度も飛び移り、念願の地面に降り立つと、ようやく光弾地獄だけに襲われるようになった。


「器用だねえ、日輪属性」

「づ―――、キャラ・グレー!!」


 岩壁に突撃したのはミスだ。背後を取られれば、先ほどのように逃げ場のない攻撃で閉じ込められる。

 だが、やることは、やれることは変わらない。

 アキラが討てる手は、ルゴールの遠距離攻撃をいなし、接近することだけである。


「いやいや、しぶといじゃないか、ヒダマリ=アキラ。そういえばエレナやイオリは元気かい? 彼女たちには借りがあってね」


 余裕が無表情の貌に張り付いているルゴールを、アキラは必死の形相で睨み付けた。

 その口からその聲で、彼女たちの名前が出てきたことに痛烈な忌避感を覚える。


 しかし近づくだけでも幾数の魔術を切り捨てる必要のあるルゴールに、攻撃を見舞うだけでも至難の業だ。


 “遠距離攻撃を操る”というだけでこれなのだ。

 その上で、相手は魔族。

 アキラの攻撃が通じないわけではないようだが、接近しても余裕を残していれば防御、あるいは回避をされることになる。

 戦い始めてから僅かの間で、あらゆる魔術を使用する羽目になり、大量の魔力を消費し、攻撃を弾いた腕は強い痛みを発していた。

 世界中で希望と認識されている勇者が死力を尽くしても、魔族が別格の存在という事実は変わらない。


「っ、ふー……」


 アキラの攻撃を回避したルゴールの動きを警戒しつつ、アキラは大きく息を吐く。

 こちらが暴れ回っても、ルゴールに損傷らしい損傷を負わせられていない。

 際限なく削られていく体力と魔力に、アキラは理性で暴れ続ける身体を抑え込んだ。


「……キャラ・スカイブルー。……ぐ、キャラ・ブレイド……っ、っ、づっ」


 理性がまずはと痛む腕を消耗の大きい魔術で癒すことを選択すると、長い登山で使用していたことも相まってあっという間に魔力が尽きかける。

 ならばと魔力を周囲から取り込む副産物のある魔法を使えば、今度はその魔法の本命である膨大な殺意に飲み込まれそうになった自分を抑える羽目になった。

 傍から見ていて滑稽だろう。

 アキラがやっていることは、無謀にも魔族に突撃し、全部自分でやって、勝手に苦しんでいるだけだ。


「……はあ。本当に器用なもんだね。少しは話をする気になったのかい?」


 無表情なルゴールだが、どたばたと落ち着かない様子のアキラに呆れていることが分かった。

 アキラは殺意の残滓を抑え込み、気を落ち着かせ、そして、再びルゴールを睨む。


 少しでも意識が逸れると、また突撃したくなるような激情にかられ、それを理性で抑えれば、抑え込んでいた“別のもの”が溢れ出す。

 アキラを侮るルゴールが想像している以上に、アキラは勝手に窮地に立たされていた。


「何か急いでいるみたいだけど、挨拶くらいはしておこうよ。今更だけど初めまして、僕は『光の創め』のルゴール=フィル。聞いているよね? 以前君の仲間たちと―――」

「づ―――、うるせえよ、『光の創め』の雑兵が」


 酷い頭痛に苛まれたアキラの口から何かが漏れ、無表情な存在から、表情が消えた。


「へ、へえ。何だい、君もいい性格をしているね」


 ルゴールから冷たい怒りを感じた。

 申し訳ないが、余裕のないアキラは、自分が何を言ったかも覚えていられない。


「襲い掛かってきたときはエレナを従えているだけはあると思っていたけど、そうだったね、イオリも従えているんだったね、口が悪いよ」

「頭痛えんだ、それ以上喋んな」

「……?」


 挑発を繰り返しているようなアキラに、流石のルゴールも異変を感じ取っていた。

 魔族と交戦している以上当然だが、今にも倒れ込みそうで、余裕のないアキラの様子に、嘲るように首を上げた。


「はは、具合が悪いのかい? なんだ、少しは話を聞いてからと思ったけど、そういうことならボクも暇じゃない。さよならだ」


 ほんの少しの交戦で、よく分かる。


 『光の創め』。

 アキラが強く憎む魔族集団。

 しかし、以前『剣』のバルダ=ウェズと遭遇したとき同様、破壊の衝動に任せて襲っても、何ひとつ達成できない。


 すべてのカードを切ったとしても、ルゴールの無表情には余裕が張り付いている。

 戦闘が始まっているという認識さえ薄いだろう。

 魔族とはそれだけの存在である。


 自分はスライク=キース=ガイロードとは違う。

 思うまま敵を襲い、殺意を振りまき周囲すべてを戦場と化し、魔族とすら戦い続けられる、あの化け物ではない。

 世界中の希望となっているヒダマリ=アキラという存在は、ルゴールにとって警戒対象ですらない、ただの人間だ。


 アキラは、幾度も感じる自分への落胆と共に、剣を構えた。


 そして、自分で始めたことさえ、満足にできないようだ。

 抑え込まなければと思ったばかりで、“これ”だ。

 頭の奥に押し込んだ“何か”が、漏れ出していくのを感じる。


 もう、間に合わない。


―――***―――


 北部の拠点は、決して手薄というわけではなかった。


 北部で定めた避難所の洞穴は決して広いわけではないが、民間人の多くは南部にいるらしく、十数名あまりの民間人は問題なく避難できており、護衛としても魔導士が複数名に、旅の魔術師が十名程度はいる。

 急な魔物の襲撃に多少の混乱はあったものの、その程度であれば十二分に凌げるほどの体制が整っていた。


 しかし、ただでさえ皆身体が重い中、『明日の影』は元より『剣』のバルダ=ウェズの出現、狂暴化した飛行種の群れと押し寄せる苦難が許容値を超え、『最古の蛇』の警戒も怠れない現状では動きも鈍り、“すべてが悪い方に倒れていた”。


 不運としか言いようがないのは、初動で負傷者が多かったことである。

 大混乱の避難の中、民間人を庇った魔導士や旅の魔術師の被害が多く、体勢を立て直すために大量の魔力を消費する羽目となったらしい。


 魔導士たちはそのときから、すでに行きつくところが見えていたのだろう。

 ただの消耗戦になれば、ずっと数の多い魔物たちの方が有利である。

 当初から必死になって脱出経路の哨戒を行い、南部との合流を試みていたが、時間が経てば経つほどより一層悪い状況になっていく。


 『剣』のバルダ=ウェズが北部から離れたのか、一時的に散った魔物たちが避難所周囲に集まり出し、その上で、南部へ向かうために横切る必要のある拠点は、より一層の密集具合である。

 逆側から岩山を周って向かおうにも、マリサス=アーティの魔法の範囲外であり、何が起きているか理解し切っていない者たちにすら、あの銀の光の外に出ることは死を意味すると察せられていた。


 その上、南部の状況が分からないことも問題である。

 信号弾は魔物を下手に刺激する可能性のある上、悪天候の中では届くかどうかも分からない。

 南部が、こちらと同様、あるいはより一層状況が悪ければ、かえって魔物たちを南部へ誘導してしまい、全体的な壊滅につながる可能性もある。

 命懸けで魔物ひしめく拠点を突破するのが“正答”なのかすら、この場の誰にも判断できない。


「……そこ、使わせてもらいます」


 エリサス=アーティは、辛うじて戻ってこられた避難所で、泥だらけのカタリナ=クーオンの背を壁に預けた。

 本来なら横に寝かせたいところだが、多少は意識のある者を横たえるスペースは無い。

 押し合うように距離を取った民間人たちに視線も向けず、ようやくカタリナの顔の泥を払う。

 念のために息を詰まらせていないか口の中も確認する。


 ん、と、艶やかな吐息が漏れる。

 泥だらけで口を開かされ、消耗し切っているというのに、彼女は美麗で、表情は凛々しく見えた。

 僅かな安堵を覚え、そして、勝手すぎるが、ほんの少し裏切られたような気分になる。


 人は余裕が無いときほど本性が出る。

 間抜け面でにへらと笑い、子供っぽく見えていたのだが、やはりこれが彼女の素なのだろう。


 カタリナと同じように壁に背を預ける者たちは他にもいる。

 彼女ほどではないだろうが、同じように外での戦闘で消耗した魔導士や旅の魔術師だ。

 必死になって休憩し、一定間隔で外を守る者たちと交代する作戦である。


 当初から避難所の様子を見ていたエリーは、こちらの戦力が明確に削られていっているのを実感できた。

 最初はパニックで民間人も魔導士たちも怒鳴るように言葉を交わし、避難所に逃げ込めた安堵で無駄口を叩くような余裕が生まれ、しかしいつ終わるとも分からぬ危機に次第に声は沈み、そして今、少しでも体力を温存しようと身じろぎひとつしなくなっている。


 それでも、気力が切れたら本当に終わりだ。

 今もあえて無駄口を、休憩中の魔導士隊の方々が率先して叩いている。

 作戦指揮者のアラスールに文句を言ってやるとか、ドラクラスに戻ったらどこで飲むかとか、未来の話題を必死に絞り出していた。


 だがそれでも、代わり代わりに外へ向かっては休みに戻ってくる魔導士や旅の魔術師たちの様子をずっと見ている民間人たちも感じているだろう。

 回を重ねるごとに消耗し続け、休憩しても体力と魔力の回復が間に合っていない。


 哨戒を担当していたエリーや他の魔導士も拠点の防衛に回る必要が出てきそうだった。

 しかし哨戒の人員を防衛に回せば、今度こそ北部からの自力での脱出は不可能となる。


 外からの騒音が響き、空々しい無駄口が漏れる拠点の中は、しかしまるで葬儀のようだった。

 魔導士からの次のルートの依頼を待つ中、エリーはカタリナの正面に腰を下ろし、僅かばかりの休憩を取る。

 休憩となれば自分も誰かと話すべきなのだろうが、生憎自分と話してくれる相手は目の前にしかいない。


 せめてと全力で力を抜いて回復に努めても、気ばかりが張って疲れが取れているような気がしなかった。いや、そもそも自分は大して疲れていないのかもしれない。

 目の前のカタリナのように、すべてを出し切るようなことをしてはいないのだから。


「く……、ひっ、き、き」

「……カタリナ?」


 虚ろな、氷のような瞳を携えた正面の『武の剣帝』が、奇声を発した。

 おぼろげだった意識が覚醒し始めているのかもしれない。


「……あ。エリにゃん、だ」


 冷たい瞳だった。

 泥だらけの顔で、氷のような視線が、エリーに正面から突き刺さった。


「カ、カタリナ……。大丈夫?」

「う……、う、ん。あれ、私……、ここ、は?」

「ここは避難所。倒れてたところを見つけて、運んできたの」


 カタリナの視線に怯まず、エリーは努めて優しい声で返した。


「あ、ああ、そっか。……ああ、思い出して、きた。ありが、とう」

「……どこか痛むところはない?」

「う……うん、ちょ、っと、頭が痛い、かも」


 見立て通り疲労しているだけなのだろう。

 頭部が痛むとなると危険もあるが、残念ながら意識もあって話せる相手に回せる魔力はこの避難所には無い。


 数は少ないが、治癒魔術が使用できる魔導士もいることはいる。

 だが、この避難所の奥には、すでに幾人もの怪我人が横たえられていた。

 治癒魔術はそもそも消耗が激しく、とある仲間のせいで感覚が麻痺していたらしいが効果も劇的にあるものではない。

 辛うじて戦線が維持できている今、いざ命に関わる負傷者が出たときに備える必要もあるのだ。


「…………、でも、大丈、夫。みんな、大変そう、だし、ね」


 そんな周囲の様子が見えたのか、カタリナは小さく首を振った。


「私、ちょっと、休む、ね。き、きひ、き、き、……つ、疲れ、たあ」

「……」


 疲れたで済む話ではない。彼女は魔族と交戦していたのだ。

 彼女が倒れていた場所は当初交戦が始まった場所から随分と離れていた。

 話を聞かなかったスライクと違い、戦闘の場を避難所から離すようにも計らってくれたかもしれない。


 そんなカタリナは、自分が何を成したのかを理解もしていない様子で、冷たい瞳を浮かべているのだ。


「エリにゃん、も、休まなくて、いいの?」

「……無理して、喋らないで」


 せっかくの話し相手でも、エリーは震えながら諫めた。

 きっと、彼女がみんなと話すのが好きと言っていたのは、まるっきり嘘というわけではないだろう。


「だ、大、丈夫、だよ。みんな、も話して、る、し。私も、エリにゃんと話していた、方が、元気に、なる、から」

「そうじゃなくて」


 凍えるようなカタリナの瞳を、エリーは正面から見据えた。


「カタリナ。無理した話し方しているでしょう。今は、大丈夫。楽にして」


 すべてが嘘とは言わない。

 だが、数日共に過ごし、余裕のない状況でカタリナを正面から見ているエリーには分かる。


 彼女は行動を、口調を演じている。

 その氷のような瞳が表すような彼女と、それらがまるで重ならないのだ。


 それでも構わない。彼女は彼女だ。

 他人に見せる自分を演じていない人間の方が稀だ。本来の自分を晒すことが何よりも怖いと思う者は多いだろう。


 だが、もしこの数日で、エリーと多少なりとも関係が深まっているのであれば、図々しくも力を抜いて欲しいと願う。

 疲弊し切った彼女が無理をしているのであれば、遠慮しないで欲しい。


「む、むにー」

「……?」


 気づくと、力なく手を上げたカタリナが、自らの頬を釣り上げていた。

 弱々しく揉み、閉じた瞳をゆっくりと開くと、カタリナは、見慣れた間抜け面になっていた。


「やだ」


 カタリナは、子供っぽく笑った。


「また、私、顔、固まって、た……? ご、めんね、エリにゃん」

「……分かった。あたし、少し離れてる」

「えー、一緒に、お話してよう、よ」


 悪戯を咎めても止めない子供の笑みだった。

 それが演技なのかは分からないが、遠慮されているような感覚も無い。

 しかし、柔らかくなった表情の瞳には、力のある意思を感じた。


「私、昔から、思ったことが顔に、出ないの。言葉も、上手く、伝えられ、ない。楽しいのに、嬉しいのに、みんな私の、顔色だけを、うかがい続けた」


 王族だという彼女は、今は寂しそうな顔を浮かべていた。

 それが意識して生み出されたのか、本来の表情なのかは分からなかった。


「旅をして、分かったんだ。私と同じことを考えている人が、浮かべる表情が、どういうもの、なのか。私だって、みんなと同じ。楽しんだり、怒ったり、悲しんだり、するの。でも、伝え方を知らないんだって。人といるのが好き、なのに、……みんな私から離れていく」


 話していると元気になるというのは本当なのか。

 身体はまだだらりと壁に預けたままだが、顔色が良くなってきている気がする。


「だから、色んな人を、参考にした。人に、何かを伝えるのは、どうやってやるんだろう、って」

「……」


 悲しい声だった。

 弱々しい笑みを浮かべるカタリナを、厚かましくも不憫に思った。

 そして彼女が参考にしてしまった人物が頭に浮かび、心の底からカタリナに謝罪した。


「私は“普通”に足りてない。みんなが当たり前にできることが、できない。だから、私は思っていることを無理してでも言うし、手で弄っても顔に出す。そうしたらきっと、いつか普通に伝えられるようになる、と思う。……言ったでしょう。頑張る、って」


 『武の剣帝』カタリナ=クーオン。

 王族に生まれ、その類稀なる才能と研鑽で名を馳せた超人。


 しかし思うことは、口から出るのは、ごく普通の悩みだった。

 王族のことなど雲の上過ぎて分からないが、彼女は、自分の想いが相手に伝わらないことに悩み、自分を変えたいと願う、ごく普通の女の子だ。


 だから、変えたい自分を、無理してでも晒さない。


 エリーは、カタリナを抱きしめたくなった。

 可愛くて仕方がない。

 似たような悩みを、自分の妹も持っているのだ。伝えたいが、伝える方法を知らない。

 妹の考えはエリーから見れば一目瞭然でも、伝えたいと思う相手に伝わらなければ意味が無いのだ。


 本人にとっては深刻で、酷く孤独感を覚える悩みかもしれない。

 他人事だと煙たがれることを承知で、エリーは伝えたい。

 大丈夫、だと。

 これは、当たり前の、ありふれた、普通の悩みなのだ。

 だから頑張れば、きっと解決できる。それでも駄目なら、エリーはいくらでも協力する。


 裏切られたような気分になったのは、本当に自分勝手なことだった。自分が彼女と過ごして感じたことは、そう遠いものではなかったらしい。


 そこで、ふ、と。

 妙に身体が軽くなった気がした。


 この依頼中、今までずっと、魔導士隊の方々のために余計なことを考えないようにと必死に働いていたが、素直に言えば強い重圧を覚えていた。


 もともと自分は誰かと過ごしたり、誰かと話したりするのが好きだ。

 カタリナと話して気が楽になったのだろうか、身体の疲れが嘘のように消える。


 やはりもともと大して疲れていなかったのだろう。

 いつでも行動できるように気を張ったり、魔導士隊の方々の急な依頼に備えて必要以上に温存しようとしたりしていたから身体の重さを覚えていたのかもしれない。


 もしかしたら自分が高いパフォーマンスを出せるのは、魔導士隊の方々に気を張り過ぎず、平穏な精神状態のときなのかもしれない。

 カタリナとの話は、図らずもエリー自身をリラックスさせたようだ。


 無駄口を有効活用するとは、さすが魔導士隊の方々である。


「は……、はは、また、言っちゃった」

「……また?」


 エリーが柔らかく微笑むと、カタリナは、瞳の奥を震わせ、滲ませていた。

 かと思えば表情を正す。氷の瞳だった。

 頑張るとやらの成果か、少しは感情が表情に出るようになっているようだ。

 この場合は、前者が頑張った成果の自然に出た表情で、後者の方が素ではなく、意識して作られた素のときに近い冷たい表情ということなのだろう。分かりにく過ぎる。


「……私の嫌いな人」


 そこで、避難所の外から、喧騒が聞こえた。


「……サクさん!」

「エリーさん。無事か。……! カタリナさんも」


 泥まみれの赤い衣を脱いで絞るサクが、足取りも怪しく歩み寄ってきた。

 この避難所にいる中で、魔導士隊を含めてなお、最も仕事をしたのは彼女だろう。

 突如として狂暴化した魔物たちだが、その前に大多数を討伐してみせ、被害を最小限に留めてみせた。

 現在は脱出ルートの調査に魔物の行動傾向に魔族の現在地の把握など、戦場を縦横無尽に駆け回り、戦果も情報も積み上げ続けている。


 今は休憩に来たのだろう。

 戦場で暴れ回っていたように見えて、締めるところは締められる。

 そういう行動が身に沁みついているところが、着実な成果というものに繋がるのだろう。


「……やっぱり、あなたでしょう」


 そして。

 カタリナから、冷たい声が漏れた。


 自分が座り、サクが立っているのが気に入らないのか、身体を震わせ立ち上がろうとする。

 エリーが肩を押さえると、むす、とした表情をサクへ向けた。


「……何をしているんだ?」

「カタリナと話を……、カタリナが楽になるって言うから話を聞いていて」


 塞ぎ込むよりマシとはいえ流石に3人で話しているとなると騒がし過ぎ、魔導士隊の方の視線が痛くなる。

 エリーは言い訳のように言って、悲しそうな顔を作ったカタリナに小さく首を振って伝える。

 すると、やはりカタリナは、またサクを見てむすりとした。


「ねえサクさん。やっぱり、前にカタリナと会ってるんじゃないの?」

「何度も言うが……、いや、もしかして本当に私が忘れているだけなのか」


 サクが忘れているからこそ彼女の機嫌も悪いのかもしれない。

 少なくとも冷たい瞳をしているとき以外は彼女が浮かべている表情が本心のはずだ。

 彼女は本当に、サクに対して敵意のようなものを持っている。


「ねえカタリナ。誤解があるのかもしれないけど、カタリナの嫌いな人って、サクさんなの?」

「……それはサッキュンじゃない」

「はあ……」


 サクが珍しくぽかんとした。

 愛称で呼ばれながらそういう態度をされるのは彼女にとっても未知の体験だろう。


「大失敗……したの」


 カタリナが、ぽつりと言った。

 瞳がずっと深くなったような気がする。


「あれからずっと、頭の中をぐるぐるしてる。起きてても、寝てても、戦ってても、ずっと、ずっと。……辛い、嫌い」

「……。よかったら、聞かせてもらえる?」


 それが感情を表すために作ったものかは知らないが、しゅん、と失意に塗れた表情を浮かべるカタリナは、鼻をすんと鳴らした。

 彼女の瞳が氷のように冷たくなり、しかしこの距離で見ると、滲んで見えた。


 言っていることは、流石に誇張だと思いたい。

 余計な思考など存在しないはずの極限の死闘の中、気を散らすようなことを思い浮かべられるとは思えない。


「“前に一緒に依頼を請けた人”。話してたら、普通に人に気持ちを伝えたいって、私は変わりたいって、つい、そう漏らしちゃったの。不思議だった。思ったことが“自然に口から出た”。そしたら、協力するって、言ってくれて」

「……あ?」


 エリーの口から、強い声が漏れた。

 カタリナと話し、せっかく楽になっていた気が、何故か張っていくのを感じる。


「私と一緒に考えてくれて、そのときは結局何も思いつかなかったけど、気づいたら、少しは、思ったことが少しは表に出せるようになってた。そしたら、その人も、自分のことじゃないのに、喜んでくれて」


 カタリナは、力の入らない手で、胸をぎゅっと抑えた。


「だから私、何かお返ししたいって思って。頑張って頑張って考えて、きっと喜んでくれるって思って……、その人は剣を使っていたから、それなら私が教えるって言ったの。でも、ぅぅ……、断られた、の。もう先生がいるって」

「……その人、って」


 カタリナは吐き出すように、肩を震わせた。


「アッキー。……ティアにゃんのお知り合い」


 考えないようにしていたことを思い返すと、可能性は高かった。


 このドラクラスの依頼、依頼優遇者の関係で、各人が好き好きに依頼を請けていた。

 だがティアの場合、大半の依頼には仲間内から同行者を出している。

 そんな中、ティアはカタリナとよく依頼を請けていたと言っていた。つまりティア以外の誰かもカタリナによく会っていることになる。

 しかしカタリナのことは、エリーはもとより、ほとんど魔導士として活動をしているマリスも違い、イオリも初めて会ったと言い、サクも知らないとなれば、残るはエレナとあの男。

 2分の1まで絞り込めていたことに、押し込んでいた思考はとっくに辿り着いていた。


 カタリナは、氷のような瞳を滲ませサクを見上げた。


「その先生って、あなたでしょう。ティアにゃんに教えてもらったの。赤い衣を着ている綺麗な人。アッキー言ってた、剣の先生は、ひとりで勿体ないくらいだ、って」

「……」


 サクが口元を隠して視線を逸らした。


 そんな中、エリーは背筋が冷えていくのを感じていた。

 流石に口数が多過ぎるのか、魔導士隊の視線を感じるが、全く気にならない。

 何か。何か嫌な予感がする。


「そ、それについては……、まあ、そうだな。本人がそう言っているのだから、仕方ないな。まったく」

「むぅぅ……」


 少し勝ち誇ったような様子のサクに、カタリナは悔しそうに眼をきつく閉じた。

 表情を作っているようにはいよいよ見えない。あの男の話が出てから、ずっと表情豊かになっているように見える。

 だからエリーは思う。

 おい、待て、と。


「サッキュンのせいじゃないのは、分かってる、けど。私、私……、断られて、ショックで、どう伝えていいか分からなくて、下手で……、そしたら、また、つい、パニックになって……ぅ、ぁぁぁ……」

「カタリナさん?」

「好きだって、言っちゃったの……」

「は!?」


 悪寒を超えた言葉に、エリーは声を張り上げた。

 伝え方を知らないとかなんとか言っていたカタリナ=クーオンは、顔を真っ赤に染めていた。

 普通になりたいカタリナ=クーオンは、恋にも興味があったらしい。


 エリーは思う。

 注目を集めたり、感情を増幅させたりする日輪属性の特性とやらは、この世にあってはならないと。

 ドラクラスみたいに多くの人が集まる場所では特にそうだ。


「そ、それで、奴は、ど、どうしたんだ……?」

「私、訳分かんなくなって、そのまま逃げちゃった……。それっきり会ってない……ぅぅ、会えないよ。やっぱり、あのとき言うんじゃなかった……、もっと、ゆっくり、ちゃんと……、失敗した失敗した……、嫌い、嫌い……。……サッキュンは、アッキーが今何しているか、知ってたりする?」

「……。…………カタリナ=クーオン。そういう感じなら、私を巻き込むな……!!」


 サクが、悶えるカタリナに強い声を発し、こちらの様子を探るように見てきた。

 エリーはじっとしたまま、伝え方が下手らしいカタリナを、ぼんやりと見つめていた。


「ここですか!? 通してください!!」


 そこで、外から騒音が聞こえた。


「! 南部からの救援か!?」


 休憩を取っていた魔導士隊たちもこのときばかりは全員が立ち上がった。

 この依頼中、散々聞き続けた声の主が誰だか分かった者もいただろう。

 衰退し続けるしかなかったこの北部の避難所にとって、それは救世主の到着だった。


「サッキュン!! エリにゃんも良かった、無事……、カタリン!! 大丈夫ですか!?」

「待って、ちゃんと話を聞いて! 怪我人は奥!」

「わっ、分かりました!」


 小柄な少女が、脇目も振らずに怪我人が横たわられた奥に駆けていく。

 現れたのは南部にいると思われていたアルティア=ウィン=クーデフォンとキュール=マグウェルだった。

 治療者筆頭と、確実な安全圏を創り上げる『盾』の少女は、それだけでも価値があるが、魔導士隊にとっては他にも大きな意味がある。

 南部からこちらに救援が来られたという事実が、南部の状況や合流方法などを連想させるのだ。


 しかし、少女たちと共に姿を現した強面の男が、魔導士たちのそうした思考を読んだかのように重々しく言った。


「残念ながら拠点は俺以外通行不可能だ。アルティア=ウィン=クーデフォンに感謝しろ。見捨てられかねなかった北部に行くと言った治療者だ」

「シーン=アーチか……! 南部の状況はどうなっている。何故魔導士隊と行動していない」

「言っただろう。俺以外通れないからだ」


 シーン=アーチに気圧されるように、魔導士は押し黙った。

 規律を破ることは許されないドラクラスの魔導士隊だが、頭は回る。状況的に、ティアをこの場に届ける唯一の方法だったのかもしれない。

 納得せざるを得ない魔導士を前に、しかしシーンは予断なく、眉間の皺をさらに深くしていた。


「そして状況か。全体の状況で言えば悪いが、俺が出たとき南部の体制はほぼ完全に立て直せていた。ただし課題有りだ。魔力の原石が紛失した。『最古の蛇』の仕業だと推測されている。現在アラスール=デミオンが捜索に当たっているところだ」

「……。捜索ならば数がいる。そちらを先にする場合……。シーン=アーチ。最大何人まで安全に拠点を通せる? 北部と南部を往復できるか」

「それはできない相談だ」

「ならばそうだな、例えば、」


 南部の情報を持つシーンの周囲に魔導士が集まり、あれやこれやと議論する。

 拾える会話から、少なくとも南部の状況は北部よりもずっといいことは分かった。

 ただし魔力を回復する物資の損失は大きな課題である。

 もっとも、あのアラスールが探しているのであれば近いうちに発見されるだろう。そうすれば北部への救援が現実的なものになる。

 時間を稼げる延命処置も届いたところだ。


 北部の魔導士たちは神妙な様子を保ちながらも、希望が生まれていることの高揚を隠し切れてはいなかった。

 途切れ途切れでも話が聞こえていたらしい民間人たちも、目の前の変化に気力を取り戻しつつある。

 そして、そうしている間にも、荒ぶる獣のように怪我人たちに突撃したティアにより、見る見るうちに北部の戦力が回復していった。


 状況はめぐるましく変わっていく。


 だが。

 そんな中、エリーだけが、ぴたりと動きを止めていた。


「…………エリー、さん?」

「……しが……」


 一気ににぎやかになった避難所の中、しかしサクが、腫れ物に触れるように声をかけてきた。

 失礼な。


 話はちゃんと、何となく聞いていた。

 依頼に関わる、重要でどうでもいい話だ。

 普段は一言一句違わず覚えようとするその情報を、脳の中のその他の部分に雑に放り込んだ。


 魔導士隊の方々が指揮する重要な依頼。

 余計な思考などもっての他だ。


「……あたしが……、真剣に、真面目に、余計なことを考えないように、してたのに……、“あいつ”の話を時間差で聞くなんて……、こんなこと許されていいの……?」

「エリにゃん。どうか……した?」

「ふ。ふふふ……」


 カタリナの無垢な瞳が目の前にあった。

 カタリナが知っていることだけでは、エリーにはつながらないのだから仕方ない。


 カタリナが悪いわけじゃない。

 “あの男”が悪いわけでも、まあ、きっとない。

 エリーが寝耳に水なのも、“そういう話”を人にするのはよろしくないのだから当然だ。


 だが、強い焦燥を覚える。


 というか、思ったのはさらに先。

 目を離してしまうことが多くなったあの男。


 自分は知っていたはずだ、あの男は様々な人を惹き付ける。

 カタリナの件だけでも頭が真っ白になるのに、“他にも何か進んでいてもおかしくない”のだ。

 このドラクラスに来てからというもの、様々な事情で別行動を取ることが多かった。

 知り合いがやたらと増えたティア然り、ファンクラブとやらが出来たエレナ然り、あの男もあの男で独自の交流を育んでいる。

 そして今、水面下で進んでいたらしい、自分にとって深刻な問題が、突如として眼前に現れた。


 いつまでもこんなことをしている場合ではない。


「サクさん。……あたし、早く帰らないと」

「あ、……、ああ、そう、だな」


 思わず漏れた言葉は、依頼中にあるまじきものだった。

 エレナ=ファンツェルンが言いそうなことでもある。

 しかし自分にも他者にも厳しいサクが、珍しく同意した。機嫌のいいときもあるのだろう。


「行きましょう。今、すぐに」


 ゆらりと立ち上がったエリーに魔導士隊の注目が集まる。


 魔導士隊の課題は明白だ。

 じり貧になっていたこの避難所の状況はティアの合流で好転した。治療者というのももちろんあるが、南部の状況が分かったのが大きい。

 そして南部は体勢を立て直しているとはいえ、魔力を回復する原石の捜索に人員が必要な状況である。

 要するに、少しでも体制が整った今、またじり貧になる前に南部に合流するべきで、そのための障害は魔物が暴れ回る拠点の通過が必要となるのだ。


「イオリさんは南部よね。魔門まで連れてってもらわないと」


 理屈は分かった上で、エリーの口からは別の言葉が漏れた。

 そしてイオリを思い浮かべて、また押し込んでいた課題が顔を覗かせる。

 彼女も、あの男を。


 ふらりと避難所の外へ足を進めると、魔導士隊が機敏に道を空けた。

 外は銀の光の中、大雨が降り注いでいる。

 自分の妹は未だに空の巨龍の対処に追われているのだろう。

 そんなことを思うと、胸が潰れるような不安と共に、妹も、あの男のことを以前から知っていたようなことを言っていたのを思い出す。


 目の前のやるべきことに必死に向かい合っていたというのに、頭の中身がぐちゃぐちゃになり、あらゆる感情が暴れ出す。


 遠目に見えるだけでも、拠点には飛行種の影が羽虫のように暴れ、地上では馬のような魔物がひしめき、何かが砕かれるような音が絶えず響いてくる。

 周囲も遠雷のような衝撃が轟き続け、槍のようなスコールが降ったり止んだりを繰り返す。


 この世の終わりのような光景の前、エリーは焦燥していた。


 暴れ回る『剣』のバルダ=ウェズ、天候を暴れさせる『明日の影』、暗躍しているであろう『最古の蛇』に、それらを現出させたと思われる天空の魔門。

 『名前のない荒野』に、あらゆる災厄が敷き詰められている。


「いつまでやってんの」


 だからエリーは焦る。早く帰らなければならないのだから。


 イオリのこと、妹のこと、そして家に残してきたあの男のこと。

 言いたいことや考えたいことは無数にあった。

 だが、依頼に対して誠実に向き合おうと、自分の感情は不義理だと感じて押し込み続けた。

 浮ついた感情を幾度押し殺しても、熱に浮かされるように気が散っていく自分を戒め、必死に目の前のことにしがみつき続けた。


 しかし、そんな自分をいよいよ抑えられなくなってくる。

 完全にあの男のせいだ。


 自分のベストパフォーマンスが出せるのは、きっと感情を落ち着かせ、冷静に頭を働かせられる状態だと思っている。

 イオリのような魔導士は、まさに自分の理想の姿だ。


 だが何故か、複雑なことを考えず、感じたままに身体が動く自分に、かつてないほどの活力を感じた。


「エ、エリーさん、きょ、拠点へ行く気か?」


 恐る恐るといった様子で、サクが出てくる。

 魔導士隊が、避難所の中から様子を窺っているのを感じた。

 何か指示でもあるのかと思ったが、今そちらに気を向けている余裕は無い。


「拠点? だからあたしが行くのはイオリさんのいる南部だって。“その途中に在るだけよ”。魔門を壊す依頼でしょう」


 エリーは目を細め、拠点の方向を睨む。

 凶悪な魔物がひしめく通行不可能な、北部と南部を分断する障壁でもある。


「…………ふう」


 沸き立つ感情のまま、僅かに残った理性が働く。

 魔物の群れの討伐で、群れに飛び込むほど愚かなことはない。

 囲まれる状況を自ら作り出すのはどれほど実力差があろうが不利でしかない。


 だが、エリーにとっては、それが最も近道だ。


「やるしかないなら、やるだけよ」


 魔物の大群に飛び込めば命は無いだろう。

 だが今は、全く怖くない。


 何が起きても自分だけは無事で済む。そう感じる精神状態は最も危険だ。

 考慮が足りず、注意力は散漫になり、気分が高揚する対価として命を危険に晒す。

 いつの間にか危険な目に遭っているヒダマリ=アキラがまさにそれだ。

 自分はそれを咎めてきた側の人間である。


 理性では理解できていた。

 だが、胸の奥の焦燥が、抑えきれない。


 そして、無策でもない。


「サクさん。“あたしに近づかないで”」

「エリー、さん……?」


 ティアの合流でこの北部の立て直しは目前だ。

 もう後ろを気にする必要はない。


「―――、」


 エリーは身体中の魔力を暴れさせる。

 だがそれらは放出されず、身体中に纏わりつく。

 音が遠くなる。身を打つスコールが、蒸発するように消え失せる。


 この魔術の名前は、結局決まらなかった。


 名を付けることだけに意味があり、しかし魔術の重要な手法である詠唱。

 こちらの様子を窺う魔導士隊の方々は、その重要性を深く理解しているだろう。

 きちんと手順を踏むことを好むエリーにとっても、大切なものだ。


 今決めろと言うなら、感じるままに付けることになる。


 最初に“その言葉”を聞いたときから、自分の持っていたイメージと近いような気はしていた。

 だが、ほんの少しの忌避感から躊躇し、さらにこの依頼で“噂の真相”を知り、最も遠ざけたいものとなった。

 しかし今は、そんな細かなことを考えているよりも、とっとと前へ進みたい。


 暴れ回り拠点を破壊し尽くす魔物の群れ。

 今エリーが感じるままに求めるのは、その障壁を、破壊し尽くすことである。


 好きなように呼べ。


「―――『破壊の魔術師』」


―――***―――


 面倒なことこの上ない。


 拠点東部。

 スライク=キース=ガイロードは離脱と同時、間髪入れずに突撃する。

 狙う獲物は『剣』のバルダ=ウェズ。

 『光の創め』の構成員であるこの黒煙の騎士は、突撃してくるスライクに対し、落ち着き払って腰を落とした。


 黒煙に染まる『剣』が、煌めく。


「―――シ・ベアト」


 間合いに入った瞬間、スライクの首筋に剣が走る。

 片手で振るった剣で弾き上げると、刹那の間、強引に両手で掴んで振り下ろす。

 しかしバルダ=ウェズは、自らの剣が弾き上がれると同時、身体を引きながら独楽のように回し、スライクの斬り下ろしの回避と同時に再び剣を足元へ走らせてくる。


「かっ!!」


 回避と攻撃が唯一両立する挙動。

 理論値の行動を取ったバルダ=ウェズの攻撃は、スライクの剣がバルダ=ウェズを捉えるよりも早い。

 即座に判断したスライクは、斬り下ろしの剣をバルダ=ウェズの剣に合わせた。

 受けようものなら腕が捥げるほどの落雷のような一撃は、バルダ=ウェズが瞬間的に“脱力”して引いた剣を捉えず、大地に突き刺さる。

 そして再びバルダ=ウェズは、大地に剣を振り下ろしたスライクの首元に剣を走らせる。


「っ、だぁ!!」

「!?」


 大地を穿ったスライクの剣は、即座に斬り上げとなりバルダ=ウェズに迫っていた。

 一瞬の内、巨大な大剣が上へ、下へ、上へと暴れる。

 身体の動きや流れという常識を凌駕し、その剛腕をもって力任せに強引に斬り上げたスライクの剣は、落雷の真の現象のようにバルダ=ウェズ目掛けて登り襲う。


「っ、―――シ・ベアト!!」

「―――、」


 即座に、方向転換。

 スライクは剣を斬り上げながら、地面を蹴り飛ばして離脱する。


「キャラ・スカーレット!!」


 ガッ!! と、スライクが直前までいた位置に、爆撃が突き刺さった。

 スライクが斬り下ろした以上に大地が抉れ、砕かれ飛び散る。

 泥が舞い散り、バチバチと、グレーの魔力が暴れる爆心地の向こう、バルダ=ウェズが油断なく『剣』を構えていた。

 即座に飛び込まなくて正解だったらしい。


 バルダ=ウェズの『剣』。

 “具現化”と思しきその武具の力は、流石と言う他ないほど常軌を逸していた。

 魔法以上に未知である具現化だけに条件は不明だが、バルダ=ウェズと交戦を行った相手の技術や魔術を再現可能になる特殊な力を有しているらしい。


 相手は魔族であり、それ自体が人間などどうあっても抗えない存在ではあるのだが、スライクにとっては現在バルダ=ウェズが模倣している相手が問題だった。


 武具の扱いや立ち回りにおいて、及第点ではなく最高点を出す、理論値の行動を取る『武の剣帝』の模倣。

 敵との間合いも精緻に取り、接近すれば必ず先手はバルダ=ウェズで交戦が始まる上、常人が1手しか取れない場面でも2手目3手目を打ってくる。

 受け手に回るのは論外だが、こうなるとスライクは攻撃の動作の中で回避や防御を強引に取らされる羽目になり、攻撃一辺倒ではいられなくなるのだ。

 規格外の膂力で強引に動きを変えるスライクは理論を超えることもあるようで、幾度か攻撃の機会は訪れるが、数は少ない。


 そして。

 そんな希少な機会は、もうひとつの模倣によって破壊し尽くされる。


「……何故。何故かわせる。何故、何故、何故……」


 ぶつぶつと呟くバルダ=ウェズの足元、ただ剣が振り下ろされただけで、大地が陥没していた。


 『日輪の勇者』ヒダマリ=アキラの魔術―――キャラ・スカーレット。


 ヒダマリ=アキラの構えや武具の扱いは理論値の『武の剣帝』には及ばない。

 だがその魔術は、本人も理解していないであろうが―――はっきり言って、“チート”だ。


 魔術の力というものには様々な面があるが、術者の潜在的な能力に依存する、単純な力が大きくはふたつある。


 ひとつは魔力量。

 発動可能な魔術や持続性に影響し、マリサス=アーティやエレナ=ファンツェルン、そしてスライク=キース=ガイロードなどはこの力が常人とは比較にもならない。


 そしてもうひとつは瞬間放出量だ。

 瞬間的に放出することが可能な魔力の最大値は、発動する魔術の威力に影響し、エリサス=アーティやアルティア=ウィン=クーデフォンなどはこの能力が特に高い。


 継戦能力は前者に依存するが、後者はピンポイントでの効果が高く、代えがたい役割を持つ。


 一方、ヒダマリ=アキラは、常人の枠を超えているとはいえ、超人の中ではどちらも突出しているわけではない。

 目立った長所は無いが、短所も無い、バランス型だ。


 そしてそんなヒダマリ=アキラは、火曜の術者エリサス=アーティの力の再現を行うにあたり、瞬間放出量を高めるため、放出した魔力を“剣に溜める”ことを行っている。

 要するに、身体から瞬時に魔力を大量に放てないのであれば、魔力を身体の外で待機状態にして、一気に発動することで瞬間火力を高めているのだ。


 だが、“それが早い”。

 操る武具が魔力の原石を使用していることも手伝っているだろうが、全能の日輪の力か、あるいは本人の才能か、放出し、待機させ、まとめて魔術として発動させる、を、“一瞬”で行ってみせるのが、キャラ・スカーレットという魔術である。


 発生する事象自体はシンプルな“破壊の魔術”であるが、自己の力量以上の威力を瞬時に生み出すこの魔術は、稚拙な表現を使えば、“困ったら放てばいい”。


 不用意に受けようものなら致命的な損傷を被り、万全な状態で受けても斬り飛ばされ、取り得る選択は離脱のみとなり、不利な戦況でも“強制的にリセットできる”のだ。


 そしてもちろん本分は攻撃能力である。

 一瞬で放てる明確な勝ち筋であり、相手が凌いでも仕切り直しと、打ち得でしかないその魔術を、バルダ=ウェズは、いや、『剣』は習得した。


 今のバルダ=ウェズとの戦闘は、理論値の動きを命懸けで突破し、ようやく攻撃範囲に捉えたと思えば、キャラ・スカーレットで強制的に仕切り直しとされるのだ。


「……やってらんねえなあ、おい」


 スライクはぽつりと呟いた。

 バルダ=ウェズは、再び腰を落とし、冷徹に、スライクの接近に理論値の動きを取れるように構えていた。


「何故、何故、何故」


 剣の戦闘という点において、バルダ=ウェズの『剣』の力は現在臨界点に至っている。

 『武の剣帝』の動きをトレースし、『日輪の勇者』の魔術を後ろ盾にするこの魔族は、理外の化け物だ。


「ならば何故―――余裕が消えない」


 甲冑の騎士から、苛立ちのような情報が溢れ出す。

 スライクは、バルダ=ウェズの甲冑の奥の貌が僅かに見えたような気がした。


 これだけ言葉を、そして剣を合わせれば嫌でも分かる。

 バルダ=ウェズという魔族は、“強さ”というものに執着している。


 魔王直属のような“役割”を持ち、しかし『光の創め』という集団に属しているという。

 しかし聞いた話では、そのふたつは決して友好的な関係ではなく、ともすれば対立している魔族集団だ。

 魔族の関係性など興味も無いが、複雑な事情は察せられた。


 しかしバルダ=ウェズ自身の本質は、“強さ”への執着なのだ。

 何かの事情で行動しつつ、しかし自己の望みを本能的に求めてしまう。

 その辺りが、スライクが鬱陶しいと感じる中途半端さに繋がっているのかもしれない。


 “強さ”という概念。

 魔力、腕力、速度、技術、持久力。

 具現化の剣で再現できるとはいえ、その“構成要素”を考え続けている。


 そんなものに明確な答えはない。

 『武の剣帝』のように戦闘の“答え”とでも言うべき理論値の動きを得ても、辿り着きはしない。

 バルダ=ウェズ自身も分かっているだろう。


 スライクはようやく、事情に絡められ、決して答えが存在しないものを求め続けるバルダ=ウェズを、多少はマシな存在だと思えた。


 出逢いに恵まれないと言っていたバルダ=ウェズ。

 このドラクラスの騒ぎで世界中の傑物たちが集結したこの状況は、バルダ=ウェズにとって、いや、あるいは具現化の『剣』にとって出逢いの宝庫だ。

 “理論値”の動きの中、キャラ・スカーレットを操る今のバルダ=ウェズは、かつてない程の戦闘能力を実感しているだろう。


 だがその上で、答えが出ない。

 目の前に、“何故か”倒せない存在がいる。


 高揚。そしてそれ以上の動揺。

 甲冑の奥、バルダ=ウェズは、混乱し続けているのだろう。


 何故、何故、何故、と。


「……どうでもいいからだ」


 スライクはぽつりと返した。

 バルダ=ウェズがぴくりと貌を上げる。


 欲するものが突然目の前に差し出されたかのような挙動に、スライクは目を細める。

 僅かな所作でも、情報が溢れ出す。


 “強さ”というものを探り続けるバルダ=ウェズ。

 敵の強さを考え、その対策を講じるこの魔族は、自己の望みの追及を怠っていない。

 それは決して誤りではない。

 自分の強みが何で、敵の弱みが何で、何をどうすれば戦闘を有利に運べるのか。

 その思考自体は、まったくもって正しい。


 事実、強さの構成要素を得るあの具現化の剣は確かに脅威である。

 数多の存在がバルダ=ウェズの餌食になったであろう。

 魔術や技術を模倣されれば魔族であるバルダ=ウェズの戦闘力は、自らの完全上位互換となるのだ。

 強さそのものを象徴している『剣』である。


「……お前の動きの真髄は、思考の停止か」

「……」


 スライクは、呆れ返った。

 バルダ=ウェズがどれほど生きているのかは知らないが、何も知らない子供を相手にしているような感覚に陥る。

 しかし愚かだとは思えなかった。

 目の前の情報に飛びつくだけなら話にならないが、自己流の解釈をするのは望ましい成長意欲である。


「……反応速度、……状況の利用。……剣のみに拘らない……、執着しない、……自由に、すべてを利用する……」


 ぶつぶつと呟き、答え合わせをするように、スライクを探る。

 まさに子供のようだ。

 考えを口に出し、正解を探り続ける。


 スライクは、聞こえるように溜め息を吐いた。

 お悩み相談を受け付けるような人間でも相手でも状況でもない。


 だが、目の前の黒煙の魔族が、スライクは不憫に思えてきた。


 スライクの動きが模倣できないとバルダ=ウェズは言っていた。

 その理由がよく分かる。

 “強さ”というものに執着し、考え続けるバルダ=ウェズ。

 それ自体は構わない。


 だが、だからこそ、スライク=キース=ガイロードを模倣できない。


 そもそも理解もしていない。

 自由にすべてを利用するとは。何を言っているのか。


 スライクはまだ、自分の方が“優しい”と思っている。


「……あの野郎とやり合って、その魔術だけに目が行ったようなお前じゃ、言っても分かんねえだろうよ」

「……ヒダマリ=アキラ……、奴は、……、何故、何故、何故」


 記憶を掘り返しているのかもしれない。

 拙いながらも、必死に思考を勧め、ひとつの答えに辿り着けそうなその様子に、しかしスライクは剣を掲げた。


「……これ以上は付き合ってらんねえな」


 あの男よりマシとはいえ、そこまで優しくするつもりもない。

 スライクは大剣に魔力を張り巡らせた。

 膨大なオレンジの魔力は大剣の中で胎動する。


 日輪属性木曜特化のスライク=キース=ガイロードが操る、生物が触れれば死を免れない浸食の剣。

 “この程度”なら、具現化の『剣』は模倣できるかもしれない。


 そう。

 いくらでもくれてやる。


 スライクは、強さというものを熟考し、追求し、実現し、超常の力を有する魔族と『剣』を、嘲るように見下した。


「今からは言い残したいことを考えろ」


―――***―――


 『盾』のルゴール=フィルは、千載一遇の機会を迎えていた。


 とある目的のために訪れたネーシス大運河を生み出す岩山。

 古来より魔族ですら近づくことが躊躇われるその場所は、天候を操る異次元の怪物『明日の影』の住処である。


 『名前のない荒野』の魔門が“懇意”にしている魔物でもあるようで、数年前のファクトル深淵調査部隊の演習でも召喚されたようだ。

 そして現在、ドラクラスの精鋭の進行に対しても同様に『明日の影』は呼び出され、歴史の長さと比すれば頻繁である移動に、岩山を分厚く覆っていた雲はかえって乱れ、天候が暴れる周囲は未曽有の洪水が発生している。


 目的を果たすべく訪れたルゴールだが、その際、世界の各所に在る奇妙な洞穴を発見した。

 岩山をくり抜き生み出されたらしいその“研究所”こそ、魔族すらも忌避する、絶望そのものである。


 とはいえ、“主”が不在であれば情報の宝庫でもある。

 中を検めたルゴールだったが、残念ながら狂いに狂った環境によって資料も資材もまともな形で存在していなかった。

 そうして、ルゴールが本来の目的を果たそうと外に出ると。


 眼前に、“研究所”よりも価値のある存在がいた。


「キャラ・ライトグリーン!!」

「いいね、流石に粘るね!」

「―――キャラ・グレー!!」


 ヒダマリ=アキラの突撃に、ルゴールは子供のような声を響かせ魔術を放つ。

 五月雨に放たれる金曜属性の魔術を弾くアキラを尻目にルゴールは距離を取った。


 はっきり言えば、この男がこの場にいることを、消化し切れていない。

 『明日の影』がいなくなり、ネーシス大運河をはじめ周囲の環境が暴れ回ったことで人間たちに問題が発生したのは分かっている。

 だが、事情を知る『光の創め』と違い、それからすぐにこの岩山を登ろうと思える人間など存在しないであろう。

 いや、知っていても、そもそも雲で覆い尽くされ続けていた岩山に登ろうと思える者などそうはいない。

 突如雲が晴れ、この岩山に何か問題があると確信できるのは分かるが、良識があればしばらくは様子見で、出来て精々避難活動までだ。


 しかしヒダマリ=アキラはここを訪れた。

 勘がいいのか、それとも何かが壊れているのか。

 日輪属性は数奇な運命を手繰り寄せると言うが、この場合、自ら異常な行動を取って異常に突撃しているのだ。


 ルゴールは相手の思考を読み取る力を有している。

 だが、日輪属性というのが影響しているのか、この男の頭の中身は読み取り辛い。

 断片的に読み取れることもあるのだが、頻繁にノイズのようなものが混じってくるのだ。


 しかし、この男が何を考えているのか分からないにせよ、この展開は『光の創め』にとっての好機であることは間違いない。

 出くわしたときは流石に面食らったが、ルゴールにとっても“ミス”を取り返す好機でもあるのだ。


 このドラクラスの問題、というより『光の創め』はあくまで歴史の裏で暗躍してきた存在である。

 勇者一派、ひいては魔王一派とは互いに干渉しないまま活動してきた魔族集団であり、歴史の裏の存在なのだ。

 “正規ルート”とでも言うべき華々しく歴史を飾った者たちとは、基本的に抗争しない。


 勿論、怯え隠れて生きるわけではない。

 目的が重なれば勇者一派であろうが魔王一派であろうが排除し、『光の創め』に出遭わなければ間違いなく歴史に名を刻んでいたであろう豪傑たちを幾度となく葬ってきた。

 それを積極的には行ってきていないというだけだ。


 そして、そもそも基本的に目的が重ならない。

 歴史の主役の目的は、あくまで魔王討伐である。魔王一派ではない『光の創め』との交戦は、彼らにとって脇道でしかないのだ。


 そんな中、王道中の王道を通るはずのヒダマリ=アキラ一派は、現在このドラクラスの問題に首を突っ込んでいた。

 その原因を作り出したのは、ルゴール自身である。


 アラスール=デミオンを前にした、『光の創め』の参戦宣言。

 あのときのヒダマリ=アキラ一派は精々、歴史の中でもよくある有名な集団程度の存在だったのだが、はっきり言えば、力を見誤った。

 深く考えず宣言し、そのまま追い払うか全滅させるかを目論んだルゴールだったが、規格外のエレナ=ファンツェルンの力によって失敗し、結果として“因縁”が生まれてしまったのだ。


 歴史上の主役と交わらないはずの『光の創め』にとっては、ヒダマリ=アキラ一派は邪魔者以外の何物でもない。

 結果としてドラクラスに誘ってしまったルゴールとしては、ヒダマリ=アキラは何よりも優先して排除したい相手である。


 そして、我が目を疑うほどの幸運が目の前に現れた。

 堅牢なドラクラスの中、エレナを筆頭に危険人物で周囲を固めているヒダマリ=アキラの排除は困難を極めていたのだが、まさかたったひとりで目の前に現れるとは。


 そして。

 もっと幸運なことに。


「キャラ・スカーレット!!」

「!!」


 ルゴールは即座に離脱する。

 爆音轟く剣の一撃を機敏にかわし、再び黄色の弾丸を放った。

 水気を吸った地面は吹き飛び泥と化して舞い上がり、その中にいるヒダマリ=アキラは視野の悪い中、慌ただしく魔術を剣で防ぐ。


 『日輪の勇者』ヒダマリ=アキラ。

 少し戦って分かった。


 この男は怖くない。


 確かに、勇者と呼ばれるだけの実力はあるのだろう。

 体力魔力共に常人の枠を外れてはいる。


 だが、経験不足なのか何なのか、妙に落ち着きが無く、ルゴールが一手打つだけで慌ただしく魔術を切り替え、あっという間に手持ちのカードをすべて晒してきた。


 見た限り警戒すべきは、精々火曜属性の魔術を再現しているらしいあの攻撃。

 確かにあの攻撃は、受け方を誤れば『盾』を冠するルゴールであっても無事では済まない。

 しかし、それだけだ。


 あの“財欲”の魔族リイザス=ガーディランを撃破したと聞いたときは想像も出来ぬほどの怪物かと思ったものだが、蓋を開けてみれば所詮は人間。

 相手の力を引き出して戦いたがるのはリイザスの悪癖だ。たまたま攻撃の受け手を誤った偶然でしかなかったのだろう。


 現れたときには妙な不気味さを感じたが、いざ交戦してみればルゴールが主導権を握ったまま戦闘が進行している。

 時折攻撃を掻い潜ってこちらに接近してくるが、それだけを気を付ければいい。


 確かに、“今期”の人間は異常者が多い。

 その中でも、付け狙っているスライク=キース=ガイロードと偶然遭遇したエレナ=ファンツェルンの力は抜きん出ている。


 それでも生き残ってきたルゴールとしては、ヒダマリ=アキラへの評価は数段劣った。

 理不尽なまでの殺意を押し付けられてこちらの選択肢が根こそぎ奪い尽くされるような焦燥も、迸る暴力的な魔力で魔族の力が真正面からねじ伏せられるような驚嘆も無い。


 とはいえ、そもそもそういうものだ。

 スライクやエレナが例外中の例外なだけで、高が人間。魔族相手にできることなど何ひとつ無い。


 ルゴールは久方ぶりに戦闘中に気分が高揚した。

 何ら制限なく、やりたい放題に、敵を蹂躙できる戦闘に、表情の無い貌が歪む。


 なかなかしぶといが、このまま戦っていれば、いずれ―――


「―――、……?」


 そこで。

 ルゴール=フィルは、幸運なことに―――“我に返れた”。


 ヒダマリ=アキラ。

 高が人間。

 それを、何の不自由なく、魔族が攻撃している。


 ならば。

 何故―――“生きている”?


「―――キャラ・ライトグリーン!!」

「!」


 泥まみれになったまま、ヒダマリ=アキラが突撃してきた。

 泥で距離を見誤ったようで、先ほどまでより距離が近い。

 “いや、ヒダマリ=アキラの判断力が上がっている”。


「キャラ・スカーレット!!」


 受けるしかないと判断したルゴールは、両腕に魔族の膨大な魔力を注ぐ。

 爆音。

 大砲の直撃でも微動だにしなかったであろう『盾』のルゴール=フィルは、木の葉のように弾き飛ばされた。

 一歩間違えれば腕ごと脳天を斬り割かれていたが、仮にも『盾』を冠する身、防御能力はスライクやエレナとの交戦でも生き残れるほど極めている。


 そう。これさえ防げば、ひとまずは問題ない。


 ルゴールは弾き飛ばされながら、ヒダマリ=アキラに魔術を放つ。

 ヒダマリ=アキラはまたも剣で弾くが、手ごたえがあった。


 転げながら、顔を上げると、負傷したヒダマリ=アキラはまた自らの治療をし、そして枯渇しかけた魔力を回復し、その反動を抑え込み、勝手に慌ただしくしている。

 だが、ルゴールが散々見たほどだ、繰り返しているせいか、今までよりも手際がいい。

 そして、また、剣を構えた。


 これは。


「……口数が減ったな」

「っ―――」


 ぼそりと呟いたヒダマリ=アキラは、幾度となく見た突撃を仕掛けてくる。

 魔族に匹敵する身体能力強化。

 距離を詰められることに危険を感じたルゴールは、ヒダマリ=アキラに嵐のような魔術を放った。


 そしてまた、剣で凌がれる。


「……、……な、にが……」


 何が、ではない。

 ようやく、頭では分かった。


 手札をすべて晒し、慌ただしく、強者の風格も無いヒダマリ=アキラ。

 何の制約も無い魔族に、策も無く、ただ突撃してくる人間が、しかし、“倒せない”。


 ヒダマリ=アキラが幾度となくやっていることは、分かっている。

 この人間は、魔術を放てば剣で弾き、退路を断てば宙を足場にして逃げ、負傷すれば治癒を行い、魔力が尽きれば周囲から吸収し、そして、強化した身体能力で突撃し、魔族を殺し得る攻撃魔術を放つ。


 これは。

 本当に、人間か。


「キャラ・ライトグリーン!!」


 また、ヒダマリ=アキラが突撃してきた。

 “現実”が見えたルゴール=フィルの脳裏を言いようのない悪寒が支配する。


 攻撃の機会は、遠距離攻撃を操るルゴールの方がずっと多い。

 圧倒していると感じられる局面も多く、精神的にも余裕があった。

 だが、ヒダマリ=アキラは凌ぎ切る。落ち着きなく魔術を乱発し、しかし結局は元通りだ。

 そして“その上で”、繰り返すごとに一挙手一投足の精度は上がっている。

 となればこれは、“通用していない”と言っていい。


 その一方、ヒダマリ=アキラの攻撃は、機会は少ないとはいえ、必殺の威力を誇る。

 ヒダマリ=アキラには常に勝ち筋が存在しているのだ。受け手を誤ることは絶対に許されない。

 確かに、防御能力が突出し、遠距離攻撃で距離を取って備えられるルゴールにとっては九分九厘対処できる攻撃だ。

 しかし問答無用の高火力を持つ攻撃を前には、幾度受けても完全な対策は確立できない。


 現状は、戦闘が硬直している。

 だが、ルゴールの思考は結論に辿り着く―――“あとは試行回数である”。


 いずれ決着はつくであろう。

 だがその“いずれ”は、どちらに訪れるものなのか。


「っ―――、エトリーククオル!!」


 ヒダマリ=アキラの突撃に対し、言い表せない焦りを覚えたルゴールは手札を切った。


 イエローに輝く光がルゴールの周囲を囲い、天を貫くかのような“柱”が現出する。

 柱の側面は所々が陥没し、その窪みにおびただしい魔力を滞留させていた。


 この魔術が起こす事象は、至ってシンプルだ。

 窪みに滞留させた魔力が、一斉に魔術となって周囲に射出されるだけである。


 “具現化”に極限まで近づいたこの“巨大要塞”の魔術。

 術者を鉄壁の柱で囲い、周囲を砲撃するこの攻防一体の魔術は、以前ヒダマリ=アキラの一派と交戦したときも使用した、『盾』を冠するルゴールの真骨頂である。


 今から先ほどの小手先の魔術とは比較にもならない無数の砲撃が周囲を襲い尽くす。

 そしてその砲撃は、一定程度の追尾性能を誇る。

 運で凌げるものではない。

 いかに多種多様な魔術を操るとはいえ、この距離で放てば人間ひとりなど容易く葬れるはずである。


「ち―――、キャラ・ブレイド!!」


 ヒダマリ=アキラから、強い“諦め”を感じ取った。

 そして同時、ルゴールの脳裏に、この魔術に対して“常識外の選択”をした化け物の記憶が過る。


「ぐ―――、」


 周囲が爆音に包まれ、泥と化した大地が暴れて巻き上がった。


 山脈の岩盤、雨水が溜まった巨大な湖、湿気を帯びた地面が吹き飛び続ける中、安全地帯で身を固めていたルゴールは、しかし直感に従って柱から即座に離脱する。


 堅牢なはずの要塞を放棄し、無茶苦茶に逃げ出した先、背後を睨むとヒダマリ=アキラが、躊躇なく柱に向かって突撃していた。


 覚えがある。

 無数の魔術が飛び交う戦場、身を守るだけでも回避するだけでもなく、迷わず“攻撃できる位置”へ突撃してきたあのスライク=キース=ガイロードの凶行を。


 度胸、判断力、合理性、どれとも表現できぬ、理不尽な殺意としか言い表せない“何か”を再現する魔法は、ルゴール=フィルの切り札を凌ぎ切った、いや、迎え撃ち切ってしまう。


 そして、多少は被弾したのか、泥の雨が降る爆心地の中、ルゴールがいた位置で息を弾ませるヒダマリ=アキラは、また慌ただしく自らの治癒を行っていた。


 逃げおおせたルゴールだが、即座に追撃が出来ない。

 先程の魔術はルゴール=フィルの最大値である。魔族とはいえ、自らの最大値を連発は出来ないのだ。

 というより、そもそも複数回放つことなど考慮する必要が無い。

 “魔族の魔術”なのだ。決め切れる、はずなのだ。


「―――キャラ・ブレイド……!!」

「!」


 ヒダマリ=アキラが改めて、殺意の魔法を“攻撃”のために発動させた。


 ルゴール=フィル自身、歴戦の魔族である。

 その経験値が、柱に守られていたときにすら感じた危機を嗅ぎ取った。

 速度は僅かに落ちたように感じるが、ヒダマリ=アキラの危険度が上がったように思える。

 いや、“別種の危険性”に変わったが正しい。


 ルゴールの魔術で吹き飛び荒れ果てた大地を、時には最善を、時には強行とも言えるルートで突き進んでくる。

 最善策でも安全策でもないその行動はリスクを伴い、しかし、ルゴールを射程に収める可能性の高い、“殺すことができる可能性が高い”行動であった。

 ぞっとするほどの恐怖を押し付けられる。

 僅かな隙を見せれば死を呼ぶ殺意を前には、通常の魔術を放つことすら躊躇してしまう。


 先程、ヒダマリ=アキラが巨大要塞の魔術の中、駆け抜けてルゴールがいた位置まで突撃できたのは、あくまで“運”の部分が大きいだろう。

 2度3度と繰り返せば、ヒダマリ=アキラを殺し切れる可能性もある。悪くても足止めにはなるだろう。


 だがそのためには、こちらが連発できない最大値の魔術を使い続けることになる。


 “そんな度胸は無い”。

 ただでさえ行動が制限されているような錯覚に陥っているのだ。

 柱で身を固めていても、砲撃をすべて掻い潜られれば、魔術が切れて柱が消えた途端、力を出し切った直後のルゴールの眼前に、ヒダマリ=アキラが臨戦態勢で立っていることになるのだ。


 これはあの、スライク=キース=ガイロードと交戦したときも感じた戦慄だ。

 理不尽な殺意を前には、急速に選択肢が奪われる。

 絶対の自信があるはずの魔術でありながら、使うことができない。


 ならばどうする。

 何が出来る。

 幸い戦闘は拮抗している。

 ルゴールは必死に活路を探した。


「いつまで逃げてんだ。魔族“様”だろ、正面から来るだけでいいじゃねえか」

「づ、調子に乗りやすいみたいだね、君は……!」


 悪寒を振り払うようにルゴールは強く返した。


 また我に返る。

 今ルゴールは、ヒダマリ=アキラの接近に、必死に距離を取り、遠距離から攻撃をし続け、そして同時に、この男の攻略方法を、知恵を振り絞って考えることになっていた。


 なんだそれは。それは魔族のやることでは無い。

 むしろ魔族を前にした人間がやる、無駄なあがきである。


「づ―――!!」


 魔術は弾かれ、接近されて斬り飛ばされる。


 続くであろう凶行に迎え撃とうと魔術を一斉に放つも、今度はヒダマリ=アキラは魔術を切り替え剣で斬り伏せた。

 その一瞬ののち、身体能力を上げに上げ、即座に接近してくる。

 今度は殺意ではなく、純粋な速度。

 いよいよ行動の予想すら立たなくなる。


 この勇者の手札はすべて見たはずだ。

 だが、ルゴールの行動に対し、ヒダマリ=アキラの選択肢にはすべての解答が存在する。


「―――、っ!!」


 ルゴールは黒い思考を振り払う。

 そんなはずはない。あり得ない。


 そもそも魔族と人間には大きな乖離があるのだ。恐れることはない。

 力は、魔族であるルゴールの方が高い。

 魔力の量も、比較にもならない。

 技術も、経験も、ルゴールの方がずっと高水準である。


 だが。


「エトリーククオル!!」

「キャラ・ブレイド!!」


 何故攻め切れない。


「キャラ・スカーレット!!」

「ギッ―――」


 何故攻め込まれる。


 弾き飛ばされたルゴールは、ようやく、霞んだように見えなかった“現実”が、形になってはっきり見えた。


「……は、本当によく耐えるな。っづ、キャラ・スカイブルー……!」


 ルゴールに攻撃を見舞ったヒダマリ=アキラは、また慌ただしく、自らを癒し、そして、剣を構える。


 ルゴールは激しい動揺と共に、この戦闘の局面が見えた。


 最早、いや、きっと、“最初から”。

 この戦闘は、ヒダマリ=アキラがルゴール=フィルを“いつ”撃破するかだけのものだった。


 最初に現れたときから、ヒダマリ=アキラは勝つ手札を揃え切っている。

 “そしてその上で、通常の成長をする”。

 自身は対策不可能な攻撃を有しながら、ルゴールの攻撃や行動を経験し、手札の組み換えの試行錯誤をし、経験をもとに戦闘に慣れていく。


 いたずらに戦闘を長引かせたわけではない。

 油断があったわけでもない。

 魔族の力をもって戦闘を行い、しかし純粋に、ヒダマリ=アキラを撃破できなかったことがすべてである。


 弾き飛ばされ泥に転げたルゴールは即座に立ち上がり、苦々しく睨んだ。


「化け物が……!!」


 この男と戦ってはならなかった。


 ヒダマリ=アキラが晒した手札をすべて見て、改めて組み立てれば、分かっていたはずだった。

 ルゴール=フィルでは、ヒダマリ=アキラは“攻略不可能”だ。


 最初からすべて見えていたはずなのに、気づけない。

 その無色透明の毒のような危険を、ルゴール=フィルは知っているはずだった。


 ヒダマリ=アキラを曇りない眼で改めて見れば、受ける印象は、“あの存在”と全く同じだ。


「俺が……、化け物だって?」


 目の前の化け物は、自虐的な笑みを返してきた。

 最初からそうだった。

 この男の像を歪ませる、この態度。

 このせいで、いつの間にか灼熱地獄に引きずり込まれていた。


 日の光は平等に降り注ぐ。

 理論上不可能だというのに、相手にすら、対処可能ではないかという希望を与える『日輪の勇者』。


「俺がやってんのはただの猿真似だ」


 全能の日輪。

 あらゆる魔法や魔術を完全な形で使用できる最強属性。

 たとえ真似だとしても、魔族に通用している時点で本物以上に本物である。


 しかしこの男は、本心から言っているのだろう。

 “まだ足りていないと”。


 この男の正体は、切り札の攻撃を有しながらも、多彩な魔術魔法を完全な形で操る魔術師だ。

 そしてその上で、 “常に自らが劣っている”と思い込んでいる狂人である。


 魔術や魔法は旅を通して習得していったのだろうが、その裏には戦闘というものへの理解の未成熟さがあるのだろう。


 戦闘というものは、基本的に、最高値の力をそのまま使うことが最善である。

 例えば完成されたスライク=キース=ガイロードは、常識外ではあっても根本的にはそうした行動を取るのだ。

 ヒダマリ=アキラの場合、切り札の火曜属性の再現だけ放っていても、十分に魔族とやり合えるほどの力を持っている。

 しかし、十分すぎるほどの力を有していても、常に敵を過大評価して己の不足を感じ、必要に迫られていると勝手に思い込んで、あらゆる手段に手を伸ばしてきたのだろう。


 それを”全能“の日輪属性がやってきたのだ。


 傍から見れば慌ただしく、未熟な印象しか受けない。

 だが、そうして培われた『日輪の勇者』の構成要素は、相対するルゴールからすればすでに異次元の域である。


 この男の危険性は理解した。

 理解を拒みたくなるような危険性を、理解した。


 ヒダマリ=アキラには、スライク=キース=ガイロードのような確たる自負が無い。

 ルゴールが受けた印象そのままに、吹けば飛ぶように落ち着きなく、風格というものがまるでない。

 事実それは正しい。本人も欺いているわけではない。

 だがそれゆえに、“本人にとって”の難壁を前に、加減も知らぬまま全能の力を注ぎ込んでしまう。


 この男は最も日輪の力を有してはならない存在だ。

 “成長型”の勇者ヒダマリ=アキラの危険性。それは―――“全能の日輪が、手段を選ばない”。


「……は、はは。覚えておくよ、ヒダマリ=アキラ」


 ルゴール=フィルはゆっくりと後ずさる。


 ヒダマリ=アキラという存在を知れた。

 撃破は不可能。

 そして、“ここでやるべきことは恐らく不要であった”。


 ならば迷わず退避である。


 『光の創め』であるルゴールには切り札があった。

 “魔門での召喚移動”である。

 『光の創め』を安全圏に誘うこの移動方法は、大幅な魔力減少を伴い移動も制限されるマジックアイテムのリロックストーンと異なり、大きな不都合は無い。


 準備に多少は時間がかかるが、幸いにも、現状戦闘は拮抗している。

 上手く立ち回れば逃げおおせるであろう。


「―――そもそも」


 そこで。

 ぞっとするような声が聞こえた。


 ヒダマリ=アキラはいつの間にか、“ここではないどこか”を見るような瞳を浮かべていた。

 最初にここに訪れたときに感じた強い違和感を覚える。


 それが“さらなる別種の恐怖”だと今なら分かった。

 ただ目を合わせただけで、離脱を決めて生まれた余裕が、根こそぎ奪い尽くされる。


 おぼろげに、ルゴールは思い出した。

 “全能”のヒダマリ=アキラは、ここに現れたときに言っていたのだ。


 お前を殺しに来た、と。


「俺程度の奴、今も、“未来”にも……、いや、過去にだって、いくらでもいるぜ」

「……ぅ」


 “見てきたかのようなことを言う”。


 ルゴールは思わず嘔吐いた。

 読み取ろうとしていたヒダマリ=アキラの思考のノイズが、一層酷くなる。


 この男の悪癖だ。戦況を読み取る力が乏しい。

 『盾』のルゴール=フィルは図らずも、ヒダマリ=アキラ基準で、“不足”を提示してしまったのかもしれない。

 ヒダマリ=アキラの力はすでに十分。この戦闘は時間の問題だとルゴールは判断した。だが、よりにもよって当の本人は攻め切れないと考えていたようだ。

 安々と突破できない壁を前に、この男は、全能の力を躊躇なく注ぎ込む。


 そして。

  “何か”が、起こり始める。


 ヒダマリ=アキラの剣を纏うオレンジの光が、毒々しく深くなっていった。


「―――“例えばこんな奴とかな”」


 最も強い者は誰か。


 その問いは、勤勉にも歴史を紐解き、過去の偉人超人まで並べ立てるほど、人々の興味を引いて止まない。

 昨今では、その剛腕と大剣ですべてを蹂躙する怪物『剣の勇者』スライク=キース=ガイロード、たったひとりであらゆる困難に挑戦し続ける『月輪の勇者』リリル=サース=ロングトンをはじめ、『破壊の魔術師』や『武の剣帝』、そして『数千年にひとりの天才』が挙げられるが、そうした候補者は、そのときの時世によって変わっていく。


 しかし。

 いかなる時代でも必ず挙げられる者がふたりいる。


 ひとりは『剣』そのものと言われた二代目勇者ラグリオ=フォルス=ゴード。

 その理外の戦闘力は魔族すらゆうに凌駕し、魔王ですら雑踏の存在のように蹂躙してみせたという超越者である。


 そしてもうひとりは、初代勇者の七曜の魔術師の中にいた。

 世界最高峰の魔術師が集結した中でも、特に驚異的だったと言われる4人のうちのひとり。


 児童向けの絵本では多くは語られないその人物は、史上最大規模の“殺人鬼”であった。


 その人物は、暗殺されたとある王族の財宝が眠る閉ざされた山奥の洞穴に、噂に引き寄せられて近づく者たちを、“悪意なく”殺害していた。

 生まれながら天賦の才を持ち合わせ、財を守る守護者となるためだけに育て上げられたというその人物は、すでに所有者の居ない財宝を感情も無く守り、名だたる超人、数百名規模の軍隊、襲いくる魔族ですら、例外なく僅かひとりで排除し続けていたという。


 そんな守護者のいる財宝は、噂が噂を呼び、莫大な財産としてあらゆる国に目を付けられ、人間同士の紛争にすらなりかけていた。


 その災いを取り払ったとされる初代勇者。

 彼とその人物の間に何があったのかを知る者は、今や歴史の中にしかいない。


 しかし、恐らく、“救い出された”のであろうその人物は、誰よりも初代勇者に忠実で、自らの罪を償うかのように魔物や魔族を討伐し続けたという。

 自らは決して贖罪には届かないと思い続けたその戦果は、今なお塗り替えられぬほどの討伐数を誇り、数多の人を救い、数多の神話を打ち立て続けた。


 その人物の“攻撃能力”は、魔族はおろか魔王ですら恐れおののいたとされ、現代に至るまで数多の研究者が躍起になって解析し続けても模倣すらできず、偉人に付き物の誇張と割り切らざるを得なかった―――破壊の到達点。


 起源にして頂点である、初代火曜の魔術師。


 今―――根源の力の扉が開く。


「―――スカーレット・ルーツ」

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