039 訪問者
店の前に止まった豪華な馬車の扉が勢い良く開くと、中から真っ赤なローブを着た女性が飛び出して来た。
その勢いのままローブの女性は店の扉を激しく開くと、店内へと飛び込んでくる。
「タクマ!タクマはいるかっ!?」
「エ、エマ様!?」
そう、店に飛び込んで来たのは東の塔の魔女、エマ様だった。
「エマ様っ!?」
セシルさんが慌てて片膝をついて深々と頭を下げた。しかし、そんなセシルさんを無視してエマ様は俺に掴みかかってきた。
「いたな、タクマ!このクソ商人が~!」
エマ様が王族とは思えない口調で俺の胸ぐらを掴み激しくゆすってくる。
「お、落ち着いてください……」
「これが落ち着いていられるかっ!耐熱ガラス容器は、どうした!?いつになったら持って来るのだ!?」
「あっ……」
「あっ!?貴様、忘れとったなぁ~!」
エマ様が鬼の形相で俺の体をゆすぶってくる。おかげで俺の首は、ぐらんぐらんだ。
「す、すいません!用意は出来たのですが、色々と店で騒動が起きておりまして、なかなかお届け出来なかったのです!」
「なら、いまここにあるのか?」
「は、はい!26個ほど、ございます!」
「なんだ、それを早く言わんか。もう少しで大人気なく怒るところだったではないか、ハハハ」
そう言いながら、エマ様がしわくちゃになった俺の胸元を直してくれる。エマ様が本気で怒ったら、いったいどうなるのだろうか?
「で、では、すぐに用意いたしますので」
「うむ。慌てて割らないようにな」
打って変ってエマ様が優しい口調になった。エマ様のご機嫌が変わらないうちに、俺は慌てて店の倉庫へと移動する。そのさい手伝ってもらうため、ずっと跪いているセシルさんを起こして連れて行った。
「エマ様が来るとは、驚きました」
「俺もだよ」
まだ興奮しているセシルさんに手伝ってもらい、倉庫部屋の棚から耐熱ビーカーの入った箱を取り出す。耐熱ガラスは通常のガラスよりも重いので、意外とひとりで持つのは大変なのだ。
「セシルさん、そっち持ってくれます?」
「……」
「セシルさん?」
「あ、すいません!」
珍しくセシルさんがうわの空だ。真剣に何かを考えているようだ。
「どうしました?」
「例の嫌がらせの件……エマ様に相談してみては、いかがでしょうか?」
セシルさんが深刻な表情で言ってきた。確かに王族の力を借りれば、事態は好転するかもしれないのは確かだ。
「いや、エマ様は王族の権力などを嫌っているようなんです。だから、こういうことには巻き込みたくは無いかと……」
エマ様には王立魔法学院への推薦状を書いてもらった恩もある。俺には、それだけでも充分なのだ。
「そうでしたか……浅はかな提案をしてしまって申し訳ございません」
セシルさんがそう言って頭を深く下げてきた。
「や、やめてください。王族の知り合いがいれば、頼りたくなるのは当然ですから。ただエマ様が特殊なだけなんです」
セシルさんからすれば、ようやく一瞬見えた希望の光が、すぐに消えてしまったのだ。それはガッカリするだろう。
分かりやすく肩を落とすセシルさんと、耐熱ビーカーを店舗まだ運ぶ。するとすぐにエマ様が飛びついてきた。
「おお、おおっ!あるではないか、あるではないかぁ~!」
エマ様は、まだ俺とセシルさんが運んでいる箱を開けて、中から耐熱ビーカーを取り出すと興奮して眺め出した。
チリンチリン
その時、店の扉が開き、ピカピカに磨かれた銀の鎧に身を包んだ、数人の騎士が店内に入って来た。
「エマ様、酷いじゃないですか!ガラス職人の店に行くんじゃないんですか!?」
先頭に立つ騎士が顔を真っ赤にしてエマ様に不平を漏らす。先ほど店の前を凄い勢いで通り過ぎた馬に乗っていたのが、彼らのようだ。
「わたしは耐熱ガラス容器を買いに行くと言っただけだ」
「そう言われれば普通、ガラス職人の店だと思いますよ。なのに、ここは塩の店じゃないですか!?」
「なんでも常識という狭い器で考えるから、こういうことになるのだ!凡人めっ!」
「エマ様が変人なのです!」
「うるさい!もういいから、この容器を馬車へ運べ!絶対に割るなよ。割ったら殺す」
「まったく……」
騎士たちはブツブツと文句を言いながら耐熱ビーカーを馬車へと運んで行った。煌びやかな鎧を着た騎士たちが耐熱ビーカーが入った箱を馬車へ運ぶ姿は、とてもシュールな光景だ。
気が付けば、何事かと集まった野次馬の人垣が店の前に出来ていた。
そんな中、騎士たちが馬車へと耐熱ビーカーを運び込んでいく。
「で、タクマよ、次の入荷はいつだ?」
馬車への搬入を満足気に眺めていたエマ様が、俺に振り向き問いかけてくる。笑顔だが目は笑っていない。
「い、1週間ほどで200個ほど、揃えられるかと……」
「おお、そうか!またこちらへ運べないようなら言ってくれ。すぐにこちらから使いを出すからな」
「りょ、了解しました」
「頼んだぞ、タクマ!」
エマ様はそう言って俺の肩を数回叩くと、馬車に乗って帰って行く。
俺はそんなエマ様の馬車とお付きの騎士たちを見送ったあとも、しばらく店の前で立ち尽くしていた。
「あの店、王族と取り引きがあったのかよ?スゲェな」
呆然と立ち尽くす俺の耳に、野次馬からのそんな声が聞こえてくる。みんな王族を見て少し興奮気味のようだ。
やはりこの国の王族は次元が違うようだな。
「はぁ……とりあえず耐熱ビーカーはもう少し注文しておいたほうが良さそうだな」
商品を切らしたら、またエマ様に何を言われるか分からない。そんな心配をしながら店に入ると、リサが俺の前にやって来た。
「あのぉ……これ」
そう言って、リサが革袋を重そうに差し出してくる。
「耐熱ガラス容器のお代だそうです」
エマ様はいつの間にか支払いを済ませていたようだ。そういうところは、しっかりしているんだな。
リサから革袋を受け取ると、その重さに少し驚いた。
「あの、これ、いくらあるの?」
「金貨150枚だそうです」
「えっ!?多いよ!」
「多めに入れといた。おつりはとっとけ、ということでした」
「1個、金貨3枚って言ったのに……」
耐熱ビーカー26個で金貨78枚のところ倍近い金額を置いて行ったことになる。
支払いがしっかりしてると思ったが、やはりこういうところは王族ということなのだろうか。
「とりあえず今回は、ありがたく貰っておこう」
返すとか言うと、また面倒になりそうだ。
エマ様が去ってからは、打って変わって静寂が店を包み込んでいた。その後しばらくは、また客がまったく来ないという時間が続いたのだ。
やっぱり、また客ゼロか……。
しかし、そんな不安はすぐに消えることとなった。
チリンチリン
店の扉が開くと、ひとりの青年が店に入って来た。
「……」
「あのぉ……やってます?」
「ああ、はい!いらっしゃいませ!」
あまりの久しぶりの客のため、俺をふくめみんな黙って立ち尽くしてしまっていた。
その青年はカウンターまで来ると、対応したリサに話しかける。
「塩が欲しいんですけど」
「塩ですかっ!?」
思わず俺は大声を出してしまった。青年はビックリして俺を見ている。
「ダ、ダメですか?」
「いえいえ、すいません!何ガロルでも、お買い求めください」
「じゃ、じゃあ300ガロルください」
「ありがとうございます!」
塩が売れた。なんと久しぶりのことだろうか。
たまたまこの青年が何らかの特殊な理由で買いに来ただけかもしれない。しかし久しぶりに塩が売れたのは事実だ。
「ありがとうございました!」
俺たちの過剰な感謝の声に見送られ、青年は満足そうに塩を買って帰って行った。
なんと素晴らしい光景だろうか。思わず泣きそうになる。
「店長!塩、売れましたね!」
「やったのニャ~!」
リサとミーナが俺に飛びついてきた。ミランダさんは、接触は自粛して微笑んでいる。セシルさんは少し体を震わせているようだ。
そんな喜んでいる皆を見ると、改めて俺も感動してきてしまう。
しかし、そんな喜びがこれだけで終わることはなかったのである。
チリンチリン
「い、いらっしゃいませ!」
またお客さんの来店である。しかも、混雑するほどではないが、立て続けに何人もやって来たのだ。
慌ててリサたちが接客を始める。
「タクマ殿……こ、これは?」
気が付くとセシルさんが俺の傍らに立ち、声を震わせて話しかけてきた。
「戻って来た……お客さんが」
俺はセシルさんに応えるでもなく、思わずひとりつぶやいていた。
来店してくる客は貴族などではない、一般市民の人たちだ。さらに全員が塩を買って帰っていく。
「なにが起きたんだ?」
そんな客の波は、このあと閉店まで続いたのであった。




