037 打つ手なし
風評被害騒動の翌日の朝、地下室から上へあがるとセシルさんが休憩室で待っていた。
「タクマ殿、おはようございます」
朝の挨拶とは裏腹に、セシルさんの表情が険しい。
「セシルさん、どうしました?」
「また、店に落書きをする不届き者が現われました」
俺はセシルさんにうながされるように店の外へと急いで出る。
店の入り口の横に、また大きく赤い文字で『毒』と書かれている。しかし、今回は一文字だけの上に、最後のほうはかすれているようだ。
「深夜に物音がしたので外に出たところ、覆面をした男がちょうど落書きをしておりました。残念ながら逃げられてしまい、一足遅く一文字だけ書かれてしまいました」
セシルさんが悔しそうに落書きを睨んでいる。
「いや、ありがとうございます。セシルさんのおかげで、今回はこの程度で済みました」
俺は昨日、塗装職人に多めに作っておいてもらった塗料を取ってくると、さっそく落書きを塗りつぶした。
多少のムラはあるが、目立つというようなことはない。これで、あとは今日、出来上がるはずの異世界商会のシンボルの看板ボードを壁にかけてしまえば完全に隠せるはずだ。
「セシルさんは少し休んでください。あまり寝ていないんでしょう?」
「いえ大丈夫です」
そうは言っても、目の下に薄っすらとクマが出来ている。セシルさんのことだから徹夜で見張っていたかもしれない。
とりあえず昼間は大したことも起きないだろうから、今のうちにセシルさんには休んでおいてもらったほうがいいだろう。
「おはようございます」
そんなところに出勤してきたリサが朝の挨拶してきた。だがいつもと違い、まるで元気がない。
「大丈夫?」
「店長、これ……」
そう言ってリサが一枚の紙を渡してくる。その紙には『庶民の健康を脅かす、異世界商会の毒塩を許すな!』と書いてあった。
「うちの近所に、たくさん貼られてました」
クソ!貼り紙、第2段か。このぶんだと第3、第4も用意していそうだぞ。
「あっ!リサのとこにも貼ってあったのかニャ~!?」
その声に振り向くとミーナが立っていた。手には、やはりあの貼り紙を持っている。
「あっ……」
そこへミランダさんも貼り紙を持ってやって来た。
参った。今度は徹底的に貼り紙作戦できたようだ。それも尋常じゃない枚数が貼られていると思われた。
これは、そのまま放置という訳には行かなくなったぞ。
「ミーナとミランダさんと俺で、出来るだけ貼り紙を回収しに行こう」
「了解ニャ!」
「とりあえず自分たちの家の近所から初めて、見つけるだけ見つけて剥がせるだけ剥がしてほしい」
「分かりました」
ミランダさんも神妙な面持ちで頷く。
「リサとセシルさんは、今日もお店のほうをお願いします」
「分かりました」
「お任せを、タクマ殿」
たぶん、このぶんだと今日も客はあまり来ないだろう。なのでセシルさんも少しは休めるはずだ。
「それじゃあ、俺は東の住宅地を回って来るから」
ミーナの家は南で、ミランダさんの家は西寄りのほうにある。だから俺は東へ向かうことにする。
「店長、ひとりで行かないほうがいいニャ」
いつになくミーナが真剣な表情で言ってきた。彼女もエスカレートしている嫌がらせを、かなり心配しているのだろう。
「大丈夫、貼り紙を剥がすだけだから」
「なんか心配ニャ」
「なんかあったらすぐ逃げるから大丈夫だよ」
俺は心配するミーナに笑顔で答え、東へと向かった。
しかしすぐに俺は、ミーナの獣人の勘というものの鋭さを身をもって知ることになるのだった。
「ほんとに何枚貼ってんだよ!?」
俺は文句を言いながら誹謗中傷の貼り紙を剥がしていた。もう200枚以上は剥がしているはずだ。
本当にもの凄い数が貼ってあり、探すのには苦労しないが、剥がすのには苦労させられる。
「参ったな、こりゃ……」
俺はエルモア伯爵を少し甘くみていたようだ。ここまで徹底して貼っているとは思っていなかった。
どうやら伯爵は、かなり本気らしい。
「ふぅ~この辺はだいたい剥がせたかな?」
住宅地の大通りを中心に貼り紙を剥がして回ったが、だいたい目立った所のものは剥がせたようだ。
「チッ!あんなとこにも貼ってるよ」
ふと家と家の間の路地を見ると、そんな人気の少ないところにも貼り紙が貼ってある。本当にもの凄い数を貼ったようだ。
路地に入り貼り紙を剥がしていく。この世界の糊はあまり強力ではないので、剥がすのは簡単だったのがせめてもの救いだった。
いったい何枚、剥がしただろうか?もう数えるのも面倒になってきたとき、そいつらは現われた。
「おいおい、てめぇ。なに俺たちが苦労して貼ったもん、勝手に剥がしてんだよ?」
その声に振り向くと、絵に描いたようなチンピラが3人立っていた。その手には糊とハケではなく、短剣が握られている。
ま、まずい。まさか貼り紙を貼った奴らに出くわすとは思わなかった。
それにこいつら、俺を殺す気満々のようだ。俺は自慢じゃないが、喧嘩もしたことないんだぞ。それにチートも無いのだ。
「あ、いや……良い紙があるなぁと思いまして……返しますんで許してください」
そう言って剥がした貼り紙を差し出した。
「てめぇ~何枚剥がしてんだよ!?」
200枚以上だよ。などとは言えない。
「全部返しますんで、許してもらえませんか?」
「許すわけねぇだろ」
「お金なら少しは払えますので」
「おめぇ殺せば、金なんか手に入るだろが」
クソ。チンピラだがそこまでバカじゃないか。
「それに、おめぇ異世界商会の奴だろ?殺すに決まってんだろが、バ~カ」
バレてる。というか、最初から俺を狙っていたのかもしれないな。
ここは全力ダッシュで逃げる以外に何も思いつかない。
俺はチンピラに気付かれないように、ゆっくりと足の筋を伸ばす。全力疾走なんて何年振りだろうか?
「なに楽しそうなことやってんのニャ~?」
この聞きなれた声は!?
その瞬間、チンピラのひとりが突然、その場に崩れ落ちた。
「な、なに!?」
慌てて身構えた残りふたりのチンピラのひとりが、またしても崩れ落ちる。
その崩れ落ちたチンピラの後ろにミーナが立っていた。
いや違う!ミーナにそっくりな顔だが、毛色が少し濃い茶色だ。それに年齢もミーナよりは上のようで、可愛いというより美人系の獣人だった。
「て、てめェー!」
最後に残ったチンピラが、その獣人に斬りかかる。が、次の瞬間、腹に拳を叩き込まれ泡を吹いて崩れ落ちた。
その獣人のお姉さんの動きはもの凄く、気が付くとチンピラの懐に飛び込んでいたのだ。
「怪我は無いかニャ?」
「は、はい!ありがとうございました」
「この辺は、まだ危ないニャ。早く戻ったほうがいいニャ」
口調はミーナなのだが、声や仕草に大人の色気がある。なんか不思議な感覚だ。
「あ、助けてもらったお礼をさせてください!」
「そんなのいいニャ」
「いえ、そういうわけには……」
その獣人のお姉さんは俺の言葉を聞かず、家の壁を蹴って屋根に上がると、どこかへ消え去ってしまった。
「せ、せめてお名前を……」
そんな俺の言葉が届くはずも無いほどの、素早い身のこなしだった。
「カ、カッコイイ……」
「だからひとりは心配だって言ったニャ!」
「ごめんごめん」
店の閉店後、みんなに住宅地の路地で襲われたことを話すと、ミーナにかなりの勢いで怒られた。
「でも、その助けてくれた獣人の女性が、ミーナになんとなく似てたんだよねぇ……知り合いかなぁ?」
「し、知らないニャ!じゅ、獣人は種族によっては似てるから、同じに見えただけニャ」
「ふ~ん」
なんか怪しい。けど助けてもらったんだから、まぁいいか。
「それにしても、凄い数ですね」
セシルさんがテーブルに詰まれた貼り紙を見て、ため息を漏らす。それもそのはず、剥がした貼り紙はみんなのを合わせて1000枚ほどになったからだ。
「ここまで、やってくるとは……」
セシルさんが思わず言葉を失った。他のみんなも同様に暗い表情で黙りこんでいる。
「なにか手を打たないと、とは思ってるんだけどね……」
俺も言葉が続かない。現状、何も対抗策が思いつかないのだ。
俺が襲われたことで、今後、みんなに貼り紙を剥がしてもらうのも危険になってしまった。俺だけならともかく、みんなを危険にさらす訳にはいかないのだ。
こりゃ参ったな。打つ手なしか。
「とりあえず、明日も営業は続ける……としか今は言いようがないんだ。申し訳ないけど」
「いえ、頑張りましょう!」
そう言ってくれたのは最年少のリサだった。それに続いて皆も力強く頷いてくれる。
「みんな、ありがとう」
そんなみんなのためにも、この状況を何とかしなければならない。
しかし何も出来ない歯がゆさは、日に日に増すばかりだった。




