036 買い占め
「なんということだっ!」
朝、いつものように店舗へ出てみると、外からセシルさんと思われる怒号が聞こえてきた。
何事かと慌てて外に出てみると、セシルさんが店の前で顔を強張らせ震えて立っていた。
「ど、どうしたんですか?」
「こ、これを……」
そう言ってセシルさんが震える手で店の壁を指差す。
「なっ!?」
そこには赤い染料のようなもので、壁いっぱいに落書きが書かれていた。
「ど、毒塩?」
そこにはでかでかと『毒塩』と殴り書かれていた。文字から垂れる赤い染料の具合が、また毒々しさを出している。
それにしてもまた、落書きというベタな嫌がらせをしてくれたもんだ。
「ひ、卑怯なぁ……」
セシルさんは怒りに震えている。
落書きを触ってみたが、もう完全に乾いているようだった。それに木の壁だから、赤い染料が染み込んでしまってもいる。
「これは洗っても落ちないかなぁ」
「も、申し訳ありません!私が居ながら、こんな愚劣なことを許してしまうなんて!」
「いえいえ、この程度で済んでよかったですよ」
色々とセシルさんに気にしないよう言ったが、このあとしばらくセシルさんの謝罪の言葉は続くのであった。
「旦那、こりゃ落とすのは無理ですぜ」
「やっぱそうですか」
落書きを何とかしようと、塗装職人に来てもらったが、やはり予想通り落書きを落とすのは無理そうだ。
「じゃあ、この上からもともとの壁の色と近い色で、塗りつぶしてもらえますか?」
「了解。なるべく壁と馴染むように塗ってみるわ」
そう言って塗装職人は、何色か塗料が入った壺のようなものを取り出して、塗料の調合を始めた。
とりあえず落書きの処理は職人に任せて、俺は開店準備を始めることにする。
「大丈夫でしたでしょうか?」
店に入るとセシルさんが心配そうに尋ねてきた。もう出勤しているリサやミーナ、ミランダさんも心配そうだ。
「とりあえず、落書きは何とか消せそうだよ」
「良かった」
ずっと責任を感じているセシルさんが少しホッとしたように胸をなでおろす。
「ちょっと看板の店まで行ってくるんで、開店は任せていいかな?」
「お任せください」
「じゃあ、みんなお願いします」
俺が店を出ると、みんなは忙しそうに開店準備を始めた。セシルさんだけは心配してか、俺を見送りに外へ出てきた。
「セシルさん」
「なんでしょうか?」
「少し心配なんで、いつもより警戒を強化しておいてもらえますか?」
「……了解しました」
セシルさんは真剣な表情になり、自然と腰の剣に手を掛けるのであった。まさかこんな物騒なことになるとは想定していなかったので、こういう時に本当にセシルさんが居てくれて良かったと思う。
そんなセシルさんに店を任せ、俺は看板店へと急いだ。
異世界商会のマークの看板を、また作ってもらうつもりだ。ただ、いま店に掲げているものよりも薄いボードのようなものをイメージしていた。
その店舗マークの看板を使って、今後は落書きなどを覆い隠してしまおうと思ったのだ。
これからまたやられるであろう嫌がらせに対する対処なのだが、根本的な解決とはならないのも事実だ。
なので、もう少し問題に踏み込んだ解決策も、すぐに検討しなければならない。
しかし、今は目の前の障害に対する対処を優先するしかないのも、また事実なのだった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
看板の注文を済ませた俺は、急いで店へと戻って来た。
しかし、出迎えてくれたみんなの顔が少し暗い気がする。
「ど、どうした……」
と言いかけて、すぐに異変に気が付いた。
昨日まであんなにいたお客さんが、店内にまったくいないのである。
「開店から、こんな感じで……」
言葉を失っていた俺にリサが教えてくれた。
「ぜんぜん来ないわけじゃないけど、昨日の3割りも来てない感じニャ~」
ミーナもガッカリして耳が垂れている。ミランダさんも涙目だ。いや、潤んだ瞳はいつもだっけ?
「こりゃ参ったな」
店の壁に書かれた落書きだけで、ここまで客足が落ちるとは思えないんだが。
「タクマ殿、やはり昨日の連中が」
セシルさんが表情を強張らせ、昨日の赤いグリフォン亭でうちの悪口を言っていた連中のことを言ってきた。確かに、あいつらが影響してるのは間違いないだろう。
「みんな、これは店の緊急事態だ。これから少し、力を貸して欲しい」
「なんなりと」
セシルさんをはじめ、みんなが真剣な表情で頷いてくれた。本当に心強い仲間たちだ。
そんなみんなの力を借りて、まずは状況確認のための情報収集をしようと考えた。
「では、まずミーナ」
「はいニャ!」
「ミーナには、酒場とかの飲食店を回って、うちに関する噂を調査して来て欲しい」
「任せてニャ~!」
「ただ、犯人捜しではないから、決して危ないことはしないように。噂話の内容や、どれくらい広まっているかが分かれば充分だからね」
「了解ニャ!」
そう言うとミーナは、店を飛び出して行ってしまった。もう少し打ち合わせをしたかったが、スピード重視ということで、まぁいいか。
「次にミランダさんは、住宅地を回って奥さん連中から噂話がないか調査してきてください。高級住宅地ではなく、なるべく庶民の多い所をお願いします」
「わ、分かりました」
そう言ってミランダさんも店から出て調査へ向かった。
敵はうちの塩にターゲットを絞っていると思われた。なので一般的な庶民への工作が一番考えられるのだ。
「店は閉めたくないので、リサはこのまま営業を続けてくれるかな?」
「わ、分かりました」
リサは子供なので、調査とかはさせないほうがいいだろう。それにリサにだったら安心して店を任せられるというのもある。
「セシルさんは、店の警備を厳重にしてください。何かあったらセシルさんの判断で店を閉めてもらっても結構ですので」
「了解しました」
セシルさんはエルモア伯爵との一件の当事者なので、聞き込みは出来ない。ここは店の警備に徹してもらおう。
「ではみんな、よろしくお願いします」
こうして俺たちは営業妨害と思われる嫌がらせの調査を開始したのだった。
「どうやら何者かによって、塩の買い占めがされているようです」
商人ギルドで今回の件をエステバンさんに相談したところ、そんな話を聞かされたのだ。
「買い占めですか?」
「はい。3日ほど前から買い進めてはいたようで、昨日今日と一気に買い占めがされたみたいです」
ここ数日で塩が買い占められたという話は分かったのだが、それが今回の嫌がらせと何か関係があるのだろうか?
「本来なら塩のような常に売れるものを買い占めるのは難しいですし意味もあまりありません。ですがタクマさんの安い塩の影響で、塩在庫を抱えていた商人たちは喜んで手放してしまいました」
俺が意味が分からない表情をしていたのか、エステバンさんが今回の件を丁寧に説明し出してくれた。
「普通ならタクマさんの安い塩が市場にあるので、従来の高い塩を買い占めても損しかしないはずなのです。ですが、ここにきて事態は変わりました」
「風評被害でうちの塩が売れなくなった?」
「そうです。そのせいで突然、塩不足に陥り出しました。50ガロル銀貨1枚ほどだった塩が、すでに銀貨3枚以上になっています。このままいけば、値はさらに上がるでしょう」
「ですが、すぐに隣国から購入すればいいことでは?」
「それがそう簡単にはいかないのです。このエルーデン王国と違い、塩生産国では塩の製造販売は全て国が管理しています。なので年間輸出量が規制されているのです。そして今期分の販売はすでに終了しており、次の塩の販売は早いところでも2か月後なのです」
「そんなに先なんですか?」
「塩を買い占めた者はこの空白期間を知っていて、いま動いたと思われます」
「しかし、国中の塩を買い占めるなんてことは出来るのでしょうか?」
「もちろん完全に買い占めるのは不可能ですが、8割りほどは買い占めることは可能と思われます。ただし、もの凄い財力と人を動かす力が必要ですが」
「も、もしかして、動いているのがエルモア伯爵……」
「その可能性は高いかと」
やはりエルモア伯爵の仕業だったか。
しかしセシルさんを雇ったうちに対する嫌がらせだけでなく、同時に塩でぼろ儲けを企むとは、なんと悪知恵の働く貴族なんだ。
「この件に関しては、我々のほうでも調査を開始しております。商人ギルドでは買い占め行為を禁止しておりますので……ただ、エルモア伯爵が関与した証拠が簡単に見つかるとは思えませんが。それにもし見つかったとしても、伯爵の力なら簡単に揉み消せるでしょう」
そうエステバンさんは、ため息交じりに話すのだった。やはりエルモア伯爵の力はそうとうなもののようだ。
「どちらにしても商人ギルドとして、塩不足による価格の高騰には対処しなければなりません」
いちおう何か分かりしだい教えてもらう約束はしたが、結局、いま出来る具体的な対策は何も分からなかった。
少なくとも数日で解決するような問題の規模ではなくなっていることだけはハッキリしたのだが。
これはかなり長期戦になることも覚悟しなければならなそうだ。
俺は重い足取りで商人ギルドをあとにすることとなった。
「かなり酷い噂が流れてたニャ~」
お店の閉店後みんなに残ってもらい、俺たちは風評被害の対策会議をしていた。
ミーナが色んな酒場を回って調べてくれたが、訪れた全部の酒場でうちの塩の悪口が流れていたことが分かった。
内容的には、何か怪しい物でない限り塩をあんなに安く売れるはずがない。というものから、すでにうちの塩を食べて死んだ者が出始めている。というような酷いものまであった。
ご丁寧に具体的な死者の名前まで出ていたのでミーナが調べに行ったところ、その人物は塩とは関係ない病気で死んでいたことが分かった。
死因が事実と違うとはいえ、本当に亡くなっていたという事実は風評被害を加速させるには充分だっただろう。
本当に悪知恵が働く連中だと感心してしまうほどだ。
「住宅地のほうも似たような噂話が広まっていました。それに、これが……」
そう言ってミランダさんが一枚の紙をテーブルに置いた。
その紙には『異世界商会の毒塩に注意。死者多数!』と書いてあった。
「この紙がかなりの数、街中に貼ってありました」
「ここまでやるかね……」
俺はその紙を見て、ため息をついた。
この世界では紙は安くない。そんな紙を大量に使っているところをみると、やはり商売敵の嫌がらせのレベルとは考えにくい。
これはもうエルモア伯爵が動いているとみて、まず間違いないだろう。
「本当に……みんな申し訳ない」
セシルさんがうつむいたまま声を絞り出して謝罪した。体も小刻みに震えている。どうやら彼女もエルモア伯爵の仕業と確信したようだ。
他のみんなも黙り込み、何て声を掛けていいのか分からないようだ。
そんな重い空気のなか、俺は本日の売り上げのメモを手に取った。
「今日の塩の売り上げは……200ガロルか」
昨日までの売り上げから考えると、数字的にはほぼゼロになったと言っていい。ここまであからさまに、一日で一気に売り上げに現われるとは思わなかった。
「商人ギルドの情報だと、塩の買い占めがされたらしい」
「塩の、ですか?」
セシルさんが顔を上げて俺を見る。
俺はみんなに商人ギルドで聞いた話を全て話した。みんなその話から感じる敵の大きさに、不安を隠せないようだ。
「そんなことをするには、かなりの財力と人力が必要だ。なのでエルモア伯爵の仕業というのが濃厚だと思う」
「や、やはり……」
改めてセシルさんが肩を落として俯いてしまう。
「俺は許せないんだ」
俺の言葉にみんなが注目する。
「こんな卑劣で卑怯で姑息なマネをする奴が、俺は絶対に許せない。そして絶対、そんな奴に負けるわけにはいかない」
「タクマ殿……」
「いまは正直、対抗する具体案は無い。でも俺たちが怯えることはない。俯かず前を向こう。明日も明後日も、変わらず店を開けよう。いまは少なくとも俺たちに出来ることを変わらずやり続けることが大切だと思うんだ」
「店長……」
リサが同意するように頷いてくれた。ミランダさんも潤んだ瞳で見つめてくる。絶対にメガネを外さないでくださいね。
「俺たちは、そんな卑怯者の姑息な手段では何も変わらない、というところを見せつけてやろうじゃないか」
「賛成ニャ~!さすが店長、いいこと言うニャ~!」
そう言ってミーナが俺に飛びついて、頬をスリスリしてくる。引き離そうと体を押すがビクともしない。
とりあえず、みんな少しは元気が取り戻せたようでよかった。
しかし、問題は何も解決していない。それどころか具体的な対応策が何も無いのだ。
価格を下げて一般庶民に塩を充分浸透させ妨害を防ぐという策は、少し始めるのが遅すぎたようだ。というか開店してまだ2週間しか経ってないのだから無理な話なのだが。
しかし相手が一枚も二枚も上手ということは間違いない。
俺は商人として、そして従業員のみんなを守る責任者としての早急な対応を求められているのだった。




