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029 近付く妖艶な影

「塩と砂糖の看板……ですか?」

 俺が新しく作り直した看板を見て、リサが疑問の声を上げた。

「そう塩と砂糖の看板だが、前とは値段が違う」

「あっ!安くなってるニャ!」

 そう。ミーナの指摘の通り、塩と砂糖の値段を下げたのだ。

 新価格は塩50ガロルが銅貨30枚だったのを20枚へ、砂糖は50ガロル銀貨3枚から2枚へと大幅値下げをしたのだ。

「そ、そんなに下げるのですか?」

 セシルさんが疑問というか、不安の声を出す。確かにけっこうな値下げだと言えるだろう。しかし少しだけ下げるなら意味は無いのだ。

「売り上げが上がり、みんなに商品が浸透してきた今こそ、一気に値を下げてさらなる市民生活への浸透を目指す!そんな戦略です」

「なるほど」

 セシルさんは納得したように大きく頷いた。リサはまだいまいち分かっていない顔して俺を見ている。

 ミーナは自分の爪をいじっていた。

「それにこの値段でも、利益はまだまだあるので心配はないんだ」

 そう。商品の大量仕入れを始めたため、原価はさらに下がっているのだ。

 塩でいうと仕入れ値が50グラム4円しないのである。それを銅貨20枚、日本円で約280円で売っても270円以上の利益になるのだ。

 さらに販路拡大もふくめ大幅売り上げ増を目指すので、結果、売り上げはさらに上がると予想している。

 そして、今回の価格改定には、もうひとつの理由がある。

 一般庶民にうちの塩が広まり多く浸透すれば、エルモア伯爵の手も出しにくくなるのではないか、という期待がある。

 いくら貴族でも多くの市民の声を無視することは出来ない。いや無視することが出来ないほどの数の市民を、見方につければいいのだ。

「ということで、明日からこの価格で販売することになるので、会計を間違えないように気を付けてください」

「分かりました」

「了解ニャ!」

 あとは早いとこ追加の売子を確保しないといけない。客は増やしたがスタッフが対応しきれないのでは、まったく話にならないのだ。

「あと新しい従業員なんだけど、誰か良い人、知らないかな?」

「すいません。私の知り合いには……」

 セシルさんが頭を下げる。騎士だったので、こういう店で働いてくれる知り合いがいないのは当たり前か。

「私の近所に、ひとり働きたそうな子がいましたが……」

 そうリサが期待させることを言ってくれる。

「悪いんだけど、ちょっと聞いてみてくれる?」

「分かりました、このあと聞いてみます」

 そしてミーナを見ると、何も言わずただ首をフルフルと横に振るのだった。やっぱミーナもダメか。

 とりあえずリサの知り合いに期待をしつつ、今日の業務は終了としよう。

「誰か来たニャ」

 ミーナが突然、店舗のほうを見て言う。猫耳がピコピコと動いている。

 猫耳を触りたい衝動をおさえ、俺は店舗へ行ってみた。すぐ後ろにセシルさんが続く。少し警戒しているようだ。

「あの、すいませ~ん」

 そんな女性の声が外から聞こえ、扉が軽くノックされている。

「は~い」

 俺は女性の声に答えながら、店の扉を開けた。

「あ、まだいらしたんですね?よかった」

 そこにはひとりの女性が立っていた。年は20歳ぐらいだろうか?少しウェーブのかかった赤毛をしている。

「な、なんでしょうか?」

 俺は思わず声が上ずってしまう。なぜならば、その女性はかなりフェロモンむんむんで、凄くセクシーというか……失礼だが、なんかエロいのだ。

 身体も細くは無く、良い感じのムチムチで、着くとこに良い感じで肉が着いているという、まさにグラマラスボディといえた。

「昨日、うちの子が高価な鏡を割ってしまったところを、ご主人に助けていただいたようで。挨拶が遅れて申し訳ございません」

「ああ、あの子のお母さんでしたか」

 その女性は謝りながら俺に近づいてくる。唇は厚く、しっとり濡れて輝いている。目も潤んでいて、なにか艶めかしい。

「タクマ殿」

 セシルさんが俺の前に割って入った。なぜか剣に手を掛けている。

 気が付くと、ミーナが俺の左に立ち、なぜか俺の腕に手をまわしていた。

「店長、大丈夫ですか?」

 すると今度はリサが俺の右に立ち、やはり俺の腕を掴んできた。凄い心配そうな顔で声を掛けてきている。

 なんか三人に囲まれてないか?……というか守られている感じなんですけど。

「あ、あのご主人?」

 子供のお母さんはセシルさんに遮られ、俺のことがよく見えないようだ。俺もセシルさんの背中で、お母さんがよく見えなくなった。

「あ、あの、ちゃんとお礼をさせていただきたいのですが……」

 お母さんがセシルさんに泣きそうな声で訴えている。

「セ、セシルさん、ちょっと……」

 よく分からないが、なんかやり過ぎだぞ。俺がセシルさんを止めようとすると、ミーナとリサが俺の腕をグイッと後ろへ引っ張る。

 な、なんなんだよ、みんな?

「おのれサキュバス……」

 セシルさんが、そうつぶやいた。え?サキュバスってなに?

「ち、違います!私はただの主婦ですから」

 お母さんが必死に否定する。意味は分からないが、きっと悪いことを言われたに違いない。

「騙されんぞ。そうでなければタクマ殿が、あんなアホ面になるわけがない!」

 セシルさんがいよいよ剣を抜こうという感じになってきた。アホ面って言われたほうが気になるが、ここは我慢してスルーしよう。

「本当に!本当に違うんですぅ~!」

 そう言ってお母さんは顔を覆って泣き崩れてしまった。その鳴き声は嗚咽するほど凄まじく、とても演技とは思えない。

 さすがのセシルさんも体を固まらせている。

「ど、どうしますか?」

 セシルさんが振り向くと、困った顔で俺に聞いてきた。

 知らないよ。


「本当にうちの従業員たちが、すいませんでした」

 休憩室のイスに座らせ、ようやく泣き止んだ男の子のお母さんに話しかけた。

 みんなの無礼を詫びたが、三人ともそっぽを向いている。なに逆切れしてんだよ?謝んなさいよ!

「い、いえ。こういうことには慣れていますから」

「慣れてる?」

「はい。こういうことは、よくあるんです。誘惑してきたとか、旦那を寝取ったとか、サキュバスとか……」

「そのサキュバスってのは……」

 俺がセシルさんを見ると、軽く咳払いをしてセシルさんが説明を始めた。

「サキュバスとは男を妖艶にたぶらかす妖魔です。サキュバスにかかると男たちは先ほどのタクマ殿のようなアホ面になって、操られてしまうのです」

「せ、説明をありがとう」

 なんか棘がある言い方だな。なんでちょっと怒ってるんだよ?

「私は普通に話しているだけなのに、なぜか相手の男性はおかしくなってしまうのです」

「そ、それは大変ですね」

「はい。私は静かに暮らしたいだけなのですが」

 そう言って彼女は目を潤ませながら俺を見つめてくる。妖艶な唇が少し開いていて、かすかな荒い息遣いが……。

「タクマ殿!」

 セシルさんに、テーブルを叩かれながら名前を呼ばれて我に返った。

「な、なるほど。こ、こういうことなんですね」

 恐ろしい。確かに男からしたら恐ろしい能力かもしれない。

「申し訳ありません」

「いえいえ……しかし本当に大変そうですね」

「はい、先日もこれが原因でメイドを首になったばかりでして」

「メイドさんなんですか?」

「はい。とある男爵家のメイドをしていたのですが、突然、男爵様に言い寄られてしまいまして……それが奥方様にバレまして、首になりました」

「そ、それは大変でしたね。その男爵家には長く勤めてらしたんですか?」

「いえ、3日だけです」

「…………」

 ある意味、凄い能力の持ち主といえた。俺が言葉に詰まっていると、セシルさんとリサとミーナが俺を睨んできた。

 俺?なんなんだよ?どうすりゃいいのよ?

「す、すいません。息子のお礼に伺ったのですが、変なお話を聞かせてしまって」

「い、いやいいんですよ。本当に気になさらないでください。ご苦労お察ししますので」

「チッ」

 おい!いま誰か舌打ちしたか!?

「本当に今回の息子の件は、なんとお礼を言っていいやら。メイドもクビになり、途方に暮れていたところでしたので……」

「いえ、お母さんも大変でしょうから、気になさらないでください」

「本当になんとお礼を言ったらいいか……」

 気が付くとまた三人が俺のことを睨むように見ていた。何だよ?どうすんだこれってこと?俺の責任なのか?

 どうするったって……あ、このお母さんを上手く処理する方法が、ひとつあったぞ。

「そうだ、いまうちで従業員を募集してまして、もしよろしかったらうちで働いてみませんか?」

 その瞬間、セシルさんとリサとミーナの三人が、いっせいに立ち上がった。

 ナイスアイデア!という顔には、まったく見えない。むしろ逆だ。違うだろアホ!という声が聞こえてきそうだ。

 な、なに!?なんか間違ったか?

「わ、私なんかが働かせてもらっても、よろしいのでしょうか?」

 いやいや!ここはもう後には引けない。三人がどう思おうと、俺は目の前の困っている女性を助けたいのだ。ここは俺の意思を通させてもらうぞ。

「いえ、逆にお願いしたいくらいなんです」

「そ、それでしたら……」

「反対ニャ!」

 ミーナがドンとテーブルに手を付いて、俺を睨んでくる。心なしか毛も逆立っているようだ。

「な、なんでだよ?」

「うちの店にエロさは、いらないのニャ!」

 おいおい、エロって。

「すいませ~ん!エロくてすいませ~ん!わ~ん!」

「ほらぁ、また泣いちゃったじゃないかぁ」

「フン!」

 ミーナは鼻を鳴らすと、そっぽを向いて腕を組んで座ってしまった。

 助けを求めようとリサを見たら、見たこともない表情で俺を睨んでいた。

 リ、リサ……君はそんな娘じゃなかったはずだぞ。

「タクマ殿、涙は女の武器ともいいます」

 セシルさんが真剣な顔で俺を睨んで来る。戦いなのか?ここは戦場なのか?

「す、すいませ~ん!す、すぐに泣き止みますからぁ~!」

 よけい泣いてるじゃないか!

「と、とにかく!彼女には働いてもらいます。これは決定事項です!」

「…………」

 誰の返事も無い。みんな俺のことを、もう見てもいないのだ。

「と、とりあえず、明日から来ていただけますか?あ、そうだ。お名前まだ聞いてませんでしたね?俺は店主のタクマといいます」

「わ、私は、ミランダと申します」

 こうして、異世界商会に新しい仲間が加わった……んだよね?

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