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09.


邂逅



視察の期間が満を持してはじまってからというもの、生徒のみならず、教師役を務めるために派遣された上位軍人ですらも浮足立った様子を見せる軍校内は、普段より格段に静まり返っているのにも関わらず一種の熱気が籠っていた。

しかし、視察がはじまったからと言って、軍人及び軍校生がなにを特別やるわけではない。彼等に課せられているのは、通常通りの生活を滞りなく過ごすことひとつである。

熱に浮かされているのは代季のクラスも例外ではない。

生徒たちに飛ぶ叱責が普段より数多かった射撃練習を終え、当番制で回ってくる授業後の片付けのために射撃場に留まった代季は、転がる空薬莢を拾い集める。

火薬の匂いが未だに充満する室内を歩き回り、空薬莢を集め終えた代季は次に空薬莢を詰め込んだダストボックスを手に、射撃場を出て裏手に回った。

廃棄処分用の焼却炉が設置されている裏庭に到着すると同時に、遠くから授業の開始を告げる盛大なラッパの音が聞こえてくる。

気持ちだけは慌てながら、ゆるやかな動作で焼却炉に空薬莢を放り込む代季の背後で、僅かに木擦れの音がした。徐々に大きくなる雑音と足音に気付いた代季が手を止める。

裏庭には各所に整備された自然が散りばめられて、焼却炉も小さな茂みの中に配置されていた。その背丈の高い木々と低い草木を掻き分けて、こちらに近付いて来るものがいる。

近付いてくる誰か――また、何か――の気配に代季が振り向くより一瞬早く、裏庭に生える木々の間からひとりの男が抜け出して来た。

ぱちくりと目を瞬かせる代季の前で、無理矢理木々の合間を縫って来たらしい男は優雅に身体中に着けた小枝や細かい葉を払う。

木の葉は服だけではなく、背中に流れる宵闇の髪や精悍な顔立ちにも張り付いていて、それも順々に白い指先で取り除いて行く。

ゆったりとした東方の法衣の至るところに付着していた葉を粗方払い終えた男は、顔を上げて視線の先にいる、ダストボックスを持ったまま固まる代季にはじめて気付いたように目を瞠った。


「……」

「……」


紅玉の双眸に見据えられてきょとりと首を傾げた代季に、男がゆっくりと歩み寄って来る。

目前までやって来た男を見上げる代季に、彼は僅かに思案する表情を見せた後、ゆるりと片手を挙げて見せた。右手が力なく揺らされる。


「やあ」

「はあ」


挙げられた手に同調して浅くぺこと頭を下げた代季に、今度は男がきょとりと頭を傾けた。

挙がった手で頬を掻き、表情が変わらない代季を淡々とした表情で見遣る。


「……」

「…なにか?」

「いや、」

「……」


暗闇の中で燦然と輝く野生動物の瞳のように、淡い光を放つ男の紅い双眸から片時も目を放さないままの代季が問いをぶつければ、男は僅かに困ったような顔をして首を振った。

それから代季から視線を外して、首を周囲に巡らせた。

裏庭でも辺鄙な場所に位置するこの廃棄処分場は、人の手が人工的に作り出した自然とは少々言い難いくらいには木々が鬱蒼としている。代季が空薬莢を廃棄するために通って来た正規の道でさえ草木が我が物顔で蔓延る始末である。

用さえなければ大抵の人間は好んで近付きたがらない場所に、わざわざ正規ではない道まで使用して彼はなにをしにきたのだろうか。

言葉には乗せず口ほどにものを言う目でそう語る代季に、男はその、自分で掻き分けて無理矢理通って来た道なき道に目を落とすと、億劫そうに口を開いた。


「迷子」

「…はい?」

「迷子なんだ」

「まいご」


大の大人が発する言葉にしては違和感があって、思わず男の台詞を繰り返す。

まいご。不思議そうに言葉をなぞる代季に、男は尊大に頷いて見せた。


「そう、迷子。少々ひとりで散歩を楽しもうと思って従者を振り切ってみたんだが、想像していた以上に軍宮が広くてな。迷子になった」

「あなたが」

「ああ、私が」

「まいご」

「そうだ、迷子」


鷹揚に頷く男が嘘を吐いているとも思えず、代季は小さく大変ですね、と言葉を返す。

そうすれば、男は小さく口の端を上げて、ああと微笑んだ。

濁りのない紅の瞳が優しさを孕む。


「それでだな、私は将軍の私室に戻りたいんだが、よければそこまで案内してはくれないか。此処からひとりで帰れる自信がない」


飄々と、人に命令を下すことに慣れている風情であるのに強要しているように聞こえないのは男の緩やかな雰囲気のせいだろうか。

思わずいいですよ、と快諾しそうになった代季は、頷き掛けた頭をはたと止めた。

将軍の私室に連れて行けとこの男は言わなかったか。

軍校の内部地図を頭の中で形成した代季は、返答を待つ男に疑問の瞳を向けた。


「軍校ですよ」

「……」

「此処、軍校なんで、将軍はいません」

「…此処は軍宮ではないのか」

「いえ、此処は軍校です。軍宮(ほんぶ)は、あっち」


軍校に駐留している教師役を任命された軍人の階級は、下士官から尉官クラスの人間が大半を占める。高位でも佐官、それより上の官位を持つ軍人が軍校で教師役を命ぜられることも、また自らその役割を買って出ることも皆無に等しい。必然的に軍宮の実質No.2である将軍の私室が、軍校に設けられていることはないのである。

あっち、と代季が指差す方向に目線を投げた男は、裏庭の更にその先に聳える軍宮を見定めるようについと目を細めた。


「そうか、此処は軍校か…」

「誰か教官を呼んできましょうか。おれでは軍宮までお送り出来ないので」


随分遠くまで歩いて来たな、とぼやく男にそう申し出る。

規定で軍校生は教官の許可がない限り軍宮への出入りを、…正しく言えば、軍校の敷地内から出ることを基本的に禁じられている。いくら代季が常識を人より重んじない性格をしているからと言えど、軍の規則を破れば即強制除名となるため常識に則った答えを返す。

食堂辺りにでも行けば、今の時間の授業がない暇な教官がひとりやふたりは見付かるだろうと参段を付けた代季の申し出を、しかし男は一言でばっさりと否定した。


「いや」

「嫌?」

「私は君さえ良ければ、案内役は君に頼みたいんだが」

「…おれに?」

「ああ。外出許可は私が与えるから心配しなくていい。それを憂いていたのだろう?どうだ。それならなんの問題もない」

「はあ………じゃあ、行きますか?」

「…いいのか?」

「案内しなくて、いいんですか?」


気だるげにも見える風体で承諾を示した代季を見て、こちらもまた怠惰に見える態度の男が悠然と笑う。

なにか、と男の顔を見詰めれば、彼は再びいや、と応えながら視線を代季から逸らした。


「…そうだな、宜しく頼む」

「はい」




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