10.
「名前は」
「須磨稿・代季です」
「見た目からもそう感じたが、東の出だな」
「はい」
「何処の国から此処まで来た」
「祖繪です」
軍校の裏庭を突っ切って、男を伴った代季は庭園の如く優美に整えられた前庭に足を踏み入れた。
大帝国リュフシオンが誇る軍宮に内包される軍人育成機関である軍校は、本体の軍宮ほどではないにしろ、教育機関とは思えないほど豪奢に体裁が整えられている。
他の国が所有する自衛機関とは一線を画す大帝国リュフシオンの軍は、通常ならば常に最前線に駆り出される軍人たちには必要のない度を過ぎた礼節や見て呉れに重きを置いている節があり、それはこの国の在り方そのものを暗示しているようにも見えた。
隅々まで手が行き届いた前庭の中央を真っ直ぐ伸びる、咲き誇る花々のアーチを潜って目的地に向かう。その最中、少ないながらもぽつぽつと男が口を開いた。
「カルライナでの暮らしは大変か?我が国は他国とは少々赴きが違う。生まれが此処でなければ齟齬も多かろう」
「いえ、おれは別に。周りの人が親切なので」
「そうか」
花のアーチを通り抜け、均一に生い茂る芝生を横切る。
淡々と歩を進めれば、時期に白い腹を見せて横たわる軍宮が遠目に確認出来た。
「遠いな」
「その道をあそこまで歩いて来たんでしょう」
「猩凌様!」
ぼやく男を歩きながら顧みた代季の耳と、前方を見据えたままの男の眼にひとつの声と影が横切った。すぐさま男の視線の先を辿った代季の双眸にも影が映り込む。
軍宮方面から芝生を疾走してくる影は、一直線にこちらに向かってくる。
何ごとかと瞳に己を映す代季の手前で、その影はすらりと佩いていた軍刀を抜刀した。
直後、疾走の勢いを殺すために地に突き立てた右足で芝生と土屑を巻き上げながら、代季の目前まで影が滑り込んでくる。
巻き込んだ青い草と土くれが舞う中で、寸分の狂いなく構えた刃の切っ先は代季を指差す。
衝撃のまま僅かに振動する軍刀は、瞬きを繰り返す代季の鼻面に触れるほど近く突き付けられていた。
「てめえ、なんのつもりだ」
「………」
「なにが目的で、その人の傍にいる」
鼻先に突き付けられた剣先に視線を合わせれば、図らずとも寄り目になる。
殺気立って髪を逆立てる影――王族護衛専用の軍服を身に纏った青年は、剣先に両目を寄せる代季を見て元から刻まれていた眉間の峡谷を更に深くした。
驚いている所作は辛うじて見せるものの、それ以外は普段と変わらぬ態度で佇む目の前の軍校生に神経を逆撫でされる。
少々荒っぽく柄を握り直して揺らした切っ先で、青年は再度代季に軍刀を突き付け直した。
脅しともとれるその態度にも、なお代季の態度は崩れない。
「おい、聞いてんのか。返答如何ではこのまま切り捨てるぞ」
「道案内をしてました」
「……」
「この人に頼まれて、軍宮まで道案内を」
突き付けられた刃などないものかのように、背後でことを静観する男に顔を向ける。
同意を求める視線を送れば、男は軽い調子でそうだと肯定した。
「私が直々に彼に道案内を頼んだ。剣を納めろ、テュデス」
「ですが」
「納めろ。お前が思っているようなことはなにもない」
「……」
テュデスと呼ばれた青年は代季の肩越しに男の紅い瞳に見据えられて、今まで吊り上げていた眦を下げた。途端に幼くなる顔で、拗ねた表情を作る。
男の眼に急かされて、テュデスは渋々といった体で刃を鞘に押し込めた。
その軍刀に取って代わるように一転して視線を鋭く尖らせたテュデスに睨まれて、代季は再び男を振り仰ぐ。どうすればと目で問う代季に、男は処置なしと頭を振った。
刀の代わりに砥いだ目線と踏ん反り返った姿勢で見下してくるテュデスに、仕方なく双眸を戻す。
「……」
「猩凌様に感謝するんだな、軍校生。オレはあのままてめえのことなんざ切って捨ててもよかったんだ」
「……」
「なんのつもりで猩凌様に近付いたのかは知らないが、その猩凌様の寛大な処置がなければ今頃てめえなんか土に還ってるとこだっつーの」
「……」
「けどな、いくら猩凌様のご命令と言えど見逃すのは今回だけだぞ、いいか?二度はない。よく覚えておけよ」
「……」
「…なんか言えよ」
「……すみませんでした?」
「……」
首を傾げた代季と、その背後で薄く笑う男にテュデスが面喰らった顔をする。
事態がわかっているのかいないのか、気だるそうにさえ見える代季に青年は男と近しいものを感じて思わず苦い表情を作った。
代季の気の抜けた態度にどう接したものか困るテュデスに、男が歩み寄る。
「テュデス、いい。彼はなにも悪くない。強要したのは私だ」
「でもこいつ…」
「気にするな。…悪かったな、わざわざ軍校まで。帰ろう」
言い募ろうとする青年の肩を叩いて帰還を促してから、男は代季を振り返った。
大人しくこちらを見返してくる東方の青年に瞳を細める。
「代季」
「はい」
「助かった、ありがとう」
「特になにもしてませんよ」
「そんなことはない。私は君と会えてよかった。…迷子になるのも悪くなかったかもしれん」
「…はあ」
「じゃあな、また」
言って、ゆうるりと伸びてきた手のひらに頭を撫でられる。
きょとんと状況把握が出来ないうちに、大きな手のひらは惰性のように前髪を優しく引っ張って代季の頭から離れていった。
代季とハル
「へんな人に会った」「は?」「すごく変な人に会った」「……」「へん」「…お前が会ったのがどんな奴かは知らないけど」「うん」「お前にだけは変ってそいつも言われたくないと思う」「……うん?」「……」




