11.
「また会ったな」
下限の月がぶら下がる宵闇の中で、月灯りにも劣らぬ輝きを放つ紅玉に再会したのは、邂逅から二日と経たずとだった。
ふらりと気ままに裏庭の芝生を踏み締めて夜中の軍校を回遊していた代季は、不意に茂みを通り抜けてあの時と同じようにやってきた男に目を瞬かせる。
獣道を通り抜けた先にいた代季に目を留めた男は、肩に張り付いた木の葉を払いながら足を進めた。
「迷子ですか」
「違うよ」
目の前までやってきた男を見上げてまたもや帰る道を見失ったのかと問えば、月を背負った彼は怠惰そうにそれを否定した。
ではなんの用かと視線でものを言う代季の問いには答えず、男は逆に君は此処でなにをしているのかと問い返してくる。
それに特に気を悪くした様子もなく、代季は輝く紅玉を見返した。
「散歩です」
「確か、軍校生の夜中の外出は敷地内であっても禁じられているはずだが?」
「はい」
それがどうしたと言わんばかりに頷いた代季の眼差しを受けて、自ずとくちびるに薄い笑みが浮かぶ。
それから今一度、あなたはなにを、と目で返答を求める代季に、男はぶれることのない瞳を愉しげに細めた。
「私は」
「……」
「刺客に追われている途中だ」
「……」
「逃げている最中とも言う」
「…四角」
「四つ角を思い浮かべているならそれは間違いだな」
「はあ」
迷子になったと宣言された時にも感じた違和感に首を傾げる。
言葉の前後で考えればそれが『刺客』であることは容易にわかったが、いかせん男の態度が飄々と落ち着いていることもあってか、この場にはそぐわない単語に思えた。
あの時と同じように大変ですね、と続けようとした代季の耳が、不意に異音を捉える。
それが何かを判断する前に本能的にしゃがんだ頭上を、右から迫りきた分厚い刃が通り抜けていった。ぶうん、と鈍い音と共に数本の髪の毛を巻き込んで頭上を通り抜けた反りの強い刃物を視認する暇もなく、代季はしゃがんだ体勢のまま左に飛ぶ。寸の間を置かず、今まで代季のいた地面が芝生ごと大槌に抉り取られたのが視界の端に見えた。
ごろごろと地面を転がる代季の頭を潰そうと正確に追い掛けてくる鋼鉄の塊の動きが鈍くなるまで芝生を横断していく。繰り返される重量の振り上げに疲れ速度を落とした隙を狙い、身体のバネを最大限に発揮して地から背を上げた。
飛び起きた代季の鼻面目掛けて繰り出された刃は、代季があらかじめ掲げてあった腕で刃を掴む手を払い除けたことにより不発に終わる。背後で大槌が風を巻き込み唸りを上げる音を察知して、払い除けられた手とは逆の手を繰り出してきた刺客の腕を捕縛し、そのまま自分の脇を通り抜けさせる要領で引っ張った。
体勢を崩された刺客と、大槌を代季に振り降ろそうとしていた男が図らずとも無理矢理向き合わされる形になり、刺客たちは互いに構えていた凶器の先を慌てて逸らす。
その最中、刃を持つ刺客が焦りからか獲物を地に落とした。
一瞬とはいえもたつくふたりの影から距離を稼ぐため伸び上がって背後に一転、する途中、足許に落ちたナイフを爪先に引っ掛けて蹴り上げ、共に宙を舞わせる。着地と共に降ってきたナイフの柄を正確に掴み取ると同時に、宵闇に刃の先を突き立てた。
見なくとも伝わる、人の肉を切断した感触と呻き声を追い掛けて双眸を細めれば大槌を握る手とは逆の手で腹部を押さえて後退さる刺客の姿が目に入る。
距離をとるためにがむしゃらに振り回された鉄の塊の下を潜って、刺客が庇う腹部にナイフの柄を握り込んだ拳を叩き込んだ。
ずるりと膝から崩れ落ちる刺客の鳩尾に振り抜いた腕目掛けて飛んできた三本の切っ先は、制服を切り裂いて夜の彼方へ吸い込まれて行く。
その場から大きく跳躍して更なる刃物の追撃から逃れた代季の目の先で、何時の間にか劣勢を悟ったのかじりじりと距離を開けるもうひとつの影が映った。
代季を威嚇するように月灯りに銀の光を反射させる刺客は、代季を見据えたまま一歩一歩確実に背後へ後退さる。このまま一気に駆け抜けて距離を詰めるべきかと代季が判断を下す寸前に、刺客はくるりと身を反転させ、背を見せた。
一瞬のうちに庭に広がる影に溶け込んで行く背に、追うべきかと一瞬蹈鞴を踏む。
結局、少し離れた場所で事を傍観していた男の元に大人しく戻った代季は、彼に向かって小さく頭を下げる方を選んだ。
「すみません、ひとり逃がしてしまいました」
「……」
言いながら大槌を抱えて倒れ伏した刺客に目を移す。
浅いとは言え切り裂かれた鳩尾に全力で打撃を与えたせいか、刺客の男はぴくりともせず地面に倒れたまま動く気配を見せない。
あの分なら暫くは放っておいても平気だろうと男に視線を戻した代季の表情は、平素と変わらなかった。
軍校生は正規の軍人と違い、武器の所持が認められていない。
そのハンデキャップを負いながらも、ふたりの刺客を劣勢に追い込んだ代季は、特別な訓練を受けている軍校生だということを考慮に入れても、彼の気質同様、異色だった。
汗ひとつ掻かず冷静そのもの、巻き込まれたにも関わらず何故自分が刺客に追われているのかすら問い質す気配を見せない代季は、男の目にも特質に映る。
「強いんだな」
「それほどでも」
謙遜でも卑下でもなく、このくらいさも当然だと言いたげな表情で自分の言葉を受け取らない青年は、ひとつだけ納得がいかない疑問に、ゆっくりと首を傾けた。
「なんでおれだけ狙われたんですか」
「私の仲間だと思われたんだろうな」
「……」
「大方、君から片付けようとでも思ったんだろう」
「……」
「巻き込んで悪かった」
「いえ」
僅かに伏せた瞼で否定を表した代季の、細かな動作ひとつすらも見逃しはしまいとしているかの如く、男は彼を凝視する。
その真摯にすら見える眼差しを受けとめて佇む代季に向けて、男が吸い寄せられるように手を伸ばした。
「また」
「……」
「会えるといいな、代季。君がどう思っているかはわからないが、少なくとも私はそう思うよ」
はじめて出会ったあの日と同じように、伸びてきた大きな手のひらに髪をなぞられる。
柔らかく撫でられるその感触が無償にくすぐったくて無表情のまま身を捩れば、男が淡く微笑んだのがわかった。




