07.
鼓膜を突き破らんとするラッパの鳴り声に脳内を叩き起こされた。
ガンガンと容赦なく掻き鳴らされる大低音に硝子が揺さぶられて、立て付けの悪い窓が割れんばかりに振動を繰り返す。
音につられて渋々、のそりと上半身を起こすと、低い天井に頭をぶつけそうになった。
そのまま放心したようにぼうっとしていれば、狭い部屋に押し詰められた4つの二段ベッドのカーテンが次々と開け放たれる音がする。下から伸びてきた手に、代季の枕元のカーテンも開けられた。それから階下から顔を覗かせた同期がしっかりしろ、と代季の身体を揺さぶる。最早恒例行事になりつつあるこの一連に、同室者たちは苦笑を漏らした。
「スマワラ!遅れるぞ!」
「うん…」
同室者が口々に寝起きで動きの鈍い代季を励ましたり、その背や肩に喝を入れながら部屋を飛び出して行く。ゆらゆらと揺れる視界と思考を携えて、制服に身を包んだ代季もなんとか彼等の後に続いた。
「お前は相変わらずだな、ヨキ」
「早起きは苦手なんだ…」
呆れ顔で箒を動かすハルヴィサの、倍はとろい動きで掃除に取りかかる代季は、未だ釈然としない視界を晴らすために顔を左右に振った。その一拍後に零れた欠伸を見咎めて、監視役の上官にぎっと睨まれるが、当の本人は意に介した様子がない。
呆れ顔で眠気眼の代季に近付いたハルヴィサは、箒の柄で彼の腰をつついた。
「早く終わらせないと、また朝飯食いっぱぐれるぞ」
「ああ…、悪いから先に行ってくれ。ちゃんと自分で終わらせてから行くよ」
「お前は授業終了まで掃除をする気なのか」
うつらうつらと舟を漕ぎながら回廊を掃除する様を見る限り、朝食、朝礼の時間は愚か、授業が終了するまで掃除が遂行出来るようには見えない。
既に自分の掃除は終わったのだが、代季を手伝うためにその場に留まるハルヴィサの背後から、複数の声が掛った。
振り向くと、見知った顔がいくつか並んでいる。彼等は代季とハルヴィサのやり取りを見て、楽しそうに笑い合った。
「保護者も大変だな、タスキンス」
「息子の世話、頑張れよ、オカーサン。もしくはペットの世話か」
「あんまりタスキンスに迷惑掛けるんじゃないぞ、スマワラ!」
「そのうちハルヴィサママは心労で倒れるかもしれないな」
彼等は一様に好き勝手に揶揄を口にして、お先にと食堂に向かって行った。
呑気に手を振る代季の横腹に苛々と箒の柄を突き入れて、さっさと終わらせるぞとハルヴィサが吠える。
「みんなと先に行っていてくれても…」
「手伝ってやるって言ってんだから有り難く頂戴しとけ!」
寝ぼけ眼で同期が消えた廊下の先を示す代季の額にハルヴィサの強烈な人差し指が叩き込まれる。そのお陰か、ぱちくりと目を開いて瞬かせた代季を見て、彼は鼻で笑った。
入軍してから早二ヶ月と少し。
しかし、軍といっても、始めの二年間は軍校に通うことが定められている。一年の基礎訓練の後、部署別に別けられて、それからもう一年軍校で学ぶことが通例だ。
新兵は、軍人であると同時に学生でもあるのだ。それより二年後、無事軍校を卒業することが出来た者だけが軍宮へと席を進めることが許される。
卒業生は年によってかなり変動するが、平均で入軍者の半分以下、かなりの数が篩いにかけられ、落とされる。半年に一回、運が悪ければ抜き打ちで数回、訪れる試験のたびに、その篩いは用意されていた。これからの二年間、新兵たちの学校生活は熾烈であることは容易に想像出来た。
そんな新たな生活にも個々人が順応して、円満に進みつつある毎日。
代季とハルヴィサはクラスも割り当てられた自室も違ったが、幸いなことにクラスでは合同で一緒になることが多い。必然、入軍式の時に知り合い、その後の猶予期間も時間を共有したので、軍校でも共に過ごすことが多かった。
そのせい、もしくはお陰なのだろうか。自然体と言えばいいのか、何処にいようが物事に深く頓着しない代季と共にいるハルヴィサは、水聖都・カルライナ、しかもその中枢に近しい軍機関にいながら、とりたてて貴族として周囲から扱われることがなかった。
もしかしたら軍の同期という名目があるからこその周りの態度なのかもしれないが、普通ならばほぼありえないことである。
絶対王制が布かれるこの国で、立場上、同期であろうと後輩であろうと、貴族に平民が気安い態度をとることを、簡単に許されるはずもない。…本人は認めないが、ハルヴィサ自身が貴族に身を置いているのを是としていない部分があるので、それも拍車を掛ける要因なのかもしれないが。
ハルヴィサ以外にも、今期の入軍者に、名に称号を冠する者は幾人もいた。今なお支持される伝統に従って、王と祖国に仕える誉れ高き軍に名を連ねたと信じてやまない彼等は、周囲に馴染んだハルヴィサとは違い、明らかに周りより一目置かれ、距離を取られ、上に立つ者として扱われ、事あるごとに、それを彼等自身が当然だと思っている節がありありと見てとれた。
「おまえ、流民なんだってな」
「…うん?」
そんな彼等は王の親戚の中で、セテンタという決して低くない地位を持つハルヴィサの横に、何処の馬の骨とも知れぬ代季に当然の顔をして居座られるのが面白くない。
新兵の中でも、伯爵の血を継ぐハルヴィサの立場は低くない。それどころかかなりの高い位を有する者である。それなのに、同等まではいかなくとも、一般民とは比べものにならない位を持つ自分たちが彼の隣に立てない事実が、それを作り出した張本人がただの一般民だということが、彼等の貴族としての矜持を深く傷付けた。
共に過ごす時間が多い代季とハルヴィサも、四六時中一緒にいるわけではない。その代季がひとりでいる些細な合間を縫って、彼等はたびたび目の上のたんこぶにちょっかいをかけた。今日もそのチャンスがあると見てとった彼等は、廊下でひとり佇む代季を目敏く見付けて、不躾な笑みを浮かべながら近付いて来る。
つい先日掴んだばかりの情報で、代季を貶めようとにやにやした笑みを湛えた数人にきょとりと首を傾げた代季を、彼等はくすくすと軽蔑も露わに顔を突き合わせた。
貴族とその取り巻きだけで固められた集団の中で、中核らしい青年が代季を見下すように顎を上げる。
「流民。流れてきたんだろう、朽ち果てた祖国を投げ出して。おまえみたいな奴が育った国だ、そりゃあ国を傾けるほどの素晴らしい王だったんだろうな?」
こちらの人間は、どうやら自国に強い誇りを持つ者が多いようだとは、こちらにきてからの一年間で代季も学んでいた。どの国の人々も、己が生まれ育った国が世界で随一だと口を揃えて言う。特に大帝国リュフシオンの水聖都・カルライナで育った王族貴族たちの国に対しての愛国心は際立って深く、また同時に比例して、他国に対する敵愾心も強かった。
だからなのだろうか。
軍校内で派閥争いなどがあった場合、稀ではあるがそれが別々の国の出身者だった場合は、決まって相手の国を貶める言葉が使われていた。この世界の人々にとって自国を貶されることは、自分自身を誹謗されることよりも据えかねることなのだろう。
「ああ、そうだな…。たぶん色々あったんだろうな、王様にも。詳しいことはわからないが」
しかし代季はこちらの世界の人間ではない。祖国とされている国に関する記憶は一切ないし、地図から名を消したと聞かされても大した感情も抱かなかった。
なにを言われたところで、そうか、と頷くことしか出来ない。
だからいつものように顎を引けば、集団の面々が虚を突かれたように目を開いた。
流民になるということ、それを揶揄されることは、この世界で最大の屈辱・侮蔑にあたる。彼等からすれば、そうして祖国と己を侮辱されて平然としている代季は、理解の範疇を超えた存在に見えたのだ。
互いに顔を見合わせて、代季を愚弄することが失敗に終わったことを悟る。
集団の中心を担う、男爵の地位をあらわすシンクエンタの名を持つ、ヤルマル・シンクエンタ・イエルムが苦虫を潰した表情を見せたことに、周りの取り巻きたちが血色を悪くした。ヤルマルの機嫌を損ねるのはなんとしてでも避けたい彼等は、汚名を返上せんとばかりに代季を中傷する台詞を吐き出そうと口を開く、…その前に、遠くから確かな響きを持って耳を打った声音に口を結んだ。
「ヨキ!」
投げ掛けた視線の先、廊下の奥から金の髪を揺らして走って来るのは、代季の待ち人、ハルヴィサその人であった。
代季が恒例のように貴族と取り巻きに囲まれているさまを見付けて、ハルヴィサは眉間にしわを寄せた。現状が気に入らないのなら直接自分に言えばいいものを、地位の低い代季を見下して標的にする、その取り巻きたちの性根にとにかく腹が立つ。
標的にされてとばっちりを食う羽目になっている本人は全く意に介していないようだが、それがまた見ているこちらを苛立たせる。
速足に回廊を抜けて、ハルヴィサの帰りに気付いた集団が開けた隙間から代季の傍に駆け寄る。苦い顔をする彼等を蒼い瞳で睥睨するハルヴィサに、代季が苦笑を向けた。
「早かったな。用事、終わったのか?」
「ああ、終わった。悪かったな、待たせて。…で?…なんだ、こいつ等は」
あからさまな敵意を宿す双眸の先にいる彼等の顔を順々に見比べた代季は、少しだけ考え込む仕草を見せた後、軽い口調で呟いた。
「世間話を」
「…はあ?」
「世間話をしてた。…あれ、違ったかな?」
傾げた首を、ハルヴィサに睨まれ身体を竦ませている連中に向ける。
代季の凪いだ瞳に見詰められ、我に返った数人が競い合うように首を縦に振った。
それを受けて、代季は複雑な表情をする友人に数回瞬いて見せる。
「…お前がそう言うなら、いいけど」
「うん」
「部屋に戻るぞ、代季」
無理矢理納得した風に頷いたハルヴィサは、硬直したままの彼等に一瞥もくれず身を翻す。その背を追って、代季もまた集団の中から抜け出した。
後には、顔を歪ませるヤルマルと、所在なさげに立ち尽くす青年たちの姿が残された。




