05.
「お前馬鹿だな」
「そうなんだよ」
郊外にほど近い一郭、一般市民が気軽に足を踏み入れる食堂で、代季とハルヴィサは同じテーブルを囲んでいた。食事の間に交わした会話に、ハルヴィサが呆れた声を上げたのはそれほど時を経たずしてだった。本気で溜め息を吐いた彼は、目の前で呑気に食事を進める代季に手にしたナイフの先を突き付ける。
「自国の生い立ちを知らないとは何事だ」
「うーん…なんだろうなあ」
「………」
正確なことを言えば、代季の自国はここではない。それは別に、あっけなく瓦解した今は亡き姐繪のことを指しているわけではなく、だからこそ流民なので、という理由でも勿論ない。そもそも、生まれた世界が違う故、代季の自国はここにはないのだ。国は愚か、世界のことすらも詳しく知らない代季は、なるほど、この世界の住人からすればよっぽどの世間知らずに見えるはずである。だからと言ってそれをハルヴィサに伝えるわけにもいかず、代季は頼んだ料理をフォークで突きながら頷くに留めた。
「なんだろうなあって…なんだそれ、開き直りか?軍に入ってからそんなこと公言してみろ、どこの馬の骨だって叩かれるぞ」
「気を付ける」
「じゃなくて、学べよ、軍に入る前に」
入軍式を終えてから数日だけ、新兵には自由な時間が与えられていた。入軍してしまえば、これから最低でも四年間は王のため国のためにその身が拘束される。だからこそなのだろうか、入軍式から数えて三日間は恒例で猶予が与えられるのだ。
もちろん貴重な自由な身でいられるのだからハルヴィサが言う通り、中央図書館にでも通って勉強に勤しめばいいものを、代季は一欠けらもそのようなことは考えていない。
「めんどうじゃないか」
「危機感なさすぎだろ…。国に仕えるのに国のこと知らないでどうするつもりだ?」
「まったく知らないわけじゃないから、きっとどうにかなると思いたい」
「……」
のんべんだらりと返答をする代季を見て、ハルヴィサは最早呆れ過ぎて声も出ない、と表情で語る。馬鹿だと罵ったが、本当に代季のことが愚かに見えているわけではない。正真正銘の愚人だったなら、自分はこうして代季と食を共にすることはなかっただろうし、事実、短い間だけだが交わした話の中でも、別段愚鈍には感じなかった。
ただ些か、須磨稿・代季という人間は、面倒かそうじゃないかにかなりの重きを置いているように思えた。自分が面倒臭いと感じれば、それが例え常識だろうともあまり気にしない節がある。人はそれを胆が据わっていると呼ぶのか、はたまた鈍いと呼ぶのか。
「…なんで軍に入ろうと思ったんだ」
「お世話になっている人に、恩返ししたくて…と言うと少々大袈裟かな。今までずっと面倒見て貰ったから、流石にこれ以上迷惑掛けたくなかったんだ。だから入軍した。国に奉仕さえきちんと出来れば、衣食住は保障されるだろ」
「考えはそれなりにまともなわけだ。安心したよ」
何故それほどまでものぐさなのに入軍を志願したのかと言外に匂わされ、代季は肩を竦めた。自分でも性に合っていないことは自覚済みである。
「ハルは?」
「あ?」
「ハルはなんで軍に?」
「…、ああ」
そんなことも知らないのか、と言い掛けたハルヴィサは途中で思い止まった。そうか、そんなことも知らないのか、こいつは、と。平然とパスタを頬張る代季に対して、ハルヴィサはテーブルに頬杖をつく。一種の感動を含んだ乾いた視線に気付いているのかいないのか、めげずに食事を続ける代季に溜め息をもうひとつ、ハルヴィサは視線の先をテーブルの中央に飾られている花瓶に移した。
「しきたりだよ」
「しきたり」
「そう、しきたり。別に規律でもなんでもねえよ、法には爵位持つ者は軍人になれなんてのはない。オレがなりたかったわけでもない。…伝統って奴だな、此処の連中が大好きな」
「ふうん」
「昔な、先人達がこの国を創立した時代に巻き起こった戦乱に、先陣切って渦中に飛び込んで行ったのがこの国の初代皇帝だったんだと。そのオウサマの口癖が、税金で貴族たちが苦もなく暮らせているのは、国が危機に瀕したその時に身を呈して国を守るためだー、だったらしい。まったく御立派なことだ」
「うん」
「で、そんな初代皇帝の在り方に感動した王族貴族連中は競い合うようにして軍に編入して、皇帝の許で国のために尽くしたのが、今のこの国の政治の在り方のはじまりみたいだな。だからその名残で、それから現代に続くまで王族貴族はみんな軍人になる」
「そうだな、それは御立派だ」
「だろう?笑える」
言った彼の顔には失笑とも苦笑ともとれる表情が浮かんでいる。対して代季は、淡々とした表情でハルヴィサを見据えた。
「嫌だった?」
「え?」
「ハルは、軍人になるのが嫌なのか」
「……」
注がれる視線と投げ掛けに耐えかねて、目を逸らす。それからその、言わば逃げでもある行為を隠すように彼は一言吐き捨てた。
「そうじゃねえよ」
「そうか」
それ以上、多くを語ろうとしないハルヴィサに追い打ちを掛けることもなく、問うた本人はいつも通り頷いただけだった。代季が頷く様を見て、ハルヴィサは一瞬なにか言いたそうに口を開くが、それは音にはならず虚しく空中に散る。
その一拍後、代季が何を引き摺ることもなく飄々とした風情で声を上げたので、ハルヴィサは密かに安堵した。ぶつけられた言葉には、目を見開いたけど。
「そうだ」
「…なんだ」
「ハルさえよければ、おれはハルに教えを請いたい」
「…はあ?」
「国のこととか、世界のことを、常識を教えてもらいたいんだ。お前と話してると、ほんとに自分が無知なんだって気付いた。ただ、図書館で勉強するのは気が進まない。だから、もしハルさえよければ、教えてもらいたいんだ。…ダメかな」
「おま……お前…な…」
「やっぱり図々しいかな」
「ずっ…うずうしいな」
「うん、ごめん」
「いや…でも、そうだな、軍に入ってからお前がオレの雑用を手伝うってんなら、教えてやらんこともない」
新兵は始めの一年間、どの部署・部隊に振り分けられることもなく総合科として皆一様に同じ場所で基本の訓練を叩き込まれる。少なくとも一年間は離れることのない間柄、その生活の中で雑用を出来得る限り肩代わりするのを条件に、ハルヴィサは代季の頼みを呑むと言う。気まずそうに視線を店内に漂わせる彼に、代季は人知れず淡い笑みを浮かべた。
「いいのか?」
「そう言ってるだろ」
「ありがとう、ハル」
「………べつに」




