03.
郊外に佇まいを構える喫茶店を出て、馬車を乗り継ぎ半日かけて代季が辿り着いた先は、三年に一回、栄えある入軍式が大々的に行われる大帝国リュフシオンの水聖都・カルライナである。カルライナの宿で一泊後、早朝から軍宮に招集され、そこで入軍するのに必要な事務的な手続きを済ませる。これで終わりかと思えばやはりそう簡単には解放してくれず、心中で面倒臭がる代季を余所に、伝統に従って厳かかつ盛大に入軍式は執り行われた。
皺ひとつない黒一色に統一された同じ軍服に身を包んだゆうに四桁に上ろうかという人間が、一分の狂いもなく整列している様は見ていて少々気持ちが悪い。
新兵の上官となる胸章をわんさか付けた男のスピーチも大分前に厭きてしまった。伝統と形式をこれでもかと言うほど尊重して行われる入軍式は、それに比例するかの如く長時間をもって丁寧に事が運ばれていく。なにをしようとも軍に入る事実は変わらないのに、と呆れを禁じ得ないが、我慢出来ないほどではない。それでも退屈に零れる生欠伸を、人目を気にしつつも大して考慮することなく繰り返していた代季は、唐突に脇腹を突かれて半端に開けた口を噤んだ。
「おい、お前」
「…うん?」
「世に憚る大帝国の入軍式で隠しもせず欠伸とは、随分と不謹慎じゃないか?」
手が伸びてきた方向に顔を向ければ、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている青年と目が合う。サファイアの瞳に悪戯染みた光を輝かせた彼は、潜めた声に従ってわざとらしく首を傾げて見せた。
年齢は代季とそんなに変わらないように見える。
その視線を受け止めてから、代季はゆるりと顔の位置を正面に戻した。
「隣に堂々と話し掛ける奴ほどじゃない」
「はっ、まあ違いねえけど」
「五十歩百歩だな」
「なんだそれ?」
「五十歩も百歩も大して変わらないって意味」
「可笑しいだろ。百歩あれば五十歩よりも単純に五十先に進めるじゃねえか」
何食わぬ顔で互いに正面を向きながら軽口を叩く。入軍式にあるまじき二人の態度に周囲の新兵が幾人か顔を顰めたが、わざわざ忠告をしてくるような者はいなかった。
己から話し掛けたはいいものの、まさか代季がこうも快活に答えを返してくるとは思っていなかったのか、青年は表向きは前を見据える彼の横顔を矯めつ眇めつ吟味する。
飄々と未だに欠伸を噛み殺す様を見て、青年は代季に倣って再び熱弁をふるう上官へと視線を向けた。
「お前名前は?」
「須磨稿・代季」
「東の出身か。何処の国だ」
「姐繪だ」
「ああ…酷い内乱のあった国だな。ってことはお前、元流民か。ふうん、大変だな」
言葉のわりにはさらりとした口調で言ってから、青年は涼やかとも言える笑みを横顔に浮かべて見せた。
「で?」
「…で?」
「普通、名前聞かれたら聞き返すだろ。礼儀として。なあ?」
「……お名前は?」
「ハルヴィサ・セテンタ・タスキンス。生まれも育ちもカルライナだ」
「…へえ」
大帝国リュフシオンの要であり事実その中央に王宮を構える水聖都・カルライナで生まれ育つということは、言外に宮廷親族だと公言しているものである。
清らかな水を抱する此処カルライナは、今は勿論のこと、古来より国の繁栄を支える大きな柱だった。富んだ土地、豊かな自然、穏やかな気候と聖水からの恩恵の元、どの国のどの地よりも肥えたその場所に、必然、王族貴族が自らの更なる発展のために何処からともなく集い、城街を築き上げた。数百年も経たぬうち、気付けば水聖都は権力者たちの溜まり所となる。先人たちから脈々と受け継がれた血筋は悠久の時を経ても途絶えることはなく、今なおカルライナは王族とその血を継ぐ者の支配下にある。
無論一般市民がいないわけではないが、御呈園――これは王族の許しがなければ何人たりとも立ち入ることを禁ずる、不可侵領域のことである――と定められた場所以外、例えば代季が世話になっているウィリンズが営む喫茶店を構える場、郊外ともなれば話は別だが、中央街になると、軍宮に仕える軍人を抜かせば数など取るに足りないものである。
しかしまた一般市民がいることも事実、なのでこれをそういった上流階級と区別するために、王は親戚一族に爵位ごとに称号を与えた。これを名と姓に冠することで己の位を示すことが出来るのだ。
称呼は上から、公爵・ノベンタ、侯爵・オーチェンタ、伯爵・セテンタ、子爵・セセンタ、男爵・シンクエンタ、准男爵・クアレンタ、士爵・トレインタ、と定められている。
ハルヴィサがその名に冠するのはセテンタ。血統の元により伯爵位を継ぐ者だと、この国に籍を置くものならすぐに測り知ることが出来るはずだ。
典型的且つ徹底的な王制統治をおこなう大帝国リュフシオンにて、爵位は絶対、上位の者に下位の者が平伏すのは当然のこと。爵位を持つ者は理不尽にではなく、王に守られた法権の中で存分にその力を揮うことが許されている。その片棒を悠然と担げる伯爵の子息が目の前にいることを知って、戦慄しない一般民はいないであろう。
現に先ほどまで代季とハルヴィサの戯れを快く思っていなかったと表情で語った周囲の人間が、耳聡く聞き付けたハルヴィサの名前に対して雷に打たれたかの如く一様に背筋を伸ばした。彼等の表情は硬く、最大限に直立させた身体からは緊張が漂う。
それを不愉快を混ぜた失笑で見渡して、ハルヴィサは相変わらず正面を向いたままの代季の横顔を眺めた。彼の表情に焦りや慄き、または他のどの感情も見付けることは出来ないが、――果たして。
「ふん、セテンタの飾りが気になるか?オレは下らねえレッテルだと思うがな。…お前もそう思うだろう?」
試すような視線を送ってくるハルヴィサに、代季は軽々とひとつ頷いてみせた。
「流民と同じくらい大変そうだ」
さっぱり読めなそうにない…ぞ…これ…




