19.
雪崩の如く、書類がさらさらと樫の机から流れ落ち、元より白に染め上げられていた赤い絨毯の上に更なる白の染みを作る。
ひょいひょいと軍靴に包まれた爪先で器用に本来の赤だけを選別して室内を忙しなく横断していたテュデスが、遂に我慢し兼ねたように、がおと吠えた。
「おい、スマワラ!猩凌様は何処に行かれた!?」
「知りません」
革張りのソファに腰を落ち着け、黙々と書類の整理に勤しんでいた代季の簡素過ぎる返答に、テュデスが目尻を吊り上げる。
小さな歩幅で室内を渡り、代季の座すソファまで近付いてきた彼は、床に散乱する書類を巻き上げるほどの剣幕で己の後輩に詰め寄った。
「猩凌様と最後に会話をしたのはお前だろ!?」
「はい」
「なにか行く先聞くなり何処か去る姿を見るなりしてないのかよ!」
「ないですね」
「猩凌様は!何処に!!」
「さあ?」
「お前ほんとに可愛くないな!!」
「五月蠅いぞ、テュデス。喚くな」
雪崩を起こした机の傍で、丁寧に書類を集め整えるレオナールの姿がある。
縦長の嵌め込み式の大きな窓硝子から差し込む緩やかな日差しが、レオナールの怜悧な横顔を照らし出す。
「こいつほんとに一から十まで腹立つ奴!」
「お前はほんとに一から十まで喧しい奴だな」
麗らかな春の陽気に照らされても熱を持たないレオナールは、表情ひとつ変えず眉ひとつ顰めず、ばさりと部下の言葉尻を切って捨てる。
代季を指差す指先を怒りに震わせたテュデスが、悔しさに歯噛みした。
逆立てた毛はそのままに、ふんと鼻を鳴らして、思わず握り潰した手の中の書類の皺を伸ばしつつ、テュデスは代季に背を向けた。
荒い足音を立てて去って行く背中に代季が首を傾げる。
「スマワラ」
「はい」
テュデスを見送った先で、先ほどのやり取りでは一切己の手許から視線を挙げなかったレオナールの翡翠の双眸が代季を迎えた。
表情と変わらず、冷え切った翠が代季を見据える。
「猩凌様を探してこい」
「わかりました」
「オレが行く!!」
「お前は此処にいろ。スマワラでは処理出来ない書類が山ほどある」
レオナールに下された指示に従って代季が腰を上げる。
テュデスの敵意に晒されながら、執務室を後にした。
肌を撫でるあたたかな陽気が代季の黒髪を揺らす。
執務室を出た代季は、足取りに迷いなく宮の中庭を目指した。
色鮮やかな季節の花が咲き乱れる緑の道を、侍女たちと挨拶を交わしながら進んで行く。
奥深く進んだ先、細かな緑の影を作る一本の樹の下に胡坐を掻く猩凌を代季の黒の眼が見付けだした。
ゆったりとした歩幅で近付けば、近付くにつれ代季の主君の傍に、詰襟の軍服をきっちりと着込んだ男がひとり佇んでいることが確認出来た。
「猩凌様」
代季の声に誘われて、猩凌と男が顔を上げる。
「代季か」
「レオナール隊長に命ぜられて探しにきました」
「そうか。手間取らせたな」
「いえ」
首を振った代季の横顔を見詰める視線がある。
視線の軌道を辿るように眼をそちらに遣れば、鋭い切れ長の双眸が代季のことを凝視していた。鋭利な瞳とは逆に、そこに敵意は欠片もなく、言うなれば野生動物が新しいものに出会った時のそれのように、好奇心を潜ませた榛色だけがあった。
「ああ、ティディエは代季と顔を合わすのは初めてだったか」
男の雄弁に語る瞳に気が付いたのか、猩凌が代季を手招きする。
従って近付いた彼を男の前に立たせ、猩凌は軽く代季の膝裏を叩いた。
「代季・須磨稿。私の新しい従者だ。そして代季、こちらがティディエ・クレーモア、第弐師団の大将を務めている」
互いにあまり言葉が多くないふたりが対面で向き合う。
表情に薄らと愉しそうな雰囲気を描く猩凌に見守られた中、先に口蓋を切ったのはディディエだった。
「紹介に与った、ティディエ・クレーモアだ。不肖ながら陸軍第弐師団を預かっている」
「代季・須磨稿です。猩凌様の護衛を務めています」
「…“噂の軍校生“、だな」
呟かれた言葉に首を傾げる。
しかしティディエは代季の不思議そうな表情には答えず、事を静観するだけだった猩凌に退座を告げて外套を翻した。
軍靴で芝生を横切って去って行くティディエを見詰める代季に、猩凌は小さく口許を緩める。
「気が合いそうだな、代季」
「はあ」
曖昧に頷けば、猩凌は笑みを深くした。




