16.
「世の中なにがあるかわからないな…」
「ほんとにな…」
ざわざわといつも以上に騒がしい食堂で、その中心にいる本人はいつも通り素知らぬ澄まし顔で昼食を猛然と口にする。
もぐもぐと絶え間なく次から次へと食べ物を平らげていくさまは、国一番の名誉職と称しても遜色ない王族直属の護衛に若くして選ばれた傑物には間違っても見えなかった。
それは舎を共にする者たち、もっと言えば距離の近しい代季の友人たちですらも半信半疑で、当初は流れてくる華々しい代季の噂を笑い飛ばしていたくらいである。
当人の代季が、華々しい世界に足を踏み入れたにも関わらずあまりにも普段と変わらない態度だったのも疑惑に拍車を掛けた。
群がってくる噂の真偽を確かめようとする大衆に、ああともうんともいいえとも取れない返答を代季が繰り返すものだから、次第に彼等は代季自身にではなく、外に正解を見出すことを憶えた。結果、時間の経過につれ、噂は次第に揺るぎない真実へと姿を変え、軍校生の間に浸透する。
――代季が次期国王とも名高い趙・猩凌の護衛役を務めるという話は、三日も経たずに軍校全体に広まった。
「なあなあ、スマワラ。シンリエ様って、どんな御方だった?」
「それオレも興味ある!あの人って、王族でありながら軍師も兼ねてるだろ。ここだけの話、国の平和、国防に深く関わる策を提示、ないし実行する役職である『軍師』は、いくら王族と言えどただのお飾りじゃ勤まらないからな。シンリエ様は王族という鎧なくして、きちんとした実力があるからこそ軍師様なんだろ」
友人のひとりが興奮した小声で昼食に勤しむ代季の脇腹をせっつく。
すると釣られたように食卓を囲む他の友人たちも顔を寄せ合って、代季に詰め寄った。
「うん。有名な話だよね、それ。民の声にも耳を傾ける数少ない心優しき王族だ、って、平民にも人気を誇るし、詳しいことは俺たちただの軍校生止まりだから知らないけど、貴族との仲も良好らしい。凄い御仁なんだよ、シンリエ様は」
「んなこと言われなくても、スマワラはシンリエ様の護衛になるんだから知ってるよなあ?そんなことよりさ、もっと…こう…なんていうの?世間が知らないようなシンリエ様のこと、なんか教えてくれよ。知ってるだろ?」
「うんうん。直接会って話してるんだろ。なんかないのかよ」
「どんな感じの人だった?まさに噂通りの麗人?それとも…」
「ばか、止めろよ。雲上人のあらぬ噂なんか立てたら、比喩じゃなくて首が飛ぶぞ」
「じゃあお前は気にならないのかよー」
きゃあきゃあと、まるで色恋沙汰に花を咲かせる女子のように代季の周りの友人たちが好き勝手に笑って騒ぐ。
その傍ら、食堂に集まった野次馬たちも息を潜めて代季の返答に耳を欹てていた。
変わらず関心のなさそうな表情でリゾットを食べ進めていた代季は、彼等の視線と重圧に押されて、やっと顔を上げた。
いくつもの目が己に向けられているのを確認した代季が、少しだけ眉尻を下げて、彼にしては珍しく解り易いほどの困った表情で友人のひとりに首を傾げる。
「どんな?」
「だから例えばさあ、噂通りの誰であれ公平に扱う善人のような方だったとかさ、それとも実は意外な一面があったとかさ、そういう、スマワラなりの感想が聞きたいんだよなー」
彼の言葉に、周囲の人間も賛同を示して頷く。
猩凌に対しての自分なりの感想。
周りから集まるいくつもの期待を孕んだ視線を余所に、代季は数秒黙り込んで思案した後、小さく首を傾げながら呟いた。
「へんなひと」
へんなひと、だった。
詳細をと求められてもよくわからないが、猩凌の言動ひとつひとつを脳裏に思い浮かべると、その一言しか出て来ない。
だから恐らくこれが自分なりの猩凌に対する感想なのだろう、そう判断して正直に口にしたにも関わらず、友人、それからその周囲を取り巻く数多の軍校生全員が、水を打ったかのように静まり返ってしまった。
「変な人だと思う」
「……」
「……」
「…スマワラに聞いちゃいけない質問だと思ったのは、オレだけ?」
「…俺もそう思った」
「…気付くのが遅かったな」
「…ようはさ、雲上人の噂の真実が知りたいなら、てめえで偉くなって傍に侍れるくらいになれ、っていう、ヨキなりの励ましなのかもよ…?」
「…励ましか、それ…?」
「うん?」
再三の代季の告白に、友人が項垂れる。
なにをそんなに落胆しているのか、先ほどまでの勢いを失ってしおしおと大人しくなった周囲に構わず、代季は再び冷めてしまったリゾットを口に運ぶ作業を再開した。
「ヨキ」
「ハル?」
一日すべてのカリキュラムを終え、酷使した身体を軍校生たちが安らぎを求めて自室へと引き摺る時間帯、代季は背後から聞き慣れた声に呼び止められて足を止めた。
振り返るとそこには、一日振りに見る顔がある。
「帰りか?」
「うん」
「…ちょっと、時間いいか」
足を止めた代季に近付いてくる友人は、普段よりも数段大人びて見えた。
静かな声音で、規則を破ることを誘われた代季は、ただひとつ頷く。
そうして身を翻して定められた自室への回廊を抜け、獣道に分け入って行くハルヴィサの背中を追った。
「…満月だな」
「そうだな」
獣道を抜けた先は、先日、代季とハルヴィサと猩凌が三人で顔を合わせることになった軍校の校舎裏だった。
普段人目にはつかない場所とは言えど、軍の附属機関だからなのか、所々に草は生い茂っているものの人の手が入れられている痕跡がある。
僅かに見える茶色の地べたに座り込んだハルヴィサの隣に倣って、代季も腰を下ろした。
友人が見上げる先にあるのは言葉通り爛々と輝くまあるい月で、常ならば夜空を彩る星灯りは、強い月の光に隠されてひとつも見えない。
「……なあ」
「うん?」
「猩凌様の、護衛に就いたんだってな」
「ああ、うん。正式には軍校を卒業したらだけど」
「そっか。……なあ、ヨキ」
「ん」
夜空を見上げていたハルヴィサの眼が、代季に向けられる。
視線を感じて横を向けば、彼の蒼く澄んだ双眸がそこにあった。
噛み合った視線の狭間で、小さく感情が揺れ動く。
「嬉しいか?」
「護衛に就けたこと?」
「…そう」
「…どうだろう。わからないな。ただ」
「……」
「変わったんだろうなとは思うよ」
どうして自分が、彼の人の眼に留まったのかもわからない。どうして猩凌が自分を傍に置きたがったのかもまったくと言っていいほどわからない。そもそも何故、彼と自分は出会ったのか。なにもかもわからない状況で、それでも唯一揺るがぬ軸がある。
ただなんとなく、漠然と、この出逢いは間違いではないという想いだけが代季を動かし、選択させ、足を進めさせた。
「…そうだな。変わる…んだろうなあ」
代季の曖昧過ぎる言葉に、ハルヴィサが満月を再び見上げる。
友人の横顔は、やはりいつも以上に大人びて穏やかで、結局なにが言いたかったのかを問うことは躊躇われた。
「まあいいや。…そういやまだ言ってなかったな。おめでとう、ヨキ」
「…ありがとう?」
「なんで疑問形なんだよ」
「おめでたいことなのかと思って」
「お前なぁ…」
苦笑をするハルヴィサの視線の先で、星々の淡い光を打ち消して月が燦然と輝く。
変わるのだろうと互いに口にした、その真意は夜の穏やかな暗がり、月の裏側に隠されたまま、代季とハルヴィサはその場で朝を迎えた。




