15.
「おま…っ」
「飛び級…というより、軍校の課程が今すぐ免除され、尚且つ名誉職である王族の護衛に抜擢されるんだぞ?前例があるとは言え、それでも異例とも称される待遇を…」
代季の返答に色を失ったのは猩凌本人ではなく、背後に控える護衛ふたりだった。
扉の近くで直立している代季の上官も、目を剥いて涼しい顔をする部下を凝視している。
「はあ、そうなんですか?でもせっかく入れたんで、ちゃんと卒業したいです」
けろ、とした顔で、事の重大さがわかっているのかいないのか、色めき立つ局外者たちの言葉に代季が首を傾げる。
それから猩凌へ目を向け、代季は視線でそうなのかと問うてみせた。
「猩凌様!やっぱりこんな能天気バカを護衛に就けるだなんて止めましょう!?どう考えても役に立たなそうですし、むしろこんなに無学な野郎なんて足手纏いですって!…てゆうかこんなのがオレの後輩になることも耐えられねえ…!」
「お前の主観はどうでもいいが…僭越ながら、この者を猩凌様の護衛として傍に置くことに関しましては、私もあまり賛成出来ません。猩凌様がどうしてもと仰られるならば、口出しすることはこれ以上しませんが、…それでも護衛頭として進言させて頂きますと、テュデスの言う通り、この軍校生が使えるとは私も思えません」
「じゃあてめえはこんな腑抜けが自分の部下になることに耐えられるってのかよ!」
「猩凌様がそうしろと言われれば、それに従うまでだろう。私も、お前も」
「そりゃ…そーだけど!でもさあ!」
代季の視線を受けたままの猩凌の背後で、後の同僚になるであろうふたりが代季の発言から我に返って、否定の言葉を次々と口にする。
元気だな、と傍観する、テュデスの言上を借りてくるならば能天気バカな軍校生は、その中でぼんやりと猩凌の濁りない紅玉を見詰めていた。
艶やかな光彩が瞬きの一瞬に隠され、再び一瞬のうちに戻ってくる。
何故こうも心と言わず眼と言わず、全身全霊を惹かれるのかわからない彼の紅玉は、それでも代季の心体を掴んで離さない。
理由はわからず――…もっと言ってしまえば、理由などいらない。
何ごとにも関心が薄い自分が、生前――元の世界とは違う世界で息をする己の今を死後とするならば――ですら何かに心を動かされることがなかった自分が、どうしてか強くつよく魅せられるもの。
これまでの己を振り返れば、それは最早転変とも言うべき訪れである。
それでも理由はいらない。知らなくともいい。
魅了されていることが事実ならば、それ以外は代季にとってどうでもいいことだった。
「どうしても、だ。レオナール」
「………」
今まで従者同士の言い争いを傍聴していた猩凌が、静かに、されどよく通る声で断言する。
主人の言葉に言動を止められたふたりは顔を見合わせて、それですべて納得したように静かに頭を下げて見せた。
大人しく従う意向を見せた護衛ふたりと、猩凌の視線が改めて代季に向けられる。
「受けてくれるんだな、代季」
「はい」
その肯定には卒業してから、がもれなく付いてくるのだが、それでも猩凌は代季の返答に満足したのか、淡い微笑をくちびるに浮かべた。
卒業後、猩凌の従者兼護衛として下に就くことを約束された代季には、いくつかの条件が提示された。
己から軍校を自力で卒業をすることを望んだからには、これから軍校生として十分に学業及び実技の習得に励むこと。
代季の我儘が叶えられる形で与えられた猶予期間中は身柄の拘束は特にしないが、その変わり猩凌の呼び出しがあれば、何時如何なる時も未来の主人の許へ馳せ参じること。
与えられる地位に驕るような言動は一切慎むこと。
明確に提示されたのは上記の三つほどで、後はいつも通り、猩凌は至極鷹揚に他のことは程々に好きにしろとしか言わなかった。
この瞬間から、代季は軍校生としながら、王族直属の護衛と同列の地位を手に入れたことになる。正確に明記すれば、代季がその地位を正式に手に入れるのは軍校を卒業してからなのだが、恐らく世間の見る目は既にこの瞬間から違うだろう。
代季に自覚があろうとなかろうと、手に入れた地位がこれからであろうと今であろうと、権力や暴力、財力などを軸に、王族・貴族が絶対的な地位を掌の中にするこの国では、王族の許に侍ることはまたとない名誉なのである。
護衛という危険職ながらも、従者と兼用して使われることが多いその職は、その性質から本来の家族よりも主人との仲が深まり易く、懐に入る機会を数多となく与えられる。
そもそも、余程気に入られてでもしない限り王族が自らの許に人を置くことは考えられないのだが、その選ばれた人間たちの中でも飛び抜けて、主従の絆が築ければ、従者ど言えどその者の地位は確立されたものになるのだ。
…もっと言ってしまえば、そうした王族直属の護衛は、ヘタな下位貴族よりも盤石の地位を持つことを許されることになる。
この国で絶対的地位を持つ王族と、その遠い親戚から派生した貴族たちとでは歴然とした位の差がある。一般民とは比べものにならぬほどの地位を確立している貴族たちも、所詮は王と、その眷属である『家族』たちには遠く及ばない。
王族が特別目に掛け愛でる持ち物に、それが例え己よりも低い出生のものであっても、傷を付けることは如何に貴族と言えど許されないのである。
代季は計らずともその地位を手に入れたことになる。
次期国王と名高い代季の主人になるべく彼の人の許に下ることを選んだ代季は、ただの流民から一転、世界的地位をもほしいままにする軍事国家・大帝国リュフシオンの今後を左右するかもしれない人間の傍に控える重要人物として位置付けられた。
「………」
計らずとも、いつかの夢のあの青年の予言通りの道を着々と代季は歩み出している。
敷かれた道を歩いているのか、それとも己で歩いた場所に道が敷かれているのか、わからなかったが、例えわかったところで代季は猩凌の誘いを断りはしなかっただろう。
「ありがとう、代季。嬉しいよ」
傲慢に、怠惰な空気を身に纏わせた代季の主人は飄々とした口振りで言葉を操る。
尊大で不遜たるその口調は、彼が生まれた瞬間から世界に許された言動であり、世の真理然とそれがすべてに許容される。ソファに悠然と身を委ね、付いた頬杖の上で傲慢だからこそ美しく、鮮やかに猩凌が微笑んだ。
「………」
こちらの世界に喚ばれてはじめて出来た友人が、いつも通り眉を寄せながら苦言を申し立ててきたことをふいに思い出す。
軍人になるなら、正式な場で古来よりこの国で使用されている正礼くらい覚えておけと。
正式な場。
代季にとってそれがどういった場面を指し示すのか、ハルヴィサに教えられた最にはあまり明瞭に理解が出来なかったが、思えばいま、この瞬間がその時ではないのだろうか。
思い至って、ソファから腰を上げる。
唐突に動き出した代季を不審そうに見詰める、護衛ふたりと上官の視線の中を進む。
ローテーブルを回り込んで、猩凌の正面に立った。
疑問も不審も映さず、ただ光明と輝く紅が代季の視線を受け止める。
その瞳を瞼の裏に刻んだ代季は、手のひらに当てて包んだ拳を胸の前で掲げ、彼の前に片膝を着いた。
しかと交わる視線の中程で、代季の唐突な行動を猩凌が可笑しそうに笑うのがわかる。
「間違ってます?」
「いや、合っているよ」
神聖とされる正礼の最中に見当違いなことで首を傾げた代季に、護衛ふたりは目を見開き上官は元から良いとは言えなかった顔色を更に真っ青にさせる。
ただ、誓いを捧げられた猩凌本人だけは、心底楽しそうに自由奔放で型破りな軍校生に微笑みを返した。




