↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白磁の檻  作者: 國生さゆり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/8

シーン3 異形の母



水本に先んじて歩き出した伊藤は、友花の病室の前に立つ母親の忍に声をかけた。


「おはようございます、伴成さん。朝の診察が終わるまで、こちらでお待ちになってください」


努めて明るい声だった。


伊藤の後ろから水本が姿を現し、忍に軽く会釈する。そのまま病室のドアノブに手をかけたところで、忍が口を開いた。


「先生、あの子、まだ生きてるんでしょうか」経文でも読むような、暗く沈んだ声だった。


水本は目を見開いて忍を見た。

「この間は話したいと言っておられた。気をしっかり持って見守ってあげてください」無愛想とも機械的とも取れる、冷たい口調だった。



すると忍は、薄紫色のフレアスカートの裾をたなびかせ、すくりと伊藤と水本の間に割って入った。猫のようだった。そして水本の白衣にすがりつく。


「ええ、先生。私はあの子を愛しています。誰よりも回復を願っていますし、先生の治療方針も信頼しておりますとも」


色模様が透けて見えるような艶美の笑みを、口元に浮かべていた。


伊藤はそのきわどさに不潔感を覚えながら、忍に声をかける。


「伴成さん、待合スペースでお待ちいただけますか」


忍の表情が一変する。


黒目の薄い双眸に獣のような怒りをギラつかせ、伊藤を睨みつけたのだった。


「また私を邪魔者扱いするのね。私はあの子の母親なのに」


その声は硬く、鋭かった。


廊下での押し問答を聞きつけたのか、友花の病室のドアが開いた。中から看護師の木村が顔を出した。三人の表情を見て一瞬で状況を察したらしく、そのふくよかな顔に人の良い笑顔を浮かべた。


「ああ、お母さん。お久しぶりです。友花さん、さっき一瞬だけ目を開けてくれたんです。よかったですね」


木村はそう言いながら忍に近づき、水本の白衣を掴んでいる手にそっと触れた。指を一本ずつ白衣から離すと、その手を両手で包み込み、優しく撫でた。


「待合スペースまでお供します」


「えっ、友花が目を開けたの」


忍は木村の顔を見つめた。


つい先ほどまで伊藤を睨みつけていた目に、すでに好奇の光を宿らせている。


木村に手を引かれて歩き出すと、忍はもう水本にも伊藤にも目を向けなかった。友花の病室を振り返ることさえしなかった。


ウキウキとした足取り。うっとりとした、場違いな顔つき。


伊藤は二人の後ろ姿を見送りながら、忍のどこかギクシャクとした振る舞いと、その得体の知れなさも、仕方のないことなのだと自分を納得させるのだった。


息子を失い、養女までが生死の境を彷徨った。あの出来事を思えば、無理もないことなのかもしれない。


友花は忍の夫・千広の愛人だった女、君枝の子どもだ。だが、千広と友花に血縁関係はなかった。


千広と君枝が世間を騒がせた事件に巻き込まれ、不慮の死を遂げたあと、忍は幼い友花を引き取り、伴成家の養女とした。


両親も親戚縁者も猛反発した。


だが忍は、その反対を頑として聞き入れなかった。


「伴成の家は、戦後の混乱の中でさえ、国の行く末に責任を負ってきた家です。その家が、たった一人の幼子を引き受けることもできないとおっしゃるの? 世間がなんと言おうと、私はこの子を育てます。それが伴成の名を継ぐ者の矜持というものでしょう」


伴成家の先々代は、敗戦直後、占領軍との折衝に携わり、復興政策の立案にも深く関与した人物だった。政界に身を置いた時期は短かったが、その名を知らぬ者は当時の政財界にはほとんどいなかったという。戦後八十年を経た今も、その家名は少なからぬ影響力を残している。


もちろん忍の行動は世間の好奇心を引いた。


夫・千広が伴成家の婿養子だったこと。愛人の君枝と千広の死に方。そして、二人が死んだ事件の異様さ。


どれもがワイドショーには格好の材料だった。


賑やかで恥知らずな報道のお祭り騒ぎは、その年の十大ニュースに選ばれるほどに加熱した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。