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鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
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浅川 沙千絵

第99話 女の子


 この龍幸寺に来て、家に帰らず泊まったのは初めてだ。ん?初めてだった気がする。

 お寺の中にはいっぱい部屋があって、劉弦さんたちの暮らす精舎とは別に、もう1つ離れがある。そこへ泊めさせてもらうつもりだった。精舎だと、劉弦さんたち男しかいないから気を利かせてくれたのだ。でも独りぼっちでそこへ泊まるのはちょっと怖かった。だから、やっぱり誰かいてくれた方がいいと、精舎に泊まらせてもらった、気がする。

 あれ?和尚がいる本堂だったかな?それとも天馬さんの弟家族が泊まる客間だったかな。昨日のことなのに、うまく思い出せない。思い出そうとすると、目の前の景色が少し歪んで見えた。目がチカチカして眩暈がしたので、固く目を瞑った。しばらくすると、ナツオくんの声が聞こえた。


「あ、お姉ちゃん。おはよう」


 30の女性に《《お姉ちゃん》》と呼べるとは、できた息子さんだ。


「もう、お帰りになるんですか?」


「ええ。できたら富士山でも見てこようかと」


 弟の舜さんが答えた。

 そうこうしているうちに、朝の座禅から和尚のお説教が始まった。ナツオくんも素直に参加していた。年頃の男の子なのな文句1つ言わずに、和尚のお説教を真剣な眼差しで聞いている。んー、できた息子さんだ。

 その後、家族はいそいそと身支度をしていた。和尚に富士山への経路を聞いたりしている。天馬さんの姿が見えない。天馬さんはナツオくんと違って、いつも文句を言うが、それでもいつも座禅には参加していた。その姿が見えないのが気になった。

 昨夜、天馬さんは真理がどうのこうのと言っていた。その言葉に、もう天馬さんに会えない、と直感的にそう感じた。むかし好意を寄せていた相手を弟に取られてしまって、顔を合わせないようにどこかへ出掛けているだかかもしれない。不貞腐れるなんて女々しい奴だなぁ、という思いもある。そうであってほしい。もう戻ってこない、という不安は膨らむ。

 スマホで連絡を取ってみた。繋がらない、というか掛からない。電話の通知音がしないのだ。


 身支度を整えた家族を玄関で見送る。


「お姉ちゃん。またね」


 眩しいほどの清々しい笑顔で、ナツオくんは言った。ワタシは手を振り返したが、弟さんとミフユさんにもう1度声をかけた。


「あの、最後に会ってかれないですか?」


 さっさと支度をして帰ってしまうなんて冷た過ぎる。あまりにもさっぱりした態度に、少し咎めるような言い方になってしまった。舜さんとミフユさんは顔を見合わせて、不思議そうな顔をしていた。


「そ、そうですね。帰りにもう1度挨拶してきます」


 舜さんが答えると、ミフユさんも頷いた。

 なんだ。居場所を知ってるのか。それならそれでいいのだが、不安感は消えない。

 釈然としないまま家族を見送ると、劉弦さんに天馬さんの居場所を聞いた。こちらも曖昧に頷くだけで、はっきり教えてくれない。なんか自分だけ仲間外れにでもされている気分だ。


 境内の方に振り返ると、家族の姿が見えない。裏手の墓地の方から声が聞こえる。そっちに天馬さんがいるのか。いつの間にか和尚たちもいなくなって、ワタシだけ取り残されてしまった。

 みんな墓地の方に行ったのかな。ワタシは玄関に置いてあったお客様用のサンダルを履いて、墓地の方に向おうとした。

 ペタペタペタッ。足音が近づいてきた。お堂の角を曲がろうとしたところ、小さい女の子と出会い頭にぶつかりそうになった。女の子は軽い身のこなしで、ワタシの脇をすり抜けていった。誰?


「ねえ」


 声をかけてみたが、女の子はお堂の方へ走っていった。周りを見渡したが、親と思しき大人の姿が見えない。あんなに小さい子が1人で、長い石段を転げ落ちたり、車道に出てしまったら危ない。咄嗟に追いかけると、女の子は迷わず本堂の玄関に入っていった。

 檀家さんの子供かな。ワタシも一旦本堂に戻ると、玄関には小さな靴が綺麗に並べられてあった。奥から和尚の笑い声が聞こえた。


「ははは。どこに行っておった」


「パパとママのお墓だよ」


「そうかそうか」


 和尚が女の子を抱き上げた。和尚が女の子の脇を抱えると、くすぐったい、と小さい手足をバタバタさせていた。

 そのままキャッキャッと騒ぎながら、和尚の部屋に消えていった。

 ここの墓地に埋葬されているウチの子か。パパとママのお墓ということは両親を亡くしているのだろう。きっとお爺さんお婆さんと一緒に両親の墓参りに来たのだな。ひとまず胸を撫で下ろす。


 あれ?ワタシ、墓地の方へ行こうとしていたけど、用はなんだったかな。誰かを探してた気がするけど、誰だったんだろう。思い出そうとして、また眩暈がした。このところ眩暈が起きることが多い。更年期にはまだ早い。でも、もう30だし。

 ワタシがここへ来たばかりの頃、蓮実さんがPTSDについて教えてくれたことがあった。心的外傷後ストレス障害というらしい。生死に関わるような強い精神的衝撃が原因だったりするらしいが、近年ではパワハラで同じ症状を抱える人が増えているそうだ。症状は不眠やフラッシュバックなどがあるらしい。症状がまだ1ヶ月経っていない場合は、急性ストレス障害として区分されていると言っていた。そちらの方はASDというらしい。

 蓮実さんはワタシに、なにか変わった症状とか出ていないか聞いてきた。特に何もなかったので、全然平気です、と答えた。今頃になって、そういう症状が出てきたのか。

 ワタシの場合、もしその障害ならPTSDとASDとどちらなのか。ここへ来てどのくらい経っているのだろう。1ヶ月以上は経ってるから、PTSDの方だろうか。1ヶ月も何もなかったのに急に症状が出るもんなのだろうか。自分の勝手な判断だが、そういうものとは何か違う気がする。あとで蓮実さんに相談してみよう。


 そろそろワタシもお寺に上がろうと靴を脱ぎかけた時、足元がグラっとした。視界が歪んだかと思うと、線路が見えた。瞬きをすると一瞬で消えた。気づくと目の前には利休くんが立っていた。なに?今の映像。


「沙千絵さんにも見えてます?」


「え?」


 利休くんにもワタシが見た映像が見えたということ?


「さっきの女の子」


 何を聞かれてるのか、すぐにはわからなかった。利休くんが言っていることが、さっき和尚が抱いていった女の子のことだと理解するのに数分かかった。見えてるって、なによ。その聞き方、ちょっとおかしいでしょ。言いたいことは山程あったけど、頷いて返した。

 それよりも、あの線路の映像はなんだったんだ。恐怖に吸い込まれそうな映像だった。高いところから見下ろしているような風景。それは幻覚ではなくて、記憶の中にあるものだと感じた。思い出そうとすると、吐き気がする。


「もしかしたら、劉弦さんたちとリンクしてしまってるのかもしれませんね」


 利休くんが、なにかブツブツと独り言を漏らしていた。








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