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鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
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94/120

松下 劉弦

第94話 笑顔の裏側


「岸本のジイさんは、ここの放蕩息子の愚痴をたくさん溢していって、『これからは、よろしくなぁ』って、こっちが坊さんだと勝手に信じ込んで帰っていきおった。行く所もねえから、取り敢えずはここに住んじまおうってことになって。じゃあ僧侶みたいな名前で呼び合おうということになって、2人は体がデカいから仁王像みたいだなって。阿形吽形あぎょううんぎょうみてえに下の方を揃えたらいいんじゃないかと、雲仙、優禅に決まったのよ。ワシはというと『面倒臭えから、和尚でいいんじゃねえか』って、ワシャあ名無しのままじゃ。それで困ったのはヒロキのことなんじゃが、コイツは幽霊だし、とっとと成仏してもらわにゃあいかんけど、なんだか居座るつもりでいるもんだから、自分で名前を決め始めてなあ。『龍幸りゅうこう』がええ、と言うんじゃ。前の組にいた頃はまだ下っ端のペーペーだったから、もっと成り上がったら背中に龍の絵を彫ろうとしてたんだと。アイツは若え頃に見様見真似で肩に掘った墨が、『幸』という字じゃった。それを合わせて『龍幸』と言うんじゃが、なんとも響きに締まりがない。まあ、何でもいいんじゃねえのって、そういう名前に決まったのよ」


 本当にどうでもいい話が続く。それが龍幸寺の名前の由来だという流れだろうが、これをいつまで聞かなきゃならないんだ。これは苦行だ、と自分に言い聞かせて我慢するしかない。念仏のような長い身の上を聞かされ、このまま成仏させられてしまうんじゃないか。この世の最後がこれだと思うと、人生というものは厳しい。


「食う物には困らんかった。近所の農家の人が野菜とか無料ただで持ってきてくれるでなぁ。元コックの優禅さんがいるから、チャチャっと適当に美味い物を作ってくれるしなぁ。最初の頃、優禅さんがヒロキには飯を作るのかって聞いてくるから、幽霊が飯を食うか分からんがワシらの前にだけ飯を用意するのも可哀想だから人数分作ってくれって4人分用意させたわけだ。そしたら、ヒロキは普通に飯を食うから、やっぱりコイツは生きてんじゃねえかって思うようなって。夜になったら普通に寝るし、便所も行ってクソをする。階段では躓いたりもする。生意気にも幽霊のクセして、足が生えとるからなぁ。檀家さんが来りゃあ挨拶もする。どういうわけかヒロキの奴は、ワシらと一緒におったら皆んな見えとるようじゃったから、段々アイツが死んどることを忘れてしまってなぁ」


 俺たちも同じだ。生きてる人間と変わらないから、死んだ実感がない。記憶だけが蘇ってきたが、今の状態がこうだと説明がつかない。


「幽霊だからって物を掴めないとか、壁をすり抜けられるなんぞは、ありゃあ生きてる人間の妄想じゃな。死んだら器がねえから、物を触れるわけはないっちゃうことなんじゃ。だって見えとるんだから、見えるのはしょうがねえけど物は動かさねえなんて、そりゃこっちの勝手な都合だな。死んでる奴がそこまでされちゃあ困るって。死んでんだから、せめて見えてるだけにしちょけって」


 俺たちは優禅さんの作った飯をたしかに食っていた。檀家さんに会えば挨拶をくれたし、和尚の説教を聞いてれば眠くなる。酒を飲めば酔った。生きてる時と何も変わらない。


「本当のところ、ヒロキは処分なんかされないで生き延びてたんじゃねえかって思えた。じゃあなんでワシが捕まったのか理由がつかんが、むかしのことはもうどうでもいいと。檀家さんたちもワシらのこと受け入れるようになってきて、田舎の寺で悪さもせんと、こうやってのんびり暮らすのもええと思ってたんじゃ。まあ坊さんって嘘吐いてここにいるんだから、それは悪だことだって分かってたけど、町の人もみんなよくしてくれる。なんも悪いことなんかしてない気になってなぁ。そんな暮らしに馴染んじまった。1つ馴染めないのは、ヒロキが龍幸って呼んでくれって言うんじゃが、どうもしっくりこなくてな。なんか伸びた名前が2つ重なっとると締まりがない。ワシャずっとヒロキのままだったのよ」


 そこでいつも張り付いている笑顔が、ほんの一瞬消えた。寂しさなのか、侘しさなのか。悲しみとも少し違う。しいて言えば『無』だ。


「ヒロキがなぁ。『若頭カシラ、ちょっとええか』と神妙な顔してこっちに来るのよ。若頭じゃなくて和尚と呼べ、と言おうとしたが、じゃあ龍幸と呼んでくれって言われるから、そのまま放っぽいといた。なんの話か、と思えば『俺は死んでるんですよね』と言いよる。こっちゃあ忘れとったから、今更なんだと思うわなぁ。適当な返事を返すと『俺、死んだ時のことを思い出した』なんて言うんだよ。丁度、岸本のジイさんが大量の野菜があるから取りに来いって電話があって、ヒロキに取りに行かせたんだ。縁側でそれを受け取る時、ジイさんの部屋のテレビに刑事ドラマかなんかが映ってたそうだ。ヤクザ者がチンピラとっ捕まえて拷問加えてる映像だったのが、自分の記憶を覚ましちまったんだろうな。『俺は、菅原の兄貴に殴り殺されたんだ』って言って。ワシが処分を命じた子分が、その菅原だ。『俺は菅原の兄貴が苦手だった。なんでアンタにこんなことされなきゃならねえんだって喚いたら、若頭の命令だって言われた』とな」


 俺は蓮実と目が合った。蓮実はどういう表情したらいいのかと困惑しているようだった。俺たちにも過去があるように、ジジイにも伏せていた過去があるのだ。

 ジジイは、そのヒロキという子分の幽霊の言葉を、どんな気持ちで受け止めたのだろう。その張り付いた笑顔の裏側を見ることはできない。

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