松下 劉弦
第89話 器
「和尚のところに行こう」
声をかけると、蓮実も同じことを考えていたようだった。彼女は黙って頷いた。
「どうやら、真理に辿り着いたようですな」
さっきまで『カルマの部屋』にいたと思っていたが、気づくと和尚の部屋に移動していた。目の前には和尚が座っている。相変わらずの張り付けたような笑顔だ。
「和尚。俺たちって、もう死んでるんですよね」
和尚は、「死......」と呟いてから、目を閉じて少し黙った。「それは......」と口を開き、溜めに溜めて意味深なことを言う。いつもそうだ。
「それは、器のことかね」
「器?」
和尚が言わんとしていることはわかる。「器」というのは、人間でいう「体」のことなのだろう。
「死というものは、どうやって判断したらいいものか」
和尚は独り言のように呟いた。
「心臓が止まれば、人は死んだという判断を下す。じゃあ、アンタらは一体なんなんだ?」
意地悪な質問だ。わからねえから聞いてるんじゃないか。和尚は、いつも答えをくれない。
「......幽霊、ですか?」
蓮実の答えに、和尚はニンマリと笑う。
「幽霊ですか?ほう、ほう。それは、魂とも言うのかの?」
和尚はこちらに背を向けて、隣にいた一休の肩にポンと手を置く。コイツ、いつの間にいたんだ?
「まあ、劉弦さんたちは俗に言う『成仏してない状態』なんだと思います」
相変わらず偉そうに見える態度だったが、どこか俺たちに気を遣っているような視線を寄越した。それは憐れみの視線なのか。お前は最初から知っていたのか。
「じゃあ、わたしたちは、その、なんていうか、幽体みたいなものなの?わたしたちが見えるって、和尚も幽霊なの?」
和尚がいつも座っている席には、光沢のある生地の紫色の座布団が置いてある。分厚い座布団だ。和尚はそこに腰を下ろした。フカフカした座布団に体が沈んだ。
「和尚は生きてます。先程、和尚が言っていた言葉を借りれば、《《器》》も生きてます。ただ、あなたたちが見えるだけです」
代わりに一休が答えた。
「じゃあ、雲仙さんや優禅さんは?」
「彼らも生きている人ですよ」
「じゃあ、なに?いつも作ってもらってたあの料理だって、わたしたちちゃんと食べてたよねぇ。あれって、どういうことなの?」
「蓮実さんたち、ちゃんと食べてましたよ」
「意味わかんない!わたしたち、幽霊なんでしょ」
蓮実はだいぶ取り乱している。俺だって気持ちの整理がつかない。檀家さんたちだけじゃない。蓮実の相談者や復讐代行で嫌がらせをしてやった連中は現実だったのか。そもそも俺たちが現実社会にはいないんじゃないか。和尚たちと過ごしてきたこの時間はなんなんだ。
事故に遭って、俺たちが死んだことは思い出した。あの日の後から、この龍幸寺に辿り着くまでの記憶がない。それはそうだ。仕事を辞めることも、離婚することもできないのだから。
だがあの事故の後仕事を辞めて、あの事故が元で夫婦仲がギクシャクし離婚したことになっている。俺たちは自分達の都合の良いように記憶を作り上げていたのだ。
じゃあ檀家さんも相談者も復讐してやった連中も、俺たちが作り上げた創造の産物でしかないのか。
「じゃあ、今まで接してきた檀家さんたちは?」
俺は一休ではなく、和尚に聞いた。
和尚は何が楽しいのかフフフと笑ってやがる。
「檀家さんたちも生きとる人たちよ。お前さんたちと毎朝、話しとっただろ」
「和尚が俺たちが見えるのはわかったよ。だけど、檀家さんたちにも俺たちが見えるってことなのか。この辺の人たちは、みんな霊が見えるのか」
自分で自分のことを《《霊》》と言うのが物凄く違和感がある。だけど、そう例えるしかない。
「ハハハ。面白いことを言うのう。お前さんは、この辺の人たちがみんな霊能力者かなんかだと思っておるのか。その発想は面白い」
「ジジイ、揶揄ってんじゃねえよ。じゃあ霊能力者じゃねえっつーんだったら、一体なんだよ」
「みんな、普通の人たちじゃよ」
なんだか的を得ない。いつものことだが、適当にはぐらかされてる。
「じゃあ、なんで和尚は俺たちが見えてんだよ。一休もそうだ。お前も霊能力みてえなもんなあるから坊さんになったのか」
このジジイの態度には、いつも苛つかされる。べつに何が気に食わないというわけではないが、俺がガキで揶揄われているような気分だ。一休が何をしたわけでもないのだが、八つ当たりしてしまう。
「僧侶になるのに、霊能力は関係ありませんよ」
和尚も和尚だか、コイツもコイツだ。こちらの質問に対して、少しズレた答えが返ってくる。
「器の話をしたなぁ」
和尚が話し始めた。
「例えばなぁ。お前さんが服を着ておる。お前さんがこっちに顔を向けてなくとも、その着ておる服を見て、ああお前さんだなぁ、と認識できるわけだ。でも、その服はお前さんか?」
出た。また禅問答のようなことが始まった。こうなると面倒臭え。俺がどんな答えを出そうとも、和尚には和尚の答えがある。決して自分からその答えを教えないが、その和尚の答えを俺の口から答えるように導かれるのだ。だったら最初から答えてくれ、いつも思う。
「服は、俺じゃねえよ」
「じゃあ、素っ裸のお前さんが、本当のお前さんか?」
「ああ。こっちの方が俺だよ」
俺はTシャツの首を引っ張り、肌の部分を指差して答えた。
「顔を整形しとったら、お前さんじゃあなくなるのかい?」
「顔なんか整形しねえよ」
「ほほう。自分で自分を男前だと言っとる」
「言ってねえよ」
くだらない和尚のジョークに腹が立った。それを聞いて一休も笑いやがった。
「じゃあ髭を剃ったり、髪を切ったりしたら?」
「俺は、俺だよ」
フフフ、といつもの笑い。
「そう。器とは、そういうもんじゃよ」
なんの話だ。結局最初に戻っただけじゃねえか。




