浅川 沙千絵
第84話 辻 天馬 〜 辻村 綾人
2人は目頭を押さえて天馬さんに「ありがとう」と頭を下げる。一件落着し、感動の一幕とも言える。だけど、なんだか腑に落ちない。
天馬さんは、満面の笑みで、そうか、そうか、と1人で納得したように何度も頷いていた。ワタシから見れば、天馬さんが何を納得しているのか検討もつかない。嫉妬心を隠すために無理やり気にしてない素振りをしているのか。
女のワタシの目には2人の男を手玉に取っているようで、ミフユさんを受け入れることができない。デリカシーのない天馬さんの態度に腹が立つことがしばしばあるが、そんな天馬さんを傷つけたことに腹が立っているのか。さっきのご飯の時だって、あんなに不味そうにビールを飲んでる天馬さんを今までに見たことがない。
それとも、ワタシを裏切った美幸とミフユさんを重ねてしまうからか。
いや違う。ワタシは気づいてしまった。ワタシはワタシで、そんな天馬さんを気になり初めていた。
第一印象では正直、劉弦さんのことが気になっていた。でも天馬さんと接しているうちに、初めは腹が立っていたが、いつも目で追っている自分がいた。ルックスだって背が高くてそれなりに悪くないし、性格に難ありでいつも人の胸ばっか見てくる奴だけど、時折見せる優しいところや子供みたいなところも憎めない。劉弦さんには蓮実さんがいるし......と考えている自分が、それじゃあミフユさんと同じじゃないかと腹が立った。
それに天馬さんは、まだミフユさんに未練があるようだ。簡単に自分に振り向いてくれない男。ワタシは、そういう男に惹かれてしまう性質なのかもしれない。
「みなさーん、お風呂の準備ができたみたいですよ」
襖が開くと、呑気な声の利休くんが顔を覗かせた。
「部屋の準備もできてるそうなので、今夜はゆっくりしていってください」
ちょっと、このガキ!この雰囲気、わかるでしょ。なんてマイペースな子なの!
舜さんとミフユさんは顔を見合わせた。
「ほら、遠慮しねえで風呂入ってこいよ」
天馬さんは、2人に気遣って言う。2人は仲睦まじく微笑み合って客間から出ていった。え、それだけ?なんとあっさりしたもんだ。天馬さんはその態度を気にしている様子はない。
「おじちゃん!」
「おう、ナツオ!こっからコンビニ遠かっただろ」
「んー、でも利休さんに色々話してもらったから、まあ、いい散歩になったよ」
「散歩って、お前はジジイか」
久しぶりの再会に天馬さんは嬉しそうだった。舜さんとミフユさんがいないから、ナツオくんと心置きなく会話ができるようだ。
「このお兄ちゃんに、たくさん菓子買ってもらったか?」
天馬さんは利休さんのことを顎で示して、ナツオくんに聞いた。
「お菓子って、ガキじゃねえんだから。まあ、買ってもらったけど」
「じゃあ久しぶりにコチョコチョ我慢大会するか」
そう言ってナツオくんの脇に手を入れ、くすぐり出す。ナツオくんは体を捻らせて抵抗する。
「なんだよ!もう、ガキじゃねえんだって」
ナツオくんも天馬さんの脇腹に反撃を開始。2人とも子供みたいにはしゃいでいた。見たことのない天馬さんの笑顔。嬉しそうだった。
親子ほど離れた2人が戯れ合っているのを、利休くんは静かに見ていた。
歳には勝てないのか天馬さんは息を切らせて、ナツオくんに休戦を申し込んだ。それとは逆に、若いナツオくんはまだピンピンしている。
天馬さんは両膝に両手を乗せ、息が整うのを待った。項垂れて肩で息をしている。もうジジイの体だ。
「綾人のおじちゃん、むかしっから脇腹弱えよな」
「うるせえ。むかしはお前の方がすぐ降参してたくせに」
気づくと天馬さんは標準語に戻っていた。
「おじちゃん」
はしゃいでいたナツオくんの顔が少し曇った。
「舜ちゃんや母ちゃんを責めないでやってくれよ。2人とも随分悩んで決めたことなんだ。俺も不自由なく育ててくれて、2人には感謝してるんだ」
ナツオくんの目に大人の眼差しが宿った。天馬さんは顔を上げた。
「なんで俺が、2人を責めることがある。お前、なんか勘違いしちゃねえか?俺は、お前の母ちゃんと付き合っちゃねえぞ」
ハアハアしながら、振り絞るように声を出していた。
「俺はなあ、母ちゃんとはただの同僚だ。俺はお前の《《遊び友達》》だっただけだぞ。何も気にすんな」
その一言でナツオくんは理解したようだ。それがわかるだけ、ナツオくんも大人だということだ。
「母ちゃんの手伝いとか、ちゃんとしろよ」
「......おう」
「あと、ちゃんと舜の言うこと聞けよ」
「んー、わかってるよ」
2人とも急にしんみりとなってきた。今生の別れのような顔で見つめ合っている。まあ、岡山と静岡じゃあ、そんなに頻繁に会えないけども、2人ともそんなに悲しそうにならなくてもいいのに。もしかして、舜さんやミフユさんに気遣って、もう会わないと決めているのだろうか。べつにそこまでしなくてもいいと思う。
お風呂から上がった舜さんがナツオくんを呼びに来て、彼は名残惜しそうに客間を去っていった。
「あれで、良かったんですか?」
ワタシは堪らず聞いてしまった。
「いいんだよ。これでもう、アイツらも俺のこと気にしなくて済むし」
そんなに自分のこと卑下しなくてもいいのに。でも、その言葉には、後悔や未練など微塵も感じなかった。むしろ晴れやかな顔をしている。そんな天馬さんに、利休さんが落ち着いた声で話しかけた。
「どうやら、真理に辿り着いたようですね」
「シンリ?」
天馬さんは要領を得ない表情で聞き返した。
利休くんも大人ぶって、なんで『真理』なんてカッコつけた言い方にしたのだろう。要するに、現実を叩きつけられた、そういうことなんでしょ。
「あー、真理ね。まあね。そうみたいね」
天馬さんも笑いながら、他人事のような返事をしていた。
彼は縁側に立ち、空を見上げたり、背伸びをしたり、手をブラブラさせて体操みたいな仕草をした。
もう外は真っ暗だ。何も見えないはずなのに、顎を上げて空の隅々まで見るように覗き込んでいる。
その背中を見ていると、天馬さんはどこかへ行ってしまうような気がした。もう天馬さんに会えない気がする。
その日はワタシも龍幸寺に泊まった。
翌朝目が覚めると、天馬さんの姿は、もうそこにはなかった。




