辻 天馬
第73話 引っ叩く
今日は待ちに待った日だ。
あの一休が帰ってくる。9時台の新幹線で帰ってくる予定だと、雲仙さんから聞いてある。夕方前には寺に着くはずだ。
どういう傲慢にかけてやろうか。羽交締めにして、くすぐりの刑にかけてやろうか。それとも夕飯のメニューをアイツが苦手な魚介類のオンパレードでオーダーしようか。いや、それは俺の方が困る。
もっと手の込んだ悪戯をしてやろうか。アイツへの嫌がらせは、綿密に考えなければならない。俺1人で考えるよりも、劉弦の手を借りよう。丁度、蓮実のいるカルマの部屋から出てきた劉弦に声をかけたら、ああ、うん、とツレない返事をしやがった。妙にテンションが低い。面白くない奴だ。そう言えば、劉弦の野郎が檀家回りを1回も代わってくれなかったことを忘れていた。コイツにも何か嫌がらせをしなければならない。
アイツが嫌がる姿を想像するだけで、震えてくるほど嬉しくなる。思う存分可愛がってやるぜ。
相談者からの復讐依頼なら案がポンポン出てくるのだが、身内が相手だと意外に出てこないもんだ。思いつく嫌がらせが酷い内容しか浮かばない。生意気な一休相手でも、それはちょっと可哀想だな、と思ってしまう。俺にだって、そのくらいの人の心はある。
いつも一休にどんな嫌がらせをしてたか思い出せない。計画を練って嫌がらせなんかしてなかった。流石に一休みたいなガキ相手にネチネチと考えてたら、なんだかこっちが惨めになってしまう。アイツの顔を見たらパッと思いつくだろう。体が先に反応するはずだ。なにせ俺は、嫌がらせを考える天才なんだから。とりあえず、アイツのツルツルの坊主頭を引っ叩いてから考えればいい。
「なんだか嬉しそうですね」
浅川沙千絵が声をかけてきた。
「やっぱり利休さんが帰ってくるの、嬉しいんですね」
やっぱり、ってなんだ。変な勘違いをするな、と言い返したいが、そんなことを言うと却ってこっちかムキになってると勘違いされる。べつに、とだけ答えた。彼女はクスッと笑った。それも妙に腹が立つ。ただでさえ長野で一緒に暮らした女に似てるから、少し距離を置いているのに、この女はフワッと俺の懐に入ってくるようなところがある。そういうところも、あの女に似ている。
なぜこうもイラつくのか。全部、一休のせいだ。
檀家回りは昨日が最後だと思っていたが、一休が帰ってくるのが夕方となると、今日も俺が行かなきゃならねえんじゃねえか。最後くらい代わってもらおうと劉弦を探したが、奴の姿がない。娘の墓のところも覗いたが、いない。
本堂に戻り、カルマの部屋を訪ねた。
「おい。劉弦はどこ行った?」
パソコンの前に座る蓮実に聞いた。
蓮実は慌ててパソコンを閉じて、こちらに顔を向けた。
「え?そっちに行ったんじゃないの?」
「見当たらねえんだよ。どこ行ったか知らねえか」
さあ、と首を傾げると黙ってしまった。なんだよ、コイツもテンション低いな。
「どうかしたのか?」
「んー、何もないよ。ちょっと夏バテかな」
クーラー効いてる部屋でパソコンと睨めっこしてる奴が、夏バテだと!こっちは暑い中、汗ダクで外歩き回ったんだよ。そんな簡単にバテてんじゃねえよ。
俺は劉弦に代わってもらうことを諦めて、仕方なく黒の法衣に着替えた。仕方ねえ、あの美味いビールのために耐えるしかないか。着替え終わると、和尚の部屋に向かった。
和尚の部屋には先客がいた。それが劉弦だった。劉弦は背中を丸めて小さくなっていたが、俺の登場でサッと顔を上げた。なんだ?なにか込み入った話でもしてたのか?
「どうしました?天馬さん」
和尚は何事もなかったように、俺に笑顔を向けた。
「ここにいたのか、劉弦」
「なんだ?俺に何か用か?」
「たまにはお前が檀家回り行けよ」
「なに言ってんだよ。お前、行く気満々じゃねえか」
俺の服装を見て、奴が揶揄う。だが、いつもの絡んでくる時の覇気がない。
「ははは。天馬さん。今日は訪問の予定はないですよ」
和尚は相変わらずのテカテカした顔で笑った。ジジイのくせに肌艶がいい。毎日、美味い物食ってるから、肌に贅沢が滲み出ている。
「なんの話してたんだよ」
心配なんかしてねえが、この2人が神妙な顔をしていたのが少し気になった。それに劉弦のテンションの低さだ。こっちのペースが狂ってしまう。
「それにしても、天馬さんの檀家回りは板についてきましたね」
和尚は俺の質問には答えず、テカテカの笑顔ではぐらかしてきた。この場合、いくら聞いたって和尚は答えてくれない。今日の檀家回りの苦行がないことで良しとし、劉弦のことは気にしないことにした。
あの美味いビールは諦めるしかないのか。でもビールはいつ飲んだって美味い。とりあえず、一休の頭を引っ叩くことだけを考えることにして、掃き掃除をするために境内に向かった。




