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鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
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辻 天馬

第69話 ババアのエール


 腹が立つ。

 今日で4日経つ。いつから数えてって、一休がバカンスに行ったからだ。8月の中旬は、毎日のように檀家さんの家に訪問しなければならない。

 檀家さんの都合で午前から出ることも多い。年寄りが多いから、用もねえのに早く起きて、早い時間から呼ばれる。午後だって用はねえんだから、早起きさせんなよ。

 和尚が出掛ける支度をすると、タイミングを見計らったかのように劉弦の姿がなくなる。必然と俺が行く羽目になる。たまには代わりに行ってくれたっていいのに。1度、文句を言ってやる。

 和尚も和尚で、劉弦を探すことはなく、俺が行くものだと思っている。当たり前のような顔で、俺に荷物を用意しろ、と言う。

 幸い、写経をしていたのでお経自体は頭に入っている。だが、人前でお経をあげるのは慣れていない。お堂に近所の人が集まる朝の説法の時も、口パクで誤魔化している。

 劉弦なんかはお経自体を覚えてないから、奴の口パクはズレる。俺は知っているから完璧な口パクができると自負していたが、和尚の妙な節の取り方でやっぱりズレる。檀家さんの家で和尚とズレるのをモゴモゴと誤魔化していると、檀家さんから白い目で見られた。


 今日は松田さんという檀家さんの家に来ていた。松田さんは、和尚と古い付き合いのお婆さんだ。このババアは、和尚とは幼馴染なので、他の檀家さんたちと違って、態度がデカい。気を遣わなくていいから楽なのだが、まあ口が悪い。俺がこの寺に世話になり始めた時に、「どこの馬の骨なのかわからない輩を置いとくなんて、あたしゃ反対だよ!」なんて罵られた。てっきり疎ましがられてるのかと思いきや、口が悪いだけで気兼ねなく声をかけてくる。かけてくる言葉は、酷い言葉ばかりだったが、なぜか憎めない。


 松田さんは孫と2人で暮らしている。娘が2人いて、2人とも結婚して県外で暮らしている。5年前に旦那さんを亡くし1人で住んでいたところ、次女の息子が静岡の大学に行くことになり、下宿代がもったいないということで去年から孫と2人暮らしだ。


「アンタ、いい顔になってきたね」


 他の檀家さんには疎ましく思われている俺に、松田さんはそう言った。


「はあ?何言ってんの」


 いつもチンピラだのなんだのと罵るババアが、胸の奥がこそばゆくなるようなことを言ってきたので、素直に喜ぶ態度を取れなかった。


「最初は汚ねえ格好で目付きも悪いし、前科者みてえだから追い出せってケンちゃんに言ったんだけど」


 このババアは和尚のことを『ケンちゃん』と呼ぶ。多分小さい頃から、そう呼んでいるのだろう。


「そしたらケンちゃんは、『前科者だが、それがどうした』って。呆れてものも言えないって思ったけど、ケンちゃんも犯罪者みたいなもんだけどねえ」


 このババアは俺に前科があるってことを和尚から聞いて知っていた。ババアは何の罪かまでは知らなかったので、自分から説明したことがある。なんとなく、このババアには話しておこう、そう思った。掻い摘んで俺の前科の話をババアにすると、「殺人犯のくせに、シケたつらしてんじゃねえ」と言った。相手に気を遣ってオブラートに包むような言い方をする人間ではない。俺にとっては、それが助かった。言葉は汚いが、真っ直ぐで嘘がない人だ。

 ちなみにこのババアは、なんの薬か知らないが毎日飲んでいる粉薬は、厳重にオブラートに包んで飲んでいる。


「初めの頃はアンタ、死んだ人より覇気のない顔してたけど」


 このババアはあまり細かいことは言わない。「じゃあ今、俺はどんな顔してんだ?」って聞いたって、「だからいい顔になったって言ってんじゃねえか。ちゃんと聞いてろ!」と怒られるに決まってる。

 俺自身は、変わったなんて意識はない。俺の中で何も変わっていない。罪を償った感覚もない。ヤクザが相手の場合は、罪が軽くなるわけでもない。殺した感覚は、今でも手に鮮明に残っている。時間は解決してくれない。

 過去を精算して、吹っ切れたわけでもない。むかしの思い出は、決して嫌なものばかりではないが、思い出すと苦しさを伴った。心臓をゆっくりと鷲掴みされている、そんな感覚だ。

 変わったことと言えば、転々と逃げている生活ではなくなったことだ。

 俺は、和尚たち身内と、それなりの生活を歩んでいる。ただ、それだけだ。


 ババアは俺に何を伝えたいのだろう。聞いても答えてくれないだろうし、考えたってわからない。勝手にこちらの解釈で、ババアは俺を励ましてくれているのだと胸にしまっておくことにした。





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