数原 利休
第65話 高齢者介護施設
車は1時間ほど走っただろうか。
さっきまで海しか見えなかった景色が、今度は山しか見えない。生い茂った木々、飲み込まれそうな藪の中、舗装された1本の道がある。カーナビのマップを覗くと、目的地までこの1本道だ。その施設のために舗装された道路なのだろう。カーエアコンが効きすぎて、寒いと感じ始めてきた。
少し道が開けると、かなり広い駐車場が目に入る。小太りの警備員が赤い誘導棒で、僕たちの車を招き入れる。想像していたよりも大きな施設だ。駐車場は、ゆうに50台は停めれそうなくらい広い。平日の昼間だからなのかもしれないが、ほとんど車は停まっていなかった。
テツジさんは、なるべく入り口の門に近いところに車を停車させた。
駐車場の向こうは芝生だった。駐車場と芝生を仕切る壁はなく、真ん中に大きな門があった。まるで神社の鳥居のようだ。その門には『福寿苑』という看板がさがっていた。
ギラギラしたスーツの桜庭さんが門を潜ると、『福寿苑』という文字も、組の看板に見えてしまう。
門から連なる石畳の向こうには白い大きな建物が見えた。あれが高齢者介護施設なのだろう。石畳を挟み、両側が芝生になっている。芝生では多くの人が寛いでいた。ここで生活している人たちだろう。品良くデザインされたベンチで、空を見上げている人が視界に入った。
こういう施設では、病院のようにパジャマ姿や部屋着のスウェット姿がウロウロしていることをイメージしていた。ベンチに座っている人は、ピシッとしたシャツにスラックスというちゃんとした格好をしていた。他の人もそうだ。
水色のエプロンを付けた人たちが、ここの職員だろう。車椅子を施設職員に押されているお爺さんも、高級そうなカーディガンを羽織り、凛々しい顔立ちをしている。
歳はとっているが『老人』と言ってしまうと失礼に値するような、しっかりとした人たちが目立つ。とても介護が必要だとは思えない。施設の大きさから言って、入居するにはかなりの高額なのだろう。ここの住人は、現役時代には地位のある人たちだったのだと想像がつく。
石畳を進み、正面エントランスに入った。水色のエプロンたちが、桜庭さんに会釈する。
天井の高いロビーは、高級ホテルのようだ。受付で名簿に名前を記入し、これまたコンシェルジュみたいなスーツの男が、奥へと案内する。
真っ白な廊下を進むと、幼稚な音楽が近づいてきた。童謡の『シャボン玉』だ。オルガンの伴奏に、タンバリンや鈴の音が聞こえる。演奏は、ヘタクソで合っていない。保育園から漏れる音のように聞こえるが、歌声は子供の可愛いものではなく、大人の唸り声や喘いでいるような声。
その音がする部屋まで辿り着くと、10人くらいの老人と水色エプロンの職員4人の姿が見えた。
老人たちは車椅子や、パイプ椅子に座り、各々の楽器を演奏している。膝の上にタンバリンを置いて黙々と叩く老人、全く合っていないタイミングで鈴を振る老人。
それは演奏と呼べるものなのか、みんなバラバラだった。1人の職員がオルガンを弾き、他3人の職員は部屋の中をぐるぐると歩いていた。急に立ち上がって小さな子供のように大きな声で歌い始めた老人の口から涎が垂れた。職員は持っていたタオルでその老人の口を拭ってあげた。
外にいた入居者と雰囲気が違う。ここの部屋の人たちは、介護の必要な人たちなのだろう。
車椅子の老人についていた職員が、僕たちに気づいた。その老人は膝の上のタンバリンに両手を小さく乗せ、小さな音で交互に叩いていた。
ベージュのチェックのパジャマは自分で着替えたのか、ボタンを掛け違えて、だらしなく車椅子に座っていた。口が半開きで、背中を丸くし、無気力な視線で前方を見つめている。
職員がその老人の肩を2度ほど優しく叩いた。
「幸三さーん。桜庭さんが来ましたよー」
耳元で大きな声で老人にゆっくりと話しかけた。
老人は、はっと顔を上げた。背筋が伸びる。
右側の肘掛けに肘を乗せ、ゆっくりとこちらを向いた。眉間に皺を寄せ、眼光鋭くこちらを睨む。唇の端を上げ、目を細めてニンマリと笑う。
「桜庭じゃねえか。テツジも一緒か」
さっきまでのボケ老人が、組長の顔になる。
「へい。今日はちょっと遅くなりましたが、挨拶に参りました」
桜庭さんは膝に手を置き、頭を低くした。
「挨拶だぁ?んーなもんは、どうだっていいんだよ。シノギの方はちゃんとやってんのか」
テツジさんは仕事での利益などを報告していた。組員はてんでバラバラなのに、内容は嘘の報告だ。テツジさんは自分が受け持っている飲食店の利益がかなり良く、系列店も申し分ないと言っていた。自分の仕事をモチーフにして、作り話をでっち上げている。
組長は満足気な微笑みを浮かべ、ふんふん、と頷いていた。その光景を職員も微笑ましく眺めている。
「みんなオヤジのために必死で働いております」
「そうか、そうか。ん?そこの兄ちゃんは誰だ。新入りか?」
組長の興味が僕の方にきてしまった。うわぁ、面倒くさい。
「コイツですか。コイツは新入りじゃありません。辻村の倅です」
うわぁー、よりにもよってそんな面倒臭いことを。勘違いされるのが面倒臭いのに、そんな嘘を吐いて態々勘違いさせなくてもいいじゃないか。
僕の頭の中を察知したのか、桜庭さんは僕の方を睨み、黙って頷いた。話を合わせろ、ということか。
「辻村?んー、おう、おう。綾人か。兄ちゃんは綾人の倅か。目を見て思い出した」
組長は腕を組んで、うんうんと頷いた。
もう、この人たちの目はどれだけ節穴なんだ。
......面倒臭い。




