数原 利休
第59話 白眼の男
海岸線に沿って歩いた。
海岸にはテトラポッドが積み上げられていて、海水浴場にはなっていない。テトラポッドの形は角張っていて、地元静岡では見たことのない形だった。
潮風で肌がベタベタしてきた。日差しが熱くて、肌がヒリヒリする。坊主頭のせいで頭皮までヒリヒリしてくる。帽子を持って来ればよかった。
歩く途中にボロボロになったプレハブ小屋があった。さっきの漁師が言っていた「桜庭さん」という人の家なのだろう。家というよりも選挙事務所のような即席で作られたような建物だった。潮風で朽ちて、窓のサンが錆びていた。窓ガラスも割れてガムテープで補正してある。
僕はそのプレハブ小屋を通り過ぎ、港へ向かった。
2キロなんてたいした距離ではないが、こうも暑いと体力が奪われる。喉が乾いた。周りを見渡すが、自動販売機が無い。港まで真っ直ぐの道、首を伸ばして行く先を見てみたが、この先にも自動販売機は無さそうだ。
やっと着いた港には誰もいなかった。
他に頼れるのは、あのプレハブ小屋しかない。僕はプレハブ小屋まで戻ることにした。
外から見て、あそこに人が住んでいるとは思えない。台風でも来たら1発で飛んでいってしまいそうな小屋だ。喉が渇きすぎて足元がふらつく。さっき食べた海老の塩気のせいで、余計に喉が乾いているのもある。小屋に誰もいなかったら、最悪さっきの港まで戻って、何か飲み物を貰うしかない。
トボトボと歩き、プレハブ小屋まで辿り着いた。
玄関かなと思われる引き戸をノックした。古くなった戸はガタついていて、あまり強くノックしたら壊れそうだ。
しばらく待っても返答がなかったので背を向けると、ガタガタと戸が開く音がした。砂が潰れる音が聞こえた。引き戸のレーンに砂が詰まっているのか、なかなか開かない。
振り向くと、半分開いた戸が、やや斜めになって引っかかっている。男の人が必死に戸を開けようともがいていた。
慌てて戸を開けるのを手伝った。レーンが外れて引っかかった戸を直す時に、玄関の枠の木屑やレーンの錆がボロボロと落ちてきた。このままこちら側の壁が一面倒れるんじゃないかと思うほど家が揺れた。戸が嵌まる衝撃で、玄関に掛かっていた木の板が外れた。なにやら文字が書かれた看板のようだが、変色して何が書いてあるかは読み取れなかった。
「悪いねぇ。君がノックしたのか?」
男は手に付いた木屑や錆を払って、玄関から出てきた。
背丈が高く大柄なお爺さんだった。薄くなった髪は整髪料で撫で付けられていた。このクソ暑い中スーツ姿だった。紺色の生地に派手な赤いストライプのスーツ。しかし、よく見ると所々が破けていたり、継ぎ接ぎを張って状態を保たせている。
まあ、こんな掘建て小屋のような家に住んでるのだから金が無いのだろうが、乞食には見えない。元は仕立ての良さそうなスーツを見ると、むかしは金持ちだったのかもしれない。顔は皺くちゃで年寄りなのだが、お爺さんのくせに足取りはしっかりしていた。肌が浅黒いのは海辺で住んでいるせいなのだろう。ボロボロの衣服でも、身なりはちゃんと整えている。それに、この町特有の訛りのない喋り方だった。
「君は、こんなところに何の用事だい?こんな田舎町で、道に迷ったわけじゃないだろ」
この町に来て、こんなに滑らかに話す人は初めてだった。
「人を探してるんです」
「ほう。それは君にとって大切な人なのかい?」
喋り方が上品に感じた。他の人は僕の容姿を見て、迷子だとか家出とか子供扱いをする。でも、この人は対等に話してくれていると感じた。
「いえ。僕ではなく、知り合いの家族を探してます」
「頼まれたのかい?」
「ええ、まあ」
本当は天馬さんに頼まれたわけではない。和尚に頼まれただけなのだが、説明するのが面倒で濁した。
「外は暑いだろ。汚いけど、上がりなさい」
そう言って桜庭さんは中へ案内してしてくれた。お世辞にも綺麗だとは言えないが、古くなった家具だらけでも綺麗に整頓されていた。家の中はやっぱり事務所のようになっていて、桜庭さんも土足だった。スーツの老人が土足で家に寛いでいる姿が、外国人のように見えた。
外国人のように見えたのは、桜庭さんの容姿にもある。眼窩の奥で白目が濁っている。視力が弱いのかもしれない。壁やテーブルに手を添えて、伝って歩いていた。
中に入るとモーター音がガタガタと響いていた。古い冷房器具の音だ。音はうるさいが涼しかった。
角が破けたソファに座らされ、待っていると氷の入ったグラスを持ってきてくれた。麦茶だった。
「こんなものしかなくて、悪いねえ」
奥に窪んだ濁った目を細め、優しそうな笑顔になる。どこかとって貼り付けたような笑顔だ。今は優しい表情を身につけたが、むかしはそうではなかったのかもしれない。深く刻まれた眉間や目尻の皺が、それを物語っている。
「美味しかったです」
喉が渇きすぎて何を飲んでもそう感じたのだろうが、今まで生きてきて1番美味い麦茶だった。
「ここで、お1人で住んでるんですか?」
部屋の中を見渡すと、海側ではない窓のサンに洗濯物を干していた。奥にはパーテーションで区切られて、パーテーションの向こうに布団の角が見える。あれは寝室ということなのだろうか。隅にはキッチンがあり、コンロの上にフライパンとヤカンが乗っている。事務所の造りだが、生活臭が漂う。ちょっと広めのワンルームという感じ。
「そうだよ」
僕の何気ない質問に、軽く答えてくれた。
「君は、なんだか懐かしい感じがするよ」
さっき会ったばかりのお爺さんに意味のわからない感想を聞かされて、どう答えていいのかわからなかった。
桜庭さんは本棚の上に飾ってあった写真立てを手に取り、目を近づけた。やはり視力が弱いのだ。
写真立てを棚に戻した。
「もう1杯、飲むかね?」
空になったグラスを見て、桜庭さんは言った。遠慮せずにもう1杯お願いした。
桜庭さんが冷蔵庫に麦茶を取りに行った。待っている間、することもなかったから席を立って、本棚の上の写真を見た。
それは集合写真だった。この小屋の前で撮ったようだ。右隅の人が看板を持ち上げていた。さっき戸を直した時に倒れた看板だ。看板には『玉城会』と書かれてあった。
港の漁師は、むかしこの辺り一帯の面倒を見ていたのが桜庭さんだと言っていた。この人はむかしヤクザだったんだ。桜庭さんの派手なスーツも、醸し出す雰囲気も、そうであれば納得がいく。このプレハブ小屋は、むかしヤクザの事務所だったんだ。
桜庭さんの生活環境を見れば、ヤクザを続けているとは思えない。組員が離れてしまって開店休業といったところか。今は看板の文字が消えかけている。たしかヤクザは仕事のことをシノギと言っているのをテレビかマンガで見たことがある。シノギという稼ぎはないが、組員がいなくなっても、ヤクザという誇りは捨てきれないのだろうか。文字が消えても掲げてある看板にはそれがあるような気がした。
そう言えば、天馬さんは地元ではヤクザの事務所に出入りしていたと聞いている。この小さな町にヤクザの組が幾つもあるとは考えにくい。集合写真の中に天馬さんの姿を探してみた。ピンボケしている古い写真は色も変色していて、顔がよくわからない。後ろの隅で黒いジャージの男と肩を組んでいるTシャツの男が、どことなく天馬さんに似ているような気がした。
「探してるってのは、ウチの組員かい?」
麦茶の入ったガラスの冷水筒を持って桜庭さんが戻ってきた。組員という単語を使ったが、僕は惚けてみた。
「べつに気を遣う必要はないよ。今は、ただのジジイだ」
桜庭さんは麦茶を注ぎながら、こちらが芯から安らぐような笑顔を向けてきた。
「小さい組だったけどねえ。元気な奴らの集まりで、それなりに賑やかしくやってたんだよ。むかしはこの辺りも元気だったんだよ。縄張争いで命を落とした奴だっている。俺が不甲斐なかったからなあ。こんな小さい町で争ってたって仕方ねえんだけど、みんなここの看板を守るために必死だった。気づいたら町から若い奴らがみんな都会に出ていっちまって、他の組は勝手に消えてったよ。こっちも食いぶちが無くなってきて、若い奴らを食わせられなくなってきた。だから、みんなに足洗わせたよ」
白く濁った目なので、どこを見ているかわからない。顔はこちらを向いているが、それは目が見えていても僕を見ているわけではない。彼は遠い過去の記憶を眺めている。
「みんな残るって言い張ってたよ。中には怒る奴もいた。組を守るために命を落とした奴のことを考えたら、本当に申し訳ないことをしたと思う。だけど、これ以上アイツらに冷や飯食わせられねえ。俺は破門にしてやったよ。あ、破門ってわかるかい?普通の会社で言うところの《《クビ》》って言えば、わかるかな」
「じゃあ、もう組は......」
「ははは。恥ずかしい話だが、組は畳んじゃいないよ。シノギは無いし、何もしてねえけど、俺1人でここの看板守ってんだ」
桜庭さんはソファに座り、胸を張った。
まだ会って1時間も経っていないのだが、親近感を覚えた。この人には何か人を惹きつける力がある。あまり他人に興味を持ったことがないのだが、この人の話をもう少し聞きたいと思った。




