浅川 沙千絵
第55話 考えても仕方がないこと
お寺に戻り、遅めの昼食をとった。和尚の長い説教の後の優禅さんが作る昼食は、また豪華だった。アジとキスとクルマエビの天ぷら、タイのカルパッチョ。昼間から肉厚のステーキ。どれも美味しいはずなのに、ちゃんと味わえなかった。
みんながリビングで寛いでいるところ、ワタシは蓮実さんの部屋に呼ばれた。ワタシは1人掛けのソファに腰を下ろし、パソコンのキーボードを叩く蓮実さんの言葉を待っていた。
「どう?疲れたでしょ」
ワタシは曖昧な返事をした。今回、ワタシは何もしていない。前回は小杉さんの家に行き、緊張のせいで疲れを感じる暇もなかったが、今日はずっと小杉さんのことを気にしていた。彼女の表情や声、ちょっとした動きなどをずっと隣で見ていた。今、彼女はどんな思いなのか、また嫌な思いをしていないだろうか。これで満足なのか。そんなことをずっと気にしていたら、気持ちの方が疲れてしまった。
蓮実さんはワタシの曖昧な返事に、曖昧な微笑みを浮かべた。
「続けられそう?」
「大丈夫です」
ワタシはそう答えて、どれに対しての大丈夫なのか自分でもわからなかった。たいへんとか、辛いとか、そういうのじゃない。続けられるかは、まだこの1件で判断してしまうのは早い気がする。続けられそう、と聞かれて意地を張っただけかもしれない。また逃げ出したくない、というのが本音だ。平気か、と聞かれれば平気じゃないと答えるかもしれない。なんと答えるのが正しいのか。ただワタシの胸につかえているものを素直に聞いてみた。
「ワタシたちがやってることって、正しいことなんですかね」
「そうよね。私もね、最初の頃は何やってるのかわかんなかったよ。んー、今もわかってないかな」
ちょっと待っててね、と蓮実さんは断るとパソコンを開いて、何件かのメールの返信をしてからワタシの方に向き、座り直した。
「私たちは困っている依頼者の心のつかえを、復讐という手段を使って少し取り除いているだけ。それだけは確か。でも逆の立場から見たら、私たちって悪者よね」
蓮実さんもワタシと同じことを考えていたんだと思うと、少し胸のしこりが取れた気がした。これで彼女が「間違ってないわ!これは依頼者のための救済よ」なんて言われたら、引いていたと思う。
他の人たちはどう思ってるんだろう。天馬さんは巫山戯て平気を装っているように見える。劉弦さんは考えることを拒んでいるように見える。2人ともただの強がりだ。膝を擦りむいて、本当は泣きたいのに平気なフリして強がっている小学生の男の子と一緒だ。蓮実さんは、そんな男の子を心配だけど下手に慰めて、相手のプライドを傷つけないようにしている。ワタシはどの立ち位置でここにいればいいのだろう。それについて、ワタシはなんて聞いたらいいのかわからない。
丁度いいところに利休くんと呼ばれる男の子が現れた。何やらでっかいスポーツバックを下げている。彼はこのお寺のお孫さんだと思っていたが、そうではないという。ワタシが急にここで働きたいなんて無茶な要求が通ったのも、しばらくこの利休くんがこの仕事を離れるからだからという。彼もここで復讐の仕事をしていたという。言っては悪いが、こんな子供に一体どんな仕事をさせてきたのだろう。
「丁度よかったです。沙千絵さんには一通り機材の使い方を教えておきます」
彼はスポーツバックを下ろし、中から機械の類を出した。ワタシが呆気に取られていると、利休くんは淡々とパソコンのソフトを立ち上げ、たくさんの小型の機械を並べて見せてきた。
「これは小型カメラですね。さっきまで使ってたやつです。パスワードを入れて使います。半径30メートルくらいしか届きません。あとこっちは簡単にハッキングできる、まあアプリみたいなもんです。セキュリティが厳重なやつは無理ですが、家庭用のPCくらいなら簡単に見れます。それと......」
「ちょっと待って」
この子は、なんでワタシにハッキングの説明をしているのだ。ハッキングって、犯罪じゃないのか。
「あ、もしかして《《機械系苦手女子》》ですか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
なんか言い方がムカつく。
「前の仕事でExcelとかWordとかはやってたんですよね。だったら大丈夫ですよ。これ、僕が作ったアプリみたいなもんですけど、これならシロウトでも簡単に使えるので。劉弦さんたちはパソコン全然ダメなんです。未だにキーボード人差し指でしかできない人たちですから」
まあ彼が抜ける穴を埋めるわけだから、一通りは教わっておいた方がいいのかもしれない。使うか使わないかは別にして。ワタシは素直に彼の説明を聞いた。メモを取ろうとすると「メモ取るほどのもんじゃないですよ」と子供のくせに口の端で笑ってマウントを取ってきた。天馬さんは彼のこういうところがイラつくのだろう。
黙って聞いていると、どんどん機材を出してくるので聞いていてお腹いっぱいになってきた。中には、そんなもの何時何処で使うんだというものまで出てくる。これじゃメモ取らないと覚えられないよ。ワタシは彼の説明を中断させるために、質問で話の腰を折った。
「あのさ。ひとつ聞いていい?」
「なんですか?」
彼は話を中断されても不服そうな顔は一歳せず、質問には全て答えます、と凛とした態度でワタシを見据えた。
「利休くんは、なんでこんなことしてるの?」
「なんでって、なんですか?」
ワタシの質問に質問で返してくる。聞き方が悪かったか。
「なんのために、こういうことをしてるのかなぁって思ったんだけど。なんていうかなぁ、依頼者のことを考えて、依頼者のためにやってることなんだけど。でも逆から見たら、なんていうか犯罪じゃないけど、あ、違法って言えばいいのかな。なんか悪いことしてる気もするし、その......」
「善悪の問題ですか?」
「ゼンアク?!そうそう、善悪ね」
「それって誰が決めるんですか?絶対的な善もなければ、絶対的な悪もないと思うんです。でも、絶対嫌なことはあるじゃないですか。それだけだと思うんですけど」
目をクリクリさせて可愛い顔から、よくわからないけど生意気だってことは感じることを言い放つ。まるでアニメの一休さんと禅問答をしているようだ。
「そんなこと白黒つけなきゃならないですかね」
それにしてもレスポンスが早い。ワタシの返事を待たずに、言葉がポンポンと出てくる。レスポンスが早い人って冷たく感じる。この子には感情というものがないのか。
「僕にとっては、どっちでもいいことです」
言い包められてしまっているのか、ワタシももうどっちでも良くなってきた。
「沙千絵さんは、劉弦さんや天馬さんのこと、そういうことを考えるのを逃げてるって思ってますよね」
なんでわかるんだ。
「べつに逃げてたっていいと思います。僕もこんなことなんでやってるかなんて考えないようにしてます。僕はここにいるしかないんです。べつにいたくているわけじゃないですから。ここにいるから、みんなと同じことをやってるだけで。やる理由もなければ否定する理由もないですから」
そう言って小型の盗撮カメラをひとつ摘み上げた。
「これも盗撮すれば違法です。取り付ける時に相手の家に忍び込めば侵入罪です。でもこのカメラ自体は、ただの機械です。ここにあるだけです。説明を聞いてるだけじゃあ、まだ法を犯してるわけじゃないです。これを使うか使わないかは沙千絵さんの自由です。ただそれだけです」
ダメだ。まったく何を言ってるのかわからない。じゃあ悪いことしてるなんて思わなくっていいってことなのね。ワタシは利休くんに質問したことを後悔し始めていた。
もう考えるなって言いたいなら、ワタシも考えないようにする。こういう相手を論破しようとしても、逆にこっちがやられてお終いだ。ワタシは諦めて、彼の説明をメモにも取らず、心にも留めずにただ聞いているフリをすることに徹することにした。こんな道具、ワタシが使いたくないって思うなら使わないことにすればいいだけ。そういうことでしょ。
ワタシはつまらなさそうに黙って聞いていた。それに気づいた蓮実さんが、「利休くん。もう、その辺でいいんじゃない?」と止めに入ってくれた。
利休くんはキョトンとした顔で、「わかりました」と無表情で返事をした。蓮実さんの言うことは素直に聞くみたいだ。
「まあ、もしわからないことがあったら電話してください。僕、明後日から、いないので」
利休くんは明後日から四国の方へ行くのだ。出家するために和尚の知り合いのところへ行くと聞いている。こんな子供が1人で修行をしに行くなんて可哀想だと思っていたが、今は早く行ってくれ、と思ってしまう。これ以上付き合ってたら、この無感情サイボーグを嫌いになってしまいそうだ。
「さっきの言ったこと、訂正します」
たくさんの機材を持ってきたスポーツバックに仕舞いながら、彼は少し手を止めて言った。
「訂正って?」
「べつにここにいたくているわけじゃない、ってところです。まあ、ここにいるのは嫌じゃないです」
その言葉を聞いて少しホッとした。どうやら素直じゃないだけで、無感情ではないようだ。ワタシも細かいことは考えないで、彼の言葉を素直に聞くことにした。ワタシは、この仕事を続けることを決めた。




