浅川 沙千絵
第54話 業を積む
「巫山戯るのもいい加減にしてください!」
義母は刑事に向かって声を上げた。その刑事は、劉弦さんと天馬さんなのだが。
「アナタたち夫婦はうまくいってないんですよね。今、離婚を申し立てているとか。もう弁護士さんを通していらっしゃるのですか」
「ちょっと待ってください。なんで妻の後輩に私が殺されなきゃならないんですか!」
旦那は取り乱した様子で、何か喋ろうとする義母を「母さんは黙ってろ!」と突き飛ばした。そんなに強い力じゃなかったが、義母は息子に突き飛ばされたショックでその場にへたり込んだ。
劉弦さんはその義母の体を支えて、「部屋に上がってもよろしいですか?」と旦那の返事を待たずに靴を脱いだ。旦那は渋々2人をリビングに通した。
画面をリビングに切り替える。
劉弦さんは態とらしく頭を抱えている義母をリビングの椅子に座らせ、目の前に座った。天馬さんも劉弦さんの隣に座ると、旦那は頭をボリボリと掻きながら、仕方なく空いている義母の隣に座った。
「誰なんですか、その今井って人は。なんでうちの博之が殺されなきゃならないの!」
「だから、母さんは黙ってろ!」
さっきから旦那は同じことしか言わない。
「その今井沙千絵という女は、連続殺人の容疑がかかっています」
「連続って。なんでその対象が私なんですか。それに、あの女とは1回しか会ってないんだ。殺される理由なんてない!殺人犯ってわかってるなら、とっとと捕まえればいいじゃないですか!何やってんだ、アンタら刑事は」
劉弦さんは無言で、旦那が黙るのを待った。だが焦っている旦那は一方的に喋るばかりだ。
「それに容疑者って、まだその人が犯人だって決まったわけじゃないんでしょ。妻の会社の人ってわかってんなら本人に聞けばいいじゃないですか。うちに来る前に、いくらでもやることあんでしょ!」
劉弦さんは態とらしく、ふぅーっと溜息を吐いてから話し始めた。
「奥さんの会社には、今井沙千絵なんていう社員はいません。彼女は依頼を受けて殺人をする、殺し屋です」
普段の生活で聞きなれない単語が出てきて、旦那も義母もキョトンとした顔をして動きが止まった。
「彼女は、DVなどの被害者女性を匿うボランティア団体に属しています。夫婦の問題など相談を受ける機関です。ここ半年で彼女に相談した女性の夫たちが、連続で4件消息不明になっております。警察は、この女が絡んでいると見ているのです」
「じゃあ浩子がその女に相談して、その女が勝手に私を殺そうとしてるって言うんですか」
天馬さんは足を組んで、下から旦那を見上げる。ただでさえ顔がチンピラなのに、それじゃあ暴力団が追い込みをかけている顔だよ。
「相談......ですかね。もし、奥さんがその女に依頼してたと考えたら?」
「依頼って、まさか」
その先の言葉を詰まらせた旦那を、ニヤニヤして天馬さんが眺めている。だから、それじゃあ刑事じゃないってバレちゃうよ。同じことを思ったのか劉弦さんが肘で天馬さんを小突いた。話は変わって劉弦さんが続けた。
「この今井という女に接触した女性で、唯一夫が行方不明になってない人物に話を聞きました。その夫は、まあ元夫と言った方がいいでしょう。奥さんと離婚後、今井からの接触はなくなったようです」
天馬さんが立ち上がると、旦那と義母は顔を上げた。天馬さんは、徐に部屋の中を物色し始めた。お目当てのものは食器棚の抽斗に入っている。前もって小杉さんに用意させた。食器棚は上段がガラス扉になっており、下段は木の扉になっている。中間に同じ横幅の抽斗が3つあり、探してるものは1番右の抽斗に入っているはず。旦那も義母も、天馬さんのその勝手な行動を口を開けて見ているだけだ。
「この今井という女は、離婚に踏み切らない旦那、もしくは無理難題を吹っかけてくる旦那を殺しているようなんです。まだ遺体が見つかったわけではないので、あくまでもこちらの推測です。ですが、先程言ったご家庭の話ですが、離婚後は無事に暮らしています。奥さんの方にも事情を聞きに行きましたが、そんな女は知らないの一点張りで詳しい話を聞けませんでした」
劉弦さんは、そこで一旦話を区切り、ゆっくりと義母の方に視線を向けた。
「4件の被害のうち、1件は姑も行方不明になっています」
義母は踏んづけられたカエルみたいに、ビヒィッと空気が漏れるような声を出して固まっていた。
「先程、お母さんは夫婦仲がうまくいってなくて、揉めてるようなことを仰っていましたが......」
義母は引き攣った顔で、慌てて否定した。
「いえいえ、うまくいってないのは確かですけど、揉めてなんて、そんな。たまたまうちの博之と馬が合わなかっただけで、浩子さんはうちの博之にはもったいない良いお嫁さんで、もうこんな良い嫁は見つからないよって、ちょっと離婚を踏み止まるようお願いしてただけなんですよ」
天馬さんが食器棚の抽斗に手をつけた。
「私たち警察は、この殺人を止めるためには速やかに離婚することしかないと思っています」
旦那と義母は、天馬さんの勝手な行動にチラチラと視線を向けるが、劉弦さんはそれを無視して淡々と話している。
「でも、そこまでわかってるなら、早く捕まえればいいじゃないですか。何やってんですか、アンタたちは!」
旦那は激昂して、テーブルを叩いて立ち上がった。劉弦さんは微動だにせず、それを見上げた。
フフッと小杉さんから笑い声が漏れた。顔は笑っていなくて、監視モニターを食い入るように見つめていた。
「証拠がないんですよ」
「証拠がないって、じゃあ無理矢理でも引っ張ってきて事情聴取でもなんでもすればいいじゃないですか!」
「我々も探してるんですが、ここ2日ほど行方がわからなくなってます。旦那さんは、今から彼女と会う約束があったんじゃないですか?」
旦那が口籠った。母親に視線を移し、体裁悪そうに頷いた。義母は呆れた顔を息子に向けた。
「今までの事例からすると、アナタたち夫婦が離婚したという既成事実があれば、彼女の殺人依頼は取り消されるはずです」
天馬さんが1番右の抽斗に手をかけ、中から目的のものを取り出した。薄い紙っぺらだ。それは離婚届。既に小杉さんの欄は記入され、判まで押してある。天馬さんはそれを旦那の目の前のテーブルに叩きつけた。
「奥さんは、もう書いてあるじゃねえか。あとはアンタが書いて出すだけなんだよ!」
ダメだよ、天馬さん。それじゃあ脅しです。
「ちゃんと離婚届を提出して、早く奥さんと別れることが賢明だと思います」
劉弦さんは立ち上がって、小杉家を後にした。
モニターには残された旦那と義母の姿を映し続けている。
「博之、何やってんの。早く書きなさい!」
義母はテーブルをバンバン叩いて、息子に離婚届にサインすることを急かした。旦那は食器棚の抽斗をかき回しボールペンと実印を取り出し、慌ててサインした。
モニターの旦那がスマホを取り出した。隣の小杉さんのスマホが鳴った。
「もしもし」
「い、今、離婚届に判を押したから、出してくるよ。あ、土曜日って役所受け付けてくれるのかな」
モニター越しの旦那の姿は、少し小さくなったように見える。
「どうしたんですか?急に」
「あの、い、今まで俺が悪かった。だから、その、やっぱりもう浩子のこと困らせるのやめたんだよ」
フフフッと、また小杉さんか笑った気がした。目を向けると彼女は無表情だった。
「アナタがわかってくれるなら、それでいいんですよ。お義母さんは、なんて言ってるんですか」
「大丈夫。か、母さんには俺からちゃんと説明するから。慰謝料なんてアホなこと考えさせないから。ここは、ひとつ円満に......」
「円満、ですか......」
無表情な彼女の顔が、一瞬綻んだ。でも、それは安堵と共に悲しげな表情にも見えた。
「それじゃあ最後に、一緒に役所に行きましょうか」
運転席と助手席のドアが、ほぼ同時に開いた。劉弦さんと天馬さんが戻ってきたのだ。
小杉さんは電話を切るとワタシに視線を向けた。ワタシは頷くしか反応を示すことができない。
車から降りた小杉さんに、助手席の天馬さんが窓を開けて話しかけた。
「ここからはアンタたちの問題だ。旦那がまた変なことを言うようだったら、連絡をくれ」
小杉さんはワタシたちに頭を下げ、小さな声で「ありがとうございました」と言った。小杉さんが顔を上げるのを待たず、劉弦さんは車を走らせた。ワタシは後部座席から振り返り、リアガラス越しに小杉さんを見た。顔を上げた小杉さんはワタシと目が合うと、もう1度頭を下げた。ゆっくりと丁寧なお辞儀だった。その姿を見ても、これが正しかったのか確証が持てない。
「あーあ。あの旦那脅して、金でもふんだくればよかったなぁ」
天馬さんはシートを少し後ろに倒し、頭の後ろで手を組んで不貞腐れた態度をとった。ワタシの場所から天馬さんの横顔が見えた。ワタシには天馬さんの言っていることが、本音には聞こえなかった。
仕事を終えて、これでどうやって収入を得ているのか、単純に気になった。見る限り小杉さんに請求していると思えない。その疑問を2人にぶつけてみた。
「あ?そんなのボランティアだよ。金なんて取らねえって」
天馬さんは、ぶっきら棒に答えたがどこか誇らしげだった。
「まあ、こいつはたまに対象者から金をくすねる時あるけどな」
劉弦さんが天馬さんを茶化す。
「そうやって俺らは、業を積むんだよ」
なんだか天馬さんの顔に似合わない、お説教みたいな言葉が出てきた。意味は知らないけど、なんとなくわかった。
「そんな言葉ないって、また蓮実に怒られるぞ」
劉弦さんはそう言って笑いながら、右にウインカーを出して国道1号線に出た。そんな言葉がないって言われたら、意味を理解した自分が恥ずかしくなる。でも、そんなことよりも劉弦さんが「蓮実」と呼んだことの方が気になった。彼らは元夫婦だから当たり前のことなのだろうが、呼び慣れているその呼び捨てがワタシの胸をチクッと刺した。




