浅川 沙たえ
第53話 奇襲
あの旦那、最低ですよね。若い女の人にすぐ手を出そうとするなんて。しかも自分の家でですよ。それも奥さんが買い物に行っている少しの間ですよ。信じられない。あんなの一緒にいられないですよ。すぐに別れさせますから、安心してください。ついでに慰謝料ガッポリ貰っちゃいましょう。今に誰かに刺されますよ。そしたら保険金も手に入りますよ。なんなら、たっぷり生命保険かけちゃいましょうか。
いろんな罵詈雑言は頭に浮かぶけど、奥さんである小杉さんには言えなかった。その手を出そうとした相手は、自分なのだ。その現場を隠しカメラで本人が確認しているのだ。小杉さんの了解を取ってしていることなのだが、ワタシが悪いことをしてしまった気分になってしまう。
翌日、蓮美さんの『カルマの部屋』で、蓮実さんと劉弦さん、天馬さんと小杉さんが打ち合わせのため顔を合わせている。
早速だが、今朝『昨日は楽しかった。あんまり話せなかったから、今日ゆっくり話せないかな』という下心丸出しのLINEが入ってきたところだ。その件は劉弦さんに報告し、小杉さんにも伝わっている。ワタシは、なんて言ったらいいか言葉を失っていた。
もちろん返信はしていない。ホーム画面の通知で確認しただけで既読スルーしている。
「......決行してください」
小杉さんは静かに言った。
決行はその翌々日。たっぷり2日間あけて、旦那を焦らした2日後の土曜日。
『明日の昼に、○○ホテルで食事でもしませんか』
ワタシは金曜の夜にワタシはLINEを送った。隣では劉弦さんと天馬さんが覗いて、彼らの指示通りに打った。あまり詳細を入れない方がああいうバカは勝手に想像して喜ぶ、天馬さんが言った。
そして当日、今度はワタシが奥さんの小杉さんと車の中で待機していた。隠しカメラは、そのまま設置してある。通信可能距離があるため、前回も停めた小杉さんの家の近くのコインパーキングだ。小杉さんはスーパーへ買い物に行ってくると言って出てきた。旦那は昼は友人と食べてくる、と言ったあと、久しぶりに会う友人だから遅くなるので夕飯もいらない、と言ったそうだ。待ち合わせ場所がホテルだから、既に《《そのつもり》》になっているのだろう。可哀想な人だ。ソワソワして、部屋の中を行ったり来たりしているのが痛々しい。
「私の知らない服着てます」
小杉さんがモニターを見ながら、小声で呟いた。返事に困る。旦那は黒の細身のワークパンツに、サテン地の黒のオープンカラーシャツを着ている。誰もが知っているブランドの服だ。ワタシは事務職だったがアパレル会社に勤めていたから、多少はファッションの知識はある。高級な服で全身を黒にして、気合を入れた勝負服で少し大人の雰囲気でも出しているつもりなのだろう。
現在朝の9:00。午前11:30にホテルで待ち合わせの予定なので、まだ出掛けるには早すぎる。壁にかけた時計をチラチラと見たり、テレビを点けたり消したりしている。バックの大きさを変えたり、財布やスマホをポケットにいれて膨らみを鏡で確認したり、手ぶらで玄関まで行ったと思ったら、またバックを取りに来たり、あからさまに浮足立っているのがモニター越しにわかる。玄関の前では劉弦さんと天馬さんがスーツを着て立っているのも知らずに、鏡で笑顔のチェックをしているのが気持ち悪いし、気の毒だ。
モニターには義母の姿が見えない。義母はまだ寝室で寝ているようだ。
腕時計を付けてないのを忘れて左腕を見て、慌ててスマホで時間を確認している。何度時計を見たって、過ぎる時間の速さは変わらないのに。
「大抵、土曜日は昼まで寝てるんです。金曜の夜は帰ってくるのが遅いですから」
ソワソワしている旦那の姿を無表情で眺めている小杉さん。唇の端が少し上がり、「彼、なんだか楽しそうですね」と呟いた。その表情は、これから起こる旦那の悲劇を楽しみにして嘲笑っているように見えた。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
旦那は鏡の前で鼻毛チェックしていた。鼻の下を伸ばして、鼻の穴を覗き込んでいたところ、不意を突かれて驚いていた。それでも本人は上機嫌だから、「誰だよ、びっくりしたなぁ、もう」とハッキリした音量の独り言を言った。
「はい」
インターホンのモニターに向かって旦那が返事をしている。そこのモニターにはスーツ姿の2人が写っているはずだ。
「どちら様ですか?」
『小杉博之さんのお宅ですよね』
「はい」
旦那は首を傾け、顎の辺りを触っている。
『南署の者ですけど。2、3お伺いしたいことがありまして』
旦那は首を傾げたまま、掌でワークパンツの腿の辺りを擦った。なぜ自分のところに警察官が来るのか、心当たりがない。それはそうだ。女にだらしがないというだけで、警察のお世話になるような罪は犯していないのだから。
『ここを開けていただけますか』
ワークパンツを擦る速度が速くなる。慌ててポケットからスマホを出し、電話をかけ始めた。同時に隣にいた小杉さんのスマホが鳴った。小杉さんがワタシの方を見たので、ワタシは首を振った。小杉さんは、鳴っているスマホをそのまま放置した。
「なんで出ねえんだよ!」
旦那はイラついて、その場で地団駄を踏んでいた。
『出ないってなんですか?開けてください』
旦那は玄関を開けて開口一番、言い訳をし始めた。ワタシはモニターを玄関口の隠しカメラに切り替えた。
「あれはただの夫婦喧嘩ですよ!そんなことで、いちいち刑事さんは来るんですか。こっちは予定があって忙しいんですよ。そんなに暇なんですか!」
どうやら旦那は、警察が来たのは小杉さんがDVの被害届を出したからと思ったようだ。
「なんですか、夫婦喧嘩って」
天馬さんが驚いた顔を作って答えた。
「え?妻が、そっちに、その、なんか言いに行ったんじゃないですか?」
余分なことを言ったことに気づいて、言葉がしどろもどろになっている。
「奥さんが......ですか?ああ、そうなんですか」
と天馬さんは含むように濁してから、劉弦さんに体を寄せて耳打ちをした。劉弦さんはチラチラと旦那の方を見ながら小さく頷いていた。
劉弦さんは咳払いをして、旦那に向かって話し始めた。
「今日お伺いしたのは、今井沙千絵さんという方をご存知じゃないか聞きに来たんですが」
劉弦さんの言葉に反応を示したが、素直に言うかどうか迷っているようだ。ご存じも何も、これから待ち合わせしようと思っている名前が出てきたところで、冷静な判断を失っている。
「その人を知ってたら、なんなんですか」
旦那は突っぱねるように言い返すが、それじゃあ知っていると言っているようなもんだ。
「ご存じなんですね」
顔を顰めて後悔するような顔をするが、もう遅い。慌てて取り繕うとするが、しどろもどろで隠そうとするのだが全部白状してるような回答だった。
「それは、妻の知り合いですよ。一回も会ったことないです。家には来たことがあるから、チラッと見たことはあるけど。個人的な付き合いなんてないですよ」
「そうですか。あと、立ち入ったことを申し上げますが、博之さんと奥様の夫婦仲はどうですか?」
劉弦さんの質問に、「はあ?」と威嚇するような強気な声を発するが、落ち着かないのがモニターに映る背中でわかる。
「どうしたの、博之。お客さん?」
モニターの端から花柄のパジャマに薄手のカーディガンを羽織った義母の姿がフレームインしてきた。
「こちらは?」
天馬さんが惚けて、義母を差す。
「母です」
天馬さんは義母に警察手帳(模造品)を見せ、名を名乗った。
「なあに?浩子さんが事故でも起こしたの」
いきなりの決めつけが凄い。この家で起こる悪いことは全部奥さんのせいにされてきたのだろう。
「浩子さんというのは奥さんですね。話を戻しますが、奥さんとの夫婦仲はどうなんですか?」
劉弦さんがもう1度さっきの質問をした。
「そんなもの、うまくいってるわけないに決まってるじゃないですか。作るものは不味い、掃除も中途半端で、毎朝覇気のない顔してるし。勤めに出てるっていったって、たいして稼ぎがあるわけじゃないくせに、挙句の果てには会社の人と浮気してるんですよ。やんなっちゃう」
義母は張り切って聞いてもないことまで答え、それを旦那が、「母さん、母さん」と何度も止めに入る。
義母は腕を組んで、得意気に胸を張る。息子は頭をボリボリと掻いて、明らかにイラついていた。
「それで、うちの嫁が何かしでかしたんですか?」
隣の小杉さんはスカートの裾を握りしめて怒りを堪えていた。
「もしかしたら、既に離婚の話なんかも......」
「そうですよ。うちの博之が可哀想過ぎます。こっちが慰謝料請求してるんですよ。お金の問題じゃないんですけどね。ただの離婚じゃ怒りが治りません」
「母さん!」と旦那は大声で嗜めるが、当の本人はケロッとして話を続ける。
「そんなことを聞きに刑事さんがやってくるんですか。休みの日の朝から、いい迷惑ですよ」
「なるほど......。では、奥様の方に離婚を申し立て、慰謝料を請求している、と」
劉弦さんと天馬さんは、また体を寄せて小声で話をする。旦那と義母の不安な感情が背中越しに伝わってくる。
「本当に今井沙千絵から、個人的にアポとか取られてないですか。例えば、食事の誘いだとか」
旦那は言葉に窮する。
「誰なの、その今井なんとかさんって。アナタ、また他の女にちょっかい出してるの」
「母さんは黙ってて!」
ベラベラと余分なことを話してくれる母親に、旦那はイラついている。
「実はうちの妻は彼女から相談を受けてて、今日も相談に乗ってほしいから会えないかと言われました」
「それは、ご夫婦でですか?それともアナタ個人でですか?」
「妻の都合がつかないからと断ったのですが、どうも切羽詰まった様子だったので......」
1度嘘を吐くと、また嘘を吐かなければならない。嘘を重ねる度に、どれが本当でどれが嘘なのかわからなくなる。彼は自分の嘘を疑ってはいない。
「同じパターンですね」
神妙な顔をした天馬さんが言う。
「アナタ、その女に殺されますよ」




