浅川 沙千絵
第49話 アピール
蓮実さんの部屋に戻ると、天馬さんがやってきた。劉弦さんに聞いた話だと、天馬さんが復讐のプランを立てる役目らしい。
天馬さんの印象は、見た目は柄が悪く、チャラついた人というものだった。だけど、気になったのはワタシに向けた最初の視線。ほんの一瞬だけ、ワタシのことを知っているような顔をした。過去に会ったことはないと思う。他人の空似だったのかな。
その後はヘラヘラとしていてチャラついた雰囲気を出していた。本当の自分を隠しているように見える。
ワタシはその直後、もう1人の渋い人に惹かれてしまった。それが劉弦さん。しばらく蓮実さんと話している隙に天馬さんはその場からいなくなっていた。
「アンタにはDV夫が通うキャバクラに勤めてもらって、適当に誘惑してくれ。その浮気現場を押さえる」
天馬さんはワタシと目を合わさずに言った。随分と投げやりな言い方だった。復讐の手段を考えるのに張り切っている、と劉弦さんの話だった。それなのに目の前にいる天馬さんは、とても張り切っているように見えない。復讐プランの内容だって、おざなり過ぎる。
でもちゃんと聞く姿勢は見せなければ。これは試験なんだ。ワタシがどこまで本気なのかを試されている。でもなんでここに固執しているかわからない。
仕事がないからか。ちゃんと稼ぎたいなら、もっとちゃんとした仕事はいくらでもあるだろう。
蓮実さんの話を聞いて感銘を受けたからか。ざっくりと聞いただけで、まだどんな仕事かもわからない。
じゃあ、劉弦さんがいるからか。さっき蓮実さんから聞いた元夫婦だということが頭にへばり付いている。そんなことを聞かされて、これからの何を期待しているんだ。離婚しているんだからチャンス有りじゃん、と思えるほどおめでたい人間じゃない。むしろ離婚しているのに一緒に働いている。しかもここには娘さんのお墓まである。逆に強い絆を感じてしまう。
でも、ワタシはここで働かなければならない。理由はわからない。ワタシは1歩前に進まなければならないのだ。それがここじゃなきゃいけない理由がわからないけど、ここじゃなきゃいけない気がする。なにか見えない力が働いて引き寄せられているのだろうか。
今は細かいことを考えず、ここで雇ってもらうことだけを考える。まずはこの試験をパスしなければならない。ワタシはやる気を見せるためにメモ帳を取り出した。
「まあ、無理にとは言わない。アンタみたいな真面目な子が、芝居でも男を騙すなんてできねえもんな」
あれ?天馬さんはワタシを雇うことを快く思っていないのか。なんの取り柄もない女なんて足手まといだと拒まれている気がする。
「仕方ねえよ。こんなことやりたくないと思うよ」
そんなこと言われるとワタシの気持ちも萎える。「そうですよね、ワタシなんかいてもいなくても」と弱気な言葉が出てきてしまった。これじゃあ、ダメだ。
テーブルの下でこっそりスマホを開いた。いつも見ている姓名判断のアプリだ。『辻天馬』と入力する。
うわぁ。人格、地格、総格ともに『凶』と出ている。虚しさにさいなまれる人、我儘で気分屋、トラブル、自分の殻に閉じこもり周囲と打ち解けようとしない。結構酷い運勢だ。神経がこまやかな分、気分にムラが出るとも書かれている。見た目と違って繊細な人のようだ。
ダメだダメだダメだ。そんな弱気じゃダメだ。ここでワタシでも役に立つというところを見せなければいけない。今まで自分をアピールするということを避けて通っていた。これは転職の面接みたいなもんだ。若い時は「頑張ります!」とやる気がある印象を見せるだけですむだろうが、三十路になれば何かできることを持って見せなければならない。
たしか相談者は夫のDVで悩んでいると言っていた。自分の浮気が原因なのに、相談者の方に慰謝料を請求されているという。そんな奴にキャバ嬢との浮気現場を押さえただけで、慰謝料の問題はどう諦めさせるのだろうか。
「その、DV夫がよく通うキャバクラで働いて、そこで誘惑するというのは、現実的に難しくないですか?」
頭に浮かんだことを、そのまま口にしてしまった。天馬さんは少しムッとした顔をした。ヤバい。面倒臭い女だと思われたかもしれない。もっと言葉を選ぶべきだったか。
「いやいや、嫌ならいいんだ」
ほら、ムカついている。でも途中で引けなくなっていた。
「そうじゃなくて、キャバクラで働くというのなんですけど」
「だから嫌でしょ。そういうところで働くの、お姉ちゃんは無理だろ」
《《お姉ちゃん》》と呼ばれている時点で、キャバ嬢のような気がする。オジサン特有の、自分より若い女の子に対して全て《《お姉ちゃん》》と呼ぶことに、少し嫌悪感がある。
ワタシは、キャバクラで働くことのリスク、時間がかかり過ぎることのリスク、また自分に指名がかかる可能性の低さのリスクを指摘した。とてもじゃないが、うまくいくとは思えない。
「こういう浮気ばかりしてる人って、それなりに遊び方を知ってると思うんです。後で面倒が起きそうにない軽そうな人を自然と選ぶんだと思うんです。でも、ワタシって、なんかこう、重い雰囲気出ちゃってるじゃないですか」
気づくとワタシは前のめりになって、自分の印象が重いことを力説していた。なんでそんなこと自分で言わなきゃならないの。「たしかに」と天馬さんが身を引いて頷く。そこで納得していることも少しムカついた。
前職では雑務ばかりを仕事にしていた。企画部の商品会議で熱い討論をしているのを横目に、そんな人を冷めた目で見ていた。ワタシにはあんなに情熱を持って仕事に向き合えない。これから先もあの人たちみたいに他人と意見をぶつけ合うことはないだろう。周囲の目を気にし、目立たないように生きていけばいい。そんな生き方しかできない、と思っていた。
だけど、今、目の前のやる気の無さそうな男に、恥も外聞もなく声を大きくして討論しようとしている。もう1人の自分が、身を乗り出しているワタシを遠くから眺めている。
「奥さん、37歳って言ってましたよね。その奥さんって、なにか仕事してる人です?」
なにか名案が浮かびそうな予感。いつもは頭の中でウジウジと考え、勝手に結末を予測し「できない」と1人で完結していた。だから、言葉に出さなかった。でも、喋っているうちに答えに近づいている感覚がある。
「えーっと、文具会社の事務員って書いてある」
天馬さんは、資料のようなものに目をやり、チラッとこちらに向いた。ハイ!と手を叩いた。頭の中で何かと何かがピシャリとドッキングした感じ。興奮して立ち上がってしまった。天馬さんは明らかにワタシの胸を見ていた。平気、そんなの慣れてる。
「ワタシ、前職が事務員です。総務部で事務してました!」
ワタシが奥さんの会社の後輩ということで家に行くことができるんじゃないか。その方がキャバ嬢よりも接点を持つことが早いし、現実味がある。ダメ男と付き合っていてそれで悩んでいるというのはどうだろう。この男もダメ男なのだ。自分もつけいる隙があると接近してくるのではないか。
天馬さんの目の前の資料を覗くと、このダメ男の年齢は41歳と記されている。丁度いい。ワタシはなぜかそのくらいの年齢のオジサンの受けがいい。地味な顔とのギャップがいいと、セクハラ紛いの言葉を受けたことがある。そのギャップというのは、胸の大きさのことを指しているのは充分承知だ。
ワタシはブンとその胸を張った。それを見て天馬さんが目を丸くした。思い切って胸を張ったせいで、とてつもなく恥ずかしくなってきた。
「ほう。なんか盛り上がってるじゃねえの」
部屋に劉弦さんが入ってきた。ワタシが前のめりで話しているのを意外そうな顔で眺めていた。少し恥ずかしくなって目を逸らした。




