浅川 沙千絵
第48話 距離
蓮実さんに、あらかた説明を受けた。
小杉浩子さんという相談者がいて、夫のDVに悩んでいるという。この旦那は浮気症で、それが原因で離婚を切り出しているのに、逆に慰謝料を請求されているという。
蓮実さんは、小杉さんのカウンセリングにワタシを同行させるつもりだったがワタシの到着が間に合わず、すれ違いになってしまった。お寺から帰る小杉さんは、39歳と聞いていたが、憔悴し切ってもっと老けて見えた。ワタシが聞いた説明は小杉さんのカウンセリング後になってしまった。
どうして小杉さんの方が慰謝料を請求されなきゃならないのかを尋ねると、この旦那が浮気に走ってしまった原因は嫁の小杉さんにある、と旦那の母親が言い張っているらしい。彼女は旦那の両親と同居という。浮気症でDV、そしてマザコンが絡んでややこしいことになっている。
義母は彼女の作るご飯が不味いとか、洗濯や掃除、家事に関することに口を出すのだそうだ。典型的なモラハラだ。
中でも1番の原因とされてしまうのが、セックスレスだそうだ。そんなことを母親に相談していること自体が気持ち悪い。まあ、浮気症は根っからで、後で取って付けた理由なのでしょうけど。
2人に子供ができなかったことも理由の1つに挙げられていた。小杉さんの言い分だと、あまりにも浮気をするので、旦那とのそういう行為を受け付けられなくなったのだと言う。原因は、卵が先が鶏が先かの問題になっているが、十中八九旦那の言い訳に決まってる。こんな家に嫁いでしまったのは不運としか言いようがない。
分が悪いのが、彼女はその腹いせに1度浮気をしてしまったことだった。
「そこでだけど、この小杉さんは旦那さんと義理のお母さんに復讐をしたいと言うの。慰謝料をなくして離婚が成立するだけじゃあ気が済まないのね。特に義理のお母さん。彼女からモラハラを受けたことに、なにか仕返ししたいらしいの」
ワタシは劉弦さんを見た。ワタシにこの依頼者の復讐に参加しろ、という流れなのだろう。
「後は、天馬が考える。嫌がらせはアイツの得意分野だからな。それにアンタも参加してもらう。それが、アンタがここで働けるかどうかのテストだ。嫌ならやめてくれていい」
彼は淡々と言った。ワタシを試しているのだ。文字通りそれがテストなのだから、ワタシがどう出るかを探っているのだ。ワタシが相談しに来た時、この人たちがどういうことをしているのか、あらかた想像できた。それを踏まえたうえで、ここで働きたいと言ったのだ。覚悟はできているつもりだ。
「やります」
真っ直ぐな声が出た。運動部の返事みたいな元気な声が出てしまったので、恥ずかしかった。
蓮実さんは心配そうな目を劉弦さんに送ったが、劉弦さんは唇の端で笑っている。きっとワタシには務まらないと嘲笑しているのだろう。
「じゃあ、あとは天馬と話してくれ。アイツは、アンタが来ることで張り切ってるから」
劉弦さんは素気なく言うと、部屋から出て行こうとする。ワタシに興味のないのだろう。そういう態度も、そそられてしまう、ってワタシ何考えてるんだろう。
「ちょっと、劉くん!」
蓮実さんが呼び止めるが、劉弦は無視して出て行った。
「ごめんね、無愛想で。むかしはあんなんじゃなかったのよ。けど、本当にやるの?」
蓮実さんは、ワタシが入ることをあまり良く思っていないのだろう。この人たちがやっていることは、決して他人に言えることではない。もしかしたら、法に触れることもしているのかもしれない。そんな中にワタシを巻き込むことを心配してるのだろう。
それと、彼女がワタシを入れることを良くないと思っている理由は、もう1つあるのだと思う。女の勘だが、彼女はワタシが劉弦さんのことを気になっていることに勘づいている。そして、これも女の勘だが、彼女は劉弦さんに好意がある。そしてその気持ちを劉弦さんも知っている。だけど2人の間には互いに立ち入れない何かがある。ってワタシは何を勘ぐっているのだろう。
「じゃあ、天馬くん呼んでくるね」
そう言って席を立った。
この部屋で1人になってしまった。外では、蝉がジリジリと鳴いていた。聞こえている鳴き声は1匹のものだ。夏のピークは過ぎ、だんだんと終わりに近づいていく。他の蝉たちは死んでしまった。1人取り残され泣いてるように聞こえる。
部屋の窓から外を眺めると、裏の墓地が見えた。ここから見える1番離れたところに、劉弦さんの姿が見えた。お墓の前で、手を合わせている。
ワタシは何かに取り憑かれたように、ふらふらっと立ち上がり、外へ出た。そして、劉弦さんの元へ向かった。
「誰のお墓なんですか?」
目を閉じて手を合わせていた劉弦さんは、片目だけ上げてチラッとこっちを見た。墓石は、他のものよりも小さいものだった。最近は、いろんな形の墓石がある。そのお墓は球体のもので、両脇に花立と、真ん中にお線香を立てる水鉢がある。球体には『真鍋家』と掘られていた。
え?
「蓮実の娘の墓だ」
そう言って、また背を向けて歩いていってしまった。
蓮実さん、子供いたんだ。小さくして、亡くなってしまったのか。これからお世話になるかもしれないというのに、彼女にどう接すればいいのか困ってしまった。スタートから課題が大き過ぎる。
球体の横を覗くと『陽夏』と掘られている。ひなつ?これは何と読むのだろう。ワタシもお墓に手を合わせた。
「ここにいたんだ」
と蓮実さんが駆け寄って来た。うわぁ、ワタシなんて返事したらいいんだろう。
「ありがとうね」
彼女は、墓石の前にしゃがみ込み、傾いた花の向きを直しながら言った。
こういう時には、なんで亡くなったのか聞くべきなのか、聞かないようにした方がいいのか。それとも、気付いてないフリをした方がいいのか。
彼女は人差し指で、花立に差された花をくるくると回していた。ワタシの周りで、子供が亡くなった知人がいないから、どう声をかけていいのかわからない。
「ああやって、皆さん、お参りしてくれるんですね」
やっと出た言葉が、それだった。ここで《《お参り》》というのが適しているのか、こういう時のマナーを知らない。30歳にもなって、社会の常識を知らない自分が恥ずかしい。
「劉弦さんって方、無愛想って言ってましたけど、優しい方なんですね」
んー、と蓮実さんは唸った。なにか余分なことを言ってしまったか。彼女はしゃがんだまま、両膝に手を置き、目を細めて空を見上げていた。日差しが眩しいのか。笑っているようにも、泣いているようにも見える。
「優しいかぁ。優しいかなぁ?んー、優しいのかな」
彼女は独りで納得したように頷いた。
「劉くんは勝手に責任感じてるのよ。そうやって私の傷を軽くしようとしてくれてるんだろうね。口数少ないからさ、わかりにくいんだよね。でも、そういうところが優しさなのかな」
あれ?この流れだと......。ワタシの勘違いでなければ。
「この子の父親って?」
「そう。劉くんだよ。あ、でももう離婚してるけどね」
やっぱりなあ。蓮実さんと劉弦さんの間に感じた距離は、そういうことだったのか。それこそ、これから彼らとどうやって接したらいいのかわからなくなってきた。




