辻 天馬
第46話 和尚
ほうほう、と言いながら勝手に俺のバックの中身を取り出す。
「勝手に人のもん見てんじゃねえよ」
二日酔いで頭が痛い。まだ酒も残っているので、目に映るものが歪んで見えていた。和尚の後ろ姿も、小さいジジイとしか認識できていなくて、猫爺かと思った。
「勝手に人の敷地で寝とるのは、お前さんだろ」
こっちが動けないのを見て、金でも取ろうとしているのか。金なんて、あんまり持ってないぞ。
「ほほう。お前さん、写経なんかやるのかね」
ノートを取り出し、ペラペラと捲っていた。
「勝手に見んじゃねえよ」
動けない俺を見下ろして、不敵な笑みを浮かべている。このジジイ、殺すぞ。なにせ、俺は殺人犯だからなあ。
「酒臭いのぅ。ええ歳して深酒かね。しじみの味噌汁でも飲んでいくかい?」
「うるせえ。放っとけ」
階段の手摺りに捕まり、なんとか立ち上がった。だが、そこから動けない。地面が湾曲して見える。もうちょっと休んでいれば、1人で歩けそうだ。このジジイ、早くどこかへ行ってくれないか。
サワサワとビニールが擦れる音がした。
そちらの方向を見ると、頭に手拭いを巻いた図体のデカい男が両手にスーパーの袋を下げて、こちらに近づいてきた。
「ああ、優禅さん。おかえり」
このデカい男は、このジジイの家の奴か。身長は179センチある俺の身長より遥かにデカい。捲り上げた袖から見える前腕は、ゴツゴツとした岩のようだ。
「和尚、只今戻りました。今日はいいお肉が手に入りましたよ」
こいつらは坊さんか。よく見ると、このデカい男は坊さんが着るような黒い着物を着ている。和尚と呼ばれたジジイも紫色の着物をきていた。
「ほー、それは今晩の夕食が楽しみですな。そう言えば優禅さん、昨日のしじみの味噌汁は、まだ残っていますか」
「冷蔵庫に入ってますよ」
「それじゃあ、この男に飲ませてやってはくれませんか」
「承知しました」
なんか勝手にこいつらの家に行くことになってる。べつに味噌汁なんて頼んでねえよ。魚介系かあまり好きじゃねえんだ。っていうか放っとけ。そう突っぱねてこの場を立ち去ろうと思うのだが、足が動かねえ。
「なんか、この人フラフラなので、優禅さんが負ぶってやってくれませんか?」
「承知しました。和尚、買い物袋を持てますか」
「はいはい、それは私が持っていきましょう」
そう言うと、優禅と呼ばれた大男は俺の目の前に屈み、背中を差し出した。
「うるせえなあ。退きゃあいいんだろ」
そうやって無理に歩き出そうとすると、バランスを崩して倒れそうになった。すかさず俺の体を支えた大男。俺の前に背中が現れ、頼んでないのに負ぶられた。
「止めろ。何すんだよ!」
「すみません、お客人。少しの間、じっとしてきてください。この石階段、角度が急なんですよ。暴れると落ちますよ」
俺はガキみたいに男に負ぶられて、階段の上まで運ばれた。上まで登ると鳥居があり、鳥居を潜ると広々とした敷地があった。左手に手を洗う水場があり、その奥に寺のような住宅のような建物があり、真正面には寺の本堂があった。本堂の隣にも、同じように居住スペースのような建物があった。本堂とその建物は、渡り廊下で繋がっている。
その建物から、俺を負ぶった男と似たような背の高い男が出てきた。俺たちを見て、慌てた顔で近づいてきた。
「どうしたのですか?」
大の大人が子供のように負ぶられているのだ。怪我人か病人かと思われたに違いない。
「あの、もう大丈夫なんで、下ろしてほしいんですけど」
すみません、と謝る必要もないのに大男は俺を下ろした。フラフラしているが自分の足で立っている俺を、もう1人の大男は事態のが飲み込めない顔をしている。
「ただの酔っ払いじゃよ」
そう言って笑うこのジジイは、やっぱり猫爺に似ている。
台所に案内され、ダイニングテーブルの前に座らされた。しばらくすると、大男がしじみの味噌汁を運んできた。こっちの大男はさっき俺を負ぶった男ではない方で、「雲仙さん」と呼ばれていた。この2人は双子のように似ている。どっかの寺の写真で見た門の両側にあるデカい像みたいだ。たしか、金剛力士像といったか。頭に手拭いを巻いている方が優禅さんで、巻いてない方が雲仙さん、そう認識した。
味噌汁を一口飲むと、ふぅっと溜息が出た。塩気が丁度良く、酒で荒れた胃に染み渡る。しじみの磯の匂いが、妙に落ち着く。暖かい液体が食道を通り、胃に到達し、そこからからだ全体に塩気が行き渡る。アルコールでボケちまった細胞を1つ1つ起こしていく感覚。
目の前に座った猫爺みたいなジジイは、その様子を嬉しそうに眺めていた。
「お前さん、背中にいい絵が入っとるな」
「は?いつ見たんだよ」
「優禅さんに負ぶられてる時、背中が捲れ上がっててな。ちゃんと見せてくれまいか?」
俺は素直にTシャツを脱いでしまった。知らない間に、このジジイのペースだ。
「ほほう。絵柄が今風だの。お前さん、仕事は何をしてるんだね」
「仕事してねえよ」
「ほーう。じゃあ、前の仕事かね」
俺の背中のタトゥーは、前の仕事と関係があるのか聞いているのだろう。あまり語りたくはない。ジジイはそれを察したのか、まあいい、と言って、優禅さんと呼ばれる頭に手拭いを巻いている男になにやら指示をしていた。
「どうせ住むところも無いのだろ。夕飯でも食べていきなさい。行くところがないなら、ここに泊まっていくがよろしい」
勝手に決めてんじゃねえよ、と思ったが住むところも金をない俺には、ジジイの好意を突っ撥ねる選択肢はなかった。
初めはしばらく住まわせてもらっている間に働く場所を探すつもりだった。ジジイがここに俺を住まわせる条件として、坊さんの服装でいることと、朝夕のお経の時間は参加すること、その2つだけだった。面倒臭えとは思ったが、ただそれだけで優禅さんの作る美味い飯に無料でありつけることができるのだから、それほど苦じゃなかった。
そのままずるずると、俺はジジイの元で過ごすことになってしまった。




