真鍋 蓮実
第27話 自分の心に従う
わたしは『カルマの部屋』へ、浅川さんを連れて行った。カウンセリング用のソファに彼女を座らせ、少し待たせた。わたしは台所へ行き、お茶を用意した。
優禅さんが、まな板の上に豚肉を1枚1枚丁寧に広げていた。綺麗に広げた豚肉に、蒸した野菜を巻いていく。
「お客人に、お料理出しますか?」
そう聞かれたが、まだどんな人か分からないからと断ると、じゃあ、と言って冷蔵庫から和菓子を出した。和菓子屋を営んでいる檀家さんが、朝の和尚の説教のときに、新作の和菓子を持ってきてくれたものだ。優禅さんが、漆の皿に和菓子楊枝と一緒に綺麗に乗せた。改めて料理は盛り付けまでが重要だと感じる。
わたしはお盆を持って部屋に戻った。彼女は落ち着かない素振りで、とくに何もない部屋の中をぐるぐると眺めていた。
彼女の目の前のガラステーブルに、お茶と和菓子を差し出した。
「どうぞ」
わたしは彼女に遠慮することなく、先に和菓子に手をつけた。お客様より先に食べ物に手をつけるのは礼儀としては良くない。『カルマの部屋』では、緊張を解いてあげることが先決。胃が満たされれば、少しは緊張が緩む。医学的には甘い物を食べると緊張やイライラを助長してしまうと言われている。糖分を多く摂りすぎると、血糖値が上がり、その後血糖値を下げるためにインスリンが多く出てしまうことで脳の糖分不足に陥るため、疲労感や苛つき、不安感が出てしまうため、ストレスを感じてしまうのだそうだ。適度な糖分と食物繊維が良いらしく、フルーツの方がよい。
だけど、女の子なら絶対甘い物が好きなはず。結局、わたしが食べたいだけなんだけど。
ここへ来てから挙動不審で、チラチラと引き戸の方ばかり見ている。劉くんのことを気にしているのだろう。本人はバレないように部屋の中を見回したりして、自然な振る舞いをしているつもりなのだろうが、引き戸を見る回数がハンパない。天井を見ては引き戸、テーブルを見ては引き戸、和菓子を見ては引き戸。
「誰も来ないから大丈夫ですよ」
惚けて言ってみた。少し意地悪だったか。
あぁ、と腑抜けた返事をして、彼女は小さく両手を合わせて菓子楊枝を手にした。食べる前に手を合わせる人は、親からの愛情をしっかり受けている。これもカウンセリングの知識ではなく、持論だ。
和菓子を横一文字に切り、手前の方から食べていた。マナーを知っていて、食べ方も綺麗。真面目な人なんだ、という印象。電話の声の印象と相違ない。
「夏って、短く感じますよね」
当たり障りない雑談から始める。冬はいつまで経っても寒いと思う。3月に入ってもまだ寒いと、まだ冬じゃん、と思う。それなのに夏は9月に入ったら終わりを感じる。まだ残暑が厳しくても、空気に少しオレンジが混ざっているように見えて、秋を感じさせてくる。
8月も中旬。理由もなく焦りを感じ始めてしまうものだ。
「ワタシは、夏が長く感じます」
浅川さんは和菓子のお皿を静かにテーブルに置いて言った。
「夏が嫌いなんですか?」
「夏は暑いし、何を着たらいいのかわからないので、あんまり好きじゃないです」
アパレルの人は、そういう視点で季節を見るのか、と感心した。そういう点では、わたしは夏は薄着で楽だからいい。なんとなくプールや海、バーベキューでビール、なんて楽しいイメージの方が湧く。最近はそういうこともあんまりしてないけど、理由もなくテンションが上がってしまうのが夏だ。だけど、好きかと聞かれると、そうでもない。やっぱり暑いのは、汗をかくし、夜は寝にくいし。
それでも、わたしは夏を嫌いと言えない。夏は陽夏が生まれた季節なのだ。お腹の中で死んでしまったけど、陽夏がこの世の空気に触れた季節なのだ。最初の頃は辛かった。でも、ほんの一時でも母親になれた季節。わたしと陽夏が顔を合わせた季節。だから、わたしは夏が好きでいたい。
「なんか、自分だけ周りから取り残されてる気になってしまうんですよね」
彼女はポツリと言った。
なんとなく、わかる。周りがお祭り気分の中、自分だけ予定がなんにもなかったりすると、そういう気になる。こういう場合、得てして自ら周りと溶け込むのを避けていることがある。
わたしたちだって、べつに海やプールに遊びに行っているわけでも、夜な夜なパーティーなんかやってるわけでもない。そんなことを企画しても、あのノリの悪い連中は実行しないだろう。でも不都合があるわけでもない。わたしには劉くんや天馬くん、利休くんがいる。和尚たちもいる。普段通りの生活が約束されている。家族と呼ぶと青臭いが、気を遣わないで一緒にいられる仲間がいる。多分、彼女にはそういう気を許せる人がいないのだろう。
彼女は、言葉を選びながら、ポツリポツリとここ数ヶ月の話を喋り始めた。可愛がっていた後輩の話。尊敬できる上司の話。同じ部署の嫌な奴の話。周りとうまく付き合っているようで、他人との距離を置いてしまう自分の話。その後輩と上司に裏切られた話。
わたしを目の前にして、彼女は独り言のように、ポロポロと溢れる。こんなこと言っても仕方ないんですけど、ワタシが悪いんです、と解決に導かれない自己完結の言葉が挟まる。話しているうちに自分が自分で嫌になってくる。
自分で他人と距離を置こうとする人は、意外にも信じ込みやすい人が多い。すぐに他人に飲まれてしまう自分を防御するために壁を作る。だけど、その壁は意識していないと、すぐに隙間ができてしまう。隙間ができたしまったのとを無かったことにするため、その隙間を縫って入ってきた人は自ら受け入れたと思い込んでしまう。だから必要以上の信頼を置いてしまうのだ。
ただ、その相手は本人に対して特別視しているわけではない。普通に接しているだけのだから、ここに本人と相手の熱量の差が出てしまう。本人は自分が認めた人だから、自分に対しての特別な配慮があると勘違いしてしまうのだ。他人との意思の行き違いなど、軽い交通事故のようなものだから、しばしば起こり得る。
彼女は話していたのを途中で止めて、俯いていた顔を上げた。
「なんか......多分......、わたしの我儘ですよね」
この手の悩みの人は、基本的に他人に本音を言えない人が多い。わたしはこう思っているのに相手はわかってくれない、誰だってそう考えるのは不自然なことではない。不平不満は言えないけれど、言わないでもわかってほしいという考え方なのだ。そんなの無理だってわかっているから、わたしは我儘だ、と思い込んでしまう。大抵、こう言う人の周りには我儘な人が寄ってくる。
「《《我儘》》って、辞書で調べてみましょうか」
わたしは目の前で国語辞典を広げてみせる。言葉の意味なんかネットで簡単に調べられるけど、今の時代敢えてアナログなやり方の方が伝わりやすい。
「自分の思いどおりに振る舞うこと。また、そのさま。気まま。ほしいまま。自分勝手。って書いてあります。浅川さんは自分の事、自分勝手だって思います?」
辞書に書いてある説明には、隙がない。こういう場合はこうとか、そんな時もあるよね、みたいな妥協点がない。だから、そのままの意味をそのままに伝えられる。字面で見せられると、それがわかる。
彼女は、きっと自分が悪いんじゃない、悪いのは相手の方だ、というのが本音。だけど、それを口にしてしまったら、今まで大切にしていたことを全部自分で否定するすることになってしまう。自己犠牲が正だと思っている、敏感で優しくて、そして頑固な人。
時には、思い通りに振る舞ったっていい、自分勝手でいい、我儘を言ってしまう自分も認めてあげることが大事。なにより自分を苦しめているのは、自分自身なのだから。
「相手のこと、恨んでる?」
彼女は首を傾げた。
「これから、どうしたいとか、ある?」
傾げた首を反対側に傾けて、うぅん、と唸った。天井を眺めて、そのあと壁の一点を見つめたと思ったら、目だけ左上に向けて口を半開きにしたまま動かなくなった。言葉を探している仕草。
廊下の方から歌声が聞こえた。天馬くんの声だ。
天馬くんが夏になると歌い出す奇妙な歌だ。もう何回聞いたかわからない。ルースターズのCMC という曲。最初の8小節くらいはサマーソングっぽいのだが、それ以降は空からミサイルが落ちてきたとか、爆関機とかガス爆弾とか出てくる。天馬くんは、これが夏歌だと言うが、わたしにはそうは思えない。
今日もご機嫌に歌っている。その歌声が近づいてきた。浅川さんの耳には届いていないようで、ずっと一点を見つめたまま。
ガタガタッと引き戸が開くと、驚いた浅川さんの肩が跳ね上がった。そして一瞬だけ晴れやかな明るい表情になった。でも入ってきたのが天馬くんだと視認すると、分かりやすいくらいに落胆した表情に変わった。
「あれ?そろそろ?」
わたしたちの話が長かったため、天馬くんはそろそろ自分たちの出番ではないか、と顔を出したのだ。でも、本当の理由は浅川さんが気になっているのではないか。だって、彼女は天馬くんのドタイプなのだ。まったく、お釈迦さんの前でみんな何を考えてるんだか。
「お釈迦さんの言葉でね、『周りに惑わされずに、自分の心に従いなさい』っていうのがあるの。お釈迦さんって、すごいたくさん弟子がいたから、人によって言うことが違ったりしたんだけど、共通してるのは優しく背中を押してくれることを言ってるんだと思うの。大丈夫だから自分を信じてって。ね、あんまり他人の目を気にすることなんかないんですよ」
お寺にいるもんだから、ついお釈迦さんの言葉を借りてしまう。ある意味、お釈迦さんって最強のカウンセラーだとわたしは思う。こんなに時代は進歩していても、人の悩みというのは2千年以上の経っても変わらないんだと感じる。
「あの......」
彼女は口を開いた。天馬くんが期待の眼差しで覗き込んでいる。わたしは天馬くんたちの復讐する行為は、賛成とも反対とも言えない。復讐で心が癒えるなら良しとするが、反面後悔に苛まれる人もいる。前向きになる手段としては有効だが、そればかりではない。
現場と折り合い、正しい道を自身で見つけることが理想の形だ。カウンセリングの仕事は、その道に導くお手伝いをすることに過ぎない。わたしの一言で解決することなんかない。自分の足で立ち上がってくれること、そのきっかけとして劉くんや天馬くんに頼んでいることは、わたしの中でも正なのか否か葛藤がある。
「わたしも、ここで働かせてもらえないですか」
初めての展開に、わたしも天馬くんも止まってしまった。




