浅川 沙千絵
第25話 カルマの部屋
『こんにちは。カルマの部屋へようこそ』
明るい声色だが、少し控えめな声のトーンで、電話口の女性は電話に出た。この女性が、ホームページで紹介されている真鍋蓮実というカウンセラーなのだろう。
「あ、こんにちは」
相手のトーンに釣られて、普通に知人との電話のような声を出してしまった。この人あんまり悩んでないんじゃないかと思われているのに違いない。えっと、なんて声を詰まらせてみたが、なにか芝居じみていて少し恥ずかしくなった。本当はワタシ自身、悩んでなんかないんじゃないか。なんで電話してしまったんだろう。
しばらくの無言。相手も様子を伺っているのか。
こういう場合、なんて切り出したらいいのだろう。
『なんか、今日も暑いですねぇ』
向こうが何気ない雑談を切り出してきた。販売の研修でも、初めからいきなり商品説明するのは不自然なので、雑談から入るとよいと教わった。お客様の服装や身につけているアクセサリーを見て褒めるとか、平日だったら「今日はお仕事休みなんですか」と聞くとか、知人のようにさり気なく会話に入るのが鉄則だそうだ。どうしても話しかけるポイントが見つからなければ、天気の話が誰でも共通の話題なのだそうだ。そういう自然な会話から商品の話に誘導すると説明を受けたが、知らない人から天気の話なんて逆に不自然ではないかと、どこか引っかかるものを感じていた。
だけど、この電話口の相手の人は、本当に暑いから暑いと言ったという、ごく自然な喋り方だった。
ワタシはその「暑いですね」に対して、なにか返答しなきゃいけないのか迷っているのを、彼女は無言で待ってくれている。
「本当に無料なんでしょうか」
迷った挙句、やっと出た言葉がそれだった。もう少し他の言葉があったんじゃないか。これじゃあクレーマーみたいだ。
美幸と大石さんの件があってから、気持ちがトゲトゲしている。こんなんじゃなかったのに。
『あー、皆さん。それは気になさいますよ。なんで無料なんですかって。電話診断が無料だけど、どうせ後でお金取るんでしょって、よく言われます』
あはは、と彼女はアッケラカンとした感じで笑った。少しこちらの気持ちに隙ができる。これも騙すためのテクニックなのか。
『無料で相談なんて、怪しいですよねー』
彼女はまた、ふふふと笑って、なんだか1人で楽しそうだ。怪しさは増すが、なんとなく嫌な感じがしないのが不思議だ。
『でも、よく子供相談室ってあるじゃないですか。話を聞いてあげるっていうだけで。カウンセラーのワタシが言うのはおかしいかもしれませんが、悩みって溜め込んでおくより、吐き出しちゃった方が楽になるんですよ。話を聞いて、アナタが、えーっとー......』
多分ワタシのことをなんと呼んだらいいのかわからなくて、名前を催促されていると感じた。浅川です、とぶっきら棒に答えた。なんとなくフルネームを言う気にならなかったが、彼女の朗らかな物言いに、なぜか気を許してしまっているところもある。
『浅川さん?あ、わたしも名乗らなきゃならないね。真鍋蓮実といいます。えっと、浅川さんの気持ちが楽になれば、嬉しいかな』
「本当にそれだけですか。じゃあ......真鍋さんは、どうやって生計を立ててるんですか?」
相談や悩みをぶちまけるわけでもなく、どうでもいいことを聞いてしまった。ワタシはなんのために電話をかけているのだろう。
『大丈夫、大丈夫。うちはお寺なんで食べるのに困らないんですよ。うちの住職、優しいから。なんかカウンセラーのわたしが相談乗ってもらってるみたいだね』
彼女に気を許してしまうのは、彼女の喋り方だ。丁寧な言葉の中、所々馴れ馴れしい言葉遣いが混ざるが、あまり違和感を感じない。テンポが緩やかなのと少し高めの聞きやすい声のトーンのせいだろうか。もしかしたら計算を尽くした喋り方なのか、それとも天然なのだろうか。彼女の声を聞いてるだけで、なんとなく心が落ち着いてくるのは、なぜだろう。
『あ、ごめんなさい。わたしばっかり喋っちゃってますね。でも、浅川さんがスッキリしないのであれば、なんでも聞いてください』
悩みの相談を受け付けていながら、その悩みを催促してこない。この人は、この調子で続けるのだろうか。
「すみません。なんで電話したのか、わからなくなってしまいました」
ワタシは正直な気持ちを伝えた。それならまたご相談ください、と電話を切られると思った。これが商売なら引き止めるのだろうが、相手はボランティアみたいなことをしている。これ以上話すことがなくて切りたいと思っているのに、自分から切ることができない。だから向こうから切ってくれるのを待つ。ワタシはむかしから、そうやって相手の出方を待つようにしてきた。でも不思議と、切られてしまったら少し寂しいと思う自分もいる。この感覚はなんなのだろう。
ふふふ、また彼女の心地よい笑い声が聞こえてくる。
『浅川さんって、真面目な方なんですね』
なんでそこに繋がるのかわからない。この人の話し方は、次の一言を望んでしまう。なにを言い出すのか、期待してしまう流れで話す。
『浅川さんって、ツイッターとかで批判や誹謗中傷する人って、どう思います?』
「よくわからないですけど、あんまり見ないようにしてます。なんとなく好きじゃないというか」
『なんで好きじゃないんですか?』
「なんか、その一方的というか、なんというか。顔が見えてないのに、ああだこうだと言うのは、ちょっとズルい気がします」
ふんふん、ふふふ。彼女は満足気に相槌を打ったかと思うと、また独特の笑い。
『優しい人なんですね』
揶揄われた気がして、少しムッとした。
「どこがですか?」
『電話相談って顔が見えてないからね。一方的にうわーって悩み言って、わたしがなんか言うと、アンタに何がわかるんだーって、こっちが怒られちゃったり。終いには、ボランティアかなんか知らないけどいい気になってんじゃないよー、なんて文句言われちゃったり。もう大変。あ、やっぱりわたしが相談乗ってもらっちゃってるみたい』
「それのどこが優しいんですか」
ははは、と彼女は呑気な声をあげて、「浅川さんって話しやすいですね」と答えにならない返事をしてきた。
『実は電話って、わたし苦手で。顔が見えないと話しにくいですよね。反応が見えないから、相手がどんな状態かわからなくて、なんて返事したらいいのかわかんない。って、カウンセラーが何言ってんだろうね』
ははは、と笑うのに釣られてワタシも、ははは、と笑っていた。あれ、今なんで電話してるんだったっけ?
『まあ、いいや。なんか電話だと話しにくいから、こちらに遊びに来ます?べつに浅川さんの都合が悪かったらいいですけど。明日の夕方なら空いてますよ。あ、もちろんお金なんか取らないですから』
なんか友達と話してるみたいで、じゃあ明日なら大丈夫です、と普通に答えてしまった。仕事してないから、いつだって都合はつくんだけど。彼女は「じゃあ明日の夕方5時で」と約束して電話を切った。
お金を取らないと言ってはいたが、これが詐欺かなにかだったらどうしよう。でも、もう会う流れになってしまっている。もしかしたら、会って話をしているうちにマインドコントロールされて、なにか邪気を払う高価な壺とか数珠とかを買わされてしまうのだろうか。カウンセリングをお寺でやっているということも怪し過ぎる。
急いでスマホで『龍幸寺』の評判や口コミを調べた。『怪しい』とか『詐欺』『被害』とかワードを入れて検索もしてみるが、なにも情報は得られない。さっき話した真鍋蓮実という人は、話した印象としてそんなに悪いことをする人とは思えない。ダメだ、そう簡単に人を信じてはダメ。まだ顔を見てもいないのに、感じの良いフレンドリーな印象だからといって、信用してはダメだ。まさか、もう既にマインドコントロールされてしまっているのか。
人を見る目に自信の無くなったワタシが、いくら考えても答えが見つからない。いいわ、どうせやることもない。何を見せられても買わない、何に誘われても断る、と決心して明日会うことを受け入れることにした。無職、未婚の30女が失うものなんてない!チマチマ考えて何もしない自分はもう捨てる。面倒事を回避してきたつもりで、結局回避できなかったのだ。これからは、あまり考えないで生きていく。
もうどうにでもなれ、と明日を迎え入れるために、今日は早く寝ることにした。
次の日は早く目が覚めてしまった。夕方のアポまで、何もすることがないのに、特に何をするわけでもなく、ダラダラと過ごした。
スマホで『龍幸寺』のアクセスを調べる。うちからは歩いていくのも遠い。この暑さの中、自転車で行くのも辛そうだ。バスも乗り換えが必要で、帰りの時間にはバスも無さそうだったので、少しお金がかかるがタクシーで行くことにした。
午後4時になりタクシーを呼んだ。タクシーの運転手に『龍幸寺』まで依頼すると、運転手も首を傾げた。あまり有名ではないお寺なんだ。カーナビで『龍幸寺』の名前で検索しても表示されなく、運転手に住所を聞かれた。スマホを開き、ホームページに出ている住所を告げた。
「このへん、ですかね?あ、あれかな」
タクシーに乗って30分くらいすると、ナビが「目的地付近です」とアナウンスしたため、タクシーは減速した。砂利が敷かれた敷地に車を停めた。5段くらいの石段が見え、その先には少し開けた砂利の敷かれたスペースがあり、またその奥には長い石段が見えた。30段くらいあるのか、多分その先に『龍幸寺』があるのだろう。
タクシーから降りると昼の暑さが少し落ち着き、涼しい風が吹いていた。静岡市内はこの時間帯でも蒸し暑いが、田舎に来ると環境が違う。春先の涼しさを感じた。蝉の鳴き声が煩さだけが、夏だということを思い出させてくれる。
長い石段から1人の女性が降りてきた。すれ違う時、軽く会釈された。彼女も龍幸寺に相談しにきた人なのか。
石段の幅は、ワタシの靴サイズのギリギリと少し狭い幅で、勾配が急に感じた。数人の小学生くらいの子供たちの姿が見えた。子供たちは石段を1つ飛ばしで、駆け降りてくる。
石段を上がると、3人の人影が見えた。女性1人、男性が2人。あの女性が、真鍋蓮実というカウンセラーなのだろう。
なにか楽しそうに雑談していた。男性の1人はチャラい印象の男。女性から揶揄われているのか、不貞腐れた表情でお寺の中へ消えていった。
もう1人の男性は、落ち着いた雰囲気の渋めの男性。女性とチャラい男性のやりとりを静かに見守っていた。
「こんばんは」
彼らと目が合ってしまったので、話しやすそうな女性の方に声をかけた。40代くらいの男性は、ワタシのことを上から下まで不思議そうな顔で眺めている。
「あの、カウンセラーの真鍋さんって」
「あー、私、私。今日のアポの、浅川さん?」
その40代くらいの男性が松下劉弦。
これがアナタとの出会いだった。




